んだんだ劇場2006年8月号 vol.92
No36 日本でカルチャーショック

一時帰国
 一時帰国で実家に戻った。5月中旬に倒れた父はかなり回復し、現在では、倒れる前と同じような生活ができるまでになった。主治医をもうならせた驚異の回復であった。娘としては本当に心底ほっとした。
 家族全員で私の実家に帰省している、というと聞こえがいいが、実際は帰省というより寄生しているというのが現実だ。元気いっぱいの孫たちは私の母にくっつきっぱなしだし、自分たちで勝手にやりなさいといいつつも、何かと世話を焼かずにはいられない母は、既にぐったり疲れている。やっぱり、ウィークリーマンションに滞在して、実家には数日だけ戻ることにすればよかったなあ、と思うのだが、いつも、「どうせお金ないんだから、そんな無駄使いしないの!」という母の一声に甘えてしまう、情けない娘家族なのである。
 さて今回は、私の就職活動と長女のための学校見学が目的なので、私ひとりでほとんど一日おきに東京通いであった。
 就職活動とはいっても、まだ具体的な段階ではなく、いろいろな人に会っていろいろな話を聞かせてもらうというのが今回の目的であった。ここでは詳しく書かないが、いろいろな方から貴重なアドバイスをもらい、とてもよいブレインストーミングとなった。幸いなことに、まだしばらく時間があるので、もう一度じっくり考えてみようと思う。

盗難
 日本に帰国する前に、私ひとりでロンドンへ行った。これは指導教官に論文をみてもらうためであった。こちらのほうは何とか無事に終わり、「じゃあ、残りを書き上げて、もう一度10月に会いましょう。」ということになった。
 ところがなんと、その後、バスの中で財布を盗まれてしまったのである。しかもその中にはパスポートもクレジットカードもキャッシュカードもトラベラーズチェックもその番号控えも、それからついでにタイの運転免許(なぜ免許証までロンドンまで持ってこなくてはならなかったのか、自分で自分に聞きたいのだが)も、みんなみんな入っていたのである。
 気づいたのが早かったため、すぐにカード類は止めることができ、不正に使用されずに済んだのは幸いであった。
 ところが問題はパスポートであった。盗まれたのは水曜日の夜で、その週の金曜日の夜にはタイに帰国することになっていたため、大至急なんとかしなければならない。翌日木曜日の朝、ロンドンの日本領事館に確認したところ、もし直接日本に帰るのであれば、パスポートの代わりになるような証明書を発行するだけで済んだらしいのだが、私の場合タイに戻らなければならないので、やはりパスポートが必要とのこと。しかもパスポートの発行には戸籍抄本が必要らしい。大慌てで実家の母に頼んだが、時差のため、役所はもう閉まっており、もう一日待たねばならない。
 こ、これじゃあ金曜日には帰れないかも、、、と一瞬青ざめたが、なんとかぎりぎりセーフで間に合い、帰国する当日の午後、新しいパスポートを発行してもらうことができた。
 しかし、盗まれたパスポートにあったタイとイギリスのビザはパーになってしまった。タイのビザは、ロンドン出発のわずか数日前に一年間の延長をしたばかりだったのに。しかし、こういう場合はやはりまた最初から取り直しなのだ。そんなわけで、日本帰国中にまたわざわざ東京のタイ大使館に行って取り直しすることになった。
 本当にトホホである。イギリスのビザに至っては、もうあきらめるしかない。とりあえず6ヶ月以内の滞在であればビザなしでOKなので、このまま行くしかないだろう。
 いろいろな人にも大変迷惑をかけてしまった。夫が近所の人に話したところ、
「いやー、それはお祓いしてもらったほうがいいね。」
と言われたらしい。確かにそうかもしれない。今まで一度も盗難にあったことがなかったのに、今回はやはりスキがあったのだろう。しかも油断しすぎであった。
 一番痛かったのはやはりビザであった。パスポートはすぐできるけれど、ビザには時間がかかるのよー。
 パスポートは大切に保管しましょう、とよくいうが、確かにその通りだなあ、と妙に納得。もう絶対にパスポートはなくさない!と固く誓った私であった。

カルチャーショック
 いつも帰国するたびにカルチャーショックを少なからず受けている。結構それが楽しみでもあるので、帰国したときは周りをじっくり観察することにしている。今何が流行っているのか、人々はどんな服装をしているのか。今回の気づきはこんな感じであった。
・マンゴー味が流行っている。パンも、アイスクリームも。
・これを飲めば一日に必要な350グラムの野菜が摂れるというジュースが売られている。食生活が不規則な人たちにとって、よいことだと思う。私も毎日飲んで、なんだか健康になった気がした。
・ 若い女性は胸のすぐ下に切り替えのあるドレスのようなものを着ている。一瞬妊婦さんなのかと思ったが、ファッションらしい。
・ マッサージが流行っている。タイのマッサージも人気らしい。若者がチェンマイにマッサージを習いに来るわけがわかった。
・ 髪を青く染め、青い服を着て、裸足にビニール袋を履いた若い女の子が歩いていた。なぜビニール袋なのか不明。
・ 電車ではやっぱりお年寄りには席を譲らない。
・ 喫茶店で禁煙席はあるものの、部屋中がすでにタバコの煙でいっぱいで、全く禁煙席の意味がない。タバコやめろー!なぜ日本人はこんなにタバコを吸うのだろうか。
・ 東京に出るとほぼ毎回、人身事故で電車に遅れが出る。これは絶対異様だと思うが、ニュースにもならない。こんなに毎日人が自殺をしていてよいのだろうか。

 当たっているかどうかは不明だが、毎回自分なりに、ふふーん、そうなのね、と自分の中の日本をアップデートしてタイに戻る。時々、私はまた日本でやっていけるのだろうか、とちょっと不安になりながら。
 
そしてまたチェンマイへ
 一時帰国を終えてチェンマイに戻ったら、もうロンガン(竜眼)の季節になっていた。どうしてこんなにおいしいのか、本当に不思議だ。食べ始めると止まらない。タイには本当においしい果物がたくさんあるが、その中でもこのロンガンは群を抜いている。
 長女と次女はまた幼稚園と保育園に行き始めた。私はまた論文にとりかかろうとしているのだが、例によって夜はついつい子どもたちと一緒に寝てしまい、睡眠時間10時間をキープしている毎日だ。36歳の大人がこんなに寝ていて良いのだろうか。でもまた10月にはロンドンに行かねばならない。そろそろ腰を上げてまた書き始めないと、大変なことになってしまう。
 そうそう、どうして論文に手がつかなかったのかというと、もうひとつ理由があった。一時帰国中に就職情報集め、および子どもの学校情報集めをしていたら、ある程度立てていた将来のプランがさらに混乱してしまい、すべてが白紙に戻ってしまったのだ。ブレインストーミングといえば確かにそうなのだが、でもこれに呆然として落ち込んでいたらあっという間に日が経ってしまったのである。
 自分の精神状態がよくないと、ささいなことで子どもたちにもあたってしまう。これは最悪だ。そんな自己嫌悪からようやく立ち直り始めたのが先週のこと。
 まずは愛だ愛、と子どもたちをとにかく抱きしめることにした。もうすぐ2歳になる次女はまだまだ赤ちゃんという感じなので、彼女を抱っこするのはごく自然で問題はない。しかしもう5歳になる長女に関しては「抱っこ、抱っこ」と思っていないとつい忘れてしまう。そして長女を抱っこしたときのなんだか気恥ずかしいようなぎこちないような感覚が、彼女を久しくゆっくり抱きしめていなかったことを私に気づかせ、そしてとても申し訳ない気持ちにさせるのだ。
 抱っこしたら、子どもが自分で母親から離れるまでそのままじっと待つことにした。すると、長女は長い間抱っこされたままで、なかなか離れない。これは彼女の中で、母親の愛エネルギーがかなり足りなくなっている証拠なのかもしれない。未熟な母親はただただ反省し、たくさん抱きしめてやって愛エネルギーを充電してやるしかない。
 夕べ、眠った次女のほっぺたにチュウした後にハッと気づき、長女に、
「ほっぺにチュウしようか。」
と言ってみた。すると長女はぱっと私のほうを向き、期待で一杯の瞳で私を見つめるではないか。まるで恋人を見つめるような、星がきらきらしている目で!
 私は頭をガ−ンと殴られたような気がした。愛、愛。確かに長女に愛が足りない警報が出ている。
 私は深く反省した。家族の将来と自分の将来のことでキリキリするのは私の勝手。不安なあまりついつい未来のことばかり気になって、現在を、今を生きている子どもたちを見つめる時間が足りていないのではないか。
 頭ではわかっていても、ついついささいなことで小言を言ったり、怒ったりしてしまう私。こんな私にもできる一番の方法は、やっぱり子どもを抱きしめることなのではないかと思う。これからしばらくは気づいたらいつも子どもたちを抱きしめてやることにしようと心に決めた。


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