んだんだ劇場2006年11月号 vol.95
No39 来し方行く末、そろそろ冬支度

学会帰国と雨季の終わり
 10月の始めに長崎で開催された国際保健関係の学会に参加した。この学会は研究成果を発表するという目的の他に、国際保健分野で活動している人たちの同窓会、情報交換、そして就職活動の場としての役割もある。
 今回の学会では、学生時代から始まって、研修医時代、国境なき医師団時代、ロンドン時代、そして中国時代、そしてまたロンドン時代とそれぞれの時代に出会った懐かしい人々に再会することができ、懐かしい思い出話やお互いの近況報告など、時間がいくらあっても足りないほどであった。
 ところで、娘たちは夫とチェンマイで留守番をしていたのだが、夜、宿泊先のホテルで1人で寝るのにはさびしくて困った。私はいつも左に長女、右に次女をはべらせて、左手で長女のお腹をぽんぽんし、右手で次女のムチムチふくらはぎをむにゅむにゅしながら寝ているのだ。時には両脇から激しい蹴りを入れられることもあるが、子供が脇にいないと眠れない、子離れの出来ていない母親なのであった。
 さて学会が終わってチェンマイに戻ったら、いつのまにか雨季が終わって乾季になっていた。いわゆるタイの冬なのだが、からっとした晴天が続くためか以前よりちょっと暑くなった様な気もする。これから来年の5月くらいまでは、雨の降らない毎日が続く。気温も下がるので蚊も減って、とても過ごしやすい季節である。もうそろそろ冬支度。子どもたちの長袖の衣類や、分厚い布団を出さなくては。

あれからもう3年
 現在大学院3年生の私であるが、来年はとうとう(うまくいけば)卒業である。思い起こせば3年前のちょうど今頃、進路について悩んでいた私は、結局大学院に行く道を選んだのであった。
 あれからもう3年。この3年間を振り返って5段階評価するとすれば、うーん、3の上、いや4であろうか?
 大学院での研究に関して言えば、はっきり言って自分がどこまで進歩したのかよくわからない。実に孤独な道のりだということは確かに言える。ただ少なくとも、世間ではあまり注目されていない、エイズ患者を親に持つ子どもたちが抱える多くの問題を多少は掘り下げることができたかもしれない。これからは研究の結果をなるべく多くの人々に還元して、子ども達が少しでもより楽しい毎日を送れるような手助けになれたらいいのだが。
 病院での仕事に関しては、久々の臨床に触れる機会といろいろな患者さんと話す機会が得られた上に、家族をとりあえず養っていく収入も得ることができた、とまずは言うことはなし。
 一方、家庭に関して言えば、次女の誕生、そして二人の娘の成長を、誰に気兼ねすることもなくのんびりと楽しめたことは本当に良かったと思う。彼女たちを通して、いろいろな人と知り合うこともできた。本来ならもっと二人に時間を割いてゆっくり遊んでやるはずだったのだが、実際には幼稚園や保育園から帰ってきたら、ご飯を食べさせて、お風呂に入れて、着替えさせて、歯を磨いて、本を読んで一日が終わる、というあわただしい毎日で、幼稚園に預けっぱなし(共働きの家庭が多いので5時まで幼稚園でみてくれる)だったなあ、と反省している。でも幸いなことによい近所の人々に恵まれて、娘たちは、近所のおばさんやおじさんにかまってもらったり、近所の子ども達と楽しく遊ぶことができた。本当にラッキーだったと思う。
 本当はもう1人子どもが欲しかったのだが、全てに手一杯で、現時点ではほぼあきらめている。でもそのうち「やっぱりあの時無理して生んでおけばよかったなあ」と思う日が来るのかもしれないなあ。
 反省点は、何かにつけて怒りっぽかったこと。自分のストレスをついつい子どもや夫に向けて発散してしまい、怒った後にいつも反省。生活自体が不安定なので、つい将来への不安からイライラすることが多く(と私は分析しているのだが)、子どもたちや夫にしてみれば本当に迷惑なことだったと思う。でも生活が安定すれば怒らなくなるのかといえば、必ずしもそうではないような気もするなあ、、。
 まあ、いろいろあったにせよ、十分に合格点の3年間でした。

そしてこれから
 そしてまた今後の進路を考える時期がやってきた。長女も再来年には小学校入学と、そろそろ真剣に家族の行く末を考えなくてはならない時期である。私としては、娘たちが小学生のうちに、日本での生活を経験させてやりたい、そして少なくとも小学校時代は日本語で教育を受けさせたいと思っている。それは二人に日本人としてのアイデンティティーを持って欲しいからだ。
 もちろん英語も使えるようになって欲しいし、広い視野を持っていろいろな文化を受け入れることのできる人になって欲しい。現在のような状況でタイにいれば、きっといろいろな文化を持った人と触れ合って、そして日本語、英語、タイ語、カレン語ともそれなりにできるようになるであろう。しかし、やはり母語である日本語が第一言語の彼女たちにとって、このままでは日本語も中途半端になってしまうのではないかと心配なのだ。私は彼女たちに日本語というしっかりした土台を持った上で、他の言語もできるようになってもらいたいなあと思っている。そのためには、やはり日本に住んで日本の小学校に行くのが一番のような気がしているのだ。
 そして何よりも、小さいころに日本に住んだ経験を持たないと、将来「私の故郷はどこなんだろう?」とさびしい気持ちになるのではないか、と思うのだ。
 ただ、日本に帰ってしまえば、他の言語に触れる機会はぐんと減ってしまうので、英語やカレン語、タイ語を維持するのは至難の技だと思う。それもちょっと残念なのだが。うーん。
 とにかく、こんなわけで、今は日本での職を探している。不安も一杯なのだけれど、一度家族全員で日本で暮らしてみるのも、きっと悪くないに違いないと思いながら。


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