んだんだ劇場2006年2月号 vol.86
No31 ジャイイェン―涼しい心

日本でお正月
 年末年始と日本に帰国した。久しぶりの日本でのお正月である。恐れていた寒さは、かなり覚悟して行った(厚着をしていた?)せいか、無事にしのぐことができた。
 おせち料理を食べて、初詣に行き、そして卒業以来の中学校の同窓会に参加。その合間をぬって、妹、甥っ子に叔母、中学校や高校時代の友人、そして中国で仕事をしていた時の友人などにも会うことができ、本当に充実した冬休みであった。長女も次女も、従兄と遊び、おばあちゃんおじいちゃんに甘やかしてもらい、とても満足したようだ。
 今回の日本滞在で一番よかったのは、何といってもお風呂であった。「うーん、今日は草津、それとも由布院?」と日替わりで入浴剤を選び、熱―い湯船につかる。湯船にざぶんと入れば、冷え切った体がじわーと温まっていく。ああ、なんとしあわせなことよ。やっぱり日本のお風呂は最高である。寒かっただけに、お風呂のありがたみも倍増、いや倍倍増であった。
 大満足の私たちとは対照的に、母はかなり疲れてしまったようだ。几帳面な彼女としては、何事にもスローペースな私たち家族をみていると我慢ができず、身体的にも、精神的にもストレスがたまったのだろう。以前に比べ、母と私たちのペースにはさらに開きが出たようだが、これはやはり私たちの側に原因があるのだろうね、やっぱり。なんとも申し訳ないことである。
 日本に家のない私たちにとって、帰国した際の滞在先は私の実家と決まっているのだが、やはり数日以上の滞在はかなり負担をかけてしまうようだ。そりゃそうだよねえ。今後何か方法を考えなくては。
 そして楽しい日々は過ぎ、またチェンマイに戻ってきた。相変わらず涼しいが、日中は半そででいられるのが、やはりなんといってもすばらしい!
 でもやっぱり日本のお風呂がちょっと恋しい、今日この頃である。

怒りん坊の治し方
 私ははっきりいって怒りん坊である。
 そういうと「えー、信じられなーい!」と言ってくださる方もいるのだが、それは単にソトヅラがいいだけの話であり、家の中ではいつも怒っている。一番の被害者は夫、そして次は長女、時には義理の弟までもが被害を受けている。
 一体何に怒るのか。夫関係では、トイレのドアを閉めない、呼んでも返事をしない、ちらかしっぱなし、がトップ3。長女に関しては、食事、着替え、歯磨き、朝出かける前の準備もろもろ、と数限りない。
 怒った後で冷静に考えてみると、怒ったからといって事態が改善したことはほとんどなく、はっきり言えば、怒り損なのだ。それなのに、なぜ懲りずに怒ってしまうのだろうか。
 理由はひとつ。それは私に、自分の期待通りに他人に行動してほしい、という強―い願望があるからだ。つまり、相手に期待しすぎなのかもしれない。
 そしてもちろん、相手が思い通りに行動してくれるはずはなく、毎回毎回ぷんぷんと怒ってしまうわけである。
 はっきり言って、これはよくない。夫や長女だっておもしろくないだろうし、私にしてみれば、精神衛生上全くよろしくない上、30代後半に入って気になりだした目の周りのしわにも、かなり悪影響を与えていそうである。
 一体どうしたらよいのだろうか。
 実は最近、こんな私を救う鍵は、タイの人々の仏教に基づいた生き方の中に隠されていることに気がついた。
 それはずばり「ジャイ イェン(タイ語で「涼しい心」つまり、心静かに、心安らかにという意味)」である。
 タイの人々は、仏教の「心の平穏が本当の幸福である」という教えに基づいて、いつも心を静かに保つことを大切にしており、怒ったり、短気をおこしたりすることは「ジャイ ローン(「熱い心」つまり、激しい感情を持つこと)」と言われ、望ましくないこととされている。
 またタイの仏教の、現世は前世の行いの結果である、という教えに基づき、人々は自分の人生あるいは現在の状態について、一種のあきらめの感情を持っている。これは別の角度から見れば、現実をあるがままに受け入れる、という特徴的な彼らの行動につながり、全てを受け入れられれば、それはそのまま心安らかな「ジャイ イェン」な状態になっていくのである。
 私のように、「このままじゃだめだ!改善すればもっとよくなるはず!そうだ、やればデキルンダ!!やってできないことはない!!」とついつい気合が入ってしまうようなタイプは、いつも熱い心の「ジャイ ローン」状態になっているわけで、タイの仏教の教えにとってもそむいていることになるわけだ。
 多分日本人に言わせれば、タイのジャイイェンは、結局は怠け者の言い訳で、はなからあきらめてしまっていては、全く進歩が望めないではないか、ということになるのかもしれない。しかし、ふっと肩の力の抜けた彼らの生き方を見ていると、私たち日本人ももうちょっとこうあってもいいのかもしれないな、と思えてくる。少なくとも人生の楽しみ方においては、彼らの方が数段ウワテのような気がするのだ。
 ま、少なくとも、怒りん坊の私は早速ジャイイェンの状態を保つ努力をすべきであり、まずそれには、現状を受け入れるところから始めることになるのであろう。
 夫が返事をしなくても、長女が朝出がけに、履く靴のことでぐだぐだとやんちゃを言っても、静かに静かに、心安らかに、、、。
 ううーん、か、かなり難しそうだ。
 お寺に修行に行ったほうがよいのかも、、、。ジャイイェンの境地に至るまでの道は結構険しそうである。

HIV感染者と周りの人の態度
 小学生を対象に行ったアンケート調査の結果を集計してみると、多くの子どもたちがHIV感染者に対してかなりネガティブなイメージまたは態度を持っていることがわかった。
 例えば、感染している子どもとは遊びたくない、一緒にお昼ご飯を食べたくない、同じ食器を使いたくない、などなど。彼らのほとんどが、HIVの感染経路、というか感染しない経路について誤った知識を持っており、感染者から自分に感染することを、過度に恐れていることがよくわかる。
 これはある意味、全く自然なことでもある。こういうことでは感染しない、という正しい知識がなければ、自分の身を病気から守るために、感染者をできるだけ避けようとするのは当たり前であろう。
 でも正しい知識を持っていればそれでよいのか、というと必ずしもそうでもないのが現実だ。
 先日保健所が主催した住民のためのエイズ関連のセミナーを見学に行った。そこで、県の保健所の医師がエイズの感染経路について話をしたのだが、彼女はこう言ったのである。
「感染者と一緒に食事をしてもうつる心配はありません。でも私は、みんなで同じお皿から取って食べるときは、取り分け用のスプーンを用意(感染者とは同じスプーンを使わないように)しています。」
 うーん、なんだかとても正直なんだけど、それを保健所の医師が言っちゃっていいのかなあ、という気がする。
 でも大人のほうがこういうこだわりを持っているだけで、子どもの場合は正しい知識さえ持っていれば、結構へっちゃらなのかもしれない。
 リサーチをしている小学校で、来月エイズに関するセミナーが行われる予定だ。その後にもう一度同じ内容のアンケート調査をする予定なので、果たして正しい知識を持てば、子どもの態度は変わるのか、見てみたいと思っている。
 でもまたあの保健所の医師が来て、「感染者とは同じ食器を使わない方がいいかもしれません」なんて言っちゃったら、ちょっと困ってしまうのであるが。


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