んだんだ劇場2006年11月号 vol.95
No41
西大門刑務所

 ホテルにジャンボタクシーが着きました。日本で見かけるジャンボタクシーでした。僕は車イスから降りて,車内に乗りました。車体が高かったので,Sさんの肩を借りました。運転手は車イスを折り畳み,車内に積み込みました。その手つきが手馴れていました。(ソウル市内で,車イス利用者のニーズがあるのかなぁ)と感じました。4人全員が乗ったことを確認して,運転手はハンドルを動かしました。「どちらに行きますか」と運転手さんは日本語で話しました。「西大門刑務所歴史館にお願いします」とIさん。「分かりました」と運転手。「日本語がお上手ですね」と話すと,「いいえ,それ程でもないですよ。ただ,日本人観光客が多いので,商売をするうえで,日本語が必要なのですよ」と運転手。(なるほどなぁ…)と思いながら,聞いていました。
 ホテルから,20分くらいで目的地に着きました。「ここで,待っていますので,ゆっくりとお過ごしください」と運転手。タクシーから降りると,すぐ脇でドラマ,映画,CM…何かの撮影をしていました。「この中を通り抜けるのかな…なんか,恥ずかしいね」とTさん。辺りを見渡しました。標識には,入り口は撮影現場の方向を指していました。「女性がサンタクロース姿だね。時期外れでは…」と僕が言うと,「もしかして,今年の冬に公開する映画でも撮っているかもしれないね」とSさん…サンタクロースの女性のセリフが聞こえてきました。「撮影が終わってから,通りぬけよう」と確認したところ,スタッフの一人が韓国語で,右人差し指を大きく楕円形に回しました。そのしぐさから,"入り口は,ぐるりと周ってください"と伝わってきました。この様子を見ていたタクシーの運転手は,間に入り,話を聞いてくれました。「すみません。駐車場は,あちらだそうです。もう一度,車に乗ってください」と言い,僕を見て,頭を下げました。「平気ですよ」と僕は言いました。僕は韓国の撮影現場を生で見ることができ,むしろ,この奇遇に感謝したい気持ちになりました。
 西大門刑務所歴史館を見学しました。この施設に入り,僕は今まで考えていなかった強い衝撃と,自分が日本人であることを自覚しました。日本が終戦を迎えるまで,この場所を西大門刑務所と呼ばれていました。この場所は韓国併合から終戦を迎えるためまで,日本帝国(当時)が韓国を支配したシンボル的な場所です。人が人を支配するとき,反対する勢力を弾圧しなければならない。韓国を日本帝国の実質的な強制占領したとき,韓国の独立運動家は民族の独立と開放を掲げて,日本帝国と闘争を繰り返してきました。日本帝国は独立運動を弾圧するため,運動家や愛国者など多くの韓国の人々を西大門刑務所に連行しました。そして,彼らは拷問暴行されて,処刑された場所です。西大門刑務所は,日本植民地時代の代表的な弾圧機関です。1998年11月5日に,韓国の人々にとって,屈辱的な場所を修復し資料収集をして、過去の歴史の大事な一部として、子々孫々、子どもたちへの歴史教育の材料として、建物を「歴史館」として永久保存することになり,西大門刑務所歴史館は開館しました。
 獄舎,死刑場,取調室,拷問室などを見学して,僕は鳥肌が立ってきました。Sさんは「ここから,段差があり,車イスで行くことができません。どうしますか」と聞いてきました。僕は車イスを降りて,全ての施設を見学しました。思わず,僕は獄舎の中で立ち止まりました。祖国の独立を願う人たちは,この獄舎で何を考え,何を思っていただろうか。僕は,ただ立ち尽くしていました。怒りや悲鳴,嘆きなど,聞こえてきそうでした。それらの声なき声に圧倒され,立っていることがやっとの状態でした。それぞれの場所に,当時の再現模型がありました。取調べをする人,拷問する人,裁判をする人,死刑を見届ける人は全て軍服を着た日本人でした。特に,爪の間に尖った金属を差し込む拷問の再現模型を見たとき,僕は過去の日本人がこの地で韓国人にしてきたことを思い,気がついたら,涙が溢れていました。また,拷問風景や差別化されてきた史実を読むにつれ,僕は耐えられなくなってきました。(どうして,人は人に暴力を振るうのだろう…人は人を差別するのだろう)と思えば思うほど,自分の受け止め方を問われているような気がしました。死刑台の縄が死刑場の天井から,ぶら下がっていました。風が吹くと,縄がゆらゆらと生々しく揺れていました。
 この歴史館に,日本語ガイドをしてくれるボランティアの人たちがいました。車イスに乗っている僕を見て「すみませんね。館内に,エレベータがなくてね。2階の部屋に行くとき,声をかけてくださいね。みんなで,車イスを持ち上げますので…」と声をかけて,僕の母と同じ雰囲気の女性が僕たちに近寄ってきました。(ここで,日本人が働いているのかな)と思い,とっさに名札を見ました。ハングル語で書いていました。「ありがとうございます。日本語が堪能ですね」とIさん。「私は館内の日本語ガイドボランティアをしていますよ。館内を案内しましょうか。本当は予約制ですが,この時間帯に予約がなくて」と話していました。日本語ガイドの女性の笑顔が僕には眩しく見えました。
 2階に行くとき,「車イスを持ち上げましょうか」と日本語ガイドボランティアの女性。「いいですよ。歩いて,階段を上ります。車イスは,階段脇に置いてください」と僕は言い,Sさんの肩を借りて,一歩ずつ上っていきました。ちょうど上りきったとき,日本語ガイドボランティアの女性は車イスを2階へ運んできました。「さあ,どうぞ。あれば,便利でしょう」とその女性。確かに,便利でした。車イスに乗りながら,2階のフロアを見学しました。
「この歴史館は,反日教育をしているのでは決してありません。誤解される日本人は多いけど…私たちは隣国日本人と,本当に仲良くしたいと思っています。仲良くするためには,私たちは過去の歴史から学ばなければならないの。この歴史館を多くの方が訪れることで,より一層,韓国人と日本人が同じアジアの人として,友好関係になることを願っています」
 日本語ガイドボランティアの言葉は,広い視野の世界観でした。今までは,日本からアジアを考えていたような…アジアから日本を考える視点を学びました。僕は自分自身を視野の狭さと小さな人間と感じました。『百聞は一見に如かず』という言葉通りだなぁと思いました。 
 ぜひ,この歴史館で感じたことを生徒に伝えようと感じました。


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