八戸の横丁と弘前の詩人
車にETCをつけたこととカーナビのソフトが新しくなったので、めったに機会のないドライブとしゃれ込んだ。行き先はまだ一度も行った事のない青森県八戸。高速道で八郎潟まで行き、国道285で鹿角に抜け十和田インターから東北道というルートなのだが、新幹線で行くのとほぼ同じ3時間半で到着。思ったより近い。実は車の運転は苦手で、この日も新幹線を乗り継いでいく予定だったのだが、なんと「大曲の花火」当日ではないか!駅は芋を洗うような戦場。すぐに家に引き返し車に乗り込んだというのが真相である。
八戸は不思議な魅力に満ちた街だった。青森独特の荒っぽいアクの強さや田舎くささはまったく見受けられず、穏やかで太平洋岸特有の突き抜けるような明るさにみちた、素敵な街だった。まあもともと南部藩だから青森よりも岩手に近い地域なのだろう。市の中心部にある「みろく横丁」という屋台村にも感激した。今流行の若者専用の安い飲食店の寄り集まりではなく、普通の大人が十分楽しめるシックでお洒落な店が目白押しで、昭和30年代風の店が屋台村のコンセプトなのだそうだ。本格的なお寿司屋さんやステーキハウス、ショットバーから沖縄やフィリピン料理の店まである。秋田にもこんな大人がいける屋台があればヒットしそうな気もするのだが。この横丁で偶然、秋田の人に声をかけられた。翌日は盛岡に出て図書館や古本屋を探索、けっきょく目当ての本はみつからず、東北の書店では圧倒的にレヴェルの高い品揃えを誇る「さわや書店」に行き、「散歩もの」(フリースタイル)、「バブルの肖像」(アスペクト)、「金沢城のヒキガエル」(平凡社ライブラリー)の3冊を買う。
へとへとになって旅から帰ると、弘前市の詩人・泉谷明さんから新刊の詩集「灯りもつけず」が送られてきていた。さっそく読み始めるとやめられなくなり1時間ほどで読了。読了してから気になった語句を、読み終えた時間の数倍をかけて牛のよう心の中で反芻してみる。詩人はもう65歳をこしているはずだが言葉のみずみずしさはあいかわらずだ。70年代に「噴きあげる熱い桃色の鳥」「ぼくら生存のひらひら」「人間滅びてゆく血のありか」「濡れて路上いつまでもしぶき」といった刺激的なタイトル(すべて津軽書房刊)で、ビートニックな魂をアジテートし、私たち団塊の世代に大きな影響をあたえた詩人も60代の後半に差しかかり、「音を立ててかたぶいていく日々」と向き合いながら格闘している。その不様さがかっこいい。どこかにつながって「生きる」ため、真剣に揺れ、悲しみを噛み、やせて貧しい魂を抱えて、こころもとない泥棒のように、果てしなく暗い道に立ちすくんでいる「難破船のぼく」。眠れぬ夜に台所に座り込み、灯りもつけずに身体のあちこちをいじりながら、風と明日と「あなた」に思いをはせている詩人の姿が行間からくっきりと立ち上ってくる。言葉はまだ死んではいない。
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