んだんだ劇場2005年3月号 vol.75

No33−父の死、復帰のエアロビ−

仙台・東京そして父の死
 29日(土)お昼の新幹線で仙台へ。ユニークな町おこしで仙台の名物オジサンといわれるTさんの本を出すための打ち合わせ。最近仙台に行く時はかならず駅構内にある立ち食い寿司に入るのだが、これが安くてめっぽううまい。Tさんとの打ち合わせを終え新幹線で東京へ。事務所に着き早めに就眠。
 30日(日)快晴。腹が立つなあ秋田は毎日吹雪だっていうのに。起きて朝ごはんをつくり午前中はデスクワーク。午後から皇居を1周して神保町をブラブラ。夜は息子と自宅で夕食。久しぶりに最近の自分の仕事や出版界の状況について話す。息子は真剣に聞いているが、どこまでこの深刻な不況や厳しい出版事情を分かっているものやら。「無明舎は一代限り、世襲はしない」とくどいほどいっているが本人には継ぐ意思など最初からない。こちらも将来に大きな希望の持てない活字文化の世界に息子を引っ張り込むほど太っ腹ではない。東京事務所も、最初の5年間の様子を見て存続か廃止を決めようとおもっている。おじいちゃん(私の父)もいつ亡くなってもおかしくない状況なので覚悟しておくようにと付け加える。3日ほど前、おふくろを連れて入院先の秋の宮温泉郷に泊まりがてら父の見舞いに行ったとき、その表情を見て「もう長くはないな」と直感した。
 31日(月)快晴。なぜ太平洋側だけが、と頭に来るが気持ちはいい。今回の東京出張ではかなりの人たちと会う約束がある。心境の変化があり、ひきこもりをやめ、多くの人と会っておこうという意欲が出てきたため。3日ほど前の出来事だが秋田の事務所に東京のH書房のM氏が訪ねてきた。いろいろ話をしているうち、なぜか急に「このままじゃダメだ、もっと積極的に外に出て人に会って、前に進まなければ」という思いに襲われた。消極的で後ろ向きなスタンスが長く続いていることに嫌悪感を催したのだ。もしかすると自分はひきこもり、男性更年期の真っ只中ではなかったのか。去年の今ごろ、突然帯状疱疹にみまわれ、以来1年間まったくスポーツクラブとはご無沙汰している。同時に社会とも没交渉のひきこもり状態が続いていた。ダイエットや夜のバーベル散歩は持続しているものの、女性たちに交じって音楽に乗りながら大汗をかくエアロビクスの「快感」はとうに忘れかけていた。それが更年期疑惑や消極性をのさばらせている原因なのかも。このちょうど一年のブランクをきっかけにスポーツクラブ(エアロビクス)に復活しよう、とひそかに決意する。
昼、地方小K氏とお茶を飲み雑談後、高校時代の友人であるSさんと神保町「出雲そば」。Sさんとはこの2ヶ月メール連絡が取れなかったのだが、きけば軽い脳梗塞と顔面麻痺で入院中だったとのこと。もうみんなそんな年になったので格別驚かないが、Sさんは見事に回復、その代償としてタバコをやめていた。夜はありあわせのもので夕食。早めに寝る。先日受けた定期健康診断の結果が気になる。
 2月1日(火)またしても晴天。午前中デスクワーク。昼から北の丸公園にある「国立公文書館」へ古書籍の閲覧・コピーのため出向く。ここに入館するにはコートや携帯電話、ペットボトルも持ち込み禁止。2時間ほど作業をし、今日の夜に予定している友人2人との会食場所である銀座のレストランまで散歩を兼ね下見。このレストランは去年まで秋田・角館で天才シェフと評判の高かったT君の店で、Y本M博氏らの薦めで銀座に進出した。レストランの名前がよくないのが気がかりだが、雑誌などでみるかぎり東京での評判はすこぶるいいようだ。体調がいいので銀座から神楽坂まで歩いて帰り、着いたのは午後4時。事務所に「父死す」のファックスが入っていた。ついにきたか。とにかくアポのある人にキャンセルメールや電話を流し、羽田の最終便にどうにか間に合う。実家の葬儀の段取りなどは弟夫婦が取り仕切ってやってくれるので喪主(長男)とはいえ気は楽。実家のことに関してはほとんど弟まかせの親不孝長男である。カミさんと一緒に吹雪の高速道を1時間半かかり湯沢着。午後11時だった。親父のやせこけた死顔をみて、さらに思ったよりおふくろが元気だったので張りつめていた気が抜ける。と同時に急にキャンセルした銀座のレストランのことが気になり、おにぎりにかぶりつく。ズボンの中に入っていた歩数計は3万歩近いカウント数を記録していた。夜は親父の亡骸の横で寝るが、なんだかロウソクの炎が気になり眠れなかった。

父の葬儀
 2月2日(水)父の行年は88歳。これは数えの年齢。亡くなった時刻は1日の午後1時15分。昼の定期検温が1時で、このときはちゃんと意識があったのだが、看護婦が体温計をとりにきた15分後には息を引き取っていた。苦しんだ様子はなく「おはよう」「苦しい」といった単語は死の直前まで発することができたようだ。死因は心不全による呼吸停止だが、死亡証明書には「糖尿病」と書かれていた。これがすべての元凶というわけである。担当の医師は、「血糖値が高くなって病気が分かったときは、実はその十数年前に糖尿病は発病しているんです」と話していた。恐ろしい病気である。今日は午後5時半から「入棺」。曹洞宗の坊さんが来て「承應院敬覚文彩居士」という戒名をもらう。親族だけで棺に入れ、今日はこれで終了。驚いたことに「通夜」という儀式はないのだ。一番下の弟も駆けつけたので今日はカミさんと奥の親父の書斎で寝る。
 2月3日(木)葬式は明日からで今日は何もないので、朝早くいったん秋田に帰る。先日の健康診断の結果が来ていた。「コレステロール注意」だけで他はすべて正常値、再診もなしでホッとする。仕事の残務整理をして飛行場に息子を迎えに行き、吹雪の高速道を湯沢に引き返すと夕方6時。なにもない予定だったが親戚が遠方から駆けつけていて接待やら明日の葬儀の打ち合わせやらで、てんやわんや。丸1日喪主が不在だったわけで弟に大迷惑をかけてしまう。なんとも無責任な長男である。大阪や横浜から駆けつけた親族と食事。親戚関係も普段から弟の担当で、誰のこともよく知らない。ちょっぴり言い訳をさせてもらえば、かなり若い時代に「親戚づきあいはそこそこに」と心に誓った時期があるので、まあ確信犯である。カミさんの親族も親戚づきあいというのはほとんどないので、そのへんは夫婦ともども気楽に構えていた。今日は棺の横で寝る。カミさんと息子は近くのホテル泊。
 2月4日(金)6時起きで朝早くからドタバタが続く。8時20分から「出棺」。霊柩車に乗り込み昔住んでいた平清水を回って斎場へ。「火葬」は2時間ほどかかり11時半から市内のホテルで「葬儀」。葬儀には遠方からも仕事関係の方々に来ていただき恐縮。「35日法要」も済ませ、粗酒粗肴での供養。この間、喪主は3回挨拶がある。すべてが終わって家に帰ったのは5時。息子とカミさんはお役ゴメンで舎員の車で秋田市に帰る。夜は大阪からきた親戚を接待して近所の寿司屋で会食。今日はおふくろの部屋で一緒に寝る。
 2月5日(土)朝、気持ちよく目覚める。朝から弔問客が訪れるが親戚の子供たちとヨーカンを食べながら半日だらだら遊ぶ。午後から大阪の親戚を飛行場に送りながら秋田に帰る。高速道の吹雪に親戚は「生きた心地がしなかった」そうだ。息子も交えて3人で手造りコロッケの夕食。1週間ぶりに夜の散歩。パーンという乾いた音とともにきれいな花火がどこかで打ち上げられていた。その音に驚いたわけでもないだろうが、白鳥3羽がギャ―ギャ―鳴きながら頭上の冬の夜空を飛んでいった。冬の花火というのは気持ちいい。
 2月6日(日)10時起床。久しぶりに熟睡。午後から事務所に詰めてたまった仕事を片づける。考えてみれば今回の東京行きは何もなければこの日に帰ってくる予定だった。「何か」が起きてしまった一週間の長さは尋常ではない。

見られる快感がよみがえった
 2月7日(月)今日は初七日なのだが、弟にすべて任せて舎で仕事。午後から意を決してスポーツクラブに顔をだす。玄関で偶然インストラクターに復帰したばかりのN先生にバッタリ。明日からレッスンに出ることをカミングアウト。ロッカーで着替え、午後からのエアロレッスンをストレッチしながら見学。長くクラブ内の清掃をしているなじみの女性と長話していると緊張が解け、少しずつ気が楽になっていく。「初心者エアロ」のレッスンが始まったので思い切って参加。やる予定はなかったのだが、思っていたより身体が動くので安心した。わずか30分のレッスンなのに汗が滝のように流れ出す。体重も1年前と変わっていないはずだが下腹の肉が不必要に出ているのが身体を動かすとよくわかる。体重や体力維持に気を遣う、といってもしょせん一人作業はどこかで手を抜く。エアロのように半ば強制的にチームワークと競争原理がバランスよく働く「現場」では他者に見られているので手抜きができにくい。これがいい、この一年間のブランクにはこの「見られる」という行為が皆無だった。人は見られながら成長する。というか見られなければ成長(努力)できない動物なのかもしれない。今回の復帰には長くエアロビ仲間だったIさんからの励ましも大きかった。もうこのままスポーツクラブを止めてしまおう、と何度も考えたのだが、そのつどタイミングをはかったようにIさんから「早く復帰してください」というメールをいただいた。今回も父が亡くなる直前にメールをもらい、そのメールに背中を押されて「よし、続けよう」と決心。
 2月8日(火)午前中は歯医者。去年直した奥歯が1ヶ月前から痛み出し、別の歯医者さんに通っている。全部入歯になるまで問題が起きつづけるのではないか、という不安がよぎる。少年時代から歯についてはいい思い出がなくコンプレックスが大きい。治療を終え、雑用を済ませ、午後からまたスポーツクラブへ。昨日の今日なので身体のことも考えていくのをやめようとも思ったのだが長い付き合いのN先生のレッスンがある。これはぜひ出たかった。ずうずうしくも一番前に出てレッスン。わずか30分だったが汗を出した後の爽快感は午後いっぱい続く。これがあるからやめられない。しかし、これからはスポーツクラブに「行かない努力」も同時にしなければならない。それがこの一年間の教訓である。エアロビは中毒性がある。一度行くと何度も間をおかず行きたくなる。体調がいいからと週に3回も行くと、たちまち疲労が蓄積して、初老の身体はパンクしてしまう。このへんの自制が難しいところだ。「週1回」が妥当なところかもしれない。



喪中の初ヨガ
 2月14日(月)1年前に入れたばかりの奥歯(1本入歯)の隣に虫歯が見つかってこの数ヶ月歯医者通いが続いている。今日もブリッジをかけるための大工事が午前中いっぱい続き、いやはや疲れた。昨日まで父の葬儀の後始末やらなにやらで3日間実家泊。うち1日は横手で「食」のイベントに参加していたのだが横手も湯沢も秋田も雪雪雪。12日にはもっとも心配していた高速道での吹雪による追突事故が起き、13人がけがをしている。毎週この道路を使っているのでとても他人事とはとても思えない事故だ。2週間前、葬儀に来てくれた大阪の親戚を飛行場に送り届ける時、ちょうど今回の事故付近でやはり吹雪で5メートル先がまったく見えなくなり、親戚は悲鳴のような声で「(車を)止めて!」と叫んだのを思い出した。でも止めたら追突されるのは目に見えている。親戚は大阪・寝屋川市在住、17歳の男が小学校で教師らを殺した事件の舞台となったところ。亡くなった父は若い頃、この小学校のすぐ横にある大阪電気通信大学に親戚の家から通っていた、という縁のある場所だ。だからなのか、なんとなく、猛烈に、腹が立つ。

 歯医者での重労働(麻酔を何回も打たれた)を終えグッタリ。このまま事務所に帰っても仕事に集中できない、と考えてスポーツクラブに直行(車にトレーニングウェアーは積んでいる)。ちょうど1週間前の初レッスンと同じ「初心者エアロ」に出て、それでもなんとなく物足らない感じなので、続けて「ナチュラルヨガ」という初心者ヨガ教室も初体験。15年以上もこのクラブに通い続けて一度もヨガ教室に出ようと思ったことはない。スポーツクラブは激しく身体を動かして汗を流すところ、というイメージが強かった。それが喪中の身のせいか、身体にまとわりついた「死」を身体の外ではなく内側からヨガは吐き出してくれそうな気がしたのだ。でも実際にやってみると、ほんとうにヨガ入門のための「入門用基礎体操」だった。

 ロッカールームで元銀行支店長Sさんに一年ぶりでで会った。いい機会なので、銀行融資の条件変更や保険、経営相談の窓口などについてアドバイスをもらう。
 Sさんは人付き合いのいい人で、何度か一緒にお酒を飲んだこともあるのだが、とてもジム通いをするタイプではない。訊くと、お酒が過ぎて血糖値が高い糖尿病になり、運動を医者から義務づけられているのだそうだ。なるほど納得。糖尿病は痛くも痒くもない「死に至る病」と言うのは親父の死で痛感させられたからよくわかる。Sさんと1時間ほどカウンターそばのテーブルでお話。
 昔に比べると何倍にも会員が増えているのが出入りする人の多さでわかる。私が入った頃のクラブは1日に5人くらいしか人を見かけない日もあった。明日明後日はクラブ休館日だそうだ。前は毎週水曜日が休みなので覚えやすかったが、今は月に2日間しか休まないのだそうだ。せち辛い世の中になりました。



身体に健康を貯金する
 2月21日(月)今日は、1年前まで個人的には一番出席率の高いS先生の「初級ステップ」に顔を出す予定だったが、突然の来客でダメ。やむをえず次のレッスン「コンビネーション」に出る。これはセントラルのエアロビでは難易度の高い中級コースで、「まだ、ついていけないのでは…」という不安を抱えながらの飛び込み。これに出ないと今日は汗を書く機会が消滅してしまう。夜の散歩は連日の雪で歩きづらく、ちっとも楽しくないから、昼に運動しておけば夜は歩かなくてもいい、という勝手な事情である。クラスの半分は以前からの常連さんで、みんなに暖かい声をかけてもらい素直にうれしい。でもついていくのがやっと。S先生の横でレッスンを受けている中年女性が1年前と見違えるようなプロポーションになっていて驚いた。周りの人はなんとも思っていないようだが、こちらは一年ぶりにみるのでプロポーションの激変にすぐ気がついた。「体重はそんなに変わってないけど、父親の看護疲れかな」とご本人は照れていたが、オバサン体型から引き締まったアスリートに変身、体重とは別な、継続は力なり、というエアロ独特の運動効果なのだろう。1時間のレッスンを終え青息吐息で家に帰り、バックの中身に次回レッスン用の衣類を詰め込んでいるとき、なぜかものすごく幸福な気分になれる。レッスンの達成感と爽快さが津波のように押し寄せてきて「行ってよかった」としみじみ思うのである。「身体に健康を貯金している感覚」といってもいいかもしれない。そういえば今日の新聞に「年を重ねたとき、若い日になした貯金のありがたみが分かる」(山本一力)という一文があった。56歳まで大病せずに過ごせたのは、中高時代に新聞配達して、身体に貯金をしたからだ、という文脈である。

 昨日は日曜だったが亡父の3・7日で仏送りの儀式があり、カミさんと朝早くから湯沢へ。午前中につつがなく行事をこなし、昼飯は近所の稲庭うどんの店で会食。弟夫婦の3人の子供たちがそれぞれ(高中小)、かわいい。暗い葬儀の式でもこの子供たちの存在でずいぶん助けられた。それぞれが個性的で伸びやかな感性をもっているのが、いい。子が巣立ち、初老夫婦のわびしい暮らしが長いので子供たちからパワーをもらう機会というのはほとんどないのだが、湯沢に行くと、いつも元気になって帰ってこられる。最近は家でもっぱらビデオ映画。スポーツクラブを復活させたおかげでトレーニング日は夜の散歩はなし。その時間にビデオ映画三昧で、週3本ぐらいの割合か。先日は駅前の映画館まで出かけて小津安二郎生誕100年記念の侯孝賢監督『珈琲時光』を見てきた。ビデオでは黒沢明監督の『生きものたちの記録』の三船敏郎の演技にはビックリ。ヘボかと思っていたのだが、認識を改めなくっちゃ。ビデオ映画を見るのは精神状態があまりいい時ではない。かなり落ち込みの激しい時、余計なことを考えないように防衛策として映画に逃げこむ傾向がある。このごろ、自分のしてきた仕事にたいして漠然とした不安や苛立ちが募っている。もう5年か10年で「着地」(仕事への決着)しようとする大切なこの時期に、後ろ向きな展望しかもてない自分がなんとも情けない。


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