サヤエンドウの豆雑炊
ナゾの豆、ツタンカーメン
父親は毎年、エンドウ豆を作る。決まって半分は、市場では「キヌサヤ」という名で流通しているサヤエンドウで、残り半分は育った豆とサヤの両方を食べられるスナックエンドウだ。4月なかばから花が咲き始め、今は収穫が日課になっている。
赤紫が美しいキヌサヤの花 |
最初は「春だ、春だ」と喜んで食べるのだが、最盛期になると収穫しきれないほど実り、そして食べきれなくなる。採り忘れたサヤエンドウは、豆が育ってサヤが硬くなってしまう。が、それなら豆だけを食べればいい。グリンピースは専用の品種があるのだが、「サヤエンドウの品種」の豆も、十分においしい。もちろん、スナックエンドウの豆ならなおさらだ。
サヤからはずした豆を、塩ゆでするだけで、マッシュポテトに入れたり、卵焼きにしたり、応用範囲が広い食材になる。今回は雑炊に散らした。我が家では、鍋物の残り汁に冷やご飯を入れて、よく雑炊を作るが、それは「和風だしのしょうゆ味」が多い。今回は鶏スープの雑炊にした。塩味だけの方が、豆のおいしさが引き立つからだ。
まずスープを作る。鶏ガラからスープをとるのは面倒。とは言え、市販のスープの素では心もとない。それで私は、よく鶏のひき肉で簡便スープを作る。
沸騰した湯にひき肉を入れ、固まりにならないようほぐして5分ほど煮る。ていねいにアクをすくう。それだけで十分に鶏スープができる。
金ザルでスープをこして塩で味をつけ、冷やご飯を弱火でことこと煮る。取り除いたひき肉は、ソボロでも作ればいい。
汁がわずかに残っている段階で火を止め、今回はたまたまサクラエビがあったので、まず赤いエビを敷いて、その上に塩ゆでした豆を散らした。ふたをして蒸らせばできあがり。
サヤエンドウの豆雑炊。赤いのはサクラエビ |
ところで、エンドウ豆の歴史は古い。原産地は中近東辺りらしく、エジプトのツタンカーメン王の墓を発掘した時、副葬品の中から発見された豆が、3千年の時を超えて発芽して話題になったことがある。
実は我が家でも4年前、サヤが紫色で、実が赤茶色のその豆を栽培したことがある。父親はその前年、知人からもらった5粒の豆をまき、発芽した3粒を育てた。できた豆は食べずに全部種子にして、翌年、20株も作った。
だが、ツタンカーメンの豆は、その年だけだった。サヤも豆もちっともおいしくなかったからだ。どうも、完熟させた硬い豆を食べるらしいのだが、いまだに調理法がわからない。ツタンカーメンの時代も、どう調理して食べていたのか、記録が見つかっていない「ナゾの豆」なのである。
日本には、それから2000年もたった、室町時代の書物に記録がある。しかし一般的になったのは、明治時代に欧米の品種が輸入されてからだという。エンドウ豆のことを調べていて、わりあい新顔の野菜であることに驚いたが、「戦前は穀類として分類されていた」ということを知って、もっと驚いた。完熟させ、豆が硬くなってから収穫していたのだ。それなら、大豆や小豆のように長期保存もできる。
しかし、硬い豆はそれぞれに用途があり、調理法も違う。大豆のように豆腐や納豆に加工したり、油を絞ったりする豆もあるし、ふっくらと甘く煮て食べる豆もある。地中海沿岸から中東にかけての地域でよく食べられる、ヒヨコマメやレンズマメは、また調理法が違う。「硬い豆」というだけでは見当がつかないが、もしかしたら、穀類として食べていた戦前のエンドウ豆の調理法を調べれば、「ツタンカーメンの豆のナゾ」も解けるかもしれない。
ところで、「スナックエンドウと、スナップエンドウと、どっちが正しい名前なの」と質問されたことがある。
答は、「どちらも正解」。
アメリカで開発された、豆が育ってもサヤが軟らかいこの品種が、日本に入って来たのは1970年代だ。とても新しい野菜なのに、すぐに広まった。それはもちろん、おいしいからでもあるが、日本を代表する種苗会社の「サカタのタネ」と「タキイ種苗」が競って普及させたためでもある。答の解説をすると、「スナック」は「サカタのタネ」、「スナップ」は「タキイ種苗」の登録商標なのである。
(今回の豆の話は、サカタのタネの月刊誌「園芸通信」2001年1月号と、今年4月号に書いた連載を合わせて、加筆しました。「スナックエンドウ」という名称にしたのも、そのためです)
茎がおいしいセロリ
エンドウ豆の隣で、今、セロリが食べごろを迎えている。セロリは、日本人の嫌いな野菜の代表格らしい。亡くなった母親も大嫌いだった。だが、私は大好き。もりもり食べられるこの季節は、うれしくてしかたがない。
大きく育ったセロリ |
普通に売られているのは、葉柄の部分だ。しかも市販のセロリは、「軟白栽培」と言って、日光を当てずに育てる。そうすると白い部分が大きく育ち、軟らかくなるのだが、私はそうしたいとは思わないので、そのノウハウを調べたことがない。
我が家で軟白栽培をするのは、独活(ウド)とアスパラガスだけだ。独活は残念ながら、昨年秋の台風で地盤が沈下した所にあったのを、植え替えたばかりなので、まず株がしっかり根付くように、父親も今年は軟白栽培をしなかった。アスパラガスの方は、昨年、この「日記」の第1回で紹介したように、今、生のホワイトアスパラをたらふく食べている。
しかし基本的に、野菜の緑色には栄養価も高いと思っているから、セロリを真っ白にしなくてもいいんじゃないだろうか。それに、日光の下で育てても、セロリはそれほど緑色が濃くならないのだ。「硬い」という点について言えば、硬いのは、主に表面を走るスジ。ちょっと手間だが、端にナイフを当ててスジを引っ張るようにすると、簡単に取れる。
「それでも硬い」というのなら、さっと湯をくぐらせればいい。
その要領で、私は、株の真ん中から伸びて来る茎を食べる。てっぺんに花が咲く茎である。絶対に出荷されない部分で、このおいしさは、自分で育ててみて初めて知った。セロリの香りが強く、しかも噛んでいると、甘みが広がって来るのである。
薄く斜め切りにしてから、塩を加えた湯に通し、そのままサラダにすることもあるが、さらにおいしいのは炒め物だ。サヤエンドウと一緒に、塩、コショウだけで炒めると絶品。むきエビと炒めてもいい。こういうものが食べられると、家庭菜園が本当に楽しくなる。
セロリは5年前から作り始めたが、種を買ったのは最初の年だけだ。
1株だけ、しかもその中の1本だけ茎を切らずに花を咲かせる。すると、周囲にこぼれダネからたくさん芽が出て来る。それを8月ごろ、ていねいに移植するのだ。苗は、冬の終わりまではあまり育たないが、春の光とともに、どんどん大きくなってくれる。
もうすぐ、巨大な線香花火を逆さまにしたような、細かい、白い花が咲く。
鳥とりどり
白鷺がやって来た
落語に、こんな新作の小噺(こばなし)がある。
ある独り者の男が、山で、ケガをした白い大きな鳥を見つけ、かわいそうに思って傷の手当てをしてやった。すると次の日、美しい若い女が訪ねて来て、「私は昨日、あなた様に助けていただいた者です。どうか、そのお礼をさせてください」と言う。
「どうするのだ」と若者が尋ねると、「美しい布地を織ってさしあげます。でも、どうか、その様子をのぞかないでください」と言って、女は奥の部屋に入り、ぴったりと板戸を閉めてしまった。
すぐにガタガタという音が聞こえて来た。その音は、次第に大きくなり、ドスンドスン、ガッタンガッタンと、家を揺らすような響きになった。
若者は何事が起きたのか心配になったが、「のぞかないでくれ」という女の言葉に従って、じっとしていた。そのうちに、突然、ぱったりと音がやみ、その後は、まったく静かになってしまった。これはどうしたことかと、若者が思いきって板戸を開けてみると……奥の部屋にあった家財道具が、ぜーんぶ運び出されて、女の姿も消えていた。
助けた白い鳥は、ツルだと思っていたら、サギ(詐欺)だった。
どの落語家の創作だったか忘れたが、今ごろの時期になると、「鶴の恩返し」のパロディの、この噺を思い出す。
私が住んでいる千葉県・外房の大原町では、イネの草丈もだいぶ伸びた水田に、たくさんの白鷺が飛来し始めた。
水田に降り立ったたくさんの白鷺 |
毎年のことで、白鷺は、この辺りでは珍しい鳥ではない。白鷺が大きなカエルを丸呑みしようとしているのを見たこともある。これから10月半ばまで、我が家の周辺を悠々と飛び回る。
ところで、一口に白鷺と言っても、「ダイサギ」「チュウサギ」「コサギ」と3種類ある。体の大きさで「大・中・小」と分けたらしく、安易な命名だと思うが、さてここに来る白鷺は、そのどれかとなると、私には、はっきりわからないところがある。頭に飾り羽のある「コサギ」でないことは確かだが、「大」か「中」か、手許にある『フィールド・ガイド1 日本の野鳥』(小学館)のカラー写真を見ても、なかなか区別がつかないのだ。池や沼、それに水田で捕食するという解説を読むと「チュウサギ」らしいが、「ダイサギ」にも似たような説明があって、断言できない。
いずれにしても、冬はフィリピン辺りにいて、日本には夏にやって来るという。
ところが、数は少ないが、大原町で越冬する白鷺がいることに気づいた。この日記を書き始めてから、周囲のものをしっかり見るようになったからだろう。昨年12月、近くの「トンボの沼」の岸辺に立つ高い木に、いつも夕方になると、3羽の白鷺が来ているのに気づいたのだ。そして今年1月、海に近い田んぼで、何羽かの白鷺がエサを探している姿を発見した。
昨年11月の「日記」で2度目の稲の実りを紹介したが、この房総の地の暖かさは、こんなことでも実感できるのである。
トッキョキョカキョクホトトギス
キジも、珍しい鳥ではない。「ケンケーン」という声は、毎日のように耳にする。先日もつがいのキジが、我が家の畑でエサを探し、しばらく歩き回っていた。キジは本当に夫婦仲がよくて、いつも2羽一緒だ。と思っていたら、昨年の夏には、3羽でやって来た。1羽は子供らしく、親鳥が飛び立ったあとを追ったのだが、畑の西側に立ててある防風ネットにぶつかって地面に落ちた。まだ羽の力が弱くて、垂直方向に飛び出すのが下手なのだ。何回かやっているうちに、少し離れた所から離陸したら、やっと防風ネットの支柱に着地して、少し休んだ後、飛んで行った。
カワセミを見るのは、年に1度か2度だが、こんな美しい鳥が近くにいるだけでも幸せだと思う。カワセミを漢字では「翡翠」と書くように、翡翠(ヒスイ)色の羽を広げて飛ぶのである。家のわきを流れる落合川にやって来て、木の枝にとまって、水中の小魚をねらうのだ。魚をとった瞬間を見たことはないが、飛ぶ姿は何度も見た。
3年前の夏に、畑の隅に、鳩ぐらいの大きさの、見慣れない鳥が死んでいるのを見つけた。『日本の野鳥』の写真を1枚ずつ見て、「トラツグミ」だとわかった。小高い山にいて、日本には広く分布しているらしいが、ふだんは人の目にふれない鳥らしい。
それが、なぜ、我が家の畑で冷たくなっていたのだろう。
鳩はよく、ガラス窓にぶつかって気絶する。我が家の玄関とリビングは吹き抜けで、床から天井までガラス張りなので、しばしば鳥がぶつかる。が、気絶する程度で、少し時間がたつと飛び立って行く。トラツグミが死んでいたのは、ガラス窓からはだいぶ離れた場所で、ぶつかったとは考えにくい。今も不思議に思っている。
こういう話を書いている間にも、しきりにウグイスとホトトギスの声が聞こえる。
ウグイスは3月末から鳴き始め、そのころは「ケキョ、ケキョ、ケキョ」という笹鳴きだったのが、今ごろになると「ホーホケキョ」と、ちゃんと鳴くようになる。
そして、ホトトギスの声を聞くようになると、「夏は来ぬ」である。
中学校の国語の教科書で読んだ寺田寅彦の随筆では、ホトトギスは「テッペンカケタカ」と鳴くと書いてあったと思うが、私の耳には、どうしてもそうは聞こえない。
「トッキョキョカキョク、トッキョキョカキョク」と聞こえる。
その前に「トウキョウ」とつけないのは、舌をかみそうになるからだろうな、などとばかなことを考えて、一人で笑ってしまった。が、「夏は来ぬ」という歌にあるような「忍び音漏らす」という印象を持ったことはない。非常によく通る声だ。だからと言って、明治時代の小説に出て来る「絹を裂くような悲痛な声」という感じでもない。あれは徳富蘆花の「不如帰」(ほととぎす)や、泉鏡花の「婦系図」(おんなけいず)あたりが出所のイメージではないだろうか。我が家の周辺では、もっと、あっけらかんと鳴いている。しかもホトトギスは、飛びながら鳴くのだ。
声に特徴があって、飛びながら鳴くホトトギスは、古来、人々の耳目を集めたのだろう。だから、詩歌や小説にもたくさん登場したのだと思う。そういうことは、この「田舎暮らし」を始めて、日常的にホトトギスの声を聞くようになって、実感として考えるようになった。
時々、本を読んだり、原稿を書いたりして、ついつい朝を迎えてしまうことがある。そんな時、夜明け前に、最も早く聞こえて来るのもホトトギスの声だ。その声で私はこれからの「短夜」(みじかよ)の季節、朝の訪れを知るのである。
雀の逆襲
そのほかにも、愛犬モモと散歩の途中で、小型の鷹「ノスリ」を見たこともあるし、水田を泳ぐカルガモの親子も毎年見ている。鳥の声は、もっとたくさん聞いているが、残念ながら、私の知識では、声では判別できない鳥も多い。
写真を撮るのは、もっと難しく、私が持っているデジカメの望遠では、鮮明な画像を見せることは、とてもできない。
唯一、撮影できたのは、2階の客間のベランダにしょっちゅうやって来る雀ぐらいだ。
ベランダの側壁の上にとまった雀 |
こいつは、どうも、屋根の通風孔に巣を作った雀らしい。
我が家は、南から北へわずか5度の勾配をつけた片屋根である。屋根の下は全面2層構造になっていて、そのうちの1層は、常に風が吹き抜けるようになっている。屋根裏に熱がこもらないようにする工夫だ。そのおかげで、トタン屋根なのに、夏の日差しの暑さは居住空間には伝わらない。ただし、そのすき間にスズメバチの巣などができては困るので、目の細かい網で通風孔を覆っている。
2階のベランダの上あたりに、1か所、網の破れているところがあるのに気づいたのは、2年前だった。よく見ると、中に、稲ワラや枯れ草などが詰め込んである。動物は近寄れない場所なので、たぶん鳥だな、とは思っていたが、それが雀だとわかったのは今年の春だ。
客間で日中、テレビを見ている時などに、よくベランダに、草をくわえた雀がいるのに気がついたのである。そのうち、虫などを運んで来るようになったので、子育てが始まったのを知った。
そして先日、よたよたした感じで歩く雀を見た。いつまでたっても飛び立とうとしない。巣離れをした子雀らしい。これなら近くから写真を撮れるかな、とガラス戸を開けてベランダに出たら、小雀は落ちるようにベランダから離れ、見事に飛翔した。
しかし次の瞬間、小雀が飛んで行った方向から、2羽の雀が猛烈な勢いで、私へ向かって飛んで来たのである。
子供の巣立ちを見守っていた親雀に違いない。姿を見せた「危険な人間」から、子供を守ろうとしたのだろう。2羽の雀は私の目の前を通過し、反転して小雀の方へ飛び去った。
私は、感激した。