んだんだ劇場2006年1月号 vol.85
No30 タイのお受験

寒い!
 さ、寒い。今年の日本の冬はかなり寒いらしいが、チェンマイもかなり冷えている。一年前にロンドンを発つときに、どうせタイでは必要ないから、と家族全員の冬物の衣類を置いてきてしまったのが失敗であった。全然着る服がない。仕方がないので、朝晩は半そでのTシャツの上に、唯一持って帰ってきたフリースのジャケットを着てしのいでいる。
 一方タイの人たちはものすごく厚着をしている。となりのおばさんは毎朝毛糸の帽子をかぶっている。私の働いている病院の看護士さんの中には、マフラーをしたまま仕事をしている人もいるくらいだ。人間だけでなく犬も服を着ている。やっぱり寒いのであろうか。
 あんまり寒いので朝布団から出ることができない。どうして冬の朝の布団中はあんなにほかほかと気持ちがよいのだろう。おなかには小ぶりの人間カイロ(次女)、背中にはちょっと大きい人間カイロ(長女)がくっついていて、もう全然起きる気がしない。だからこのところ、長女は毎日遅刻ぎりぎりである。
 チェンマイでさえ寒いのに、この正月はもっともっと寒い日本で迎える予定だ。夫はすっかり恐れをなして「ぼく、行くのやめようかなあ」と言っている。私も実のところとっても心配だ。うちの実家はなにしろものすごく寒いのだ。
 でも日本を出てから実に9年ぶりの日本のお正月。やっぱりわくわくしてしまう私でもある。

帰るところ
 この冬休み、帰国の計画を立てているときに、「ねえねえ、いつ日本に帰るの?」と長女が私に聞いた。
 「私たちの家はチェンマイだから、こういうときは日本に行くっていうんだよ。」といいながら、ふと考えた。彼女が生まれて以来、日本には住んだことのない私たち家族。でも彼女にとって日本は「帰る」ところなのだろうか。それとも単に、母親の私が無意識に「帰る」といっているのを、真似しているだけなのか。
 自分を振り返ってみれば、休みで日本へ行くときは、「日本に帰る」と言い、休みが終わってタイへ戻るときは、「タイに帰る」と言っている。私には帰る家がふたつあるという感じである。
 娘にとってはどうなのだろう。自分の帰るところ、というのはつまり自分のルーツであり、自分が一体どこに属しているかということでもあり、アイデンティティの形成にとって、とても大事なことなのではないか。
 軽い気持ちで、「日本に帰るじゃなくて、日本に行くっていうんだよ」などと言ってしまったが、彼女にこそ、日本にもタイにも「帰る」と言う権利があるのだ。悪かったなあ。日本に「帰る」でいいんだよ、と言ってあげよう。

タイの子供と教育
 一般にタイのイメージは、子供はのびのびと遊び、塾や受験とは全く縁がない、という感じであるが、実際は全くそうではない。
 まず幼稚園に入る3歳から、早速読み書き、そして足し算を教わる。小学校に入学する時点で、読み書きがしっかりできないとよい学校に入学することはできない。
 地元でよい学校といわれるところはほとんどが私立。だから、お金持ちでないと、よい学校へ行くことはできない。優秀な子供でも、貧しい家に生まれたら、そこで道はほとんど閉ざされたも同然である。
 そのよい学校に入れるために、幼稚園のときからみんな塾通いをする。そして小学校に入学したらしたで、今度はやっぱり塾通い。土日はない。
 日本の子供は大変というけれど、タイの子供も大変なのだ。
 ところが一方、いわゆる受験競争にのらず、地元の町や村の小学校に行った場合、のびのび、のんびりではあるが、こちらもちょっと問題のような気がする。
 私がリサーチに行っている小学校では、いつも先生は教室の後ろに座っている。そして子供たちは与えられた問題集かなにかをもくもくとやっている。自習の時間が毎日続いている、といった感じだ。毎週小学校に行っているのだが、偶然なのか必然なのか、一度も授業中の質疑応答や議論の場面に出会ったことがない。
 とはいっても、私も全てを知っているわけではないので、あまり断定的にいうことはできない。でもどちらのケースを見ていても、やっぱりちょっと心配になるのである。
 高学歴そして将来の高収入を目指して、子供らしい子供時代をあきらめるか、それとものんびり過ごして、将来はある程度のところでよしとするか。どちらにしても、子供自身の意思はあまり反映されず、社会的経済的理由、そして親の意思によって全てが決められているのが現実である。これはもちろんタイに限ったことではないと思うが。
 この両極端な現実。ちょうどよい中間というのはないのだろうか。我が家にとっても、子供の教育問題はひとごとではないので、いつも考えこんでしまうのである。


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