カラシ菜、カラシ菜、辛くなれ
7年住んで、初めての雪
3月4日に、雪が積もった。外房の温暖の地、大原町に住んで7年目にして、積雪は初めてのことだ。しかも、翌々日になっても、日陰に雪が残っていた。
リビングから見える雪景色 |
ただし、道路はすぐに雪が溶けてしまって、車で買い物に出かけるのには問題なかった。そして、日陰の雪も消えると、日ごとに春らしくなった。
父親は、待ちかねたように小型耕運機のエンジンをかけ、畑の土を起こし始めた。今年は、どこに、どんな夏野菜のタネをまくのだろう。
それで気づいたのだが、今年はカラシ菜を収穫するのを、父親も私も忘れていた。いつもは、市販のほうれん草ぐらいの大きさで収穫するのが、雪の消えた後には、その倍くらいに育ったカラシ菜が、濃い緑色の葉を広げていた。
母親秘伝のカラシ菜漬け
昔は、カラシ菜の種から「和辛し」を作っていた。マスタードの原料も、品種の違うカラシ菜である。だから、世界的に見れば生産量の多い野菜だ。それで、カナダなどから安い「和辛し」の原料種子が輸入されるようになって、国産が激減した。青菜としてのカラシ菜が縁遠くなったのも、そのせいだ。
でも、ファンは多い。私も父親もこの季節、カラシ菜漬けはどうしても食べたい!
ただし、辛くするにはコツが要る。今は亡き母親のカラシ菜漬けを伝授しよう。
@ 塩を入れた湯を2、3分沸騰させる
A 火を止め、箸でかき回してちょっと冷ます
B カラシ菜を湯にくぐらせ、緑色が鮮やかになったら取り出し、すぐ氷水で冷やす
C 水をふき取り、重さの3%程度の塩を全体にまぶす
D 塩の作用で出て来た水と一緒にポリ袋に入れ、空気を抜いて、口を輪ゴムなどで閉じる
E 手のひらで数回たたく
ポリ袋に入れたカラシ菜を、手のひらでたたく |
F冷蔵庫に入れ、ほかの野菜などで軽く重しをして、1晩置く。
この手順をきちんと守れば、翌朝には、ツンツンとして、しかもさわやかな辛さが鼻に抜ける、緑あざやかなカラシ菜漬けが食べられる。
ちょっと面倒なようだが、この手順は説明がつく。
種子から「和辛し」を作るのだが、種子そのものは辛くもなんともない。すりつぶして粉にし、水を加えてやると、酵素が働いて、初めて辛みの揮発成分が出て来るのだ。
葉っぱの方は、種子ほど単純ではない。手順の中で、湯にくぐらせるだけにするのは、酵素を壊さないためなので、「ゆでてしまう」のは厳禁。最後に、塩で引き出した水と一緒にしておくのも、酵素を働かせるためなのである。
しかし、この辛みは飛びやすい。ポリ袋から出したら、必ずふたのある容器に移すこと。
母親が亡くなって、カラシ菜漬けはかみさんの担当になった。しかし毎年、最初はうまくいかず、2、3回やっているうちに、コツを思い出すようだ。
母親はポリ袋に入れてから、「辛くなれ、辛くなれ、フニャフニャ」と呪文を唱えながら、かなり思い切りたたいていた。
呪文もコツなのだろうか。
しかし、その「フニャフニャ」の部分を、私もかみさんも、どうしても思い出せないでいる。
ツンと辛い、カラシ菜漬け |
(今回は、種苗会社サカタのタネの月刊誌『園芸通信』3月号に掲載した「カラシ菜漬け」を、少し書き直して「日記」にしました。『園芸通信』には毎月、「菜食健美」という表題で、我が家の菜園で採れる野菜を材料にした料理を紹介しています)
代掻きが始まった
モモと散歩
医者に「痩せなさい」と言われている。
血糖値が少し高いので、毎月、病院で診察を受けている。糖尿病の薬を飲むほどではないのだが、「要注意状態」であることは間違いない。いわゆる「境界型」、別に言えば「糖尿病予備軍」の一員である。医者は、「痩せれば、問題なくなる」と言う。
それで、時間があれば、愛犬モモと散歩に出る。たいていは片道30分以上、距離では2キロメートル以上離れたコンビニまで出かける。が、そこまで、いつも決まった道を歩くわけではない。田舎だから遠くまで見通せるので、いろいろな道を選択する。時には、田んぼのあぜ道をたどることもある。
いくつかある散歩コースの途中に、見事な枝垂れ梅の木がある。
今年も見事に咲いた枝垂れ梅の花 |
その木があるのは、国道わきの家で、国道の一部に歩道がないので、犬と一緒だと危ないから、なるべく通らないようにしているのだが、この時期だけは別だ。それほど、毎年、心待ちにしている花である。ちょっと濃い色の花が、今年は、いつもより見事に咲いていた。
実は私は、昔から太っていたわけではない。現在の体型になったのは、高校生の時だった。
高校に入学した時、身長は163センチで、体重は58キロだった。
それが、卒業する時には、身長は169センチと6センチ伸びたが、体重は82キロで、24キロも太ったのである。
その原因は、はっきりしている。弁当を三つも持って行ったからだ。どうにも腹がへってせつないので、母親に「弁当を三つ作ってくれ」と頼んだら、母親はうれしそうに「はいよっ」と、翌日から弁当を三つ持たしてくれた。ただし、通常の大きさの半分くらいの弁当箱である。
高校3年になったら、母親は、三つに分けて飯を詰めるのが面倒臭くなったのか、三つ分をまとめて入れられる、巨大なプラスチック容器を買って来て、「これを3回に分けて食べな」と渡してくれた。
今度は、あまりにも大きな弁当箱なので、「加藤、こんなのを持って来るくらいなら、学校で飯を炊いたらどうだ」と、同級生に言われた。
「なるほど、そりゃあ、いいな」と、私も思った。
カバンのほかに、もう一つ大きな荷物があるのは、家から2キロ離れた高校まで歩いて通うにはじゃまだったからだ。学校で飯を炊けば、家からは米とおかずだけ持って行けばいいじゃないか。
「でも、親が、電気釜を買ってくれるだろうか」
そのころ、今のような「一人炊き」の小さな炊飯器はなかったし、家電製品は、現在に比べると高いものだった。
「それに、コンセントがあるのは、黒板の横だから、授業中の先生のじゃまになるだろうな」
「学校に電気代を払わなくても、かまわないだろうか」
かなりの間、私は真剣に悩んだのである。
まあ、「学校で飯炊き」は実現しなかったが、そのころ私は、家で朝飯を食べて、2時間目の授業が終わると最初の弁当を食べ、昼にみんなと一緒に弁当を食べ、6時間目が終わるとクラブ活動の前に腹ごしらえをして、家で家族と夕食をとり、一応「お勉強」もするから夜食も……1日6食を3年間続けたら、24キロ太ったのである。
学生服は、2回新調した。だれもが痩せ細っていた戦中戦後の食糧難を経験した母親は、「痩せていると、貧相でいけない」と言って、私が風船のようにふくらんで行くのがうれしいらしく、1サイズ大きな学生服を喜んで買ってくれた。
そう、私の体型は、「少年太り」の結果なのだ。
しかし、若いうちはなんともなかったが、さすがに最近は、「糖尿病予備軍」などという問題が生じて来た。で、愛犬モモと往復1時間、早足で散歩して、モモには、ごほうびにコンビニで牛乳を買って飲ませてやる。
それはいいのだが……そもそも、なぜ、このコンビニまで行くのかと言うと、たばこを買うためでもある。
健康のために犬と散歩をして、健康に悪いたばこを買うのは矛盾していないか……と、これが、また、私を悩ませる。
田んぼに水が入った
最近、モモと散歩をしていて気づいたのだが、周辺の田んぼでは、どんどん水を張り始めている。早い田んぼは、トラクターを入れて代掻きを始めていた。
私が住んでいる房総半島の太平洋岸では、もう、田植えの準備の時期なのだ。
我が家の周辺では区画整理事業が終わって、1枚の田が1ヘクタールほどもあることは、前に紹介した。区画整理では、田んぼを統合して1枚を広くするだけでなく、水路も整備する。昔のように、そばの小川から水を引くようなことでは間に合わないからだ。あぜ道の下には、農業用の水道管が通っているらしく、所々で噴水のようにしぶきを上げながら、田んぼへ水が流れ込んでいる。
用水管から勢いよく噴き出す水 |
「秋田は雪」などと、テレビでは気象予報士がしゃべっているのに、こちらでは、もうすぐ田植えが始まるのは、ちょっと不思議な感覚だ。
我が家でも、父親が耕運機で畑の土を返し、サトイモとジャガイモを植え付けた。
菜の花はもう終わりだが、その代わり最近は、チンゲンサイや小松菜の花芽をおひたしにして食べている。先日は、野沢菜の花芽も食べた。
これが、意外に、うまい。
みんなアブラナ科の植物で、どれも菜花(ナバナ)と同じように、薹(トウ)立ちした部分が食べられることは、今年、初めて知った。野沢菜は、父親がタネを蒔く時期を失して、冬の間に十分成長しなかったために、ためしに花芽を食べてみたという事情もある。チンゲンサイも、思ったほど成長しないうちに春を迎えたものだ。
花芽が出て来たチンゲンサイ |
ブロッコリーも、アブラナ科だ。ブロッコリーは、密集した蕾(つぼみ)を食用にする。わき芽も、その茎もおいしいことは、前に書いたが、それ以後、わき芽は2回収穫した。もう1回は食べられるが、わき芽はもう、小さいものばかりで、うっかりすると黄色い花が開きそうな状況だ。
父親は、「次の野菜の場所を作るから、ブロッコリーを早く食べてしまえ」と言う。
父親の頭の中では、すでに、ナスとか、トマトとか、夏野菜がたわわに実った畑の姿が描かれているのだろう。
[補注] 薹というのは、花芽をつけて伸びて来る茎のこと。「蕗の薹」(フキノトウ)の「薹」と言えば、わかりやすいでしょう。薹が伸びて来ることを「薹立ち」と言います。そうなると大根、ゴボウなど根を食べる野菜は、固くなって食べられなくなります。