んだんだ劇場2006年12月号 vol.96
遠田耕平

No65  バブルと腐敗のカンボジア

カンボジアの土地バブル
 カンボジアに戻るなり、まず田舎で食べたものにあたり下痢。それが治ると再び風邪を引いて3日寝込んだ。頭が熱でボーっとして、歩いていたせいか、道路をうまく渡れない。やたらと車が走っている。3年前ののんびりした交通量とはすでに比べようもない。ピカピカのトヨタの「レクサス」とかいう日本でもあまりお目にかからない高級ランドクルーザーがぞろぞろ走っている。
 何で国家予算の70%をいまだに海外の支援に頼っている国がこんなに金持ちなの?僕の家の裏手には豪邸や高層のアパートがどんどん建っている。持ち主は政治家、大臣、議員、総理大臣の親戚、そんな人たちだ。少し郊外に出ると、広大な農地が、どんどん立ち入り禁止になって、買い占められている。もうすでに売られて工場を建て始めている所も一杯ある。
 本当にこの国は豊かになっているのだろか。ここでも紹介したプノンペン最大の1万人以上のスラムは数ヶ月前に突然強制撤去が執行された。政府が商業地として海外資本に売り渡した為だ。住む場を失った多くの家族が雨期の雨の中、ビニールテントの下で飢えと寒さをしのぐさまは悲惨だった。一部の人権団体のNGOが政府に抗議をしたが、彼らも強制退去させられた。住民の一部は荒野の真ん中の農地を埋め立てた郊外に移されたが、その土地でさえ、買いあさる不動産屋に二束三文で売り渡してしまう人がたくさん出た。そして結局は行き場を失い、町に戻る。
 僕の家の前にいたストリートチャイルドは警察を怖がって姿を消したが、顔見知りのマップは今も路上をズタ袋を背負って歩いている。そのストリートチャイルドたちの世話をしている有名なNGOの施設が持ち主から土地を商業地として売りたいので立ち退けと言われたという。何とか反対の声を上げようとアピールが新聞に出た。
 政府の施設もどんどん売られている。僕が働いている街の中心にある保健省の土地と建物の一部は2代前の保健大臣がすでに中国のビジネスマンに売り渡し契約をしていたという。去年、会議室を新しく改築しているのかなと思って見ていたら、ビルの半分が突然外資のスーパーマーケットになった。保健省全体は今から一年以内に不便な遠い郊外に移るという通達が出たらしい。
 「誰がいったいこんな馬鹿な土地バブルを起こしているんだろう。」と思っていたら、僕の家の大家から突然電話がかかってきた。「すまないが、家を出て行ってくれないか。」と言う。「えええ!…。」…。話を聞くと、「アメリカ大使館の偉い人に自分たちの今住んでいる家を5000ドルで貸したからこの家に戻ってきたい。」と大家は言う。もちろんここは彼らの家だからイヤですという訳にも行かない。居住権なんて何もないこの国では出て行ってくれといわれたら一ヶ月以内に出る事になっている。
 それにしてもこの大家は他に3つも大きな家を貸している大金持ちなのに、結構欲が深くて意地悪だ。でも見た目はとても優しく本当に申し訳なさそうに手をすり合わせながら話す。「日本人は大好きで、カンボジアを助けてくれて、こんな事はしたくないんだけど、、、、。」「だったらこんな事するなっちゅうの!」と思ったが言わなかった。
 大家は今度は口調を少し変えて僕らが家賃を20%以上余計に払ってくれたらもう一年いてもいいと言いはじめた。「自分たちはそのお金で別な家を探して住むからいい。」という。こいつは驚いた。「だったら早くそう言えよ。」と思ったが言わなかった。というか、今すぐに移れと言われてかなり驚き、途方に暮れていた僕らは何と反射的にその条件を飲んだのである。ああ、日本人…。
 後で思えば、大家ははじめから別の家を探すつもりだったのだろう。家賃を上げる口実だったんだ。「薄給の国連職員をいじめやがって、この野郎!」と思ったが、言わなかった。
 この話を、僕たち夫婦にクメール語を教えてくれているセタ先生に話したら、先生も不動産を少しずつ増やしていると話し始めたのでこれまた驚いた。まずはじめは小遣い稼ぎに自分の家の二階を貸したという。それから少し小金が貯まったので、観光客の多い川沿いにアパートの2部屋を購入したという。そのどちらも海外青年協力隊員が今住んでいる。
 さらに最近、近くに広い一軒家を買って貸していると言う。教養も深く、元お坊さんの彼のどこにもそんな俗っぽい欲は見えないのだが、頭のいい先生、「運が良かったんです。」といかにも自然に増えたように話す。ところがさらに最近、7ヘクタールの広大な土地を1時間ほどの郊外に行ったところに買ったというからたまげた。しかも500万円くらいで知り合いから買ったらしい。その土地は最近まで軍人が持っていたらしいが、土地所有の過去の記録を辿っても30年前のポルポトの頃までしかなく、はじめは農民が持っていたものらしい。
 どうして農地がこうも簡単に売り渡されてしまうのだろうか。カンボジアには土地の譲渡にはほとんど何の法的な規制もない。来年は買った額の何倍でも売れると言われたらしい。一方で農民は今も小さな土地しか持っていない。農村を歩くと「農民の生活はあまり楽になっていないな。」といつも思う。「どうして農民はこうも簡単に土地を売り渡して、彼らは少しも生活が楽になっていないのですか?」と先生に聞くと、「彼らは頭を使わないで、工夫をしないからです。」とすぐさま返事が返ってきた。
 これがカンボジア最上層のインテリの言葉だとすると少し寂しいなと思ったが、言わなかった。でも、もし本当にそうなら、どうして農民を指導して、少しでも彼らが貧困から抜け出し、豊かになるように考えられないのだろうかと思う。土地バブルで、土地を失っている農民の数は今もどんどん膨れ上がっているのである。

腐敗の医療現場
 うちのガードの一人が時間に来ないでどうしたのかと思った。背の高いひょろっとした若者で深夜の当番だが、ぼんやりしている。寝ないようにしているようだが、いつも寝ている。でも、気は良さそうで優しい顔をした男だった。その彼がモーターバイクで出勤途中、電信柱に激突したという。彼の会社からは何も言ってこないが、病院に入院したと言うので、お手伝いのリエップさんに見舞金を持って様子を見に行ってもらった。
 その話を聞いて驚いた。かなりひどく頭部をぶつけて、意識がいまだに戻らないと言う。顔面の外傷だけでなく、頭蓋の骨折とその下に血腫があるらしい。なんとその運ばれた中国人の経営する病院では検査と外傷の治療だけで、2000ドル以上請求されたと言う。その上、血腫除去の手術にさらに1000ドルかかるから払えたら手術をしてやると言われたと家族が泣き崩れていたという。ひどい話だ。そんな大金この国の一般家庭では、家も土地も売って、家族まで売ってもできないお金だ。
 この話を保健省の友人に話したら、実態はもっとひどいんだよという。中国人たちの資格もはっきしない医者が、正式な許可もなく、どんどん大きな病院をプノンペンに建て始めている。政府は全く野放しだ。裏ではお金が動いているらしい。ひどいのは救急車の会社と警察と病院が結託していて、交通事故があると警察がすぐにワイロを貰っている救急車を呼び、その救急車がワイロを貰っている病院に強制的に送り届ける。「お金がないから、別な病院にいってくれ。」と泣いてすがった患者の家族がいたらしい。すると救急車の男が頭蓋骨折の患者を突然道路に放り出したというから開いた口が塞がらない。
 せめて政府の病院は何とか最低限の患者救済の道を貧しい人たちに残してくれているだろうと思っていた。ところが、政府の病院は中国の偽医者に負けず劣らずひどいという。日本が援助してできた有名な国立の産婦人科病院で最近診療を受けたカンボジア人の友人から嫌な話を聞いた。診察室の壁に「決して患者からお金を受け取らない。」と言うビラがびっしり張ってある。
 そこで、医者が臨月近い僕の友人の女性に「20ドル出しなさい。」と露骨に要求したという。渡すと、隣にいた看護婦が「夕食代にもう3ドルちょだい。」という。病室では看護婦が陣痛で苦しんでいる若い妊婦に向かって、「返事もできないのか。」と大声で罵倒している。それを見て、病室のみんなが震え上がっていたという。僕の背筋も凍りついた。母親が「娘が陣痛で痛がっている。」とナースセンターに言いに行くと、「あんたは女だろう。子供産んだことがあるだろう。そしたら痛みをどうしたらいいかあんたがわかるだろう。」と追い返されたと言う。
 その話を聞いて、僕の憤りはどうにも納まらない。信じられない思いで、翌日その産婦人科病院の副院長でもあった保健省の先生に聞いてみた。すると「そんなことはずっと前からで、実態はもっとひどいですよ。」と言う。子供だけ産んで貧しい母親が子供を置いて病院からいなくなってしまうケースがある。すると医者と看護婦が結託して、外部の業者に2〜300ドルで子供を売ると言う。「それは人身売買じゃないですか。」というと、「そうだけど、誰も罰する事ができない。せいぜい注意するくらいしかできないんだよ。」と諦め顔で言う。
 それでもまだ信じられなくて、JICA専門家の知人にも聞いてみた。すると、「そんなことは前からあることで、まったく手のつけようがないんです。」とあっさり言われた。なんと出産の手術台の上に載ってから、「今帝王切開して欲しかったらお金を出せ。」と要求する医者と看護婦がいると言うからたまげる。どうやら僕はかなりナイーブだったらしい。
 以前もお話したが、地方の保健所を回り、この目で実態を見てきた僕の気がかりは、保健師たちのお母さん達に対する態度だった。給料が低い、支払いが遅れる。政府が悪い。だから仕事ができないと彼らは言う。村が保健所から遠く、お母さん達の教育程度も低い、だからお母さん達は保健所に来ない、と彼らは言う。本当にそれだけだろうか。実態はお母さん達が保健所を嫌う理由がある。
 多くの保健師たちがとても不親切なのである。お母さん達に何も話しかけず、泣き叫ぶ赤ん坊の小さな腕を突然ぎゅっと掴んで注射をする。その上、料金表にないお金まで要求する保健師がいる。これじゃ、保健所にお母さん達が来るわけもない。
 国連機関やNGOがいくら組織作りを手伝い、トレーニングをして技術援助をしても実は何の意味もない事になる。この国を支えるこの国の人たち自身が、苦しい境遇にいる人たちに少しでも幸せになってもらいたいという心を持たないなら。そしてこの心の問題は外の力では全くどうにもならない、この国の人たちにしかできないことである。心の問題の根は政府の真ん中、一番規範を示すべき中央から見事に始まっている。
 そして、国の病院、県の病院、郡の病院、全てが腐っている。これじゃ、腐敗している政府の病院をあざ笑うあの狂った裸の王様のスイス人の小児病院長の言うとおりなってしまう。「貧乏人はただで俺が見てやるから何でも言う事を聞け。」と言う。でも、この腐敗の実態では、この狂人の病院がどんな病院であれ、貧乏な人たちには選択の余地もなく、彼の所に行くだろう。僕も行く。
 随分前だが、「カンボジアの問題が分かったわ、腐敗よ。」と言い放って帰って行った変わった日本人の中年女性のコンサルタントの言葉を思い出した。「何を言っているんだ。分かりきっているとを偉そうに」と、現地のスタッフが大笑いしたのを覚えている。数日の滞在で分かったような事を言ってくれるなということだが、この日本のおばさんは確かに本質を言ってのけていた。長くカンボジアに住んで、一緒にカンボジアの人たちと働いていると分かりきった事とはいえ、その痛みが最近ひどく骨の髄まで浸みてくる。

人権と社会的正義 (Human Right and Social Justice)
 昨年から今年にかけて国連の人権委員会の特別調査団が来て、代表のヤシュガイさんが言った。「この国はポルポト時代後の混乱を経て、国を再建し、今日確かにある程度の経済的安定を示していることは認める。しかし、人権面では、何の進展もない。」彼のレポートは次のように指摘している。

1)政治的には反体政党の代表を国外追放にしてその政党の議員達の権利を剥奪する。名誉毀損罪で投獄する。平和的な団体の集会、言論の自由も禁止する。
2)司法では、最高裁の判事や検事を与党の支持者だけで固める。数年前に有名な労働組合のリーダーが路上で暗殺された。その容疑者が即座に警察によって二人逮捕されたが、全くの無実だと判明した。無実の判決を下した裁判官はその後解雇され、無実の容疑者はいまだに釈放されない。
3)腐敗と汚職防止のための法案はすでに1995年に審議されているのに、2006年の今も国会を通過しない。
4)土地問題の法的手続きは全て権力者に有利で、裁判所に訴え出ても、弱い立場の人たちが土地問題で勝訴する例は一例もない。しかも、地下資源があるといわれる山岳地域では少数民族の土地を勝手に海外資本に売り渡し、少数民族の人たちが次々と土地を追われている。政府は土地の譲渡借用と称して、企業や海外資本に、数十年から何百年のリースで、国有地をどんどん譲り渡している。海底油田が見つかったという明るいニュースも、その権益は正式な手続きを経ずに、すでにいくつかの企業にわたっているという。
以上、残念ながらこの国では人権と社会的正義(Human Right and Social Justice)が今も脅かされていると、彼のレポートは締めくくる。

 人権委員会のこのレポートをみた国のトップは「カンボジアから出て行け。」と罵倒した。ヤシュガイ氏がケニアの出身だと分かると、「ケニアに帰って自分の国の心配でもしていろ。」といったと言うから情けない。これを聞いたこの国にいる国連の各機関は口々に、レポートのせいで、この国で働きにくくなったと眉をひそめた。
 僕はそんな国連の仲間を情けなく思う。ヤシュガイさんはきちんとしていた。国連の本来の役目はその国に罵倒されても弱い多くの人たちの立場で発言し、仕事をすることである。ヤシュガイ氏の発言は普段になく国連らしかったと僕は却って誇りに感じた。
 長い目でその国を見て、我慢するという事も僕らのような職種では大事な気持ちである。ただ一方で、僕は自分らの職を失っても、せめて国連くらいはモラルを貫いて、最低限の約束を守れない国から撤退するくらいの心意気があってもいいと感じている。
 今の援助はあまりに援助産業的な側面が目に付く。その国にはっきりものを言って、追い出されたら困ると思っている。援助する国々も、国連もNGOも尻込みする。援助という職にしがみつく。そしてそれを相手から見透かされる。僕も確かに今職を失うと困るなーと思うが、社会的正義のためなら仕方ないだろうなーとも思って見るのである。
 Social Justiceという英語の表現がある。「社会的正義」と訳す事にしよう。思想や、権力や経済論理、さらには個人のレベルでどちらが正しいといっているのではない。社会の中にあるべき最低限の道義をそう呼ぼうといっている。それは社会の底辺を支える大多数の声のない貧しく、弱い立場の人たちに少しでも救いのある社会であろうという願いがこもっている。そして人間としての最低限の権利、生きる権利、考えを自由に話す権利を守ろうという事でもある。高い教育を受けた人たちは少しでもそのために資すべきだとも言っていると僕は解釈する。
 海外での仕事はいつも自分を映し出す鏡でもある。今までお話した事はカンボジアだけのお話だろうか。自分の母国、その周辺の国々を見るとき、基本的な人権が本当に守られ、社会的な正義が本当になされているだろうかと思ってみる。貧しく弱い人たちが虫けらのように押しつぶされない、幸せな国になっているだろうかと。国としての姿は時代の流れとともに変わるとしても、僕らは幸せな海に向って流れているのだろうか。
 と、一見カッコの良いことを言ってはみるが、屋台で買った30円のトウモロコシをかじりながら、未だに自分の心の中の正義と悪魔の取っ組み合いにため息をついては、自分の内面的な正義に関しては相変わらず曖昧のままなのである。そんな僕ではあるが、社会的な正義はなぜかはっきりと、ピンと僕の心に食い込んで来るのである。不思議だ。
 そんな事を考えていた時に、バンコクの国際労働機関(ILO)で働く川上君から「トーダさんのお宅に寄ってもいいですか?」と電話が入った。彼は僕より4年ほど若いが、学生時代からの親友で、労働衛生一筋で今日まで来ている。二人とも不器用なところが似ているのか、好きが募ってここまで来てしまった。彼はフィリピン人の明るく賢い奥さんと二人の可愛い息子に恵まれて今とても幸せである。
 僕が「赴任4年目になるといろいろと、どうにもならない事ばかりが目につく。」とついぼやいた。彼はもうタイに7年目だという。Social Justice(社会的正義)のことをきくと、なんとILOの基本理念はSocial Justice だそうだ。最近、彼の所を訪ねてきた頭のいい日本人の学生に「社会体制の悪い途上国では、何をしても結局はどうにもならないのではないですか?」と聞かれたという。彼はこう答えたという。「結果が早く欲しい事はわかるけど、結果がうまく出ないからといって、何もやらなければただの変なニヒリズムに陥るだけでしょう。だから、一見無駄と思うことでも、少しでもいいと信じたことがあれば、現場の人とやり続けるしかないんじゃないかな。」と言ったという。
 なるほど、彼の心の軸は昔も今も少しもぶれていない。この国だって日本だって、真面目な人も居れば悪い人も居る。その中で少ないけど、その少しの真面目な人となんとか一緒に仕事ができればそれでいいということだ。
 僕が医者を目指した時、もちろん腕のいい医者になりたいと思った。でもそれだけじゃダメだとも思っていた。つまり医療を施すということだけではなく、社会の底辺に居る人や、弱い立場の人を支える力になりたいというもう一つの願望が自然に心の中にあった。たぶん、それが僕にとっての社会的正義(Social Justice)の理解だった。今もそう思っている。どうしたら本当に支える力になれるのかが未だによく分からないが、でもそう思っている。
 ただ、不正が横行して、弱い立場の人たちの権利が露骨に踏みにじられるのを目の当たりに見ると、憤りを通り越して、思考もやる気も止まる時がある。でも友人は、それでも立ち止まるなと言うのである。そのとおり。「遠田さんは学生の時から純粋だからな。」と彼はまるで先輩のように諭す。僕は不器用なだけだと思っている。いや、もっと徹底的に不器用になればいいと思う。ここの国の人たちのように一見不器用に、粘り強く、静かに時の来るのを待てばいいんだ。そして少しでもその時のために今できる準備をすればいいのだと。
 気が付いたら、いつの間にか二人で飲んでいたウイスキーのボトルが半分になっていた。真っ赤な顔で少し千鳥足になった友人を玄関に見送って、「これは奴に一本やられたな」と思ったら、自然に顔が緩んだ。
 次回はカンボジアの王様の横で観戦したボートレースのお話をしましょう。


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