んだんだ劇場2005年11月号 vol.83
No17
キクイモの花盛り

神社の掃除
 九月下旬に、私が住んでいる千葉県大原町も、隣の夷隅町も、一斉に「お祭り」になる。大原町では、神輿をかついだまま海へ入る「はだか祭り」が有名で、遠来の見物客も多いようだ。
 と、聞き伝えでしか言えないのは、私は実際に見たことがないからだ。この祭りは、JR外房線大原駅のある「旧大原町」の祭りで、私が住んでいる地域とは関係ない。我が家から大原駅までは、道路距離では8キロほどあり、祭りの日には、駅周辺の駐車スペースが埋まってしまうから、かえって見物にでかけるのが面倒なのである。
 私が住んでいる場所は、「旧新田野村」らしい。第3セクターの「いすみ鉄道・新田野駅」が、私の家から1・5キロほどの所にある。その間には水田しかないので、夜になると、電車(実際はディーゼル車)の音がよく聞こえる距離だ。
 我が家から真っ直ぐ鉄道へ向かうと、ちょっと左側に八幡神社がある。これが、我が家も入っている町内会の氏神で、やはり、九月下旬が「お祭り」だった。
 祭りの前には、氏子が集まって神社の掃除をする。去年も、今年も、我が家からは私が参加した。朝食を済ませてから、愛犬モモを連れ、柄の長い草削りを持って出かけた。

境内を掃除する近所の方々
 神主は常駐していない神社だが、うっそうたる木立の中に、けっこう立派なお社(やしろ)がある。境内に散り敷いている杉の枯れ葉や、イチョウの葉をかき集めて、ほとんどその場で燃やししまう。今年は、銀杏(ギンナン)がとても多かった。
 拝殿の前では、何人かの人が稲藁で縄をなっていた。普通の縄ではなく、「注連縄」(しめなわ)である。地面の掃除があらかた済んだところで、石の鳥居から古い注連縄をはずし、新しいのと取り替えた。都会の神社では、どこかから注連縄を取り寄せるのだろうが、ここでは全部自前でやってしまうのが、なんだか、ほんとに、「氏神様」という感じで、見ていてうれしくなった。

注連縄をなう人たち
 前に住んでいた佐倉市の「ちょっと高級住宅地」に住む友人が、今年は「団地の秋祭り」の幹事になって、「忙しかったよ」と言っていた。
 神社もないのに「秋祭り」というのも、変な話だが、宅地開発されたところに偶然集まった人たちが、自然に顔を合わせて交流を深めるきっかけとして、「秋祭りイベント」は年々盛んになっているという。まあ、団地のみんなが仲良くやっていく知恵が「祭り」というのも、日本人らしい発想だなぁ。
 「そんなイベントじゃなく、小さくてもいいから、神社を建てれば、もっと秋祭りらしくなるのに」と私が言うと、「住民の中には、クリスチャンもいるから、それはだめだよ」と言われた。
 私は、「郷に入らば郷に従え」が、暮らしやすさの知恵だと割り切っているけれども、我が家の周辺でも、ほかから移り住んで、町内会に入らない人もいる。野菜の植え付けの時期など、地元の人に教えてもらわなければいけないことも多いから、私は積極的に地元の人たちと付き合おうと思っているけれど、それは人それぞれだから、口出しする筋合いではないだろうとも思っている。
 でも、「地元の人」がだれもいない団地で、地域コミュニティをつくっていくのは、これまた、大変なことだろうな。

野生化させているキクイモ
 9月半ばから、キクイモが咲き始めた。

なかなかきれいなキクイモの花
 キク科の植物で、一重の黄色い花を咲かせる。ゴツゴツしたイモがたくさんできるので、キクイモという名がある。ヨーロッパでは「エルサレム・アーティチョーク」と呼ばれて、ポピュラーな野菜なのだそうだ。私の持っているヨーロッパの野菜料理の本にも、いろいろな料理が紹介されている。
 ゴツゴツしたところを削るように皮をむいて、素揚げにし、塩を振って食べるのが、一番簡単な食べ方だろう。ほのかな甘みがあって、けっこうたくさん食べられる。
 でも、油から引き上げるタイミングが、ちょっと難しい。いつまでも揚げていると、突然形が崩れて、油の中に溶け出してしまうのである。170〜180度の油に10〜15個放り込んで、2個くらいはじけたら、網でさっと引き上げてしまうのがいい。
 私は、熱を加えて崩れるなら、最初から崩れてよいことにしようと、カレーに入れてしまう。これで「とろみ」がつくから、カレーにすると具合がよいのである。
 それに、私のような肥満形には、「血糖値を上げない」というメリットもある。
 キクイモのほのかな甘みは、イヌリンという多糖類だ。血糖値を上げるでんぷんは全く含まれて居ない。イヌリンは体内に入ると、フラクトオリゴ糖という、消化されない糖類に変化する。これが腸内の乳酸菌のえさになって、腸の調子を整えてくれることが、最近の研究でわかり、注目度を高めているイモなのである。
 北アメリカ原産で、日本には江戸時代の末に入って来た。非常に丈夫な植物で、高さ2メートルくらいまで成長し、台風などで茎が倒れても、すぐに先端を持ち上げて成長し続けるから、日本では「救荒作物」として広く栽培された。戦中戦後の食糧難の時代にも、よく食べられた。
 でも、「ほのかな甘み」以外には、特徴的な味がないので、次第に家畜のエサぐらいにしか利用されなくなった。
 それに、どういうわけか、日本では漬物しか料理法が開発されなかったのも、忘れられることになった原因の一つかもしれない。
 私も、味噌漬けを作ってみた。
 皮をむいたキクイモを、5%の塩水に1週間つけておき、その水を切ってから、味噌に本漬けする。少量のみりんを加えて、少し味噌にをゆるくして、キクイモにまんべんなく味噌が触れるようにするくらいがコツなのだが……できあがるのに、半年もかかるのである。参考資料に「6か月漬け込む」と書いてあったので、私もそうした。すると、ご飯がおいしい味噌漬けができたけれど、半年というのは、気の長い話で、これじゃあ現代人には受けないだろうな、と思われた。
 それに、キクイモを栽培してみて困ったのは、増えすぎることだ。花が終わって、11月になって掘り起こすと、あきれるくらい大量のイモが出てくるのだ。そのイモ1個から、翌年は確実に芽が出て、茎が伸びる。
 「これじゃあ、畑がキクイモだらけになってしまう」と思い、食べ残したイモは、春になって、その辺の空き地に埋めた。それが、今の時期、花盛りを迎えている。
 手間要らず、という意味では、これまたありがたい野菜である。



千葉の伊勢海老

ちょっと早い冬構え
 9月下旬に、薪ストーブの煙突をはずして掃除した。いつもは4月にはずして、ストーブも裏の小屋にしまってしまうのだが、今年はなんだかグズグズしていて、夏の間もストーブを出したままにしていた。
 突然、「掃除しよう」と言い出したのは、父親である。
 吹き抜けになっている我が家のリビングは、天井まで5メートルもあるので、煙突掃除は手間がかかる。まず、高さ2.5メートルの脚立を2台、納屋から出して来て、ストーブのわきに据え、足場板を渡す。そこまで登りやすいように、別の脚立を置く。
 我が家の薪ストーブのことは、前にも紹介したが、暖房するほかに、畑にまく灰(カリ肥料になる)が採れるので、とても重宝している。けれども、大事に使い続けるためには手間もかかる。
 煙突の内部にたまった煤を出すのも、専用の金属ブラシが内径にぴったりなので、けっこう力が要る。一度分解した煙突を掃除し、再び取り付けるまで、約1時間。もうこれでいつ冬が来ても心配ない。

煙突をはずす父親
 父親がこの時期に「煙突掃除」を言い出したのには、わけがあった。
 胃癌が見つかって、手術のために入院することになったからで、その前に「力仕事」をやってしまおうとしたのだ。
 さいわい、父親の胃癌は初期で、転移もなく、10月3日に、我が家から車で1時間ほどの鴨川市にある亀田総合病院で手術した。術後の経過も順調で、15日には退院した。手術から退院まで13日。胃癌という大病とは思えないスピードだ。
 亀田病院は、今、全国でも最高度の医療技術を持つ病院として知られている。病院スタッフは2000人、1日の患者数2800人という大病院だ。それなら、病院内はごった返しているかと言うと、まったくそんな印象はない。医者は診察しながら、診療内容をその場でパソコンに入力してしまうので、会計窓口に診察券を出せば、10秒で料金が表示される。窓口に並ぶのは2分。どこにも行列ができないシステムなのだ。このシステムを見習おうという病院が、全国各地にできているという。
 田舎暮らしをしようとする時に、近くに病院があるかどうかは、場所選びの大きな要素だ。我が家から車で5分ほどのところにも、総合病院があって、ふだんはそこを利用している。父親の胃癌を見つけたのもその病院だが、父親の場合、肥満による無呼吸症候群があって、それに対応できる設備がなかったので、亀田病院を紹介された。
 鴨川の海岸でサーフィンをしている人たちを眺められる、ホテルのような病室に、父親が「ここはいいな」と喜ぶので、「住み着かないで、早く帰ってよ」と言ったくらいだ。
 まあ、病院には、あまり行きたくないけれど、いざとなれば頼りになる病院があったことを知って、外房の大原町を選んで正解だったと思っている。

伊勢海老をもらった
 樵(きこり)の荒木翁が、伊勢海老を2匹持って来てくれた。父親の入院を知って、「お見舞いだよ」と言う。
 いつも使っているまな板からツノが出てしまうほどの、見事な伊勢海老だ。

いただいた伊勢海老
 かみさんが、なんとかさばいて、伊勢海老の刺身に舌鼓を打った。コリコリして、甘みもあって、ほんとにうまい!
 ぜいたくなことに間違いはないが、実は、伊勢海老漁獲量の日本一は千葉県なのである。だから、都会の人が思うほど、伊勢海老は高価なものではない(だからと言って、毎日食べられるほど安くもない)。特に、私が住んでいる外房の、大原町近辺から南の方の房総半島沿岸で漁獲量が多い。
 伊勢海老は、その昔、伊勢(三重県)でよく獲れて、京の都へ運ばれたのでその名があるが、海老そのものは、日本の広い範囲に生息している。
 大原町では、アワビやサザエも珍しいものではなく、買おうと思えば近くのスーパーで、東京の人が驚くような値段で買える。
 我が家は、野菜は自前で作っているし、魚介類はスーパーで十分に間に合う。食べるものに関してはよい土地を見つけたものだと、今さらながらに思う。
 ところが、私は、名古屋へ出稼ぎに行くことになった。
 旧道路公団を分割した、中日本高速道路株式会社の広報室専門役に就任することになったのだ。仕事はやりがいがあるが、自然の恵みにあふれた大原町から、味噌カツ、煮込みうどん、ひつまぶし、手羽先、きしめんの名古屋に行くのは、いささか考えることもある。
 名古屋を知っている人に話を聞くと、名古屋の周辺では、魚はそれほどうまくはないらしい。「スローフードな生活」とも縁遠くなりそうだ。
 少し落ち着いたら、伊勢へ伊勢海老を食べに行こうかと考えている。
 というわけで、いつもいつも大原町にはいられないが、「房総半島スローフード日記」は書き続ける。名古屋の生活と対比させれば、より一層「スローフード」のよさを書けるだろうという思惑もある。
 これからは、月に1回のペースになるかもしれないが、ご期待を!


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