んだんだ劇場2006年11月号 vol.95
No1
はじめに

 啓蒙の世紀の時代思潮を、その個人の自己意識に要約するとつぎの記述に集約される。「私はこれまでに出会った誰とも同じようには作られていない。私はこの世に存在するいかなる人とも同じではない、とあえて信じている。私は他の人たちより優れていないとしても、少なくとも私はかれらとは別の人間」である。これはルソー(1712〜1778)が「告白」の冒頭に述べたものである。理性によって真理に迫ろうとした啓蒙精神は、自己を他者ともこのように峻別した。前の世紀に世界を科学的で客観的に捉えようとしてデカルトが表明した「われおもう、ゆえにわれあり」という人間の主知的な意識を強調した時代から、自己というものを個人のレベルで前面に公開したのが啓蒙の世紀だったのである。
 こうした時代思潮の成熟期に生まれたベートーヴェンもまた、時代の洗礼を受けていた。自己実現の欲求を創造に実現するという困難な仕事を引き受けたとき、ベートーヴェンはみずからの内面を普遍的な人間性に転写したからこそ、彼の音楽は時代を超えて現代の私たちの観賞にも応え得るものとなったのである。その契機となったのは、聴覚を失うかもしれないという絶望的な危機感から生じていた。緩慢で漸時的に襲ってくる耳の疾病との闘いは、彼にとって死の不安との闘いでもあった。
 創造に捉えた対象へ集中するときには、画家は孤独でなければならないという主旨をレオナルド・ダ・ヴィンチはその手記で述べていたが、そのためにベートーヴェンは好んで孤独に身を置いたのではなかった。彼がハイリゲンシュタットの遺書で述べたとおり「友と寛ぎ、精妙な談話を楽しみ、感情を吐露」し合うことをなによりも切望しながら、耳の疾病のために「流刑囚のように全く孤独に生活する」ことをベートーヴェンは強いられたのである。この耳の疾病を自覚したときから、ベートーヴェンは本当の自己に目覚めたのであった。そうしてその試練をしっかりと引き受けたとき、彼の創造は驚異的な飛躍を遂げ、音楽そのものがベートーヴェンを語り出したと言える。
 ベートーヴェンの人生は波乱に富むものであったが、外的な社会環境は個人の人生を飲み込んでしまうほどの激動の時代であったにもかかわらず、その外圧に屈することなくベートーヴェンはみずからの自己実現のために一生を貫いた芸術家であった。彼の作品は、その後の彼の作品の道筋を示しており、新たに生まれた作品は、それまでに生み出された作品に因果の再考を促し、生命の息吹を注ぎ続ける。生み出された作品どうしが自由に時空を交錯しながら、それが総体に組み合わされると、現在、過去、未来の時空を取り払い、雄大な宇宙空間となって立ち現われる。九つの交響曲に限らず、彼の創造のプロセスは、定向的に一つのコースをめざしているようにも見えてくるのである。
 創造するプロセスのなかで感覚に捉えた世界をモチーフに彫琢し、自己を認識し、自己実現を図っていこうとするベートーヴェンは、その作品にみずからの心性を刻印していく。その作曲作法は考え抜かれていて合理的でありながら、聴く者の心の襞に分け入ってくる。その作品は聴き手に何かを問いかけてくる。それが何であるのかを詮索し、追求してみたいという衝動にかられる音楽である。そうした誘惑に引き込まれながら、何度も鑑賞を重ねていくうちに、始原的でありながら原理的な世界へ聴く者を導いていく。一体彼の音楽には、何故そうであらねばならないのかという疑問が湧き、聴く者の意識を捉えて離さないのである。
 現代の私たちは、合理的で科学的なものの捉え方が、洗練された理性であるというような観念の呪縛に陥っている。現代は合理的なものの見方や考え方、行動の仕方が優先し、感情を素地のままに顕すことを抑制する。感情の横溢を直截にぶつけることの粗野を強調するあまり、感情に溢れる豊かな心の世界を見落としがちである。ベートーヴェンの音楽は、こうした建て前と本音を浮かび上がらせ対照しながら、聴く者を深淵な魂の世界へいざなうのである。ベートーヴェンはそのような両面性を、彼の人生の折々に語った作曲家であった。
 ベートーヴェンが作曲した九つの交響曲は、その九曲ともに音楽史に聳える雄大な峰々である。各々が名峰として独立していながら、お互いに呼応し合っている。彼の創作上の通過点を示す里程標となるとともに岐路に立った彼の人生を投影しており、そうした彼の人生の転回点を刻んでいた。またこの九曲の交響曲は、彼の全作品の中心に位置している。いわば全体の豪壮な大伽藍の躯体として、ベートーヴェンの世界を支える欠かすことのできない九曲でもあったのである。
 強烈な個性を持ち、激しく自己主張する独創的な芸術家とみなされがちなベートーヴェンだったが、私はその九曲の交響曲に辿りながら、二十一世紀に想起する現代のベートーヴェンを描いてみようと思い立ったのである。


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