んだんだ劇場2005年1月号 vol.73
No18  チェンマイで幼稚園探し

ただいまチェンマイ
 チェンマイに帰ってきた。乾季のチェンマイはとても涼しくて、朝晩にはジャケットが必要である。からりとしていて汗も出ず、私の大好きな季節である。
 さて、我が家に帰ってみると、隣が空き家になっていた。噂によると、家のローンの支払いに行き詰って夜逃げしてしまったらしい。その家には長女と同じ年の女の子がいて、よく2人で遊んでいたのに、ちょっと残念である。
 今回は1年半から2年ほどチェンマイに住む予定だ。今までチェンマイには休みのときに数日から数週間滞在するだけだったので、こんなに長く住むのは初めてだ。まずは、過去に日本、中国から持って帰った荷物、それから今回ロンドンから持ち帰った荷物で倉庫状態になっている我が家を大掃除することから始まった。
 うちは寝室が二つに台所と居間という構造で、小さいほうの寝室は夫の弟、大きい方は私たち家族が使っている。狭い家なので、必然的に居間は子供部屋兼私の勉強部屋兼食堂ということになる。段ボール箱をひっくりかえして、当面必要なものを出し、しばらく使わないと思われるものはまたしまい、なんとか片付いてきた。
 残るは台所と庭である。台所は、今回新しく冷蔵庫とオーブン付のガス台を買う予定なので、それが揃うまでとりあえずそのまま。庭は少しずつきれいにして植物や野菜を植える予定。
 それにしても移動の直後はなにかと物入りで、口座からお金を引き出すたびに胸が痛む。今のところはタイのバーツをイギリスのポンドに計算しなおして心をなぐさめてはいるが、これがいつまで続くやら。どうせ買うなら長く使えるいい物をと思っても、下手にいろいろ買いすぎると、予算不足で大学院を中断することにもなりかねないので、なかなか難しい。なんとか食べる分だけでも補えるような職を探さなくては。
 それはともかく、借家なのがちょっと残念ではあるものの、とりあえずチェンマイに根っこを生やし始めることになった。やっぱり子供には「ここが私の帰るところ」という場所が必要だし、それに、最近ちょっと弱気な放浪者になっている私にも、やっぱり帰るところが必要なのだ。植物も根っこがないと枯れちゃうもんね。

幼稚園探し
 長女の幼稚園探しが始まった。現在、家では日本語、カレン語、英語を話す長女に、タイ語を学ぶ機会をつくってやりたいので、第一候補はタイの幼稚園である。しかしタイは5月が学期初めなので、それまで待たなくてはならない。そこで近くの保育園兼幼稚園(ここはいつからでも入れる)を見に行った。
 本来ならタイでは幼稚園の年少組に入れる年齢の長女だが、まだタイ語を話せないので、年少組の一つ前のクラスに入ることになる。教室を見に行くと、昼寝の時間であった。優しそうな先生がいろいろ説明してくれ、これなら大丈夫そうと、次の日から長女を通わせてみることにした。
 最初の日は慣らしということで半日のみ。昼すぎに迎えに行き、様子を聞くと、
「大丈夫ですよ。お昼のおかゆも全部食べました。」
と先生が言う。食の細い長女にしては珍しいなあ、と思いつつ後で娘に聞くと、
「何にも食べなかった。」
と言う。
「でも、先生がおかゆ全部食べたって言ってたよ。」
と言うと、
「??おかゆ、でなかったよ。」
と言う。
 おかしいなあ、となんだかちょっと不安になって、次の日は娘についていくことにした。そして私は見てしまったのだった。
 遊ぶものの全くない教室のなかで、かけまわってけんかをする子供たち。ぽりぽりお菓子を食べている子供もいる。先生はけんかをとりなしたり、子供をトイレに連れて行ったりするので精一杯。しばらくして先生が小さなカードを手にABCを教え始めるが、ほとんどだれも聞いていない。そして、しまいにはテレビをつける先生。流れているのは大人向けの普通のテレビ番組である。隣の教室では、なんと昼過ぎのメロドラマのようなものが流されているではないか!
 どんどん頭痛がしてきた私に、子供たちが寄ってきて昼寝用のタオルを体に巻いてくれという。昼寝用の枕とタオルが唯一のおもちゃなのである。な、なんと。この子供達はこうやって一日を過ごすのだろうか。
 檻に入れられた動物園の動物たちの姿がふと頭に浮かび、なんだかくらくらしてきてしまった。だ、だめだ、ここは却下だ。
 そしてすぐその足で、他の幼稚園を見学に行った。噂でよいと言われている幼稚園を5つほど見たが、確かにそれなりによさそうだったのでほっとした。問題は来年5月まで待たなくてはならないということ。インタナショナルスクールの幼稚園なら1月から編入できるが、これではタイ語が話せるようにならないしなあ。うーん、どうしたらいいのだろう。
 子供の教育に関して、今までは、幼稚園は適当に選んで行けばいいや、でも小学校は真剣に考えて選ばなくちゃ、などと思っていた。でもいざとなると、やっぱり一番いい幼稚園に行かせたい!とムキになってしまうのだ。

研究
 帰国直前の指導教官とのミーティングで、いろいろコメントをもらった論文。口頭試問が2月の中旬に決定したので、その一ヶ月前までに手直しをして提出しなければならない。また早起きして書く日々を始めなくてはならないが、引越しのごたごたを理由に、なかなかエンジンがかからない。
 口頭試問は2人の試問官によって行われる。研究のテーマによって適切だと思われる人を指導教官が選び、その人に直接依頼して決定する。
 私の研究テーマは、エイズに感染した親を持つ子供が、学校でどのような経験をし、その経験が子供たちの精神的、社会的な健康にどういう影響を与えているか、というものである。そこで試問官の一人は学校教育の専門家、もう一人はエイズによる差別問題の専門家に決まった。ところがなんと、そのエイズの専門家の奥さんはタイ人で、チェンマイに家があるというではないか。これでは口頭試問のとき、適当なごまかしが効かないじゃないの!とちょっと不安である。
 実際の研究は、子供と教育に関する活動をしているNGOと一緒にやることになっている。これからいろいろと細かい打ち合わせをする予定であるが、うまくいくといいなあ。

遺伝
 次女はとっても髪が薄い。その上、生後2ヶ月くらいからどんどん髪が抜け始めた。枕には抜け毛がいっぱいついているし、次女を入浴させた後のお風呂にはいっぱい毛が浮いている。現在そろそろ5ヶ月になる彼女だが、数ヶ月前の写真と比べると明らかに髪が薄くなっている。
 今までの人生で、多すぎる髪に悩むことはあっても、薄い髪や抜け毛で悩むことのなかった私にとって、ちょっとショックであった。このままはげちゃったらどうしよう!とまた心配性の母親は不安になった。
 でも夫や義弟に聞くと、
「僕らの小さい頃は髪の毛を一本ずつ数えられたよ。」
というほど、髪が薄かったとのこと。そうなの?それなら次女は夫に似たのだろう、とちょっと安心。ちなみに長女は私似で髪が多い。
 最近、次女が夫に似ているところをもう一つ発見した。長女は蚊に刺されると、刺されたところがひどく腫れ上がってしまう。ところが、次女は蚊に刺されてもなあんともないのだ。刺されたところには小さな赤い跡ができるが、全く腫れない。夫もそうなのだ。蚊に刺されても、ぷちぷちと小さな跡ができるだけであまり痒くないらしい。うらやましい限りである。夫に似て得をした次女である。
 同じ姉妹でも、夫に似たり、私に似たり、微妙に異なる彼女たち。それを見ると血のつながりの不思議というか、生き物の不思議というようなものをしみじみと感じてしまうのだ。

ニックネーム
 タイ社会で生活するタイ人にとって、ニックネームは必須である。タイにおけるニックネームは、日本で使われるいわゆるニックネームとちょっと意味合いが違い、かなり公式に使われている。
 例えば、
「名前は何ていうんですか?」
と聞かれたとき、まずはニックネームを答える。
 時には、
「本当の名前は何ていうの?」
とも聞かれるが、それは何かの書類に記入するときなどで、普通はあまり聞かれない。仲のよい友人同士でもお互いの本当の名前を知らないということがある、と聞いたこともある。
 苗字にいたっては、日常の場ではほとんど使われていないようだ。何しろタイの苗字はとても長い(夫の苗字はアルファベットで書くと18字になってしまう!)。しかも同じ苗字であれば親戚を意味するというほど、バリエーションに富んだたくさんの複雑な苗字が存在するらしい。
 そして興味深いことに、名前や苗字を変えるのはとても簡単で日常的な(?)ことらしい。
「この名前は運が悪いから、もっと縁起のいい名前に変えたい。」
という理由もOKなのだ。名前が変わると自分自身が変わってしまうような気がする私にとって、ちょっと不思議な感覚である。しかし、普段はニックネームを使うタイ人にとって、本名は日本人の私が思うほど重い意味を持たないのかもしれないなあ、と思う。
 さて、ほとんど同じものが存在しないという苗字と比較すると、ニックネームはバリエーションが乏しいようだ。よくあるのが、レック(小さい)、ヌン(数字の1)、ノック(鳥)などなど。子供が生まれると、本名が決まる前にニックネームが決められる。
 うちの場合は日本式に本名で呼んでいるが、今回チェンマイに住むにあたって長女と次女のニックネームを決めた。長女はピンクが大好きなので、ニックネームもピンク(英語でもいいらしい)。次女はいつもニコニコしているので、イム(笑顔)。
 いいなあ、私もニックネームがほしいなあ、とずーっと本名のみでやってきた私は思うのである。


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