んだんだ劇場2006年7月号 vol.91
遠田耕平

No61  ホッとした頃の「しぶり腹」

ジアルジア症
 もう7月だという。ポリオの発生で始まった怒涛のような6ヶ月があっという間に過ぎた。一段楽してホッとしたせいか、少しポカンとしている。雨期に入って少し曇りがちになった熱帯の空が余計にそんな気分をかもし出す。
 その上6月はミーティングが多かった。保健省のミーティング、オフィスのミーティング、マニラの地域事務局でのミーティング…。何日も閉じ込められ、気分は優れない。集まればいいってモノでもないだろと思うのだが、eメールの対応で時間を吸い取られている日常だから、せめて顔と顔をつき合わせて話す時間が、以前よりも必要なのかもしれない。
 そんな頃だった。はじめはミーティングのせいかなと思っていたが、どうも身体がだるい。同時にお腹が重苦しくて、胸もムカムカする。熱も少し出てきた。風邪かなと思って、2,3日おとなしくしていたが、どうもすっきりしない。少しよくなったかなと思って普通に食べると翌日またお腹が重苦しくなって、食欲もなくなる。夜は異常に寝汗をかいて何度も夜中に目が覚める。普段はすぐにぐっすり寝てしまう僕には異変だ。次第にお腹の症状がはっきりしてきた。ムカムカする。お腹が張る。下腹部がきりきりと絞られるように痛くなって、トイレに行くとうまく便が出ない。しばらくがんばっていると、突然ぱっと、水様の便が少量出る。その便もなんだかふわふわと頼りなく、水分と分離して、ぷかぷか浮いている。
 それでも、今日こそは回復したかな?と思った、そんな時だった。ちょうどミーティングの最中で椅子に座って退屈な話をぼんやりと聞いていた。すると同僚がふざけて僕の携帯に「トーダ、目を覚ませ!」とメールを送ってくる。バカヤローと、その同僚に目配せしたその時だった。突然お尻が濡れた。まさかと思ったが、何の予告もなく濡れたので一瞬何が起こったのかわからなかった。次の瞬間「こいつはビチグソだ。」とわかった。
 僕は椅子から静かにお尻を挙げ、お尻がズボンにつかないように指でつまみ、でもあくまで平静を装って部屋を出た。トイレに直行したが、ここのトイレ、水洗じゃない。熱帯式とでも言うか、水溜があって、手桶で水を汲んで片手でお尻にかけて、別の片手で洗うというやつだ。下手をするとズボンまでびしょ濡れになるが、お尻には意外に優しい。ビチグソは水分だけだ。お尻を拭くものもないので、ポケットにあったハンカチをお尻にあてて、ズボンをはいた。ミーティングをさぼって、家に帰ることにした。
 そういえは小学生の頃、登校中に「ビチグソ」をしてしまい、学校に行かないで家に帰った事があったような気がする。当時は「ビチグソ」が友達に知れようものなら大変であった。そんな奴は「えんがちょ切った。鍵閉めた。」とみんなにからかわれて、すぐに仲間はずれである。
 「えんがちょ」が恐ろしく、「ビチグソ」は仲間には決して知られてはならない秘密であった。
 突然帰ってきた僕に驚いた女房に「ビチグソだ。」と言ったら、ポカンとした顔になった。さすがに「えんがちょ切った。」とは言わなかったが、今度はしたり顔になって、「またやったね。」のという顔になる。そう、つまり僕は結婚してからもビチグソをした。生まれつき肛門括約筋が弱いというわけではなく、単にたまたまお腹の調子の悪い時に思いっきり放屁をしただけのことである。女房は僕がお尻のだらしない人だと嘆く。
 人には聞けないし、人にも言えないが、周りのいい年した大人たちでもきっと似たような経験があるだろうと僕は確信している。でもやはり「ビチグソした?」とは聞けない。今回は紛れもない突然なビチグソなのである。
 お腹のしぶり感は、日毎に強さを増してきて、とうとう海の波のごとく周期的に襲ってくるお腹の痛みで夜も眠れなくなった。この症状は医学的には「しぶり腹」といわれるもので、便意があるが、うまく便が出ない。腸が周期的に痙攣するようになり、下腹部の痛みと腸の閉塞感が強くなる。時にその腸の閉塞感が強く、直腸がんと誤診されることもあると医学書に書いてある。
 まさに、藪医者の僕でも、癌による腸の閉塞かと嫌な予感が脳裏をよぎったほどである。でも、結局、水様の便は出てくる。「しぶり腹」の症状を示すことで有名な疾患としては細菌性の赤痢や原虫のアメーバによる赤痢がある。しかし、読んで字の如く、赤痢は「赤い下痢」といわれ、腸粘膜からの出血が便に混じる。ところが僕の下痢にはない。そうだ、もう一つ熱帯では有名な病気があったなと、思い出した。
 「ジアルジア症」である。別名「ランブル鞭毛虫症」ともいう。顕微鏡で見ると鞭のような毛がプリプリとせわしなく動く単細胞の虫である。これが十二指腸や小腸、胆嚢の粘膜に張り付いて消化を妨げる。それだけでなくて、様々な胃腸症状を引き起こすのである。命には別状はないが、だらだらといつまでも下痢症状、腹部症状が続き、時に診断がつかず、実に不快な病気であるときく。診断は検便で虫を見つける事であるが、いざ自分で検便をするとなると意外にも億劫なもので、何か別な手はないかなと思案した。
 実はこの病気、「メトロニダゾール」という、アメーバ赤痢の治療に使う古典的な薬がよく効くといわれている。僕は使った事はないが、いざと言うときのための買い置きがあった。1.5グラムを3日間服用した。するとどうだろう。あの耐えられない「しぶり腹」も下痢もムカムカも嘘のようにピタリと止まったではないか。凄い…。
 実はこの薬、とてもまずい。食欲は戻ってきても、何を食べてもおいしくない。その上、飲酒は厳禁である。アルコールをこの薬の服用中に飲むと、時に激しいアレルギー症状を出す事がよく知られている。以前、ベトナムで、この薬を処方した患者が、僕の忠告を聞かないで酒を飲んで、救急車で運ばれた事があった。と言うわけでしばらくお酒は我慢。かくして、治療的診断により「ジアルジア」と診断された世にも不快な僕の下痢は終わった。

カンボジアの村の麻疹
 体調が戻ったので、プノンペンから3時間以上離れた田舎の村まで麻疹疑いの子供を追いかけて保健省の連中と出かけた。田舎はやはりいい。広大な沼地に一面に広がる蓮の畑を久しぶりで見た。数年前まではプノンペン郊外にも一杯蓮畑あった。ところが最近はほとんどが造成地で埋め立てられてしまった。カンボジアでも都市化の波は、富と貧困を巻き込んで、今激しい勢いで押し寄せている。それでも、遠くの地平線と空を見ながら田舎の農道を走っていると、そんなことは忘れ、この国は平らで広い。人が少ない分だけ清潔だなと感じる。
 この国の麻疹疑いは、今年に入って130例以上報告されているが、まだ一例も血液から確定された患者が出ていない。ある専門家はワクチンキャンペーンが大成功したと大喜びしているが、まだ問題も多く、僕は注意深く見ている。幸いな事に、この県の予防接種の担当者のメットさんはとても真面目な人。彼が、県の中を走り回って、保健所や村のボランティアーといい連絡を取ってくれるお陰で、麻疹疑いや、百日咳、ポリオ疑いの子供の報告がたくさん上がってくる。報告された麻疹疑いの子供たちのデータを解析してみると、一歳以下の赤ん坊が大多数で、ワクチンを受けていない子供が多い。しかも血液を取って検査ができた子供が少ないので、まだ一人も麻疹の確定診断がされないとはいっても、本当の麻疹が発生している可能性が十分ある。
 村に行ってみて、よくわかった。お母さんたちに聞いて回ると、村での予防接種率は決して悪くない。保健婦もかなり定期的に回ってきているらしい。子供を診ると、麻疹の重い症状はなく、軽症だ。むしろ、風疹のようである。水疱瘡もいた。おばあちゃんたちが、こっちが話すより先に、「この子は、麻疹じゃなくて、風疹と水疱瘡だよ。」と、言ってくるので、脱帽である。おばあちゃんたちはよく知っている。ここ数年は麻疹を見ないという。念のため、検査用に一人の子供の採血をさせてもらう。かつてカンボジアでたくさんの子供を死なせた麻疹のウイルスの伝播を絶つ日は意外に遠い先でもないかもしれない。

 この辺に有名なお寺があるというので、そこでお昼ということになった。サルが何十匹もお寺の周りを飛び回り、その間を痩せた野良犬がうろうろしていて、インドのサルほど攻撃的ではないが、どうも落ち着かない。お寺の横には、土色に濁った川が流れていて、その川べりに茣蓙を敷いて食べようという。有名な所らしく、飯屋も傍にあって、ここまで食べ物を運んでくれるという。しばらくすると、脂ぎった鳥と魚の丸焼き、それに牛肉と香草と唐辛子をあえたクメール人の好物が運ばれてきた。クメールの仲間たちはおいしそうに食べているが、肉も魚も少し生焼けで、僕はどうも食が進まない。唐辛子ときつい匂いの香草で胸やけがする。その上、皿も食材もこの川で洗っているな、と思ったら、あの「ジアルジア」の記憶が蘇って、思わず口の中の残りを飲み下した。
 早々に食事を終え、暇つぶしに、傍にあった小麦粉で作ったお菓子を千切って、濁った川の瀬に浮かべてみた。するとどうだろう、魚などいないと思っていた濁った水の中から何かが盛んにお菓子をついばんでいる。お皿を運んできたプラスチックのザルが傍にあったので、それでサッとその場の水をすくってみた。すると、なんと体調7-8センチ、光る銀色のうろこと黄色のヒレを持ったきれいな魚がザルの中でピョンピョンと跳ねている。これにはみんなも驚いたのか、猟師になれるよと褒めてくれた。
 飛び跳ねる魚をポチャンと川に返し、この国には本当にまだ豊かな自然の恵みがあるな、平和だなと思った時、メットさんの言葉が脳裏をかすめた。「ポルポトの時代はみんな町から強制的に村に移動させられ、この辺で野良仕事をさせられたんだよ。」と。残酷な時代をこの川はずっと見ていたのだろうなと思ったら、濁った川も愛おしく思えてきた。

雨期に入って咲き始めた花。名前を知らない

プリメリアの種類、一年中咲いている


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