「ラタトィユ」と「こづゆ」
夏野菜をもりもり食べる
今年はズッキーニを作らなかった。私は、黄色いズッキーニを作りたいのだが、近辺の種苗店に苗が出て来なかったからだ。
それで、毎年、たくさんの夏野菜を食べるために作る「ラタトィユ」には、ズッキーニの代わりに胡瓜を入れた。
「ラタトィユ」というのは、南フランスの家庭料理で、日本のフレンチ・レストランでも最近は、「偉そうな顔で」メニューに載っているが、要するに「野菜のごった煮」である。ただし、野菜が持っている水分だけで煮るので、野菜の味が濃い。
今回は、胡瓜2本、茄子3個、カラーピーマン2個、トウモロコシ1本、サヤインゲン10本を使った。みんな目の前の畑にある野菜だ。それを、1センチ角に切る。別に、ニンニクを薄くスライスすれば準備完了。
深鍋にオリーブ油を入れ、点火したらすぐにニンニクを弱火で炒める。ニンニクの香りが立ったところで茄子を炒める。茄子が焦げるようだと油が足りないので、少し油を足す。あとは、次々に野菜を放り込んで、小さじ1の塩を加え、ふたをして弱火にかけておくだけ。20分ほどすると、クツクツと煮込み状態になっている。そこで塩味を確かめて、火を止め、自然に冷ましておけばいい。私は、少しコクを出すために、コンソメかブイヨンのキューブを1個入れてからふたをする。
ラタトィユにフランスパンを添えて |
野菜を切る手間だけで、あとは実に簡単な料理だ。トマトだけは欠かせないが、その他の野菜は組み合わせ自由。なにしろ、もともと家庭料理なのだから、どんどん「自分流」にできる気楽な料理だ。冷めてもおいしいのが、うれしい。もしも食べ飽きたら、市販のカレールーを入れてちょっと煮なおせば、ベジタブルカレーに変身してしまう。
いつもは私が作るが、今年かみさんが作ったら、なんだか単なる「野菜の煮物」みたいになった。切り方が大きすぎて、野菜の水分がうまく引き出せなかったようだ。やはり、手間ではあるけれど、ある程度小さく野菜を切るのが大事なポイントらしい。
野菜を小さく切った「ラタトィユ」のできあがりを見ていたら、福島県会津地方の郷土料理「こづゆ」を思い出した。かわいい大きさに材料を統一した、具だくさんの汁物である。と言っても、福島市で育った私は、それを食べたことがない。でも、思い出したのは、『こづゆ』という本を持っていたからだ。
会津の食文化研究家、平出美穂子さんが、会津若松市の出版社、歴史春秋社から出した本である。
郷土料理の研究書「こづゆ」 |
平出さんは、会津地方の各市町村で「こづゆ」にどんな違いがあるかを調べ、江戸時代の文献から歴史も探求していた。それに、写真がとてもきれいで、食欲をそそられる本だった。一昨年、福島市の書店で見つけて、すぐ買った。
地域によって、「ざくざく」とか「ざく煮」と言ったり、「煮肴」と言ったり、名称も材料もさまざまだが、共通しているのは、貝柱で出汁を取った汁、具には必ずサトイモとニンジン、キクラゲが入ることだろう。そしてほとんどの地域で、小指の先ほどの「豆麩」を入れる。
たくさんの写真を見ていると、どうも、この「豆麩」の大きさに合わせて材料を切りそろえているように思われた。
できあがったものは、なんとなく、新潟県の「のっぺ」や、青森県の「けの汁」に似ている。『こづゆ』にも新潟県の「のっぺ」の例がいくつか紹介されていた。青森県には、戊辰戦争で敗れた会津藩士がたくさん移住しているから、「けの汁」は、もしかしたら会津から伝わった食文化なのだろうか。
実は、青森県弘前市の出版社が出した『けの汁』という本も持っている。こちらは文章が理屈っぽくて、写真も少ないし、まだ読み通していない。が、「けの汁は、津軽の伝統料理」と言っているから、会津とは関係ないのかもしれない。
でも、新潟も、会津も、津軽も、日本海を航行していた北前船で、経済も文化もさまざまな交流があった地域じゃないか……。
と、まあ、いろんなことが頭に浮かんで、楽しくなる。
「ラタトィユ」とは関係ない話に進んだけれど、材料をある程度小さく切れば、短時間の調理で味が出やすくなるのは同じだろうな、とは思っている。
再び、鳥とりどり
8月のお盆が過ぎて、私が住んでいる千葉県大原町では、稲刈りが始まった。
ちょっと前のことだが、大雨の降った日、今年は休耕していた水田で、たくさんのカルガモが羽を休めているのを見かけた。
みんな、風上に頭を向けている。風が強い時、鳥はみんな、こんな姿勢になる。
雨の中、風に向かって頭をそろえるカルガモ |
カルガモはこの辺りでは、一年中見かける。田植えから少し過ぎて、稲が伸び始めたころは、母親に連れられた子ガモが水田を泳ぎ回っている姿をしばしば目にした。大雨の日に見かけたのが、何家族の集団かわからないが、ほとんどは今年生まれだろう。
休耕田では先日、エサを探す白鷺を撮影できた。私が持っている安いデジカメでも大きく撮れたのは、道路端なのに、逃げようとしなかったからだ。稲が青々としていたころは、こんなに近くでは撮影できなかった。稲が育つ間に、「人間は何もしない」ということを学習したのだろうか。
エサを探す白鷺 |
それに、この季節になると、白鷺は群れないで、単独行動するようになる。家族から独立して動くようになったのかもしれない。
そして、稲刈りが始まると、小さい鳥が群れ飛ぶようになる。
先日、愛犬モモと散歩をしていたら、ヒッチコックの「鳥」のように、電線に無数の鳥がとまっているのに出くわした。黄色くなった稲田の上を飛び交っていたので、スズメかと思っていたのだが、近づいてみたらヒヨドリだった。
乱舞するヒヨドリの群れ |
こいつは、よく我が家の畑にも来る。地面で虫なんかを探しているのはかまわないが、ミカンの花をついばむので困る鳥だ。たしか3年前には、ナツミカンにたくさん花が咲いたのに、ヒヨドリに花をむしられて、ちっとも実がつかなかった。
これも先日、2階の自分の部屋から、道路の真ん中をキジが歩いていているのを見た。向こうから車が来て、まさかひかれることはないだろう、とは思いながら見ていたら、そのキジは、かたわらの草むらにヒョイと入り、車が通り過ぎたあと、また道路に出て来て悠々と歩いて行った。
この辺りの鳥は、人間との距離感をしっかり身につけているのかもしれない。