ヘチマが育って来た!
美しいオクラの花
野菜の花では、夕顔(干瓢)と双璧だと私は思っているオクラが、毎日花を咲かせている。
大きな花を咲かせるオクラ |
紙を漉くとき、糊として使われるトロロアオイの花にそっくりだが、オクラの方が少し色は濃いようだ。と言っても、トロロアロイの根から粘着物質を作って、それで楮(コウゾ)や三椏(ミツマタ)の繊維をつなぎ合わせて和紙を漉く、というところまでは知識があるが、実際にどうやって紙漉きの糊を作るのかは知らない。
アオイ科の植物は、日本人にはなじみの深い芙蓉(フヨウ)、槿(ムクゲ)のほか、花壇に植えられることの多いアメリカ原産のモミジアオイなど、どれも大きな美しい花を咲かせる。トロロアオイの花も昔から知っていたが、オクラの花は自分で栽培してみるまで、これほど美しいとは知らなかった。
食べるのは、花が終わって育ち始めた「サヤ」だ。3日もすると、サヤは急速に成長して硬くなってしまうので、どんどん収穫しなければならない。
オクラはアフリカ原産の野菜で、奴隷に売られた黒人たちがアメリカに伝えたそうだ。イギリス人が書いた野菜の本を読んでいたら、アメリカ南部には、オクラを煮込んでトロトロにしたスープ料理があるそうだ。我が家では、サッと湯通ししてから刻み、削り節をのせて醤油をかけるのが定番で、サラダに散らしたり、時にはてんぷらにしたりと、いろいろに食べているが、幸い、煮込まねばならないほど大量にできて持て余した、ということはない。
オクラは、残暑の間は育つので、まだしばらくは食べられそうだ。
ヘチマのスポンジ
ヘチマも今、花盛りだ。今年は水不足で成長が遅かったが、ようやく実も育ち始めた。父親もかみさんも、ヘチマには無関心で、「もの好きな」という目で見ているが、私はヘチマが大好き。入浴の時、これで作ったスポンジで体をこすると、とっても気持ちよい。
ヘチマのスポンジと、今年のヘチマ |
ヘチマの水で化粧水を作る、というのもよく知られた利用法だ。夏の終わりに、ツルが十分に伸びたところで根元を切り、その切り口をガラス瓶などに入れておくと、ツルにたまっていた水が流れ落ちてくる。私はやったことがないが、1本のツルで、一升瓶1本くらいの水を蓄えているらしい。化粧水というのが、そもそもどんなものなのか、私は知らないので、作る気がないのだけれど、世の中にはこの愛好者も多いらしい。
スポンジと化粧水が、ヘチマの2大利用法だ。が、実は、ヘチマは本来、食材なのである。花が終わって3日くらいの小さな実を食べる。簡単なのはブツブツ切って炒めものだろうか。青臭い、独特の風味があって、「やみつきになる」という人さえいる。まあ、私はそれほど好みではないが、「たまにはいいかな」とも思う。
漢字で「糸瓜」と書くのも、食材だった名残だ。
でも、こう書いて、なぜ「ヘチマ」と読むのだろうか。
細い瓜なので「糸瓜」と書くのはわかる。最初はちゃんと「イトウリ」と読んでいたという。そのうちに、最初の「イ」が発音しにくいので、省略して「トウリ」と言うようになった。
で、「ト」というのは、イロハ文字の順番では、「ヘ」と「チ」の間にある。「ヘとチの間」だから「ヘチ間」→「ヘチマ」となったのだ。ダジャレが大好きだった江戸時代の人々の遊び心である。
千葉県佐倉市で農家の畑を借り、野菜を作っていたころも、ヘチマは毎年育てていた。この花が咲くと、いろいろな種類のハチがたくさん飛んできて、カボチャなどの受粉を助けてくれたからだ。それで、今住む大原町でもヘチマを作っているのだが、ここではさっぱりハチが来ない。それで早起きの父親は、カボチャもスイカも、雌花が咲くと雄花の花粉をつけてやっている。
我が家の周辺には水田が広がり、ハチが巣を作るのに適した場所が少ないせいだろうか。近くに山もあるが、ほとんど杉の造林だ。きちんと間伐し、枝打ちもすれば、地面まで日光が届いて下草も生えるのだが、この辺りの杉林は苗木を植えっぱなしで、ろくな世話をしないから、常に薄暗く、下草は生えず、昆虫の姿もあまり見られない。極論すれば「死の世界に近い」のである。ハチだって、こんなところに住みたいとは思わないだろう。軒下にスズメバチが巣を作るのは、こっちが危険だから勘弁してほしいが、最近は安値でしか売れない杉の植林などはやめて、昆虫も動物も、そしてさまざまな植物が生きることのできる自然を取り戻してほしいと、私は思っている。
緑が多いから自然が豊かだ、とは言えないという話である。
イワシを食べる
先日、近所の人が大量のセグロイワシを持って来てくれた。10センチほどの小さなイワシだ。スーパーでよく見かけるのは冬から春にかけてと思っていたので、8月末のセグロイワシには驚いた。「浜の友達からたくさんもらったから、おすそ分け」だという。
さっそく手開きにした。
セグロイワシの手開き |
頭をちぎり、親指で腹を開いて内臓を取り、尻尾の方から中骨をつまんで引き剥がす。簡単な作業だが、数が多いから手間はかかる。
でも、楽しい。
「こんなのは煮干の材料」としか思っていない人が多いだろうが、どうして、どうして……開いたセグロイワシを水で洗い、ペーパータオルか何かで水気を取り、わさび醤油で食べれば、しこたま美味の刺身なのだ。
尻尾をつまんで、ちょっと醤油をつけ、口に放り込む。噛みしめてイワシの味が口の中に広がったところへ、冷酒を流し込む。これは、もう……至福の時間である。
房総半島は、イワシの大漁場だ。近くの九十九里浜などは、江戸時代からイワシ漁で有名だった。ただし、それは、マイワシである。
ところが、外房の大原町に住んでみて意外だったのは、刺身で食べられるマイワシが出回らないことだった。近くで大きな漁業基地は勝浦港で、私が買い物に行くスーパーはどこでも、勝浦に揚がった魚を並べている。勝浦の漁船は伊豆諸島まで出かけるから、魚種も豊富だ。が、マイワシは揚がらない。
たまに「刺身用」と表示されて売られるのは、目が大きく、あざやかな青い色をしたウルメイワシである。時には20センチもある大きなウルメイワシは、これまたうまい。それに、大漁の時はバケツで売ることもあるセグロイワシは、安くて、うまくて、ありがたい。
たまに刺身用で並ぶマイワシは、たいてい銚子に揚がったものだ。我が家からはちょっと離れたところに、銚子漁港から魚を仕入れるスーパーがあって、そこなら「マイワシの刺身」を入手できる。
東京などの大都会では、いつでも、なんでも魚があって気付かないだろうが、季節ごとに「漁港の得意技」を味わえるのも、田舎暮らしの楽しさである。