んだんだ劇場2005年8月号 vol.80
No29
アメリカ道中記 到着編

 8月7日のお昼に、ゆっくりと成田空港の滑走路を飛び出しました。飛行機に乗って、座席に座ると、スチュワーデスが僕にシートベルトを取り付けてくれます。今回も同様に…「御シートベルトを締めましょうか」と聞いてきました。シートベルト着用サインが消えたとき、いつもの飛行時間(秋田〜羽田間 50分程度)ならば、「シートベルトをそのまま付けておきましょうか」とスチュワーデスは聞いてきます。僕も付けたり外したりすることがめんどくさいので、「はい」と答えます。今回は、「おベルトを外して、ゆっくりとくつろいでください」とスチュワーデス。ここから、約半日(12時間)の機内生活が始まりました。正確に僕の搭乗クラスは「JALのエグゼクティブクラス」でした。このクラスのシートは、JALオリジナル「SHELL FLAT SEAT」で、ゆっくりとくつろぐための様々な機能が付いているシートでした。ちょっとした贅沢感を味わうことができました。長時間、僕は同じ姿勢で座っていると腰が痛くなります。フラット化したフットレストにより脚をサポートしてくれました。また、寝返りが打てるほどのゆったりとしたスペース、腰の疲れをほぐす機能も搭載して、長時間のフライトを快適に過ごせる工夫がありました。出発前、(かなり腰に負担がくるなぁ)という心配は、かなり軽減されました。それ以上に、初めて座る好奇心から手元にあるボタンをいろいろと押して、姿勢がどのように変わるのかを楽しんでいました。
 1時間程経過後、機内食を食べました。「和食と洋食、どちらにしましょうか」とスチュワーデスが聞いてきたので、これからアメリカに行くので「洋食」と応えると、「main dishは何にしましょうか」とスチュワーデス。AコースとBコースの2つのコースから、選ぶものでした。僕は「Aコースのステーキをお願いします」と言いました。すぐに、運んでくれました。「すみません。食べやすいように、ステーキを細切れに切ってくれませんか」と頼むと、目の前でフォークとナイフを使って1口サイズに切ってくれました。【パン,サラダ,スープ,ステーキ,デザート】でした。「飲み物はビールにしましょうか」とスチュワーデス。(昼からビール?)と思って、辺りを見回すと、ワインやウィスキーや好きなアルコール類を飲んでいる姿。(そうか…アルコールを飲んで、寝るといいんだな。起きたら、シカゴなんて、最高だな)と思い直し、「ビールを1つ。ストローをさしてください」と頼みました。【アサヒ スーパードライ】をストローでぐびぐびと飲みました。機内で、ビールを初めて飲みました。(ビールを飲むと、トイレが近くなるなぁ)と心配をしながらも、軽く1本のビールを飲み干し、2本目のビールをチビチビと啜っていました。飛行して1時間が過ぎた辺りから、スチュワーデスは窓のカーテンを閉めました。機内の室内電気を消して、豆電球のわずかな光が機内を照らしていました。隣の席の方はいびきをかいて、寝ていました。目の前のスクリーンで飛行速度と飛行高度、到着するまでの時間を確認できました。(10時間46分…)食欲を満喫して、ほろ酔い加減になり、僕もシートを倒して横になりました。すると、スチュワーデスが毛布を掛けてくれました。その毛布に身を包んで、目を閉じました。しかし、なかなか寝付けませんでした。たとえ、安眠に最適な環境であっても、腕時計を見ると《午後2時を少し過ぎたばかり》。こういうことに関して、僕の神経は繊細です。初めての体験をしている最中、アルコールの勢いに任せて、安眠できるほどの体質でないことを自分が重々知っていました。残りの時間をどのように過ごすのだろう…と考えていたら、何となくオシッコが出たくなりました。スチュワーデスを呼ぶボタンを押しました。「何か御用ですか」とスチュワーデス。横になっている僕の目線を合わせるので、(社員教育が徹底されているなぁ)と好印象を受けました。小声で「トイレに行きたい」と言うと、「はい。かしこまりました」と笑顔で答えてくれました。シートを起こして、毛布を取ってもらい、スチュワーデスは男性職員を呼んできました。男性職員「どのように介助をすれば宜しいですか?」
僕「両脇から抱え込むように起こしてほしい」
男性職員「トイレまで、車イスを使用されますか?」
僕「大丈夫。トイレまで、歩くことができます。ただ、通路が狭いので、介添えを頼みます」
男性職員「かしこまりました。トイレはお一人で大丈夫ですか?」
僕「大丈夫ですよ」
 男性職員はトイレの前で、待っていてくれました。席に戻ると、スチュワーデスが毛布を掛けてくれました。少し動いたら、目が冴えてきたので、「機内エンターテインメントシステム」を利用しました。脇からヘッドホンを取り出して、リモコンを《J−POP》に合わせて、音楽を聞きました。(これから1週間、日本の音楽を聞く機会がないなぁ)と思えば思うほど、気持ちが落ち着いてきました。最新のヒットナンバーを揃えていました。2回ほど聞いたら、飽きてきました。今度は"個人用テレビ"で、映画「スタンドバイミー」を見ました。字幕付きで、ヘッドホンから英語を聞いていました。海外研修が決まってから、英会話のテレビ番組を見ていました。でも、短期間で洋画のセリフを聞き取れるほどの英語力を身に付くわけでありません。(実際の英語は、早いなぁ。英語でコミュニケーションをできなかったら、どうしよう)と少し不安な気持ちになりました。しかし、それ以上に(ここまで来て、いまさら…)という気持ちの方が強く、コミュニケーションの基本は相手に伝えたい気持ちが大切と開き直りました。映画「スタンドバイミー」は何度見ても、子どもたちの好奇心や冒険心、純粋な気持ちが伝わってきました。さて、飛行時間はまだ8時間もありました。軽く溜息をつくと、スチュワーデスが「何か軽食を食べませんか」と聞いてきました。「何があるのですか」と聞くと、「ラーメン、おにぎり、ざる蕎麦、サンドイッチがありますよ」と言うので、「ざる蕎麦を1つお願いします」と応えました。たぶんインスタントなのだろうけれど、とても美味しかった…周りの方が寝ているので、ずるずる音を立てて食べたいのを我慢して、ゆっくりと啜って食べました。食べた後、「ドリフターズの8時だよ。全員集合」を見ました。80年代のTBS系の国民的な人気番組。(さすがDVDで発売されることだけあるなぁ)と思い、周りに気を使いながら、薄笑いを浮かべながら見ていました。何だか、眠くなってきたので、電源を消して、ウトウトと眠りました。
 目が覚めると、飛行時間は残り3時間になっていました。スチュワーデスは「お目覚めですか。何かお飲み物を飲みませんか」と聞くので、「オレンジジュースをください」と言い、オレンジジュースを飲みました。間もなく、朝食をとりました。日本食を頂きました。(いよいよ、アメリカだ〜1週間、日本食は食べる事ないなぁ)と思うと、味わって食べました。先付、前菜などは和菓子のようでした。お汁(椀スズキの潮汁)、刺身(平目の薄作り)と小鉢(鰻ざく)と煮物(冬瓜の海老そぼろあんかけ)ひと段落で台の物と称して定食風(ご飯と味噌汁つき)の金目鯛煮物。(やっぱり、この味だなぁ)と思いながら、全部食べました。一番おいしかった品はスズキの潮汁。思わず「もういっぱいいいですか」とお替りをしました。飛行時間が残り1時間を切った後、スチュワーデスが「時計を合わせますか」と聞いてきました。日本とシカゴは14時間の時差があります。僕は腕時計を外して、時間を合わせてもらいました。シカゴの時間は、午前8時過ぎでした。
 2004年8月7日午前9時5分。定刻通りに、シカゴ国際空港に到着しました。Nさんと席が別々でした。他の乗客が降りる前に、Nさんは僕のところに来ました。
 Nさん「初めての機内生活は、どうでしたか?よく眠れましたか?腰は痛くないですか?」
 僕「3時間くらい眠れました。思ったより、機内生活は快適でした。高機能のシートなので、同姿勢を保持しても、腰に負担を感じませんでした」
 Nさんは「それはよかったね」と、機内で描いた絵を見せてくれました。「食事のメニューを見て、食事の絵を描いていた」と言っていました。「描いた絵の1枚は、スチュワーデスはあげました」とNさん。スケッチブックに描いた水彩画。暇を持て余していた僕と違い、Nさんをかっこよく見えました。僕とNさんは最後に降車しました。機内の車椅子は大きい後方の車輪が脱着式になっていて、機内では小さい車輪で支え、広いところでは大きい車輪を使用する。機内とデッキの移動に約2〜3人の関係者が手伝ってくれました。アメリカ人の好青年が僕の車椅子を押してくれました。「How old are you?」と聞くと、「23years old.」と応えてくれました。初めて英語でコミュニケーションができました。まずは入国手続き。乗務員と同じカウンターで係員と共に入国手続きをしました。この係員は国内線のカウンターまで送ってきてくれました。現在はすべての入国者の指紋と顔写真を登録しているので時間がかかります。幸い、僕とNさんは何もありませんでした。フリーパスでした。「このへんがいいかげんな?!アメリカですよ」とNさんは笑っていました。シカゴ国際空港の第一印象は、香水の匂いでした。日本では感じることができない強い香水の匂いでした。準備された車椅子で手荷物を引き取りにターンテーブルへ。車椅子とバッテリーは別の場所に出てきていて(手渡しでもおいてあるだけ)、ターンテーブルにはわれわれのすべての手荷物が回っていました。Nさんは電動車いすをすぐに動けるようにしました。バッテリーを取り付けて、スパナーを使って背もたれを起こしてくれました。この作業をアメリカ青年は見ていて「Wonderful!」と言っていました。僕は「Please hold me」と片言の英語で、アメリカ青年にサポートを頼みました。アメリカ青年は僕を両脇から抱えてくれて、手動の車椅子から自分の愛用の電動車椅子に乗り移りました。電源をつけて、動いたとき【アメリカ初上陸!】と妙な感動がありました。僕が「Thank you」と言うと、「Welcome.bye」とアメリカ青年。「三戸先生が電動車イスに乗ると、押さなくても良いので本当に便利だね」とNさん。続けて、「次の乗り継ぎ場所のアメリカンエアラインの荷物カウンターまで、すべての手荷物を持っていかなければならないのでね」と言っていました。
 カウンターはG9。「何年も変わっていないような気がするなぁ」とNさん。早速、Nさんが受付の方に「電動車イスの方がシカゴ発14時25分発ファイアットビル行AA4298便で乗りますが…」と英語で話しかけました。すると、受付の方は「私はその時間の担当者でないから、その時間の担当者に話してください」と言いました。それを聞いて、僕は驚きました。日本では【何事も事前に連絡をください】と言います。事前に連絡の方がよりスムーズな対応ができるからでしょう。仮に日本では同じ状況だと、「かしこまりました。担当者にお伝えしておきます」と言うのでしょう。ここに、日本とアメリカの意識の違いを感じました。時計を見ると、午前10時30分過ぎ。時間もたっぷりあるので、少し戻ってレストランで食事をすることにしました。僕はチーズハンバーガー。Nさんは野菜のバーガー。僕が「お腹が空いたので、ハンバーガー1個でイイのかな…2個頼もうかなぁ…」と言うと、Nさんは「1個で十分だと思いますよ。2個頼むと、余ると思いますよ」と言いました。食べ物を見て、驚きました。共にすごく量でした。日本サイズのハンバーガーの2.5倍ありました。それに、頼んでもいないプライドポテトが山盛りに盛られていました。アメリカでは、ハンバーガーを頼むと、プライドポテトがセットで付いてくるそうです。ビールも頼んで2人で35ドル。ビールを頼むときに、店員は「年齢を確認したい」と言い、パスポートを提示しました。2人とも若く見られたのでしょうか。特に、Nさんの1958年生まれが驚いたりされました。成田空港で日本札をドル札に換金していました。そのドル札で料金を払いました。食事の後は、まだまだ時間がありました。僕は一人で散歩に出かけました。NさんはG9の乗り継ぎカウンターの席でしばし居眠りをしました。Nさんの手荷物は心配なので肩掛けを足に絡ませて、もしも誰かもって行こうとしたときに解るように…ちょっとし工夫でした。「アメリカは日本と違い、乗り物(電車)などで居眠りをしているか方が少ないですよ。空港でも同じことが言えます。気をつけなくちゃね」とNさん。
 シカゴ国際空港をブラブラと電動車イスで歩きました。
 空港内で、車イスを押す職員の方を見かけました。「あまり写真を撮らない方がいいよ。空港も重要な軍事施設の1部と考えられているので、怪しまれるかも…」とNさんは話していましたが、日本では見ることができない光景に写真を撮りました。職員の方に質問しました。「この空港は広いので、移動するときに結構な距離を歩かなくてはいけない。だから、高齢者が利用するんだよ」と言っていました。車イスをあちらこちらで見かけるので、電動車イスでぶらついていても、風景の1部になっていました。
 13時頃に、G9のカウンターに戻りました。「飛行機が遅れるって」とNさん。「えっ…どのくらい、遅れるの?」と聞くと、「分からない。アメリカでは、いつものことだよ。毎度、何時間も待っています。どういうわけか遅れたり、カウンターが変更になったりと、なかなかうまくいきませんよ」とNさん。続けて、「アメリカでは乗り物は遅れる場合があると認識しているんだ。日本のように、定刻通りに出発する方が珍しいことだよ」
 僕は日本とアメリカの文化の違いを感じました。違った価値観に触れて、自分の新しい価値観を作り変えていこうと思いを新たにしていました。


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