んだんだ劇場2005年2月号 vol.74

No32−雪のち快晴 東京の正月−

12月29日〜1月5日
 29日(水)数日前から雪。ようやく秋田の冬というかんじだ。ANA11時20分の便で東京。先週は仙台に出張があり、帰ってくると連日の忘年会、例年とはちょっと違うあわただしい年末。どうしたんだろう。たいして振り返りたくもない1年だったが忘れたいことはたくさんある。12月にはいってムチャクチャ忙しくなってきたのは危機感から脱出するために意識的に仕事をいれ始めたためで、景気がよくなったとか、そんなことではない。とにかく忙しく頭を働かせていれば、刺激的で建設的な日々を送れることが、よおく、わかった。年末なので頭の中も師走状態で、今年1年を象徴する、なんとなく気分が晴れない濃い霧のかかったブルーな心境。腹の立つことに東京も雪。東京では雪が降るとみんな傘をさしている。これには驚いた。秋田では雪が降って傘を差すなんて「慣習」は、ない。北海道出身の東京在住者に聞いたら、「(自分も)傘を差すのにはビックリしたが、東京の雪はようするに雨の延長。びしょびしょにぬれてしまうから、しょうがないんです」とのこと。萩原浩『明日の記憶』を読み続ける。若年性アルツハイマーになった50男が主人公の小説。自分との類似点に青くなりながら読了。5時半、神保町の「やぶ仙」で「棚の会」の忘年会。みんな顔なじみの人たち。2次会まで付き合って、歩いて帰る。
 30日(木)うってかわって快晴。これぞ東京。うれしくて朝から散歩。池袋の手前で都電・荒川線に乗り(一度乗ってみたかった)滝野川まで。どこでもよかったのだが、すぐに折り返し終点早稲田まで戻ってくる。護国寺の喫茶店に入り、まるまる本1冊を読む(奥田英朗「東京物語」)。家に帰って夕食の準備。外食より自分で造って食べるのがストレス解消。息子も嫌がらずに(内心嫌がってるのかも)食べてくれるので、張り切ってスパゲッティと野菜サラダ。夜も散歩、今日は2万歩を越えた。熟睡。
 31日(金)外は小雪。東京まで来て雪を見るのは複雑な気分。朝シャワー。朝ごはんにジャガイモの味噌汁。秋田にいるとカミさんがアバウトで(面と向かってはとてもそんなこといえないが)味噌汁は3日間いつも同じ。こっちでは好きな具を入れて毎日作れるし、一日で食べきれる分しかつくらない。東京に来て、思いのほか秋田(実家)の味噌が口になじんでいて、ほかの味噌を食べられないことがわかった。雪の降りしきるなか傘も差さず春日まで7千歩ほどの散歩。雪が激しくなったので電車で帰る。飯田橋のEホテルに頼んでいた「おせち」と年越し用「神室そば」届く。お正月の準備はこの2つで終わり。ゆっくり酒を飲んですごしたいが、テレビはあまり見たくない。本を読むか原稿を書くか、ビデオ映画を観るか、この程度の選択肢しかないのだから情けない。
 1日(土)快晴。いやはや気持ち良い。昼過ぎ、カミさんも上京。一挙にいつものカミさんペースで東京気分が抜ける。全部自分の仕切りでやりたがるので、こちらのペースはほとんど無視。空は抜けるような青空なのに気分は濃紺。皇居の近辺を散歩。一般参賀が終わって閑散としていたが、途中マスコミがあふれている門があり、だれかしらないが皇室の人(たぶん)の車がフラッシュをあびていた。帰ってカミさんと2人で食事。息子は近所のおでん屋でバイト。大晦日もお正月も店を開けるのだそうだ。することもないので早々と自分の部屋に布団を敷いて、奥田英朗『泳いで帰れ』を読了。このタイトルはオリンピック日本代表の野球チームへの罵倒の言葉であることが最後のほうでわかる。背中からコンクリートの冷気が這い上がってきて、なかなか寝付けないので内田・平川のメールの往復書簡である「東京ファイテングキッズ」も読む。畳の寝室はカミさんに占拠されているので、2日間はこの地獄に耐えるしかない。なにが悲しくてお正月の東京でこんな仕打ちを受けなければならないのか。昔、紅白も見ないで、お正月も本ばかり読んでいて家族(特に母から)から総すかんを食っていた父親の姿がダブる。40年以上前の父親の心境におもいやり、しんみり。その寝たきりの父も今年がヤマかもしれない。
 2日(日)今日も快晴。冷たい寝床で腰が心配だったがダイジョーブのようだ。敷布団の代わりに掛け布団を2枚下に敷いて寝た。もう外国に行っても野宿は無理だし、災害があっても共同で寝転がる避難所暮らしはできないだろうな、と新潟や神戸のことを考える。昼から取手に住んでいる娘夫婦が遊びに来る。一緒におせちを食べて、近所の毘沙門天と赤城神社でおまいりして、夕方5時、取手に帰っていった。まさに台風一過。夕方、神保町まで散歩。腹の具合が今ひとつよくない。早めに寝床にはいり、『東京ファイテングキッズ』読了。あいかわらず内田先生、おもしろい。うまく寝付けないので高山なおみ『日々ごはん』読む。私の読書傾向というのは、一体どうなっているのか。
 3日(月)8時起床。今日も快晴、気分がいい。カミさんがいると暮らしの緊張度が違う。作ってもらった朝ごはんをゆっくりと食べ、家族3人べちゃべちゃとおしゃべり。息子もよくしゃべる。私と2人のときはほとんど無言のクセに。午前中、高田馬場まで散歩。穴八幡神社におまいり。今年は神頼みが多いが賽銭は1円か5円と決めている。帰って箱根駅伝をテレビで見る。3時の飛行機でカミさん秋田に帰る。夕方ブラブラとまた散歩に出る。散歩が日々の暮らしで一番重要な『仕事』になりつつある。神保町のスターバックスで全席禁煙の店を発見。長く本を読むにはタバコの匂いのないところがリラックスできる。東京駅まで歩くつもりが、吸い込まれるように大手町の読売新聞社前に出た。意識したわけではないが、つい数時間前の箱根駅伝のゴールの饗宴は嘘のように拭い去られていて、いつもの静かで不気味なオフイス街にもどっていた。そういえば去年もこの日、ふらふら散歩に出て、麹町日テレ付近で走り終えた箱根の選手たちと出くわしたっけ。途中、道に迷ってなかなか目指す神田駅につけずタクシーで帰ってくる。今日の散歩1万8千歩。もうひとつ思い出した。大晦日の31日に市ヶ谷近辺を散歩していたら、電車沿いの公園歩道で何人ものホームレスの人と出会った。年末の取り締まりか何かがあったのかも。11時布団に入り、すぐ眠りに着く。
 4日(火)今日も快晴。10時ころ印刷所からの電話でたたき起こされる。もう働いている人がいる、気持ちを一気に仕事モードに切り替える。昨日の朝日新聞に「老後はどこで暮らしたいですか」というアンケートがあり、「東京」が7割を占めていた。これは東京地方版なので東京在住者へのアンケートなのだろう。この数字でいろんなことを考えた。昨日の朝日の『愛と死をみつめて』が復刊、というニュースにも驚いた。初版8千部が即日完売というのだから、う〜ん団塊の世代というのは何を考えているのか。ま、私もその世代だけど。東京にいるとゆっくりと地殻変動している『時代の潮目』のようなものが見える。重厚で大きく大げさなものを社会が必要としていない、というか避けているのが感知できる。大量の紙を使い、読むのに莫大な時間を費やし、たまると大きな場所を占める「出版・本・活字」というメディアは、都会では将来、疎まれる頻度が高くなる、と小生は思っている。夕方近所に散歩に出るまで事務所でデスクワーク。いよいよ始まった、というアグレッシブな気持ち。これがあるうちはまだダイジョウブだ、と自分を励ます。時代は厳しいが、急がずマイペースでやっていこう。夕方、神宮外苑まで歩く。エスビー食品の陸上部が練習中で、はじめて全日本クラスの長距離ランナーのスピードをまじかで観て、そのあまりの速さに驚く。オリンピック・マラソンに出た背の高い何とかという選手もいた。国立競技場から地下鉄で帰ってくる。散歩距離1万2千歩。夜はバイトが休みの息子と神楽坂で食事。少し食べたらなかったので息子のバイトしているおでん屋から「おでん」をテイクアウト。高いのにたいしてうまくない。冷蔵庫の中を整理し、秋田送りの荷物を送り出し、ゴミだし準備をして、これで東京のお正月は終わり。
 5日(水)朝は7時起床。快晴。帰る間際の快晴にはちょっぴり腹が立つ。秋田に帰る日からいつもの生活パターンに戻すのが決まりで心身とも仕事モード。仕事始めは明日からだが、もう私の中で戦い(おおげさな)は始まっている。大変な1年になりそうな予感がする。ちゃんと朝食をとり、10時、事務所を出発、羽田へ。


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