んだんだ劇場2006年5月号 vol.89
No33 迷いの期間

タイの正月 ソンクラーン
 4月13日から15日までタイ正月。チェンマイでは盛大に水かけ祭りが行われた。旧市街の周りを堀がぐるっと囲んでいるため、水かけ祭りにはうってつけ。紐のついたバケツをポーンと堀に投げ込んで水をくみ、通りをゆくバイクや人、誰彼かまわずかけまくる。日頃のストレスも一気に解消!なんとも楽しいお祭りである。

堀の脇で紐付きバケツを売るおじさん

堀から水をくんで、ばしゃっ!
 長女と夫も近所の人たちと一緒に市内に出かけて行き、びっしょりになって帰ってきた。私も若い頃は水のかけ合いを大いに楽しんだものだが、二人の子持ちとなった今ではちょっと引退といった感も否めない。
 若者たちの間では、ちょっとかわいいな(かっこいいな)と思った相手に水をかけて、知り合いになるきっかけを作る、というまた別の目的も存在しているらしいので、もし出かけていって水もかけられなかったら、ちょっと悲しいではないか、とオバサンは弱気なのである。
 とにかくこの時期はチェンマイ中が大混雑するので、ほとんど家でじっとしていた。子供たちは家の庭に出したビニールプールで一日中遊ぶ。近所の子供たちもやってきて、みんなでバチャバチャやっている。
 あんまり暑いので、私も水着に着替えて一緒に入った。あー、やっぱり気持ちがいい。プールがもう少し大きかったら泳げるのに、と思いつつ、行水で我慢。あきれた顔をして私をみていた夫も、気づくと水着に着替えている。そうなのだ。一番暑いこの季節は、大人も子供も水遊びをしてしのぐに限るのだ。
 この季節には私の大好きな花が咲く。ゴールデンシャワーと呼ばれる花で、藤の花を黄色にしてもっと大ぶりにしたような花が枝いっぱいにつく。本当に金色の雨が降っているみたいなのだ。街路樹としてたくさん植えられており、運転しながら、ついついうっとりとみとれてしまうのでちょっと危険だ。
 願わくは少しでも長く咲いていてくれますように。

タイの国花 ゴールデンシャワー

リサーチ大詰め
 このところ毎晩夫と私はコンピューターの前から離れられない。夫は今までに録音したインタビューを聞きながら、全ての会話を英語に翻訳中。私は集めたデータを整理しながら、結果をまとめている。
 とうとうこの6月にまたロンドンに行くことになったのだ。指導教官に会って論文を見てもらうためである。つまり、その時までにリサーチの結果をある程度まとめなければならないのだ。
 今までにサボっていた分のツケが、一気にまわってきた。
「どうして今になって去年のインタビューの翻訳しなきゃならないわけ?どうしてもっと早く始めなかったんだよー。」
と夫は怒りつつ、
「だ、だめだ、、、。おやすみなさーい。」
と意識を失っている。
 日中は、子供たちを幼稚園に送り出した後、コンピューターの前に座る。でもあっという間に昼ごはんの時間になって、そしてまたあっという間にお迎えの時間だ。
 とても非生産的な毎日が過ぎていく。なかなか筆が、いや指が進まないのだが、とにかく書くしかない。科学的に考察しながら結果をまとめていく、というのとは程遠く、思いついたことをそのまま書き連ねているので、数回の手直しは必須であろう。でも今はとりあえずそれでよいのだ。とにかくページ数を増やせ!
 で、でもやっぱり眠い。眠くなると何度も何度も目が同じ行をたどってしまう。英語なので最悪だ。あー、だ、だめだ、、、。おやすみなさい。

悩める日々
 私たち家族の場合、ほぼ2,3年周期で生活の場所が変わる。中国を発ったのが2003年の12月。あれから2年数ヶ月が過ぎ、またそろそろ次に向けての心の準備をする時期がやってきた。
 しかし今回はかなり複雑だ。私の大学院の終了時期、就職時期、そして長女と次女の教育という3つ(4つ?)の事柄を合わせて考え、タイミングを見計らって次の移動をしなくてはならない。
 大学院の終了が、ひとえに私自身の努力にかかっているのが、なんともクセモノだ。卒業できようができまいが、来年9月には卒業!と決まっていれば、では次に就職、そして子供の学校、と順に決めていくことができるのに、全ては私の論文次第とあっては、なんとも心もとない。
 しかし、今の時点で心に決めていることもある。
 それは、子供たちが小学校の間は日本で生活すること、である。子供たちにはしっかり日本人としてのアイデンティティーを持ってほしいし、母語としての日本語もしっかり確立させてほしいからである。
 本当のことを言えば、私自身がまた日本社会に順応することができるのか、とっても疑問であり、はっきりいってかなり難しいのではないかと思う。もしかすると、子供たちや夫のほうがすんなり順応してしまうかもしれない。それこそ、もし私が独身で子供がいなければ、多分日本に帰るという選択肢は出てこなかったとも思うのだが、今回はひとえに子供たちのためである。
 なぜ小学校なのか、というと、一つには12歳頃までが子供の言語獲得にとても大切な時期ということがある。でもなんといっても一番の理由は、子供時代を過ごした場所がその人の帰るべきところ、というか心のふるさとになるのではないか、つまりその人のアイデンティティーの形成にとってとても重要な意味を持つのではないか、と思うからである。これは全く根拠のない、私の直感なのだが、でも多分当たっているような気がするのだ。
 来年帰国する場合は、長女の場合、幼稚園年長から編入ということになる。でも小学校からということであれば、再来年の4月からなのでまだ間がある。現在、いくつかの海外子女教育関係の機関にいろいろと相談しているところであるが、どちらかといえば引っ込み思案で恥ずかしがりやの彼女の性格を考えると、編入よりも区切りのよい小学校からのほうがよいのかもしれない。
 そして私の就職は?となると、もうどこから手をつけたらよいのか、よくわからない。ああ・・・。すっかり路頭に迷っている私である。でも選択の余地があるということは、とても幸せなことなんだよね。文句を言わずにこの迷いの期間を楽しんだほうがいいのかもしれないなあ。


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