んだんだ劇場2005年9月号 vol.81
No30
アーカンソーへ

 シカゴ国際空港14時37分発アーカンソー州ファイアットビル空港行きの飛行機は、1時間30分遅れて出発することとなりました。乗客定員が100人くらいで、僕たちが乗る飛行機の乗客は30人くらいでした。「30人くらいの乗客で、飛行機が飛ぶなんて、すごいナァ…日本では考えられないね」とNさんに話しかけました。「ガクちゃん。アメリカでは飛行機が日常の交通機関なんだよ。アメリカ人の感覚は日本で電車を乗るようなもんだよ」とNさん。確かに、Nさんのいうとおりと思いました。シカゴ国際空港を出発して、目的地のファイアットビル空港には16時22分着でした。1時間45分、飛行機に乗る予定でした。成田空港からシカゴ国際空港までの飛行時間は、13時間くらいであり、それと比べたら10分の1の飛行時間。シカゴ⇔ファイアットビル間は、とても近いナァと錯覚を起こしかけていました。でも、冷静に考えてみると、飛行時間が1時間45分ということは、秋田空港⇔伊丹空港よりも長い飛行時間…日本地図を浮かべると、おおよその距離感覚がイメージできました。やっぱり、遠いなぁ…
 出発時間の20分前になっても、僕は電動車椅子に乗っていました。日本では「お客様の場合、時間に余裕を持って搭乗手続をした方が良いですよ」と言われています。航空チケットに《15分前までに、搭乗手続を》と書いてあるのに、職員は電動車椅子の対応に時間がかかることに理解できるけれども、何となく急かされているような気がしていました。そのような雰囲気で生活してきているので、シカゴ国際空港の職員の対応に不安な気持ちを募らせていました。
 いよいよ、搭乗手続きが始まりました。僕の心は"???"でした。「このままの状態で、飛行機に乗ることができるの?」とNさんに聞きました。Nさんも首を傾げていました。「おかしいなぁ…」とNさん。僕は半身半疑で、電動車椅子を前に進めていました。Nさんは「直前に荷物室に入れることになると思うよ。我々だけでなく他の人たちも大きい荷物を直前に預けているからね」と話しました。飛行機の入り口近くになって、男性の係員が「こちらの車椅子に乗り換えてください」と話してきました。係員は「Electric wheelchair?」と聞くので、僕は「YES」と答えると、バッテリーの種類を聞いてきました。「ウェットバッテリータイプ(液漏れの可能性があり梱包が必要)」と答えると、係員は急に声のトーンが高くなりました。言葉は何を話しているのか分からないけど、その様子から係員にとって、予期せぬことが起きたことは伝わってきました。電動車椅子のバッテリーはドライとウェットの2種類があります。ウェットのバッテリーは梱包する必要があるので、シカゴ国際空港では特別な書類が必要となりました。乗り込むときに責任者にチェックされ、それからカウンターで書類を直し、バッテリーのケースを持ってきて、バッテリーをはずして積み込むことになりました。Nさんは「ガクちゃんは、先に座っていてもイイよ」と言うので、僕は他の係員のサポートを受けて、席に移動しました。Nさんは、スパナーで電動車椅子の背もたれを折りたたんだようでした。「WOO…」「great!」という歓声が聞こえてきました。アメリカ人でも、折りたたむ様子を見ることは珍しいのかなと思いました。間もなく、Nさんが大きな溜息をついて、機内に入ってきました。「搭乗カウンターで係員がバッテリーの種類を聞き書き込みます。どうも、ここで通じていなかったようだ。どうして、もっと早く教えてくれなかったのだと係員は言っていたよ」とNさん。
「僕もびっくりしていたよ。電動車椅子のままで、機内の入り口まで行くことができるなんてね。日本だと、すぐに電動車椅子を手荷物にして、バッテリーを外して、梱包する。僕は航空会社専用の手動の車椅子に乗り、係員が車椅子を押してくれます。アメリカは随分と違うのかなと思っていました」
「いかにも、アメリカらしいね。良くあることだよ。」とNさん。
 僕の電動車椅子の作業で、10分くらい出発時間が遅れたかもしれません。でも、男性の乗務員の方が僕の席に近寄り、「No,Problem」と言ってくれて、とても安心しました。しばらく、窓から地上を眺めていました。(アメリカにいるのだ)という意識が強いせいなのか、見慣れない風景でした。草原に、各家々が点在している感じでした。僕のNさんは隣の席でした。そして、前方の席。出入り口から、席がちかいからなのでしょう。日本とアメリカの共通点を認識して、妙に噛み締めていました。
 飛行機が離陸して、安定飛行に入ったらすぐに男性乗務員のドリンクサービスが始まりました。僕は飲み物を注文しました。何種類かの飲み物がある中で、"コカ・コーラ"がありました。(以下にも、アメリカらしいなぁ)と実感しながら、そのコカ・コーラを注文しました。「何かサポートできることは、ありませんか」と男性乗務員。「ストローをお願いします」と頼みました。男性乗務員は目を大きくして、「WOO…」と納得しているようでした。炭酸系の飲み物をストローで飲むことは時間がかかると思われていますが、喉が渇いていたので一気に飲み干しました。そしたら、眠くなってきました。そのまま、ウトウトと眠りました。ふと、気づいたら、目的地のアーカンソー州ファイアットビル空港に着いていました。「やっと到着したよ」とNさん。他の乗客は、降り始めていました。アメリカでも、乗務員のサポートを必要とする方は最後に降りるのだなぁと思いました。
 アーカンソー州ファイアットビル空港内を係員に車椅子を押してもらい、歩きました。成田日航ホテルを出発して21時間が経っていました。手荷物を受け取り、2階の出口を出ると、アンさん(ホームスティー先の家族の友人)が迎えに来てくれました。Nさんはアンさんとの久しぶりの再会に喜んでいました。隣にいた僕にアンさんは「Nice to meet you」と挨拶をしてくれました。
僕  「Nice to meet you. My name is Manabu Sannohe」
アン 「My name is Ann」
と簡単な自己紹介をしました。Nさんが「This is a gakuchan」と言うと、「WOO…Manabu?or GAKU?」とアンさんが。「GAKU,O.K」とNさん。ManabuよりもGAKUの方が言い易いようでした。ターンテーブルのところで、ディック(アンの旦那さん)が待っていました。
 ファイアットビル空港内のトイレに入りました。シカゴ国際空港のトイレでも感じたことは、トイレの入り口からトイレそのもののスペースがとても広く、車椅子の出入りが容易でした。トイレの中で、自由に方向転換ができました。手を洗う場所も、下が十分に空いていて、車椅子が前に進むことができました。
 ディックさんが運転する車に乗り込みました。僕の電動車椅子は、ディックさんとNさんが車の荷台に詰め込んでくれました。初めて、アメリカの車に乗りました。承知のとおり、運転席が左側で、右側通行でした。僕は右側の助手席に乗っていました。慣れていないせいか、何となく違和感がありました。午後5時過ぎ。夕日は地平線の彼方へ沈みかけていました。どこまでも、まっすぐ続く道路。草原の中に、家がまばらに点在していました。
 ホームスティー先のジェンさんとジムさんは、高等学校の50年目同窓会に出席するため、オクラハマに出かけているそうです。ジェンさんとジムさんの愛犬《クリケット》も家にいなく、夕食はNさんの知人である関口さんのお宅で頂くこととなりました。「以前から、関口さんと知り合いで、アメリカに来ると会いますよ。関口さん宅はてつんどうさんととちこさんの2人家族」とNさんが紹介してくれました。話を聞いていると、皆さんは親しい間柄なのかなぁと感じました。車で1時間くらい、だいぶ日が落ちてきて、辺りは薄暗くなっていました。関口さん宅に、着きました。運転手のディックさんは運転席から降りて、僕を抱かかえて下ろしてくれました。ディックさんが「wheelchair?」と聞くので、「NO」と応え、「Help me step」と片言の英語(文法的に間違っていると思いますが、通じれば良いのです)を話しました。すると、家の前にある数段の段差をディックさんの肩を借りて、上りました。
 「Hello」と言って、中に入りました。「いらっしゃい」ととちこさんが出迎えてくれました。不思議に、ホッとしました。靴を脱いで、テーブルに座りました。夕食はカレーとハヤシライス。その日は、関口さんの友人の伊藤さん家族が泊まっていました。伊藤さんの家族は、アメリカ人の奥様と日本人の旦那様と2人の子どもがいました。みんながそろって、「いただきます」を言い、食べ始めました。カレーとハヤシライスは、とても美味しく、僕は3杯もお替りをしました。お米が"ロンググレイン"というお米だそうです。カレーとハヤシライスに、良く合っていました。
 ディックさんの車で、ホームスティー先のジェンさんとジムさんの家に向かいました。夜の9時ころに到着しました。家には鍵がかかっていなく、靴のままで入りました。家の中に靴のままで入ることに抵抗を感じました。「アメリカのほとんどの家は、靴のまま入るよ。だから、気にしないで、入っておいで」とNさん。その話を聞いて、(いろいろな文化があるんだなぁ)と納得していました。そして、すんなりと受け入れて解けこんでいました。車から荷物を降ろして、ソファーに座りました。今までの緊張感が解れたのか、かなり眠くなってきました。寝るところをいろいろ考えたすえに、ベースメント(半地下、一階から階段で降りたところ)にしました。居間にパイプベットを準備してくれていたけれども、落ち着かないかもしれないので、階段の上り下りは少々面倒でもトイレもシャワーもあるので地下にしました。ディックさんがウィスキーのソーダ割を作ってくれました。Nさんと無事に目的地に着いた【乾杯】をして、ストローでゆっくりと飲み干しました。ディックさんとアンさんは「See you」と言って、隣の自宅に帰っていきました。僕とNさんは重い目を擦りながら、ベースメントに降りていきました。パジャマに着替えて、すぐに寝ました。Nさんが蚊に刺されると嫌だからといって、日本から持ってきた蚊取り線香を炊きました。その匂いが懐かしく感じました。意識のないまま、深い眠りにつきました。


無明舎Top ◆ んだんだ劇場目次