たまに買い物すれば、ヘンなものばっかし
不用意に体重が増えないように気を使っている。たちまちデブってしまう体質だからだが、太るとズボンはじめ洋服を買い足さなければならないのがイヤ、というか辛い。ようするにケチなだけなのだが、この年になると日常生活でほとんどお金を使うことがない。自宅と事務所が隣接しているので交通費も昼飯代もゼロ。毎月本だけは平均20〜30冊買うが、ほとんどアマゾンのユーズドだから金額的には2万円以下、最近は外に飲みに行くこともないし、外食もしない。自分の財布にいくら入っているのか、毎月どのくらいお金を使っているのか、数えたことがないのでわからない。ペットボトルの水やスポーツドリンクはよく飲むが自家製の浄水器の水や麦茶を入れなおしてるだけ。ペットボトルの自動販売機にお金を入れるたびに、もったいないなぁ、と嘆じてしまうタイプである。先週買ったものを思い出してみたら、写真の2つのみ。県南部に出かけ道の駅の路上マーケットでどちらも買ったものだ。ひとつはビニールではない昔ながらの金物のハエ叩き。事務所と家用に2本で200円。もうひとつはピンポン玉ほどもある「日本一大きい飴」。カラフルなフルーツミックスで15個入って315円。色がきれいなことと、少年時代によく食べたので、郷愁で買ってしまったのだが2日に1個の割合で仕事中になめている。けっこうおいしい。先週の全出費額515円、お粗末でした。
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こんな益体もないものを買っている |
出版のこと
出版の話題を2つ。ひとつは編集グループ〈SURE〉(シュアー)という京都にある出版社のこと。このところずっと山田稔の本ばっかし読んでいるので、その絡みで「発見」した出版社なのだが、面白そうなので2冊の本を注文してみた。『山田稔 何も起こらない小説』(これは誤解を招きそうなタイトルで、実は小説でもないし山田稔の著書でもない。「鶴見俊輔と囲んで」と銘打たれた座談シリーズの1冊)「もじを描く 平野甲賀」(これは平野さんの文章が載っている)。本というよりもどちらも小冊子なのだが、鶴見俊輔さんを囲む会が運営する、作家・黒川創さんらのグループのようだ。なんとなくこれからも面白い企画を出しそうな注目の編集グループである。
もうひとつは塩山芳明著「出版業界最底辺日記」(ちくま文庫)。サブタイトルに「エロ漫画編集者「嫌われ者の記」とあるが、これがめっぽう面白い。毒舌と皮肉に満ちた「凶悪」編集者の仕事と読書と身辺雑記だが何人か知り合いが登場する。東京都の不健全図書指定との攻防もスリリングだが、なんといってもこの本の白眉は読書メモ。とにかく読んでいる本が講談社学芸文庫のシブいものばっかし。山田稔の本も出てくるし、われらが「アクセス」の酒豪店長や編者の南陀楼綾繁、その奥さんも登場する。毒舌と皮肉のオンパレードとはいっても高みからの遠吠えでないのがいい。いやはや出版の世界といってもさまざまだ。
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「嫌なことは書けない」という息苦しさと癒しの蕎麦屋
人並みに嫌なことはいっぱいある。この一週間でも不愉快な出来事やむかつく人間との接触が何回かあった。昔は無邪気に(実名こそ出さなかったが)そんな出来事をネット上に書き散らかして溜飲を下げていたのだが、ネットの怖さを知るに連れ、罵倒する相手の名前や事件が容易に想像できるようなことは、いっさい触れないことに決めた。なにせ毎週書いている書評(というか読後感)の「1本勝負」ですら、辛口に取り上げた著者から感情的な〈反撃〉をされたりする世界だから、ネット上で批評活動は難しい。そんなネットに拘束された日常を送っていると(一週間の大半を事務所の自分の机の前で過ごす)、不快なことも少なくなく息抜きが必要になるのだが、外に出るのが年々億劫になっているからやっかいだ。隣が自宅なので衣食住、買い物すべてが半径100メートル以内ですんでしまう、というのが問題なのかも。でも最近、ちょいとした息抜き法を見つけた。蕎麦屋に通っているのだ。蕎麦屋不毛地帯の秋田市で2軒、これならいけるという蕎麦屋をみつけ、息苦しくなるとそこに逃げこんでいるのである。市内中心部にあるA店は、これぞ蕎麦屋といいたくなるシックさで、シンプル、静謐、上品な内装で、昼酒を飲むにはいい雰囲気だが、肝心の蕎麦が細すぎて味がちょっと弱い。郊外にあるB店は、蕎麦も蕎麦前の酒のつまみもなかなかのものだが、なにせ交通の便が悪く、自転車でフラリというわけには行かないのがつらい。それにしても蕎麦屋はいい。他の飲食店と明らかに違うのは、不審な中高年の男が真昼間から酒を飲んでいても許される空気がゆっくりと流れていることだろう。まさにオヤジたちの癒しの空間だとおもうのだが、昼から酒を飲んでいるのはいつも小生ひとりである。
B店の蕎麦定食 |
A店の蕎麦は細い |