んだんだ劇場2005年10月号 vol.82
No31
アメリカンサイズのアメリカ

 2004年8月8日(日)。
 半日くらい、寝ていたでしょうか。目が覚めると、午前11時。何やら、Nさんが1階で食事を作っているようです。食欲をそそる匂いが漂ってきました。僕は寝起きが悪いほうで、いつも重い瞼を擦りながら、起きます。早速、シャワーを浴びました。アメリカは日本に比べて、浴槽は深くなく、入りやすい反面、入浴するより、シャワーを浴びる場所です。日本で言うユニット・バスでした。底には、転倒防止の滑り止めが付いていました。シャンプーとリンスで頭を洗い、ボディソープで身体を流しました。浴槽から上がり、着替えているところに、Nさんがベースメントに降りてきました。
Nさん「ガクちゃん、起きたの?」
僕  「今、起きたばかりです」
Nさん「随分と寝ていたね。昼食ができているから、準備ができたら、下から叫んでね。降りてくるので…あと、洗濯物は、束ねてこの籠に入れておいてね。あとで、まとめて洗いましょう」
 スーツケースから、僕は"身だしなみセット"を取り出して、ポロシャツを取り出しました。目覚めは必ず電動髭剃り器で髭をそります。そして、洗顔フォームを使用します。洗顔した後に、スキッリとなり、肌が引き締まった感じになり、仕上げは"アフターシェープローション"を手に取り、顔を叩くようにつけます。この流れを終えて、本格的に身も心も目覚めて、1日が始まる心構えができます。階段のところで、Nさんを呼びました。階段を下りてきたNさんに、靴下を履かせてもらいました。何となく、Nさんの足元を見ると、サンダルを履いていました。「ガクちゃん。サンダルを持ってきたよね」とNさん。スーツケースから、取り出して、履きました。家の中で、サンダルを履くことに違和感がありました。「日本でも、スリッパを履くことがあるでしょう。それと同じですよ」とNさん。
 昼食は「ベーコン、目玉焼き(2eggs)、シリアル、コーヒー、牛乳、ジュース」でした。基本的に、好き嫌いのない僕は全部食べました。昼食の1品が"シリアル"であることに、驚きました。日本では、主食というより、おやつの時間に食べていました。Nさんが作ってくれたので、「これがアメリカの朝食だよ」と言われても、ピンときませんでした。「Nさんは、何時ころ起きたのですか」と聞くと、「午前6時ころ、起きました。歳なのでね。鳥の声が目覚まし代わりのベースメント(半地下室)はとてもよく眠れますよ。今年の夏は例年になく涼しいようで、今週は80°F台で100°Fになりそうもないです」とNさん。アメリカでは温度を華氏温度表記で表します。"80°F"と言われても、摂氏温度表記に慣れた僕にとって、どのような気温なのか想像が付きませんでした。華氏温度表記を摂氏温度表記に直す計算式は、C(摂氏温度)=5(F(華氏温度)−32)/9で表されます。この式に、F=80を代入すると、27℃になります。27℃と言われると、イメージは付きます。秋田市の8月の気温より、低い温度。ここまで考えて、初めて'涼しさ'を実感しました。アメリカに来る前の打ち合わせでは、秋田よりも暑いイメージでした。遠い別荘地に来たような気分になりました。例年では、この時期は100°Fくらい達するそうです。華氏温度100°Fを摂氏温度に直すと、38℃です。38℃は、かなり暑いなぁと思いながら、涼しさを感じる今にちょっぴり嬉しくなりました。
 昼から、モールに行きました。今日は日曜日なので、公共施設や機関はお休みです。ディックさんのトラックの荷台に電動車椅子を乗っけてもらい、近くのモールに行きました。間もなく、交差点から別の道路に乗りあがると、ディックさんの車のスピードがグングンと増していきました。ビックリして、「Why…?」と聞くと、「High way」とディックさん。(あっ…そうか。アメリカは、高速道路は無料なんだよな)と実際に走っているときに実感しました。日本のように、高速道路の入り口と出口で止まる必要がなく、すんなりと高速道路に乗ることができて、随分と便利だなぁと思いました。しかも、どこまでも続く直線道路。「アメリカは、国土が日本と比べものにならないほど広いから、高速道路が日常の生活道路となっているのだよ」とNさん。「なるほど…」と呟きながら、僕は右側の助手席に乗っているので、自分が運転しているかのような気がしていました。10分くらい、高速道路を走って、一般道に下りるとモールが広がっていました。ディックさんが「何時に迎えに来るとイイの」と聞くので、時計はちょうど午後1時30分。このモールに2時間いることにしました。ディックさんには午後3時30分ころ、迎えに来るように頼みました。Nさんは「なんとなくアメリカらしい場所だから、アメリカに来た雰囲気が味わえるかと思ったから」と言っていました。僕は、とても嬉しく思いました。入り口に立てかけている看板を見て、ビックリしました。【障害を持つ方へ。この建物は、あらゆる人々にとって、使い易い建物になっています。もしも不便を感じたのなら、申し出てください。改善します】というような内容の立て看板がありました。日本でも良く見られる"車椅子マーク"が付いていたので、僕はすぐに目に付きました。1990年に制定された【アメリカ障害者法(Americans with Disabilities Act)…障害による差別を禁止する広い公民権法】によるものと、すぐに判断できました。学生のころ、誰もが住みやすい社会を目指して、バリアフリーを促進する活動に取り組み始めました。そのころ、【アメリカ障害者法】の原文を読み、遠い異国の地に思いを馳せていたころを思い出しました。二十歳前後の自分が強烈な印象を持った【アメリカ障害者法】。今、目の前で、その法律を感じている…電動車椅子に乗りながら、そこに立ち尽くしていました。
 構造は、近くのモールと変わりありませんが、2階はありませんでした。全てのテナントが1階にありました。敷地面積を広く確保できるので、日本のように2階・3階と空間を活用することもないのでしょう。しかも、通路やトイレが広く作っていて、電動車椅子でも一般の男子用トイレを利用することができました。空間的に広々としていて、所々に木々が生い茂っていました。(いろいろな人種の人たちがいるなぁ)と思いながら、電動車椅子をゆっくりと走らせていました。髪の色や皮膚の色、一人ひとり違っています。考えてみれば、この当たり前の事実に、言葉を失うほどでした。アメリカに来る前の僕は、周りは全て同じ髪の色・皮膚の色であり、それが無意識のうちに当たり前と思っていました。周りの人たちが全て同じ色だから、違う色の人が歩いてくると、目立ちます。その相手とコミュニケーションを取る前に、自分とは違う人間と決めつけ、心の中に壁を作ってしまいます。僕自身、今まで何だか狭い世界で生きていたような気がしていました。
「太っている人が多い。太り方のスケールが違う。これをアメリカンサイズと言うのかな」
「いろいろな人がいて、日本じゃないのだなと感じるよ」
 Nさんと、モールの中をぶらつきました。映画館もありました。上映している映画は【華氏911】とディズニー系のアニメでした。【華氏911】は日本でも話題の映画。ここ、アメリカでも人気の映画であること。日本で上映している映画をアメリカでも見ることができることに、妙に感動しました。「あぁ〜歩きつかれた」とNさん。僕は電動車椅子に乗っているので、移動距離に電動車椅子のバッテリーが反比例するだけで、体力的な疲れは感じていませんでした。「ガクちゃんは良いよな…それを乗っているだけで良いもんな。かなりの距離を歩いたよ」とNさん。僕に優しい作りでも、Nさんには'シンドイ'と感じることもあるのだなぁ…
 僕はアメリカに行ったら、ブランド物のネクタイを買ってこようとおもっていました。【Dillors】という名前のテナントに入りました。紳士服のアメリカです。豊富な種類の品揃えでした。Young Gentlemanが対応してくれました。有名ブランド品も日本に比べて格安でした。赤と明るいグレーのネクタイをクレジットカードで購入しました。カードのサインも「三戸学」と記入しました。その様子を見ていたNさんが「名前を書いている様子は手が震えるので、見ている方がドキドキしていたよ…でも、ガクちゃんのサインは、なかなか真似できないよね。いいのかも」と笑っていました。「クレジットカードを使って外国で買い物できて、とても嬉しいよ。カードは便利ですね」と僕。一応全ての店を確認するように歩き回りました。特に、アメリカンフットボールのお店が印象に残りました。「ここでは、アメリカンフットボールが人気のスポーツですよ。あと、バスケットもね」とNさん。
 1時間程、歩き回ると、眠くなってきました。(あれ〜たった今、目覚めたばかりなのに…どうして、具合が悪いのかナァ)と感じました。隣を歩いていたNさんも眠い表情をしていました。「時差の影響だよ。ちょっと座っていると瞼が重力に耐えかねて下りてくるね」とNさん。「僕なんか、いつも座っているから眠くて眠くて…」と車椅子で転寝していました。時差を言葉で説明しても難しいと思いますが、本当に不思議な感覚になるほど、眠くなりました。日本と研修先のファイアットビルの時差は14時間。アメリカで午後2時頃は、日本時間は午前4時頃。眠くなるのは、当たり前かもしれないと思いました。時差を経験すると、地球は丸いと実感しました。
 カフェテリア(フードコート)で、僕はピザを食べていました。周りを見渡すと、電動車椅子に乗った女性を見かけました。すれ違いさま、向こうの女性から声をかけてくれました。日本製ズズキ電動車いすが気に入ったのか「It's cool.」とほめてくれました。最初、僕は「cool」という言葉がピンとこなく、何が涼しいのか?と思っていました。そして、何となくバカにされたような気がしていました。Nさんがトイレに行ったとき、周りを見ると、先程の彼女が友人と食事をする姿を見かけました。僕は彼女に話しかけていきました。彼女の英語は速くて、あまり聞き取ることができませんでした。ただ、「この辺りは、よくパンクをするので気をつけるように」とアドバイスをしてくれていることは伝わってきました。彼女のタイヤはチューブの入っていないゴムタイヤだそうです。後で、「「It's cool.=すばらしい(アメリカ人の若者が使う言葉)」とNさんが教えてくれました。彼女は僕の電動車椅子をバカにしたのでなく、その性能の良さを褒めてくれました。日本製の電動車椅子をアメリカ人電動車椅子利用者に褒められて、不思議と自分の車椅子に愛着を感じました。
 定刻通り、午後3時30分ころ、ディックさんが迎えに来てくれました。モールの外に出て、初めてタバコの匂いが気になりました。「そういえば、モール内ではタバコを吸っている人はいなかったよね」と聞くと、Nさんは「そういう点が厳しいこともアメリカだよ。モール内で、タバコを吸ってはいけないことになっているよ。日本よりも進んでいるかもしれないね」と応えてくれました。
 Nさんは、午後4時頃から夕食の準備に取り掛かりました。今晩の夕食の献立は【トマトサラダ、ポテトグラタン、鳥そぼろ鮨、アイスクリーム梅ジャム添え】と言っていました。
 午後5時ころ、ジェーンさんとジムさんと愛犬クリケットがオクラハマから帰ってきました。僕を見るや否や、ジェーンさんは「コンニチハ」と甲高い日本語で話しかけてきました。この一言で、何だか打ち解けたような気がしました。「I'm Manabu.My nickname is GAKU」と言うと、「Oh!GAKU.GAKU…」と連呼して、陽気なジェーンさんに親しみを持ちました。夕食はアンさんとディックさんと一緒に、6人でとりました。夕食の最後の一品に、アイスが出ました。「アメリカでは、dinnerの最後はアイスなの。アイスが出てくると、【今日のdinnerの品は、これでおしまい】ということを示しているのさ」とNさんが教えてくれました。
 午後6時から、アーカンソー大学で平和を祈るフェスティバルが行われており、ジェーンさんとジムさんと4人で見に行きました。アメリカも(広島・長崎の原爆、ビキニ環礁の原爆実験、イラク派兵、テロとの戦い…etc)実にいろいろなことをやっています。そのアメリカで平和を…と思ったりしましたが、このようなフェスティバルを催されることは、平和を愛していることは間違いないことでしょう。大学のキャンパスは広く、モダンな建物でした。木々が生い茂って、落ち着いた雰囲気でした。大学のキャンパスよりも、1つの公園内にキャンパスがある感じでした。所々にベンチが置いてあり、この大学で学ぶ学生たちはベンチに座って、仲間と自由闊達な議論をしているのだろうと勝手に想像していました。人々の輪の中に、日本人がいました。このような場所で、日本人と出会うと、嬉しくなりました。アーカンソー大学フルブライト教育学部外国語科助教授の福島達也先生でした。大学では、日本語を教えています。この大学に勤務して、4年目とのこと。マレーシアの奥さんと一緒でした。僕には「教えている学生に耳の不自由な学生がいて、実によくがんばっています。成績も優秀」と話しかけてくれました。話し口調から、とても優しい先生のように感じました。僕は福島先生に「この大学は、障害者に優しい作りですか」と唐突な質問をしました。「そうですよ。社会的な責任ですよ」と言いました。昨日会ったトチコさんとテツンドウさんも来ていました。2回会っただけで、随分前から知り合いでいるような感覚になりました。世界は狭いというべきか、広いというべきか。トチコさんは浴衣を着てお琴を弾いていました。また、スイカはとてもおいしかった…
 家に戻ったら、真っ暗になっていました。僕はジェーンさんとジムさんに、秋田からのお土産がありました。それをジェーンさんに手渡しました。(どんな反応をするのかな…)と楽しみにしていました。ジェーンさんが丁寧に包装紙を開けて、「What's name?」と聞いてきました。「Kokesi and sennsu」と教えました。ジェーンさんは物を持ちながら、「Kokesi ?and sennsu?」と復唱しました。その様子を見ていたNさんは「ガクちゃん。なかなか良い物を買ってきてくれたね」と言って、ジェーンさんにお土産の説明をしてくれました。「Thank you GAKU」とジェーンさんは言い、扇子に描かれている絵を見入っていました。ジムさんは新聞を読み、僕は愛犬クリケットと戯れていました。そして、Nさんは3人の様子をカメラに取ってくれました。

僕の寝室

ジェーンさん

ジムさん


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