んだんだ劇場2006年4月号 vol.88

No3−あわただしく日々は過ぎて−

鬼門の2月
いつのまにか「鬼門の2月」ははるか彼方へと過ぎ去ってしまった。この10日あまりですっかり雪も融け、雨の日々。その雨も冬のうどんのような重く直線的なものから、軽く細い「春雨」にかわった。それだけでも気分はずいぶん違う。とにかく雪に閉じ込められる暮らしから数ヶ月ぶりで開放され、心身とも軽くなった。冬の閉塞感が人間の心身に与える影響の大きさを思い知らされた今冬だったが、雪解けとともに身体がむずむず、夜の定例散歩を復活させた。山沿いの経大コースにはまだ雪が残っているが歩くのに支障はない。
2月下旬、原因不明のまま急にノドが痛くなり1週間ほど体調を崩してしまった。過労からくる風邪の前兆のようだが、予防的な措置をとって安静にしていたが完全に痛みが取れるのに1週間もかかってしまった。これが年を取ったということなのだろう。このせいで散歩も腹筋ストレッチも中止せざるをえなかったのだが、ようやく復調、元の暮らしのペースに戻っている。
親父の1周忌からはじまったこの月は、やはり何かと事件やトラブル、心痛の多い日々だった。

仕事のペース
去年は張り切って仕事のペースをあげまくったこともあるが、今年はややスローペース。でも例年より大目の新刊が次々に出ている。1月末日に出した愛読者DMの反響は予想以上で、過去最高の売り上げ記録になりそうだ。しかし注文いただいた新刊の半分は、実はまだ未刊行というおそまつな失態も。2月いっぱいDM注文は続いたが、お詫びの労力もけっこうなもの。
編集長のAの検査入院は「不測の事態」だった。アルバイトのH君がそこそこ戦力になってくれたので助かった。若い人を使うのは気が疲れるが体力と吸収力がすごいので、すがるほうが得。編集を請け負っている季刊雑誌の締め切り、お役所の年度末までに提出しなければならない報告書の類、ISOサーベイランス、たな卸しと、2月は「本業以外の仕事」が集中する月、全員が土日も当たり前のように出社している。誰かに命令されたわけでない。週末も出社しなければ仕事が片付かないのだ。Y新聞の秋田支局、東北総局、本社編集室の3箇所から違うテーマで違う記者の取材を受ける、というめったにない偶然もあった。復刻出版の候補リスト作成のために明徳館、県立、角館と各図書館に何度も通ったのも珍しい。

一本の映画にすくわれて
 先週に引き続き今週も土日は全員出社、事務所には静かな緊張が流れている。検査入院中のAも一時退院(再来週あたりに再入院予定)、戦列に加わっている。3月中はこんな状態が続くのだろうか。しんどいなあ。このごろは夜の仕事はめったにしなくなった。できるだけ本を読んだり、ビデオ映画を観たり、仕事をしないように「努力」している。根詰めて仕事をすると身体に変調をきたす恐れがあるからだ。しかし大問題がある。最近とんと面白い本や映画に出会えない。選ぶこちら側の感度に問題があるのは確かだが、それにしても期待して買った本や借りてきた映画がまるでダメ。せっかくの夜の時間をムダにしたようで切ない。逆にいい本や映画に出会うと、なにものにも変えがたい至福の時間を神様からもらったような気分になる。まさに天国と地獄である。このところもっぱら地獄の周辺をウロウロしているのだが、週末に観たカナダ映画『おおいなる休暇』で少々溜飲を下げた。これはおもしろい映画だった。ほとんど何も期待せずに〈ミニシアター〉(まあ昔で言うアンダーグランドぐらいの意味だろうか)コーナーで選んだものである。実はカナダ映画ということも知らずに観だしたのだが、台詞はフランス語(かなり英語なまりのある)だったが、フランス映画にしては画像はアメリカっぽい(原色が強い)し、映像もダークな繊細さより突き抜けた明快さが勝っている。HPの映画情報で調べると最近のカナダのヒット映画であることが判明。なるほど。映画のテーマがユニークだ。スローフードや地域おこしの現実をあざ笑うコメディで、ユーモアのセンスも小生好み。過疎で年金暮らしの老人ばかりが住む島民と、そこに赴任することになる若き医師のドタバタ劇なのだが自然保護やエコロジー、定年帰村から社会保障の現実を、コメディでみごとに相対化している。この1本で何とか救われた週だった。

日常のなかにしかない幸せ
この年になると良くわかるのだが、幸せだなあ、と思うのは日々のルーティンワークをつつがなくこなしているときだ。あるいは夜の散歩、朝のHP日記を書くとき。ほんのささいな、当たり前のことが当たり前のように出来るときにこそ人は幸福を感じる。若いときは、どこか遠く、誰も知らない場所、得がたい体験の中にこそ、幸せは隠れている、と信じていたのだが、そんなことはない。普通の日常の反復の中に幸福は忍んでいる。

同居している義母の健忘症はひどくなる一方だ。そのためかどうか親子である妻の機嫌も最悪。夜の食事の準備をするのは私の役目だが、義母に料理の要諦のようなものを教えてもらうのが楽しみ。魚の煮付け方や鍋物の火の通し方など、目からうろこの「おばあちゃんの知恵」満載だ。

東京タワーと佐竹のふるさと
3月は公官庁の年度末、そうした関係の仕事もしているわが舎も何かとあわただしい。さらに今年は編集長の検査入院や、製作を請け負っている季刊雑誌の締め切りが重なり、個人的にも何やかやと問題が乱れ飛び、落ち着かない日々だ。出張に出かけてもとんぼ返りがほとんどで、2日間留守にすると事務所に難問が山積みになってしまう。まあ3月はこんなもん、とはなっからあきらめてはいるのだが、得がたい体験もあった。東京出張の合間に念願だった東京タワーに上ったのだ。機会があったら、と虎視眈々狙っていたのだが、だいたい港区というのはほとんど縁がない。そのためこれまで東京タワーの近くに行く機会すらなかったのだが、近くで用事ができたので思い切って上ってみることにしたのである。ただエレベータで上るだけで800円も取られるのに驚いたが、まあこんなもんか。展望台のガラス張りの床から見る地上も足がすくむほどではなかった。日曜日には秋田藩の佐竹家の出身地である茨城県常陸太田市にも出かけた。これもいつか機会があったら、と狙ってたものだ。上野から常磐線でトコトコ常陸太田まで。想像していたよりも小さな町だった。市立図書館で3時間ほど資料を調べて、水戸経由で帰ってきただけだが、何となく胸のつかえがおりた感じ。普段やれそうでやれないことを、よし行ってみようかと決断させるのは「忙しさ」である。そのことに気がついた1週間だった。


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