んだんだ劇場2006年10月号 vol.94

No6−八戸、酒田、鶴岡、弘前・・・・・・手形−

八戸の横丁と弘前の詩人
 車にETCをつけたこととカーナビのソフトが新しくなったので、めったに機会のないドライブとしゃれ込んだ。行き先はまだ一度も行った事のない青森県八戸。高速道で八郎潟まで行き、国道285で鹿角に抜け十和田インターから東北道というルートなのだが、新幹線で行くのとほぼ同じ3時間半で到着。思ったより近い。実は車の運転は苦手で、この日も新幹線を乗り継いでいく予定だったのだが、なんと「大曲の花火」当日ではないか!駅は芋を洗うような戦場。すぐに家に引き返し車に乗り込んだというのが真相である。
 八戸は不思議な魅力に満ちた街だった。青森独特の荒っぽいアクの強さや田舎くささはまったく見受けられず、穏やかで太平洋岸特有の突き抜けるような明るさにみちた、素敵な街だった。まあもともと南部藩だから青森よりも岩手に近い地域なのだろう。市の中心部にある「みろく横丁」という屋台村にも感激した。今流行の若者専用の安い飲食店の寄り集まりではなく、普通の大人が十分楽しめるシックでお洒落な店が目白押しで、昭和30年代風の店が屋台村のコンセプトなのだそうだ。本格的なお寿司屋さんやステーキハウス、ショットバーから沖縄やフィリピン料理の店まである。秋田にもこんな大人がいける屋台があればヒットしそうな気もするのだが。この横丁で偶然、秋田の人に声をかけられた。翌日は盛岡に出て図書館や古本屋を探索、けっきょく目当ての本はみつからず、東北の書店では圧倒的にレヴェルの高い品揃えを誇る「さわや書店」に行き、「散歩もの」(フリースタイル)、「バブルの肖像」(アスペクト)、「金沢城のヒキガエル」(平凡社ライブラリー)の3冊を買う。

 へとへとになって旅から帰ると、弘前市の詩人・泉谷明さんから新刊の詩集「灯りもつけず」が送られてきていた。さっそく読み始めるとやめられなくなり1時間ほどで読了。読了してから気になった語句を、読み終えた時間の数倍をかけて牛のよう心の中で反芻してみる。詩人はもう65歳をこしているはずだが言葉のみずみずしさはあいかわらずだ。70年代に「噴きあげる熱い桃色の鳥」「ぼくら生存のひらひら」「人間滅びてゆく血のありか」「濡れて路上いつまでもしぶき」といった刺激的なタイトル(すべて津軽書房刊)で、ビートニックな魂をアジテートし、私たち団塊の世代に大きな影響をあたえた詩人も60代の後半に差しかかり、「音を立ててかたぶいていく日々」と向き合いながら格闘している。その不様さがかっこいい。どこかにつながって「生きる」ため、真剣に揺れ、悲しみを噛み、やせて貧しい魂を抱えて、こころもとない泥棒のように、果てしなく暗い道に立ちすくんでいる「難破船のぼく」。眠れぬ夜に台所に座り込み、灯りもつけずに身体のあちこちをいじりながら、風と明日と「あなた」に思いをはせている詩人の姿が行間からくっきりと立ち上ってくる。言葉はまだ死んではいない。
詩集と横丁のパンフ
日本海とまるで違う太平洋の空


酒田・鶴岡の旅
 週末に隣接する県に1泊2日で小旅行するのが定番化しつつある。今週は山形の酒田と鶴岡。仕事を持ち込まず、もっぱら街を歩き回り、夜は感じのよさそうな居酒屋に入り、後はホテルに入って本を読んで帰ってくるだけ。こんなことでも自分に課さなければ家と事務所に居続けてしまう「ひきこもり」の悪い癖がある。先週は八戸・盛岡だったし、その前の週も男鹿や大潟村に行って来た。月曜日には少々身体に疲れが残る年だが精神的なリフレッシュにはなっているようだ。酒田では三居倉庫、土門拳記念館、鶴岡では江戸期の豪商・鐙屋と本間美術館をじっくりみて、夜は地元酒田の写真家Sさんを誘って、魚のおいしい「浜心」で一献。この店は10年前一人でフラリとはいったら、その日が開店日だったという店で、それ以来、いろんな人に勧めている。翌日も北前船の歴史遺産を訪ねて酒田と鶴岡をフラフラ。昼飯は鶴岡郊外にある最近話題のAというイタリアレストランに行くも行列。あきらめて国道からそれた細い道に入ったところでパトカーに突然追尾。時速30キロぐらいで信号もない道を走っているので、なぜパトカーに止められるのかわからない。国道から脇の道にそれるとき一時停止の白線を無視した、というではないか。君たちはどこに隠れてそれを見ていたの。これは「合法的なカツアゲ」のようなもん。罰金7千円、2点減点で旅行気分は一気にブルーに。いろんなところに寄り道する予定をやめ、腹立ち収まらぬまま家に帰ってくる。
三居倉庫
バックミラーのにくきパトカー


絵を見る弘前、青森の旅
 週末は弘前、青森市へ美術の旅。期限限定で開催されている「奈良美智Ato Z」を観るための弘前行き。奈良の例の漫画チックなキャラクター絵が世界的に評価されている意味が小生にはまったくわからない。一度現物を見て、たぶん擦り切れて薄っぺらになりかけている自分の感性にガツンと刺激を与えてもらいたい……ってなことを考えながら弘前市内にある会場の吉井酒造煉瓦倉庫に向かったのだが、まあ、正直なところその展示の規模からデスプレー、あの少女の発する不思議な深いオーラに圧倒された。なるほど世界を驚かせた一端ぐらいはわかったような気分。同時にこの個展は彼の生まれ故郷の弘前以外では絶対に不可能(スペース・ボランテア・地元の支援などを金に換算すれば数億円の必要経費がかかる)なので、東京の有名人や美術ファンもわざわざここまで足を運ばなければならない。その仕掛けも見事というほかない。大都会での巡回公開は不可能だからマスコミも弘前までやってこざるをえないのだ。夜は印刷所のK社長と一献。翌朝はK社長の車で青森市の三内丸山遺跡の中にできた青森県立美術館へ。まだオープンして日が浅いのだが常設展の作家が棟方志功に寺山修司、奈良美智というのだからすごい。弘前から青森に向かう途中の浪岡で「土蔵のアトリエ美術館」といわれる常田健美術館に寄る。ちょうど次の展示会のために絵の入れ替え中、田んぼと住宅地のなかにひっそりと建っている美術館に好感。日曜日だったせいもあるのだろうが、青森県立美術館の前(ということは三内丸山入口)は車が渋滞し、美術館は入場待ちの長蛇の列。地方都市で「行列」に遭遇するのはきわめて珍しい。入場をあきらめて三内丸山を散策。この遺跡は何度訪れても驚きと新鮮さを与えてくれる。青森駅から電車に乗り、昨夜もホテルでやめられらなくなったジェフリー・アーチャー『ケインとアベル』下巻を夢中になって読了するころには秋田に着いていた。


老教授・オオクチバス・手形散歩
 週末、突然、高名な元東北大学の国文学の教授Kさんが事務所を訪ねてきた。昔は秋田大学でも教壇に立っていたので、その教え子たちの会のために来秋したのだという。東北の各大学にK先生の教え子はたくさんいる。その教え子たちも今は有名な教授になっているのだが、その東北6県に散らばった教え子たちの研究成果を本にしてほしい、という依頼だった。下を向いてボソボソお話なさっていたが、教え子たちへの愛に満ちた、謙虚で高潔な古武士を思わせる紳士だった。偏見があるわけではないが大学教授になかなかこうした人格者は少ない。とにかく自己顕示欲と自己評価の高い「世間知らず」がめちゃくちゃ多い「業界」なのである。「私が秋田大学から東北大学に戻ることになったとき、祖母に〈お前を先生にするなんて、帝大も落ちたねえ〉といわれました。本当にそのとおりで、祖母の見識に驚きました」と静かにわらっていたのが印象的だった。小津の映画に出てくる鎌倉の大学教授そのままで、この日は一日中、気分のいい時間をすごすことができた。
 その秋田大学だが、自転車でこのごろ頻繁に出入りしている。仕事ではなく昼食と散歩のため。手形学園町の裏山にある鉱山博物館や平田篤胤の墓所などをフラフラするだけだが、身近な場所なのにじっくり見て歩くのは実は初めて。いやぁけっこう隠れ家スポットで、ここはいい。生協の学食で昼食をとりがてらなのだが、ここで初めて旭川ラーメンというのを食べた。これがうまい。味噌と醤油の濃いミックススープで、味のバランスがとれていて、しつこくない。学食のご飯はそのへんの居酒屋に較べれば2倍おいしく値段は半分。味覚オンチの多い若者だけに独占させておくのは惜しい。
 つづけて食べ物の話になるが、取材でオオクチバスの燻製(「大潟ます」の名称で売られている)なるものを大潟村まで食べに行ったのだが、半年前に製造中止になったとのこと。2年ほど前からいつか食べてみようと思っていたのに、ガックリ。こういうことは思いついたら吉日、ニュースが流れたらすぐに現場に直行しなければダメなのだ。秋田では新製品が発売されると華々しくニュースに流されるが、半年もたつと人知れず消えていく。そんなことはイヤというほどネイティブとしてわかっていたつもりなのだが……。まゆつば的な食品、話題性だけのイベント、一過性の話題づくりの商品、こうしたB級トピックスは恥ずかしがらずにそのときにきっちり入手するのが、ウオッチャーの鉄則である。もうこんな失敗は2度としないぞ。
これが旭川ラーメン
平田篤胤の墓
秋大構内で
八郎湖と赤とんぼ


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