んだんだ劇場2005年4月号 vol.76

No34−長野で高揚した気分に−

ユーウツから開放される日は
 2月27日(日)お昼の新幹線で東京へ。急いで豪雪の地から雪のない南国に逃亡する気分。雪で道幅が狭く車はのろのろ、歩行者は地雷を避けるような歩き方。駅までのタクシー代も1・5倍ほど高い。昨日までたな卸しや発送作業で多くのアルバイトの人たちが舎内にいてにぎやかだった。昨夜は青森の印刷屋さんが来て夜一献。それですめばよかったのだが夜中にごたごた発生(客同士が靴を間違え大騒動になった。印刷屋さんも間違えられたほうも共に旅人で、店の主人は夜中に市内の2軒のホテルを靴を持って行ったり来たり)。あわただしく落ち着かなかったが車中でゆっくり読書、とはいかず、いつものようにあれこれ将来に思いをいたし暗い気分で東京着。大江戸線で上野まで出て「上野藪」、ひとりで飲む。ここ数十日の喧騒をわすれてエアポケットのような数時間。
 28日(月)8時起床。快晴。昼まで家事をして昼は地方小K氏と昼ごはん。そのまま東京駅まで歩き駅構内で2時間ほどブラブラして4時の新幹線で長野へ。車窓の途中も着いてからもまったく雪がないのにショック。秋田では日に2度雪かきしなければならないのに。友人のSさんやTさんが駅に迎えにきてくれている。善光寺横にある老舗の旅館に投宿。これはTさんがとってくれたもの。その夜の宴席もこの旅館の一室でSさんやTさんの会社の若い女性社員の人たちも参加して楽しくて笑いっぱなしの3時間。同世代の尊敬する出版人であるTさんから「攻撃は最大の防御」と教えられ、おもわず背筋が伸びた。それにしても宿も宴会もTさんにはらっていただき恐縮。
 3月1日(火)7時起床。ビジネスホテルと違って旅館の朝は寒い。今年に入って自分のベット以外に寝転がることが多いのだが、不思議と熟睡できるのは慣れたせいか。善光寺をスタートしてほぼ2時間の駅前経由長野市内1周散歩をこころみる。秋田市よりのずっときれいでインテリジェンスのある街、という印象。スペシャル・オリンピックが開催中のせいか外国人の姿がやたらに多い。一度に何十人ものホンジュラスの人々と会うなんて機会は、こんなときでないとありえない。アメリカ人とロシア人も多い。オリンピックポスター用に子供たちが描いた絵が街のいたるところに掛けられていて、この絵がすごくいい。昼はTさんと一緒に美術館めぐり。その間も地方出版談義に花が咲く。Tさんと無明舎の出版路線は違うが、彼の燃えるような本に対する情熱にはただただ圧倒される。Tさんは、この30年間を同じ出版の道を歩いてきた、唯一といっていい同志で、彼と話していると自分が失っているのは彼の「情熱」であるのがよくわかる。このことがわかっただけでも長野に来た意味があった。Tさんには感謝深謝。午後の電車で東京に帰りメールチェック、秋田と電話でやり取り。またまた信じられないような事件が秋田では起きていて(とても恥ずかしくてここには書けない)、せっかくの長野の高揚した気分に水を差される。夕方、友人夫婦と四谷で食事。2次会で行った焼酎屋の主人の話がおもしろく夜遅くまで飲む。帰りも神楽坂まで歩きで今日の歩数計は2万8千歩。
 2日(水)10時起床。快晴。昼は地方小K氏と。昼食後、地方小の仕事場で企画の参考資料を1時間ほど物色し歩いて神保町のアクセスへ。わずか1ヶ月間来なかっただけで「すずらん通り」は何軒かが別の店に変わっていた。これが東京のすさまじさ。歩いて神楽坂まで。連日飲み会が続いているので今日の夕食はカツカレーと禁酒。秋田ではめったに見ないテレビを見て今日神保町で買ってきた本をぺらぺらやるうち眠くなり熟睡。「落ち込む」だの「うつ状態」だの「男性更年期」などというわりに夜は本当によく眠る。息子は春休み中でほとんど手がかからない。バイトと図書館通いの日々のようだ。秋田は相変わらず雪が降り続いている。早く帰って雪かきをしなくては。
 3日(木)7時起床。うす曇。朝飯を作って食べながら息子といろんなことを話す。明日のためのゴミだしや帰るための準備、メールチェックで午前中いっぱいデスクワーク。昼から高校時代の同級生Sさんと神保町で会い、「税務」についていろいろ教えてもらう。Sさんといるとなぜかほっとする。事務所に帰るとカミさんから、一人暮らしの義母が雪で転んで腕を骨折、の連絡。明日からまた忙しくなりそうだ。6時、銀座のスペイン料理屋で朝日新聞のS記者と秋田出身O記者と3人で飲む。帰ってから黒ビールいっぱい(ビールは飲まないのだがサッポロからでたギネスの黒ビールは好き)、内田樹『先生はえらい』を読んで熟睡。
 4日(木)7時起床。テレビは「堤逮捕」一色で、外は雪景色。もう雪はウンザリなのだが、この程度の小雪ならまあ気分的にそんなに落ち込まない。アグレッシブな気分を意識して保ちながら東京駅へ。いろんなことをくよくよ考えても、なるようにしかならない。新幹線で雪深いホームグラウンド秋田に帰る。車中熟睡。



スポーツドリンクと長い1日
 3月7日(月)10時から歯医者。病院側の対応にイラつく。気分転換に11時からのS先生コンビネーション。今月5度目のレッスンだが中級は2回目。かなり激しい動きだが、どうにか付いていく。最後のストレッチ前に腹筋、これは課題(弱点)なのだが苦しまずになんとかこなすことができた。10年前の腹筋運動はこんなもんじゃなかったよなあ。レッスン全体が昔に比べて「ゆるやかで楽」になっているのはまちがいない。レッスン場の前でスポーツドリンクの無料試飲会。O塚製薬の赤い色をした「アミノヴァリュー」で、試しに飲むといつもの「ヴァーム」より甘さが抑えられていて飲みやすい。色が気になるが「着色料ではなくトマトやヴェータカロチンの成分です」とのこと。これならヴァームよりいい。が、O塚といえば「ポカリ」、あれは甘すぎて飲めない。主婦は保存料などにうるさいから、ただの水やウーロン茶を飲んでいる人も多いのだが、セントラルにはヴァームの自販機しか置いていない。0塚セールス男性が強引にレッスン前にCMタイム。アテネ・オリンピックの野口みずきが飲んでいるドリンク、を力説。ヴァームだって高橋尚子だよ、と教えてやりたいが他社のことに関心などないだろうな。こちとら意地悪なので「そんなに身体にいいのに君は飲んでないの?」とその体型に半畳を入れたくなる。

 それにしても今日はあわただしい一日。歯科は最後の治療だったのだが「虫歯があるので今日からそちらも治療します」って、頼んでないよ。とにかく過剰サービスというか、治療を延々と長引かせる魂胆がみえ見えで不愉快。看護婦は同じことを何度も繰り返すし、治療は流れ作業で人間味が感じられない、赤ちゃんのような扱われ方にイライラが募る。スポーツクラブから帰ると、腕を骨折した義母を連れて整骨医院へ。義母はもうかなり物忘れ症状が進んでいて、ひとつのことをやり遂げるまでが大変。さらに今日は税理士が来る日で、いろいろ話したいことがあったのだが時間的余裕なし。秋田大学のK先生来舎、今月できる本の打ち合わせ。4時半、オーストラリアから帰省中の著者Iさんと打ち合わせ。秋田の出版や書店、読者の「消滅」という厳しい現実を話す。こうした合い間にデスクワークをするのだが、まとまった仕事がなかなか出来ない。それは予想できたので、ゆっくり仕事の出来る土日に集中してやることはやったのだが…。今週中に会ったり、訪ねたり、打ち合わせたり、相談する人たちへアポ。実はこれが苦手、うまく段取れない。こんなごちゃごちゃしたスケジュールは珍しいのだが、エアロビだけがリフレッシュできる至福の時間。でも今日はレッスンしながら悪いほう悪いほうに仕事のことを考えている自分がいて、こりゃ重症だなあ、とまたまた落ち込む。夜は音楽を聴きながら読書。山崎洋子『沢村貞子という人』(新潮社)、沢村貞子『老いの楽しみ』(岩波現代文庫)。山崎さんという人はマネージャーだった人で、今は秋田料理店を西麻布で経営しているらしい。奥付には出身地が出ていないが、本文に一箇所秋田弁の母の言葉が出てくる。沢村本人の本を読むと巻末解説に「マネージャーの店『鹿角』」という文言。鹿角出身者のようだ。同じ出来事も本人とマネージャーの見る角度(立場)で、まるで違った「事件」になるのが、両著を読み比べるとわかるのがおもしろい。



谷底にいるときほど
 3月14日(月)再開6回目の「コンビネーション」。もうだいぶ慣れた。フルに動いても息があがることもなければ、しんどくて辞めたくなったりもしない。ほぼ全盛期の7,8割がたまで戻ったのではないだろうか。慢心は戒めなければならないが体調は、すこぶるいい。精神的にはあいかわらず不調なのだが、こういうときこそ身体は「健全」を意識する。気分は晴れなくてもエアロビで汗を流せば、つかの間の「快感」は得ることが出来る。

 この1週間、物忘れが極端にひどくなった義母に翻弄されている。身体のどこにも悪いところはないのだが雪で転んで右手首を骨折、これが一挙に「物忘れ」の存在感を際立たせてしまった。家事が出来ないので食事は家まで来てもらったりしているのだが、とにかく意思疎通が物忘れのためにスムースに行かない。不安になると1日に何回も電話が来る。そして電話したことさえ憶えていない。そのたびに義母の家まで行って、事情を説明する。整骨病院も2日に1回の割合で連れて行く。待ち時間の長さに閉口するが、一人で帰らせると道に迷うし雪道は危険すぎる(タクシーを一人でつかまえるのも不可能)。春からは同居する予定なのだが、カミさんも定年まじかで部署が変わり仕事を一から覚えなければならないナーバスな時期である。おまけに無明舎は去年から刊行点数が激減し、今年も引き続きそんな状態だと30年間で最低の「年」になる恐れがあるため、夢中で挽回するときなのだ。それなのに予期しないことが次から次へと起こる。

 昨夜はひと晩で面白い本を2冊読んだ。業界のタブーともいうべき「原稿料」の事を書いた日垣隆『売文生活』(ちくま新書)と中島義道『偏食的生き方のすすめ』(新潮文庫)。どちらも「ここまで書いていいの」という内容で、逆にさわやかな読後感。知の巨人Tは本が売れなくて離婚、自分のビルも売りに出した、なんてことまで書いているし、中島もいつものようにキレまくり斬りまくり。ご両人とも芸があるし華がある。仕事も精神状態も「谷底」にあるときは読書が一番だ。それにしても、せっかく溶けたと思った雪が昨日からのどか雪で元の木阿弥。くさるなあ。

 この日の夜は、久しぶりに盛岡や米沢から来ていただいたフリーライターの方々と「和食みなみ」で一献。同年代なので気兼ねなく、同じ話題で盛り上がる。20代ころからの遊び仲間のS君も顔を見せ昔話てんこもり。彼の話す20代のころの私に関しての話題が、本人自身、ほとんど記憶にない。それがショック。Sは秋田大学の前でブルースのバーをやっていて2次会は彼の店に流れた。2次会というのも久しぶりだなあ。


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