遠田耕平
ポリオ感染爆発前夜 前回のこの紙面で、ポリオワクチン由来の変異したポリオウイルスで麻痺を起こした二人の子供が見つかったというお話をした。極めて稀な確率でしか起こらない不運な事件であるが、ポリオウイルスに変異を許した背景は、カンボジアの中にワクチンの接種率の低い地域が多く残され、多くの子供たちが変異したウイルスをお腹に持ち続けていた証拠でもある。この変異したポリオウイルスの伝染を絶つ方法は8年前に根絶した野生株の対策と全く同じで、徹底したポリオワクチン接種以外にない。 対策を急いでいた最中であったが、最も危惧していた報告が入った。新たに3例目の麻痺の子供が見つかったのである。見つかった場所は、はじめの2例の見つかった村のメコン川の対岸、つまり王宮のすぐ近くのプノンペン市内でも有数のスラム街の一角で、僕の家のそばでもある。 麻痺になった子供は一歳半のクメール人(カンボジア人)の男の子だ。左足がポリオ特有の麻痺になっている。ポリオのワクチンを1度か2度受けたようだが良く覚えていないと母親は言う。若い両親はメコンの川底から取れる小さな貝を天日干しにしてプノンペンの街中で売り歩いている。 このスラムは以前は売春と犯罪の巣窟だったところであるが、中を歩いてわかるのは、クメール人の貧困層がサトウキビ売りやゴミ収集などをしながらたくさん住んでいるという事だ。その迷路のような中の家らしき中の子供たちの定期のワクチン接種率を調べてみると22%しか満足に受けていない。一番残念だった事は昨年の10月に実施した接種率の低い地域を対象にした特別のワクチンキャンペーンにちゃんと選んだ所なのである。ところが調べてみるとそれすら26%しか受けていない。一番危ない所だと思い、保健所の関係者とスラムの代表者の会合を持ち、特別に用意したビラまで配ったのに、この始末。現場の関係者は誰も本気で仕事をしなかったのである。まさに砂を噛むような思い。
ポリオは100−200人に感染しても、一人しか実際の目に見える麻痺を起こさない病気である。ここ1ヶ月の間に麻痺になった3人の子供たちは、目に見えない感染の広がりが飽和状態になり、まさにこれから目に見える麻痺が爆発していく前ぶれである。「ポリオ感染爆発前夜」。こう言うと、大袈裟に感じる人もあろうが、僕の経験はまさにそう感じさせる。これから、4人目、5人目と麻痺の子供たちがどんどん出てくる。 この爆発を回避する手立ては唯一つ、徹底したポリオワクチンの接種以外にはない。大人にはすでに免疫ができているし、5歳以上の子供は5年前まであったポリオワクチンの全国投与ですでに免疫を持っている。対象は5歳未満の児童である。不十分な計画で、いい加減なワクチン接種の繰り返しが、今回の感染拡大を起こしたのだから、今までどおりのワクチンキャンペーンでは失敗するのは目に見えている。今回の合言葉は「一つの地域も残さず、一つの家も残さず、一人の子供も残さずワクチンを投与しろ。」である。 できるなら、そこまで厳しくやりたくないな、と思う気持ちもあるが、最近のプノンペンの人口増加、貧富の拡大、保健行政の怠慢さを見ると、そうせざるを得ない。実はこれはインドでやった手法でもある。ところがインドでは十分な広報や市民の理解を得る努力なしに、不気味なまでに家から家に投与を続けた事で、却って一部の反感を買った。ワクチン接種が広報や地域の理解がいかに大事であるかのいい経験でもある。 今回はテレビでも広報をし、地域の役人から自治会まで計画の段階から巻き込む事にした。さらに、僕にはもう一つアイデアがある。ご承知のようにカンボジアは敬虔な仏教の国である。村人たちの献金でお寺がいたるところに建っていて、人々の生活と深く結びついている。お坊さんたちに助けてもらわない手はない。僕が提案すると、現地の人たちは考えた事がなかったというから不思議だ。週に一度ある高座で話してもらってもいいが、もっと現実的な助けは、多くのお寺さんにあるマイクを朝の2時間だけ使わせてもらって、村中にワクチン接種があることを広報してもらうことである。 カンボジアの人たちは誰かに何かを頼むとすぐ余計なお金がかかって、自分の取り分が減る事を心配するが、地域の浄財で成り立っているお寺さんが、少しだけ無料で地域の手助けをすることを拒むだろうか。やってみましょう。プノンペンにあるベトナム人協会とも連絡を取った。二度ほど会合を持ち、各県にあるネットワークを使ってワクチンキャンペーンに協力するように連絡をしてくれるという。ありがたい。イスラム教の教祖たちとも会ったが、こちらは誰が本当に連絡の責任を取ってくれるのかがわかりにくい。それでも協力してくれると言うから何とかなりそうだ。 「ひとりも残さず、、、、。」という合言葉にはアイデアがある。一つの地域も残さずやると言えるには接種チームを監督する人間がどのチームも一箇所も取り残しがないことを確認する必要がある。そのためには頭で覚えているだけでなく、地図を持って、その上で確認する事が一番簡単なのである。地図の上で、各接種チームがどこの街角からどこの街角までを担当し、監督官はどこまでも管轄し、隣のチームや監督官の境界がどこにあるかを明確に知る。地図を描くのは日本人でも苦手な人がいっぱいいるのであるから大変であるが、カンボジアには都合のいい事にすでに保健所ごとの地図がかなり存在している。 ただ、誰も有効に使っていないである。地図の中に各接種チーム、各監督官の境界をつけてやるだけで、取り残しのないための立派な作戦地図になる。さらにはチェックをする側からすると、各接種チーム同士の境界、監督官同士の境界、保健所、郡、県の境界が最も取り残され易い場所であり、本当にすべての子供たちがワクチンを受けたかをどうかをチェックするポイントにもなる。したがってもう一つの合言葉は「地図を使って、境界をチェックしろ。」である。子供たちがちゃんとワクチンを受けたかどうかを確認する方法として、人差し指の先にインクを付ける事にした。そのインクの跡を調べて、一日経ってからでも子供がワクチンを受けたかどうかの確認作業ができる。
本当にやれるんだろうか?いや、本当にやるんだろうか?プノンペン市内の保健行政担当者の質の悪さは、正直言うと目を覆いたくなるものがある。ミーティングをやってもろくに耳を傾けない。ひたすら親が悪い、貧乏人は頭が悪い、政府は助けてくれない、世の中大変だと、言い訳千万で何のやる気も示さずにミーティングの参加費を手に帰っていく。 中央にあって恵まれた環境にあるのに、お金にしか興味を持たない。行政の責任ある立場の人間たちが平気で自分たちの懐に入る手数料を計算する。保健所には天引きされた分しか届かないから、それじゃやっていられないと、自分らも適当に金を稼いで、適当に業務をこなす。水増しした嘘の報告だってする。上司がその程度だから罪の意識もない。実はこの構造はカンボジア中に歴然とある。 一方で、しっかりした人ももちろんいるのである。「生きなきゃならないんだから、仕方ねーだろう。」と嘯く連中の横で、唇をかみ締めて自分の責任を感じて全うしようとする人がいることも僕は知っている。この仕事はウイルス学とか感染症学とかそんな偉そうな世界でやっているわけじゃない。驚くかもしれないが、ウイルスと戦っているなんてカッコのいい世界じゃまったくない。いってみれば、ひたすら人間に揉まれているのである。 素晴らしいワクチンがあってもそれだけではどうにもならない。それをどうやって多くの人に飲ませるかが、現場の現実の問題なのである。そこには人間が渦を巻いている。人の欲望や人が生きる凄まじさと四つに組んで戦う。勝負はその渦巻く人間たちが決めるのだとわかる。 露骨にずるい事、無責任な事をする人がいると、つい責めたくなるのが人情だが、責めるだけじゃ何の解決にもならないし、その人たちは少しも動じない。だから責めないほうがいい。少し慣れてくると、ずるくて無責任な人たちも、結局は自分とそれほど変わりがないなと思ったりもする。いってみれば、僕の分身のようで、真面目な人も不真面目な人もずるい人も、嘘を言う人も、僕なのかもしれないと思ったりもする。ここでは多くの人たちがぎりぎりで生活しているから、少し追い詰められると、心が見え易いので助かる。面白い事に、そんな連中に限って、苦労してきた分、何処かにいい仕事もやれる力も持っているのである。 大事なのは、やる気が出るような小さな工夫で、彼らの心のスイッチをカチッと少しの間だけ切り替えてもらい、いい仕事をしてもらうことである。そんな工夫をいつも考える。一筋縄ではわかってもらえないからこそ、現実が大変だからこそ、ここでのやりがいがある。本当にこれは科学じゃないなー、本当にこれは知識じゃないないなー。そんなもの捨ててきて下さい。 200万人分にワクチンの目処は今、何とかつきそうである。日本政府が出せそうだと言っている。ところが人件費が2000万円もたりない。日本政府は現地の事業費は出したためしがない。まあ、行ける所まで突っ走ろう。とはいえ、ワクチンを用意し、お金を揃えただけではダメなのである。人の心を掴み、人を動かして、初めて成功への道が見える。精一杯いい仕事をすることだけが、これ以上のポリオウイルスの犠牲となる麻痺の子供を増やさない唯一の方法なのである。いよいよ明日からワクチンの一斉投与が始まる。 |