んだんだ劇場2006年3月号 vol.87
No35
帰路へ

 8月12日(木)。アメリカ研修の最終日でした。目覚めたら、ふと(今日で、最後かぁ…明日には日本に帰る
のだな)と思いました。今日は休養日にあてていました。朝食を食べた後、ゆっくりと荷物整理やアメリカで購入したものを整理していました。
 昨日、アメリカの中学校を訪問した後、書店と文房具店に立ち寄りました。書店に入ると、店の雰囲気は日本と同じ感じでした。CDやDVDも売っていて、ノリの良い洋楽が流れていました。僕は真っ先に、教育書を置いているところへ行きました。アメリカで教えている数学のテキストを購入したいと思っていました。毎日の数学の授業を創っていくとき、アメリカの教育内容が参考になるかも…と少し期待を抱いていました。「どこに、数学の教科書が置いてありますか」と店員に尋ねました。英語の文法などを考えずに、知っている単語を並べました。「Where mathematics textbooks?」と話すと、案内してくれました。すると、平台に各学年に並べて置いてありました。たぶん、日本で言う参考書なのかなぁと思いました。学年を英語で『grade』という言葉です。例えば、小学1年生であれば、『Grade 1』と表記していました。中学3年生のことを『Grade 9』と表記していました。早速、手に取り、パラパラとページを捲りました。数字や【+ − × ÷】の計算記号、イラストを見ると、大体の内容が把握できました。(数学は世界共通言語なんだなぁ)と実感しました。各学年とも、ほとんど日本と変わらない学習内容でした。『Grade 9』のテキストブックを読むと、日本では高校で学習する【3元連立方程式】の計算の解説が掲載していました。僕は横に置いてあるパンフレットをもらいました。そのパンフレットには、出版社のHPアドレスが書いていました。購入したいと思えば、HPにアクセスすれば良いと考えました。分厚いテキストブックは、荷物になると思いました。同じジャンルの本棚を眺めていると、「Functional Melodies」(関数のメロディー)と「Multicultural Mathematics(異文化の数学)というタイトルの2冊の本に目が止りました。「Functional Melodies」には音楽と数学教育において、新しい提案が書いていました。ギターのイラストと数学と、どのようにつながっているのだろうと知的好奇心が高まりました。また、「Multicultural Mathematics」には各国の数学的な要素を持つ文化を紹介していました。その本では、"そろばん"のことを日本の文化と紹介していました。本の表紙に"そろばん"の写真が掲載しており、アメリカに来て、日本をイメージするものを見ると、何となく嬉しくなりました。最近、身近に"そろばん"を見かけなくなりましたが、日本の文化であると再認識しました。僕は、この2冊を購入しました。
 文房具店では、コンパスと定規を購入しました。コンパスは日本のものと変わりなかったけど、アメリカ製のコンパスは僕にとって、プレミアものでした。英単語で「Compass」と書いてあるケースを生徒に見せると、生徒はどのような反応をするのだろう…考えると楽しくなりました。定規の見かけは日本と同じです。でも、日本とアメリカは決定的な違いがあります。それは、単位です。日本は『メートル法』を長さの単位に使用しています。アメリカは長さの単位として、インチ(inch)を使用しています。ヤード・ポンド法における長さの単位です。1インチ=0.0254mであり、日本とアメリカの定規で長さを測れば、面白いだろうなぁと思いました。同じものを図っているのに、単位が違うと数値が違うことを実感できます。中学生ならば、実測して、メートル法とヤード・ポンド法、それぞれの単位の数値から、「1インチは何メートルでしょうか」という課題が解決できます。単純に割り算をすれば良いので、中学生には簡単な問いと思いますが、そこから異文化に思いを馳せる学習活動につなげていくと、異文化教育になります。僕は思いのまま、授業の構想を楽しく膨らませていました。文房具店で、定規やコンパスを目の前に興奮していました。その姿を見て、「ガクちゃんは、数学教師なのだね」とNさん。僕はニッコリと微笑みました。次に、5本の"チョークホルダー"を購入しました。夏休みが明けて、アメリカ製のチョークホルダーを使用して、授業ができるのだなぁと思うと、授業が待ち遠しくなりました。アメリカ製のチョークホルダーは色や柄に種類が豊富で、デザインにも凝っていました。それだけ、需要があるのかなぁと思いました。というのも、昨日、アメリカの中学校に行き、教室に入ると、黒板の淵に数個の"チョークホルダー"がありました。思わず、「これ、チョークホルダーだ」と叫びました。たぶん、日本でチョークホルダーを見た人は少ないと思います。僕が知っている教師で、チョークホルダーを使用している方は一人です。Nさんは「チョークホルダーって?」と不思議そうに尋ねました。僕は「これですよ」と見せました。「これ、どのように使うの?」とNさんは聞きました。僕は得意気に話しました。「他の教師はチョークが手に付くので、チョークホルダーを使うと、チョークが手に付かなくなるので、使用しています。僕の場合、板書するとき、手に力が入りすぎて、チョークをポキポキと折ってしまいます。1文字を書くのに、チョークを何本も折ったことがあります。実用的でないと考え、何か工夫ができないのかなと思いを巡らせていて、文房具のカタログを見ていました。そこで、見つけたものがチョークホルダーでした。"物は試し"と思い、購入しました。
 鉛筆のキャップのように、チョークホルダーはチョークと同じ太さの筒にチョークを差し込んで使用します。使用してみると、チョークを折ることなく、板書ができました。今までは、チョークが折れることを気にして、ゆっくりと板書していました。それが気になるものがなくなると、板書のスピードが速くなりました。緊張が取れたので、少しばかり読みやすい字を書けるようになりました。脳性マヒは、過度に緊張すると、手足が自分の意志と無関係な動きをするときがあります。チョークを折らないように意識すればするほど、手が震えてきます。反対に、意識をしないようにすると、チョークをポキポキと折ってしまいます。そういう僕にとって、チョークホルダーは便利な品物でした。板書が円滑になるだけでなく、チョークホルダーを使って板書が楽しくなりました。
 午後に、ジェーンさんの友人であるカシー(Cathy)さんの家へ遊びに行きました。僕は電動車イスで、Nさんは自転車で行きました。カシーさんの庭に、小さなプールがあるそうです。「天気が良いので、プールで泳ごうよ」とNさん。アメリカに来る前の事前の打ち合わせで、Nさんが「もしかして、泳ぐこともあるから、海水パンツを持っていきましょう」と言いました。(泳ぐこともあるのかな)と半身半疑のまま、海水パンツをスーツケースに詰め込みました。アメリカ研修の最終日で、腑に落ちました。
 カシーさんの家まで、電動車イスで20分くらい。天気が良かったので、気持ちの良い散歩コースでした。アメリカに来て、一般道路を電動車イスで歩くことが初めてでした。最初にすれ違った車は、僕の脇に突然止りました。窓越しに若いお兄さんが顔を出してきました。僕は絡まれるのかなと思って、身構えていました。すると、ニッコリと笑って、「May I help you?」と言いました。僕はビックリしました。「No, thank you」と答えると、立ち去りました。そこには、爽やかな空気が流れていました。日本では、道ですれ違う人に「手助けすることは、ありませんか」と声を掛けられることは皆無に等しいです。まして、走っている車を止めて、声を掛けてくれる人はいないと思います。突然、走行中の車が止まり、声を掛けられると驚きましたが、安心感がありました。逆を考えると、僕にとって不便なことが生じたら、「Help me!」と言い、走行中の車に向かって、叫んでも良いと感じました。ジェーンさんの家とカシーさんの家を往復するのに、約8台の車がすれ違いました。そのうち、2台の車が止り、声を掛けてくれました。
 カシーさんの家に着きました。早速、海水パンツに着替えました。ビーチに寝転んで、日光浴をしました。僕は泳ぐことができません。幼い頃、海で溺れそうになりました。足が立つ程度の深さで遊んでいたら、足がつってしまいました。真面目に(死ぬか)と思いました。それ以来、泳ぐことが怖くなり、海水パンツを着ることなく、過ごしました。緊張しましたが、浮き輪を身に着けてプールに入りました。泳ぐよりも、浮き輪を身に着けて、プール内を歩きました。水の浮力で、身体が軽く感じました。雰囲気は十分に楽しむことができました。2時間程、カシーさんの家にいました。
 アメリカ最終日の夕食は、パーティを催してくれるそうです。その材料の買出しに、ジェーンさんの車で出かけました。アメリカのDinnerの最後は、アイスクリームを出して、閉めるそうです。ちょうど、アイスクリームを切らしているので、アイスクリーム専門店に行きました。店の中に入ると、「食べたいアイス、注文してね」とジェーンさん。メニュー表が入り口の正面に立てかけていました。僕はストロベリーアイスを注文しました。値段も量も日本と同じ感じでした。アイスを食べていると、ジェーンさんはDinner用のアイスを購入していました。1個のバケツにバニラアイスが詰まっていました。手に持ってみると、重くて持ち運ぶことができませんでした。アイスは1個、2個と買うものと思っていたら、重さでアイスを買っていることに驚きました。値札に、【$】はお金の単位で分かりますが、【lb】という文字が初めて見ました。「何ですか。この文字は?」とNさんに聞きました。Nさんは「重さの単位だよ。ポンド(pound,記号:lb)と言うのだよ。ヤード・ポンド法の質量の単位ですよ」と教えてくれました。「じゃ、10lbは何グラムなの?」と聞くと、「だいだい、5sくらいじゃないかな」とNさんは答えてくれました。「えっ!5sも買うの」と2度ビックリしました。
 その日のDinnerは、ステーキを焼いてくれました。ディックさんとアンさんも来てくれました。そして、ジェーンさんがアーカンソー大学で知り合った日本人学生も来てくれました。大学2年生で、社会科学を学んでいると話していました。ディックさんは「お酒を飲むとき、ストローを使っている姿を見て、ストローは何本あってもイイなぁと思って、スーパーマーケットで買ってきた」と言い、500本のストローが入っている袋を手渡してくれました。その心遣いが嬉しかった…早速、その袋を開けて、ストロー1本を取り出して、ビールを飲みました。翌日は朝が早いので、午後7時頃に最後の1品のアイスが一人一人の小皿に盛られ、ジェーンさんがテーブルに運んできました。バニラアイスにリンゴジャムをかけていました。アイスを食べ終わったら、Dinnerの終了であり、「See you, again」と言い、ディックさんとアンさん、学生に別れを告げました。Dinnerの片づけが終わったら、ジェーンさんの車に電動車いすを詰め込みました。その後、全部の荷物をスーツケースにまとめ、スーツケースも車に詰め込みました。寝室で、Nさんと1杯のウォッカを飲み干し、床につきました。お酒の勢いを借りて、すんなりと眠ることができました。
 8月13日(金)
 日本の帰路に着く日です。ファイアットビル空港6:40 発のアメリカン航空の便に乗るので、ジェーンさんの家を午前4時に出発することになっていました。目覚し時計は<午前3時>にセットしていました。その目覚ましの音で、僕とNさんは起きました。僕が身支度を整えている間に、Nさんは朝食の"いなり寿司"を作ってくれました。「寿司酢はジェーンさんの家に残っていた粉末状のものを、皮はアジアンストアーで購入したもの」と話してくれました。午前4時近く、ジェーンさんが起きてきました。「Good morning Jane」「Good morning Gaku」という会話。これで、最後なんだなぁ。
 準備をしていたら、午前4時30分頃になっていました。早朝はほとんど車が走っていなく、ジェーンさん車はスムーズに走り、30分で空港に着きました。辺りは真っ暗でした。半袖では寒く、長袖を着ました。空港では行きよりも帰りの方が手続きに時間がかかりました。ローカル線から国際線に乗り継ぐからです。ローカル線では、ほとんどの場合、一人の携行品は2個までだそうです。それが僕とNさんと合わせて、携行品が8個(カバン5個と電動車いすとバッテリー2個を合わせて3個)となりました。Nさんが「行きは、同じように来たこと。これから、国際線に乗ること」を受付に伝えて、超過料金もなく、全ての荷物が積み込まれました。僕は電動車いすから、空港で用意している手動の車椅子に乗り換えました。搭乗入口まで、ジェーンさんは僕の車いすを押してくれました。僕はジェーンさんに「Thank you Jane, good-bye」と話しました。月並みかもしれませんが、この言葉しか思いつきませんでした。「ジェーンと別れるとき、いつも涙が出てくるよ」とNさん。ジェーンさんに変わり、空港の職員が僕の車いすを押してくれました。靴まで脱いで、セキュリティチェックを受けて、搭乗口に進んでいきました。僕の靴は、係りの方が脱がせてくれました。出発まで、時間があったので、空港内でアーカンソーの絵葉書を買いました。50枚買い、同僚のお土産の1つにしました。アメリカ研修に行く前、学校から餞別を頂きました。職場の方々のお土産は、インターネットの「海外おみやげ宅配サービス」のサイトで事前に申し込んでいました。僕が自宅に戻った翌日に、同僚へのお土産品は届くように手続きをしてきました。それと一緒に、この絵葉書を渡そうと思いました。
 機内に乗り込むと、朝日が差し込み、眩しく感じましたが、ぐっすりと寝ていました。目が覚めると、8:19着のシカゴ国際空港へ着いていました。ローカル線から、国際線の搭乗口まで電車で移動しました。空港の職員がアテンダントしてくれました。電動車いすは、そのまま国際線のJALに運んでもらいました。出発時刻まで、ラウンジでゆっくりとしていました。前日の日本の全国新聞が置いてありました。日本の新聞を読むのは1週間ぶり。紙面を捲っていました。アテネオリンピックで男子サッカーの初戦のイタリア戦が惜敗したことを知りました。きっと、日本ではマスメディアが大きく報じているのだろうなと想像できました。
 シカゴ国際空港11:35発で、成田空港には14日(土)の14:40着でした。機内で半日以上を過ごします。しかし、来るときに経験しているので、お酒を飲んで、寝て過ごしました。機内では、日本人のスチュワーデスなので、日本に帰ってきたような気分になりました。予定通りに成田空港に着いてから、スチュワーデスに腕時計を日本時間に直してもらいました。荷物は無事に着き、電動車いすに乗り、羽田空港に向かうタクシーに乗りました。行きと同じ運転手で、要領を得ていました。その日はお台場で花火大会があり、都心は込んでいましたが、予定通りに着きました。羽田空港18:10発で秋田空港 19:10着のJIL便に乗りました。秋田空港では母が迎えに来てくれました。無事に、アメリカ研修を終えて、ホッとしていました。「本当に、1週間、ありがとうございました」とNさんにお礼をしました。自宅に向かう車の中で、「アメリカで、たくさんのことを学んできたことでしょう」と母。「これから、ゆっくりとアメリカ研修を自分の中で捉え直していき、教育に活かして生きたいなぁ。でも、今日はゆっくりと休むよ」と答えました。


無明舎Top ◆ んだんだ劇場目次