んだんだ劇場2006年1月号 vol.85
No34
インクルーシヴ教育

8月11日。
 午前中は、小雨が降っていました。アメリカに来て、初めての雨。窓を見ている僕にNさんが近寄ってきまし
た。「アーカンソーは、アメリカの中西部に位置しているので、ほとんど雨が降らないよ。だから、今日は珍しい日だよ」とNさん。「一日中降っているんですか」と僕は少し不安そうに聞きました。なぜなら、今日が念願の中学校見学があるから…「心配するな。すぐに、雨が上がるよ。こちらは乾燥しているんだ。日本のように、雨が一日中降り続くことは、ないよ」とNさん。すると、1時間も経たないうちに、Nさんの言ったとおりの天候になりました。まるで、天気雨。雨雲から、太陽の光が挿してきて、気がついたら、雲1つない透きぬけた青空が広がっていました。「今日も涼しい日になりそうだね。いつもなら、100°F(37℃)を超える日もあるけど、最近は80°F台で過ごしやすいですよ。ガクちゃん、アーカンソーの夏が涼しいのでなく、今年の夏が異常気象みたいなものと考えていた方が正しい理解だよ」とNさん。
ジェーンさんは、いつものように近くの中学校にアポイントメントをとっていました。「"9.11以降"のアメリカは、「危機管理」に敏感すぎるほど敏感になり、公共施設は、必ず事前にアポイントメントを取るようになりました。アポイントメント無しで訪問すると、まず中に入ることができない。逆に、危険人物と怪しまれるよ。アポイントメントをとっても、実際に入れるかどうか分からないから…ソーシャルワーカーのジェーンは社会的な信頼があるんだね。とてもスムーズに、学校内に入ることができたよ」とNさん。僕は話を聞いて、9.11がアメリカ社会に与えた影響について、思いを巡らせていました。
 毎日、僕が勤務する学校に来客が来ます。事前にアポイントメントを取っている方もいますが、そうでない方もいます。学校に入るとき、玄関に置いてある記入用紙に氏名と肩書きと入校時間を記入し、「入校許可証」を首にぶら下げて、校内に入る仕組みになっています。「入校許可書」が学校に入るときのパスポートです。来客者に入校を断ったことは、僕が知る限りでないです。アメリカの異常なまでの危機意識の高さなのか、僕の危機意識があまりにも低すぎるのか…
 車で、20分くらいかかりました。インデアン系の学校でした。芝生が辺り一面に広がり、周りも森林があり、"緑"が眩しく感じました。電動車イスで、周囲を眺めていました。平屋建ての学校でした。2階・3階建ての学校でなく、「日本の学校のように、階段の上り下りの必要がないね」と言うと、「そうだね。アメリカの多くの学校は、平屋建てだよ。ガクちゃんにとって、働きやすいね」とNさん。「アメリカは日本に比べて、面積が広いから、上に積まなくてもいいのかなぁ」と僕は独り言のように、話しました。
 学校の入り口はセキュリティーチェックが厳しく、ジェーンさんが"アポイントメントを取ったこと"と"学校訪問の趣旨"を受付の人に伝えていました。入り口の前で、僕とNさんが待っていました。「9.11以降のアメリカは、中添えの方がいなければ、どこにもいけなくなったよ。以前は、そうでなかったんだよ。全ては、あのテロ…アメリカ社会が変わってしまった」とNさん。アメリカに来る前は、「開放的なアメリカ…」という感じでしたが、学校の入り口にいる僕は「閉ざしているアメリカ…」というイメージを持ちました。「O.K.Please come here GAKU」とジェーンさんの声。今、アメリカの学校も夏休みなので、外から勝手に入ってこれないようにセキュリティーがかかっていました。受付の方がドアを開けてくれました。「Nice to meet you」と電動車イスで中に入りました。受付の方が校内案内図を渡してくれました。それを見ながら、3人は校内を見て回りました。「今は、夏休み中なので、先生方はいません。数名、先生たちはいますけど…教材研究や資料の整理で来ている先生はいますけど…どうぞ、ご自由に見て下さい。私たちの学校のマスコットはRamay Indiansです」と受付の方。その対応の様子を見て、"一度、信頼されることが大切なんだなぁ"と思いました。また、"学校にマスコットがあるのか"と思うと、とてもシャレているような気がしました。
 夏休みの校内清掃が済んでいて、ワックス掛けの廊下はとてもきれいでした。廊下が予想以上に広く、電動車いすがすれ違っても、まだスペースの余裕がありました。廊下を歩いて、車イス利用者に優しい学校と思いました。廊下に"Indian Territory"と書いてあるのを見つけて、衝撃的なフレーズだなぁと思いました。
 ジェーンさんが歩きながら、アメリカの教育について、説明してくれました。
・ 障害児を考慮した、障害児が不便なく学校生活を送ることができるように設計している。
(義務付けています。障害者用トイレがありました。これには、驚きました)
・ 教室の一角にキッチンがあり、カフェテリアに行かなくても食事ができます。障害児は、そこで食事をします。
・ 能力別のクラスになっており、先生が移動しないで、生徒が先生の教室に移動して、授業を受けます。能力別クラスは、10年前くらいから制度が変わり行われるようになりました。
 校内を回っていて、教室に入ろうとしても、鍵が掛かって入ることができませんでした。"普通教室に、鍵をかけているなんて、そこまでセキュリティーを考えているのかな。日本の学校は理科室や音楽室、家庭科室、体育館などの所謂《特別教室》には鍵を掛けるけど、普通教室までは"と不思議に思っていました。しかし、ジェーンさんの説明を聞いて、納得しました。日本とアメリカは、"教室"という概念そのものが違いました。日本は、基本的に生徒の教室が固定で、授業毎に教師が教室に入れ替わります。アメリカは、教師が自分の教室を持ち、生徒がその教室に授業を受けに来るシステムです。アメリカ人教師にとって、教室は日本の大学の研究室と同じような感覚なのかなと思いました。
 僕なら、どちらのシステムの方が働きやすいのかな…と考えると、アメリカのシステムの方が働きやすいです。授業毎に僕が移動するのでなく、生徒が移動するからです。そして、僕は板書が困難なハンディキャップを補うために、事前に学習内容を書いた画用紙を黒板に貼っていく授業をします。その画用紙を授業毎に持ち運ばなくてはなりません。また、僕は長い間、立っていることが困難なので、椅子に座りながら、授業をします。その椅子も、毎時間、授業する教室に運ばなくてはなりません。
 2年前に、前任校の土崎中学校で「数学教室」を設けて、授業をしたことがあります。この「数学教室」は、僕の不便を視点でなく、【数学の少人数学習指導】により、教室の確保の視点で実施されました。1クラス40人の生徒を半分ずつ分けて少人数で学習指導を行うとすれば、もう1つ他の教室が必要となります。実際にやってみると、教材・教具を持ち運ばなくて良いので、その分の労力を他に回すことができました。1つの教室環境を僕の使いやすいように、環境整備することができました。教室が1階にあり、階段の上り下りが極端に少なくなりました。椅子の持ち運びは生徒に頼んでいましたが、それも必要なくなりました。
 国が変われば、文化が違う…とは、正にこのこと。僕の働きやすいシステムがアメリカの教育現場で当たり前であることに、驚きました。そして、少し自分に自信を持ちました。
 学校内は閑散としていました。先生たちは図書館で,Spellingの学習会をしていました。校内を見学した後,学習会が終わったころを見はからい,2人の先生に質問しました。
三戸.廊下はピカピカですね。
先生.障害者が学校に来やすいように,アメリカでは法律があります。だから,廊下が平らで,あまり段差を作りません。この学校は,ピア・サポートグループを集めています。生徒同士でいろいろと助け合い,勉強について教えあいます。それは,いつも先生の責任ではなく,やはり自分の同じ年齢の人からのサポートが大切です。これに参加していることに誇りを感じている生徒もいます。
先生.これは,知っていますか?日本が太平洋戦争で敗北を認めるサインをした書類です。
 廊下の壁に掲示していました。思わず、僕は驚きました。(なんで、ポツダム宣言を受諾した書類が掲示しているのだろう)と僕は複雑な気持ちになりました。僕が受けてきた教育の中で、戦争を感じさせる掲示物は1度も見たことがありませんでした。これが戦争の勝利国と敗戦国の違いなのかなと感じました。また、このポツダム宣言を見て学校生活を送っているアメリカの子どもたちは、どのように受け止めているのだろうか。しばらく、この前で立ち止まりました。アメリカ独立宣言の掲示は、アメリカらしいさを感じました。なんだか、"国"を意識しました。そして、この学校は"国"を意識する掲示物があると思いました。これが当たり前なのか、それとも、ここが特別なのか…価値観がグラリと揺らいでいる実感がありました。この掲示を見て、自分が日本人であることを痛烈に意識しました。
 続いて、現在、取り組んでいる教育実践を紹介してくれました。
先生.性教育の授業です。タイトルは【ねぇ〜あなた,よく考えなさい】です。赤ちゃんの人形を1日中抱いたり,世話をしたりすることが,どんなに大変なことであるのかを体験させている様子です。ここでは,10代の妊娠が1つの問題です。日本は,どうですか。また,服の洗濯のやり方も教えます。たまに,お母さんがいない家庭もいます。(約半分)いても,上手にHouse Skillを教えていないので,学校でも教えています。
三戸.全校生徒は,何人ですか?
先生.200人くらい。3年生の数だけです。
三戸.授業は何人で行われていますか?
先生.25人〜30人くらい。なるべく少人数で教えます。先生は移動しません。生徒は移動します。1つの大きなグループで移動もしません。生徒一人ひとりのスケジュールは違います。生徒一人ひとりのレベルに合わせて,習熟度別学習をやっています。
Nサン.日本では,一緒に授業を受けています。
先生.Oh?アメリカは昔そうでしたが,今はしていません。
 僕の教師生活を説明するファイルをアメリカ人教師に見てもらいました。言葉で説明するより、写真を見てもらった方がイメージが付き易いと思いました。アメリカ人教師は、「Great!!」と言いながら、見ていました。さて、僕は一番気になっている質問をぶつけました。この質問をアメリカ人教師にぶつけることが、今回の研修の1つの目的でした。
三戸.Handicapを持っている先生を知っていますか?
先生.知りません。Handicapを持っている生徒は,結構います。他の生徒と分けないで,なるべく同じ部屋で一緒に勉強します。生徒のニーズに合わせるために,お手伝いする人が採用されます。そのための予算が付いたり,申し込めば,援助が貰えます。私の友だちの娘は上手く字を書けませんので,常に機会を使ったり,その機会を使って試験も受けます。そういう理解が得られます。
三戸.Handicapを持っている先生が生徒に教えることについて,どう思いますか?
先生.あなたは,良い先生だと思いますか?生徒たちは数学を理解することは,できますか?
三戸.Yes.(戸惑いながら…)
先生.そうすれば,問題はなく良いことでしょう。良い先生なら,私の子どもに教えて下さい。
Nサン.でも,たまに親が文句を言います。
先生.That's too bad! それは気にしなければいい。アメリカで賞をとった有名な本があります。書いた人はKonnesburgさん。車椅子の先生です。
   障害者のあなたが働きやすい学校は、他の教師も働きやすい学校になります。あなたが働きやすい学校は、全ての子どもにとって、生活しやすい学校になります。あなたの発言には、包括的(インクルーシヴ)な意味があります。自信を持って、教育に当たれ。
先生.私から質問です。あなたが勤務する学校は1階立てですか。
三戸.いいえ…3階建てです。
先生.もちろん、エレベータはあるんですよね。
三戸.ないですよ。こういうように、肩を持って階段の上り下りをしています。
先生.なぜでしょうか。
―――― Thank you for talking. ――――
 忙しい中で、僕の質問に答えてくれたアメリカ人教師に、感謝したい。心の中にあった、モヤモヤしたものが取れたような気がしました。教育は障害の有無に関係なく、教師と生徒の心のつながり。そのつながりさえ、築くことができるのなら、誰でも教育は可能になるのだろう。そして、最後のメッセージは強烈な印象を受けました。今まで、僕のありのままの教師生活、感じたこと、思ったことなど、僕の視点を文章につづったり、発信していくことに、どのような意味があるのだろうと試行錯誤していました。【…あなたの発言が全ての子どもたちにつながる…】という視点を与えてくれたとき、点と点がつながり、1つの線となり、これからの僕の方向性を指し示しているようでした。職場環境を僕が働きやすいように整えていくことは、全ての子どもたちが生活しやすい学校につながっていくことになるならば、積極的に僕のありのままの教師生活を伝えていこうと思いました。僕は僕の道を進んでいけば良いんだ…と確信しました。言葉の力を感じました。アメリカ人教師の一言が、僕を新しい世界へと誘ってくれました。この言葉を聞くために、この地に来たようなものでした。
 教育書を読み、アメリカの教育は、健常児と障害児が一緒に学ぶインクルーシヴ教育を実践されていることを知っていました。僕自身、小学校・中学校・高等学校と地域の学校で学んできました。僕が受けてきたインクルーシヴな教育の良さや、僕が感じた改善点を伝えていこうと思いを馳せたとき、アメリカのインクルーシヴな教育に興味を持ちました。
 アメリカの中学校を歩き、「アメリカの学校で平屋建てが多いのは、単に土地があるからでなく、障害児が不便を感じずに生活するため」であることが分かりました。アメリカ人教師と接して、「子ども自身が受けたい教育を提供していくこと。障害のために、能力が制限されることのないように、しなければならない」という考え方が根底にあるように感じました。
「障害があって困難なことは、それを補うサポータなり、機材なりを使用すればいいのです。障害があるために、機会が与えられないことは最大の不平等です」
 教師として、常に新しい価値観を築こうとしている姿に、教師として見習うべきものの多くありました。今日という日が忘れられない日になりそうです。


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