んだんだ劇場2005年8月号 vol.80
No14
今年もラズベリー

南洋の暮らし
 『ゲゲゲの鬼太郎』の水木しげるさんに、こんな内容のエッセイがある。
 南太平洋のある島を訪れた白人のビジネスマンが、そこいらでゴロゴロ、ノラクラしている島民を見て嘆いた。
 「あなた方、こんな、なまけた生活をしていては、いけません」
 真剣な口調で言われて、島民は驚いた。
 「目の前の海には、魚がたくさん泳いでいます。島には果物もあります。こういう資源をどうして利用しないのですか」
 「利用してるじゃないか。魚も果物も、毎日食べてるよ」
 「そういうことではありません。エンジン付きの漁船があれば、もっとたくさん魚が獲れるから、売ることもできます。果物も木を増やして売りましょう!」
 「売って、どうするんだい?」
 「そのお金で、この浜辺にホテルを建てて、外国からたくさんの観光客を呼び寄せます。こんな美しい砂浜は、世界でも最高の観光地になります」
 そんなことを考えてもみなかった島民たちは、白人の言うことに感心した。
 そこで島民の一人が質問した。
 「それで、オレたちはどうなるんだ?」
 白人は、ニッコリ笑って、こう答えた。
 「みなさんは、天国のように、毎日、好きな時に寝て暮らせるようになります」
 すると、大爆笑がおこった。
 「なんだ、それじゃあ、今とおんなじじゃないか!」

 私は、この話が大好きだ。
 水木さんの著作はたくさん持っていて、この話がどの本にあったのか探すのが面倒なので、記憶で紹介したが、おおよそ、こんな話だ。そして、そのあとに、水木さんは「私も南洋で暮らしたい」と書いている。
 太平洋戦争で南方へ送られた水木さんは負傷し、左腕を失ったが、なんとか復員した。紙芝居、貸本漫画と、日の当たらない業界で漫画を描き続け、鬼太郎によく似た少年が、現実の世界とテレビの中とを自由に行き来する「テレビくん」という作品で1965年、講談社児童文化賞を受けたのをきっかけに、人気漫画家になった。
 まだ売れなかった頃の水木さんの「貧乏物語」を、私は聞きに行ったことがある。奥さんと、「いつになったら、腐ったバナナじゃなくて、新鮮なバナナを食べられるようになるんだろう」と語り合ったことなど、その時にうかがった話は、また書く機会があると思うが、その中で水木さんは、しきりに「南洋はいいよ!」と話していた。
 売れっ子になって、寝る間もなくなった水木さんは、「なまけ者」へのあこがれが強くなったのだろう。そういう夢は、多かれ少なかれ、誰にでもあるもので、水木さんに言わせると、「南洋の島には、現実にある」のだそうだ。
 ただ、この白人と島民の話は、そういうホンワカ話で終わらないところに、私は面白さを感じている。この経済至上主義のスポークスマンのような白人からは、自分らの価値観を「正義」と信じ、押し付けて回っているどこかの国を思い浮かべたりもする。
 話が飛ぶようだが、最近の古生物学の研究では、人類の起源はアフリカにあって、しかも最初の人類は黒人だったという説が、よく言われるようになった。白人は、その中の「突然変異」なのだという。
 動物界にも、白い牛とかライオンとか、色素の欠落した固体が現れることはよくあって、白い蛇などは、日本では神社の御神体になっていることもある。ただ、1匹だけ違う色は仲間はずれにされやすく、それに弱肉強食の世界では、白い色は敵に見つけられやすいので(白熊や北極ギツネは別ですよ)、子孫を残すまで生きられないことが多い。
 「白い人間」も、仲間につまはじきにされ、暖かいアフリカから、地中海の向こうの寒い大地へ追いやられたと推測されている。それは、ヨーロッパに定着した白人種だけでなく、我々アジア人もそうであるらしい。どちらにしても、手を伸ばせば食べ物があるような所に比べれば、雪が降る冬を過さなければならない地域で生き抜くのは、並大抵のことではなかっただろう。
 だから、努力したのである。
 私は、横文字が苦手で、ペラペラと英会話をこなす娘などに比べたら、てんでお話にならない。もう少し勉強しておけばよかったな、と今さらながらに思っている。平均寿命が延びても、たかだか80年ほどの人間の一生の中でも、努力するとしないとでは、大きな差がついてしまうものだ。それが、何千年というスケールになれば、狩猟生活から農耕や牧畜で糧を得る暮らしへ進み、さらに高度な社会生活へと歩んできた先進諸国と、いわゆる開発途上国の差になったのだろう。
 まあ、これは、経済の視点からの話で、毎日好きな時に寝て暮らす幸せとは、価値基準が違うことは言うまでもない。だが、「その差」が今、アフリカの人口爆発と飢餓の問題につながっているのかもしれないと思うと、笑い話ではなくなってしまう。
 水木さんの話から、そんなことも考えた。
 さて、我が家の畑の片隅では、今年もラズベリーが実った。そばを通った時に、赤と言うより、もっと濃く熟したやつを選んで、ちょいちょいとつまみ食いしている。

ちょっとつまみ食いするラズベリー
 このラズベリーのことは、昨年6月の「日記」にも書いた。行きつけの居酒屋の常連から苗をいただき、「やたらと増えるよ」と言われたラズベリーである。
 実際、その通りで、根を伸ばしては、いろいろな所に芽を出す。昨年秋の台風で、ラズベリーのあった所は、半分ほど大きく地盤が沈下したが、今年になってみると、元通りの地面でも、沈下した地面でも、ラズベリーはちゃんと実をつけた。
 「米でも、野菜でも、こういうふうに手間要らずだったらいいのになぁ」、などと「なまけ者の思想」が私の頭をよぎる。
 だが、後ろを振り返ると、整然と畝が並び、キュウリ、ナス、トマト、サヤインゲン……すでに夏野菜が収穫の時期を迎えている。すべて、父親の努力の結果である。勤勉な父親には、もしかしたら、私が大好きな「なまけ者バンザイ!」の南洋の島の話など、見向きもされないかもしれない。

嬬恋村のブルーベリー
 六月下旬、私が車を運転して、父親とかみさんと、3人で群馬県の嬬恋村へ行って来た。
 嬬恋村と言えばキャベツ、と誰でもが思うだろう。嬬恋村には、父親の従兄弟の「トシ兄ぃ」(黒岩さんというのだが、スピードスケートに嬬恋村出身の黒岩選手が何人もいるように、石を投げれば黒岩さんに当たるような村なので、親しい人からの呼び名にした)がいて、8ヘクタールもの畑でキャベツを作っている。
 村はどこへ行ってもキャベツばかりで、しかも、平坦な土地が多い。かみさんは「北海道みたい!」と感嘆していた。

見渡す限りに広がる、嬬恋村のキャベツ畑
 昔は水田が多く、父親も若い頃、ここで田植えを手伝ったことがあるという。それが戦後、農林省(当時)のパイロット事業で、日本最大の高原キャベツ産地に変貌した。「トシ兄ぃ」の家でごちそうになったキャベツは、千切りにしただけなのに、軟らかくて、甘くて、絶品だった。
 しかし、キャベツは市場価格の変動が大きく、時として収穫期のキャベツをブルドーザーでつぶすこともある。農作物の単作には、そういう危険もある。それで、もう一つ、主力となる作物はないかと、いろいろな作物の試作が始まっているのだそうだ。
 「トシ兄ぃ」の息子さんが手がけているのは、ブルーベリーである。「目にいい」という話が広まって、人気急上昇中の果実だ。日本ブルーベリー協会が中心になって、普及に努めているから、最近ではかなりポピュラーになった。
 我が家にも1本、ブルーベリーの木がある。近所の方から父親が苗をいただいて、花壇の中に植えた。たしか今年で3年目かと思う。木がまだヒョロヒョロと小さいので数は少ないが、手の小指の先くらいの実をつける。だが、こんなブルーベリーでは、市場価値はほとんどないらしい。
 ブルーベリーにはたくさんの品種があって、「トシ兄ぃ」の息子さんが栽培研究しているのは、群馬県が改良した品種だ。「絶対に、よそへ持ち出さない」約束で、県から種苗を配布されたという。
 「だって、うまく作れば、五百円玉ぐらいの大きさになるんですよ」
 という話には、たまげた。そんな大粒のブルーベリーがあるなんて、想像したこともなかった。それなら、「高級品」として、絶対に売れる。
 「でも、栽培技術がむずかしくてね」
 その説明も受けて、かなり手間がかかることはわかったが、私は詳細を覚えていない。でも、父親は隣で熱心に聞いていた。そして、「ブルーベリーがそんなにすごいものだとは、思っていなかった」と目を輝かせていた。
 もしかしたら、父親は、まじめにブルーベリーの世話を始めるかもしれない。
 まあ、私は、「勝手に育つ」ラズベリーで満足している。



キュウリギリスの季節

キュウリの甘煮
 キュウリを漢字で書くと、「胡瓜」。この「胡」という字は、西域、つまりシルクロードの方面を意味する。そちらから伝来した「ウリ」なので、中国ではこの漢字をあてたのだが、なぜ日本では、こう書いて「キュウリ」と読むのだろうか。
 その答は、下の写真を見ていただきたい。

完熟して黄色くなった胡瓜
 完熟したキュウリである。完熟すると黄色になる。それで「黄色いウリ」、つまり「きウリ」が日本名になったのだ。
 逆に言うと、私たちは、いつも未熟のキュウリを食べているのである。そして、採り忘れたキュウリはすぐに、この写真くらいに大きくなってしまう。最盛期になると、それでなくても数が多くて食べきれないのに、1本がこんなに大きくなっては、持て余してしまう。
 毎年、私もこれには悩んでいたが、親類のおばさんから「キュウリの甘煮」を教えてもらって、見事に解決した。
 材料は、キュウリ4s、砂糖500g、酢180t。上質の白砂糖より、三温糖やキビ砂糖など、赤砂糖系の方が味に深みが出るようだ。キュウリが少なければ、もちろん、この比率で砂糖と酢の量を調節すればいい。
 まず、キュウリを5pくらいの長さに切る。4sもあるとかなりの量だが、それに見合った大鍋に入れる。
 上から砂糖(今回はストックがあった白砂糖)をふりかけ、酢も入れ、ふたをして2時間ほど火にかけるだけという簡単な料理だ。火加減は、最初から弱火にする。

4kgのキュウリに砂糖、酢をかける
 砂糖がキュウリから水分を引き出し、いつのまにかコトコトと、煮こみ状態になっている。そして2時間後、キュウリは飴色に変身している。
 煮汁がまだわずかに残っている状態ができあがりだ。汁が多いようなら、ふたを取って、もう少し煮るが、煮詰めすぎるとキュウリが硬くなって、それこそ飴のようになってしまう。シワシワで、飴色になったキュウリにまだ柔らかさが残り、かみしめると甘さが広がるくらいが、ちょうどいい。
 で、これは「おやつ」である。テーブルの上に出しておくと、ついつい手が伸びて、そのうちに食べてしまう。べたべたした甘さではないので、「お茶うけ」にもいい。我が家では、夏の間に2回は作る。
 来客に黙って出すと、たいてい「これ、なあに?」と首をかしげるのが、また楽しい。
(ここまでは、種苗会社「サカタのタネ」の月刊誌、「園芸通信」の今年6月号に掲載したものを、少し書き直しました)

ブルームとブルームレス
 しっかり元肥を施して、水不足にならないように気をつけていれば、キュウリはよくできる。父親は追肥も忘れないので、我が家の菜園では夏の終わりまで、しっかりしたキュウリを収穫できる。だから、「4kgのキュウリ」を材料にした甘煮も、2回作れるわけだ。
 「サカタのタネ」の園芸通信には、前にも「だから楽しい家庭菜園」というエッセイを3年間連載したが、1999年7月号に、「キリギリスになりそうだ、と思いながら、今年もせっせとキュウリを食べている」と書いたら、古くからの友人でもあるイラストレーターの北館夫(きた・たてお)さんが、「せっせと食べているキュウリギリス」というイラストを描いてくれた。

私の顔を「キュウリギリス」に仕立てたイラスト
 この「房総半島スローフード日記」のタイトルの右側にある、ホワイトアスパラガスを持つ私のイラストも、北さんの作品だ。
 さて、「キュウリギリス」の時には、今出回っているキュウリは「ブルーム」と「ブルームレス」に大別される、という話を書いた。「ブルーム」というのは、キュウリの表面に見られる白い粉のことだ。それがないのが「ブルームレス」。
 30年前のキュウリを覚えている方ならピンと来ると思うが、昔のキュウリは、みんな白い粉がついていた。その正体は「ケイ酸」。暑い日差しから身を守るために、キュウリ自身が自然に吹き出す粉である。それが新鮮さの証拠なので、農家はキュウリの両端をそっと持って、粉が取れないように注意して出荷した。
 ところが今、市場の9割は、粉を吹かず、テカテカ、ツヤツヤした「ブルームレスキュウリ」が占めている。一見おいしそうだが、実は、そうじゃない。
 これは、ケイ酸の粉の代わりに、皮を暑くして日差しから身を守っているキュウリなのだ。昔からの漬物屋さんの中には、「皮が厚いと、塩がうまく回らない」と言って、「ブルームキュウリ」を四苦八苦で探している店もある。
 漬物屋さんを嘆かせるブルームレスキュウリは、偶然から生まれた。
 スイカの大生産地の一つ、奈良県で、スイカの台木としてカボチャの苗を作っていた種苗会社が、ある年、それを作りすぎてしまって、捨てるのももったいないからとキュウリの台木にしたら、粉を吹かないキュウリができたのだ。
 スイカは病気に弱いので、根をしっかり張るカボチャの苗に差し芽をして育てる技術が、昔からあった。たまたま、そうして誕生したブルームレスキュウリが大ヒットしたのである。
 まず、農家は、それまでのように「そっとキュウリを扱う」気苦労から開放された。消費者の方も、「あの白い粉は、農薬じゃないの?」と誤解している人がたくさんいて、テカテカ、ツヤツヤのキュウリに飛びついたのである。それに皮が厚いから水分が蒸発しにくく、なかなかしおれないので、「前日の売れ残りでも、その日の仕入れと同じく高く売りたい」八百屋さんにも好都合だったのだ。
 実験したことがあるが、ブルームキュウリは、収穫した翌日にはしおれ始めたのに、ブルームレスの方は4日たっても、端を持って横にした時に「ピン」としたままだった。消費者は、「これは変だ」と思わなくちゃぁいけない。
 キュウリの味は微妙なので、極端な味の差はないが、噛み切る時の具合はずいぶん違う。ブルームの方が、サクッと噛み切れるのである。
 ブルームキュウリは、苗を買ってくるのではなく、種をまけばいいだけなので、作るのは簡単だ。そういうキュウリを食べられるのも、家庭菜園のありがたさだ。
 しかし、それにしても、「キュウリギリス」の季節は長い。飯代わりにキュウリを食べていては、げっそり痩せてしまいそうだ……と、毎年期待しているのだが、そうならないのは、なぜだろう?


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