先祖調査の難しさ
最近は秋田市内でも大半の高等学校が二学期制となり、夏休みといっても「節目」という感じがしない。おかげで胃が痛くなる期末考査が九月末という中途半端な時期に行われるようになった。なにかとあわただしい月である。
私の名字でもある「佐藤」は日本全国で最も多い姓である。秋田県内においてもしかり。私の母が日頃から話している「佐藤、高橋、馬の糞」という言葉からも「佐藤=日本一多い姓」である、というのは般常識化しているのだろう。
私の名字は母方の名字であり、母の先祖は秋田県南秋田郡金足村(現・秋田市金足地区)が発祥である。かなり古くからある家だと言われているらしいが、先祖の詳細はまったく分からなかった。
それに比べて、父方の先祖の詳細は、前回も述べたように「諏訪家系類項」という一冊の書物のおかげで具体的な内容を知ることができた。しかし当初はこの先祖調査は思いのほか難航した。なぜなら、「諏訪家系類項」の中には、「古代歴史考」や「諏訪姓(信濃国)の起こり」や「家紋と家系」といった、一般教養の「先祖調査」に関する記述しかなく、私の知りたい「等身大の時間の歴史」はそこにはなかったからである。
私は2003年の3月から「インターネット」という新たな手段で先祖調査を始めた。一か八かの賭けで「諏訪家系類項」に掲載されていた活字体の家系図の名前を一人ずつ大手検索サイトの検索ボックスに打ち込んでいこうと考えた。その当時は「一番上にいる人が初代だから一番有名なんじゃないかな……」と勝手な妄想に耽り、検索ボックスに打ちこむという、今思えば非常に幼稚な考えからのスタートだった。
その方法で真っ先に「為憲」というキーワードを打ち込んでみると、「工藤為憲」という結果が出てきた。諏訪家系類項の家系図の隣には「工藤氏系譜」と書いてあったので「まさか……?」と一瞬目を疑ってしまった。嬉しくなった私は、「諏訪家系類項」を改めなおしてみた。古文書(トシノブが残した家系考証のための資料)で書かれたページがあった。そこには今まで気づかなかった「工藤伊豆守藤原為憲」という文字が出てきた。
「伊豆守」という記述を見つけて思わず戦国武将の真田信之のことを思ってしまった。当時、歴史シュミレーションゲーム「信長の野望」にはまっていた私は、戦国時代に過剰反応してしまう中学生だった。古文書には「其子 伊豆守時理」や「其子 駿河守時信」という字も読み取れた。
もし私が秋田県内で生まれていたら、この記述はまったく気にしなかったかもしれないが、伊豆半島生まれの自分には、この事実は興味深いものだった。
「諏訪」という姓だと思い込んでいた為憲や時理、時信という詳細も分からぬ「活字の世界」だけの先祖たちが藤原姓や工藤姓を名乗っている。おまけに為憲の先祖はあの大化の改新を行った「藤原鎌足」であるということまでわかった。今まで鍵のかかっていた扉のドアが一気にあいて光が差し込んだような気分であった。
藤原姓の先祖がなぜ諏訪姓を名乗っているのか、ということについてはおいおい述べていくつもりだが、伊豆半島の出身者としては「伊豆守」の記述は見過ごせない。両親が秋田出身であるのに何故、先祖が伊豆に関係しているのか。
インターネットの検索サイトで関連の語を打ちこんでみると「狩野」「伊東」「河津」「宇佐美」など明らかに伊豆半島にある地名がヒット。データ化された情報と「諏訪家系類項」の家系図は一致していた。
ところが、データ化された情報と「諏訪家系類項」はある地点を境に、くっきりと相反するようになる。
その境目が前回触れた平安時代末期の伊東祐親の時代である。
祐親は工藤為憲から代々「伊豆守」や系図で繋がっているが、祐親の孫である祐信の代で「諏訪家系類項」にある古文書からの情報は途絶えているのだ。
祐親について全く知らなかった当初、私はこの時代を「ターニング・ポイント」と考えて、さらに調べてみた。「祐親」という諏訪家の先祖は、「源頼朝」「北条時政」「曽我兄弟」とともに、この時代に大きな影響をもたらした人物だった。
祐親やトシノブなどの父方の先祖の詳細を知ると、必然的に自分の現在名乗っている名字である母方の「佐藤姓」についても興味が湧いてきた。しかし「諏訪家系類項」のような資料がないし、親族に尋ねてみても近所との複雑な因縁や、その集落に関係する調査のために、誰も私にその答えを教えてくれる人はいなかった。
どうしても知りたい。私は母に頼み、ある手段に賭けてみることにした。
「除籍謄本」である。「除籍」とは読んで字の如く死亡などで除かれた「戸籍」のことである。この「除籍謄本」では六代前まで遡ることができた。今まで知らなかった真実をほんの少しであるが知ることができた。しかし「除籍謄本」でも明治時代以前までは調べることができない。「除籍謄本」は死後80年で処分されるのだ。
私が中世を好きになった理由は、「すべての人が主役」という力強い時代であるからだ。古代や近世、近代のような束縛感のない時代。宗教や戦さが下級層の人々にまで浸透していく時代。女性の力が台頭した時代……「中世」というジャンルは、他の歴史ジャンルとはあきらかに異色なのだ。
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