マンボウをもらった!
どうやって食べるの?
私は今、単身赴任で名古屋へ来ている。住んでいるのは稲沢市で、名古屋駅から名鉄の特急で13分の距離だ。
昨年の暮れ、ちょっと一杯やって、9時ごろ帰宅すると、初めての留守電が点滅していた。再生ボタンを押すと、かみさんの声が聞こえた。
だが、何かをもらったらしいことはわかったが、音声不明瞭で用件がわからない(音声不明瞭なのは電話機のせいらしい)。急用のようなので、こちらから電話すると、「マンボウは、どうやって食べたらいいの?」と言う。
「皮はむいた方がいいの?」
「そんなこと、わからないよ」
マンボウは、扁平な体で、やたらと大きな魚だ。「マンボウ科」に属する(ほかに、この科の魚がいるかどうかもわからない)。千葉県いすみ市(旧大原町)から車で1時間ほどの「鴨川シーワールド」の水族館で、水槽を泳ぎ回るこいつを見た時は、その大きさに驚き、感激した。図鑑には「全長3メートル」と書いてあったが、実際、それくらいはあった。
マンボウは食用になり、我が家から車で10分ほどの大多喜町にあるショッピングセンターの魚屋には、時々「刺身用」があって、必ずキモがついている。非常に淡白な味なので、キモあえにしてやっと「味がわかる」と思った方がいい。
実は、電話をした時間には、すでにマンボウは食卓にのぼっていた。味噌仕立ての鍋にしたという。でも、まだ身がだいぶ残っているというので、それは「さっと湯がいて、冷蔵庫のチルドに入れておけ」と指示した。
「野村祐三さんに聞いてみるから、そっちでも、野村さんの本でマンボウの食べ方を探せ」とも言った。
野村さんは、食生活ジャーナリストの会の仲間で、「サカナの専門家」である。全国の浜を旅して、漁師直伝の料理を紹介している人だ。
「それにしても、ずいぶんたくさん分けてもらったんだね」
私が言うと、かみさんは平然と、
「だって、1匹もらったのよ」と答えた。
私は、絶句した。
切り身をもらったとばかり思っていたのだ。マンボウを1匹だなんて、我が家の台所にも入りきれないじゃないか!
「でもね、50センチくらいの、子供よ」
いただいたマンボウ1匹 |
近所の人が釣りに行って、釣り上げてしまったのだそうだ。「なーんだ」とは思ったが、いやはや、驚いた。
そう言えば、マンボウは一度に2億個もの卵を産む。あらゆる動物の中で、最も産卵数が多いということを思い出した。親だって波間をプカプカ漂っているような魚だから、卵からかえった稚魚もプカプカしているうちに、大半が食べられてしまうのだろう。「やっと50センチに育った」ところで、人間に釣られてしまっても不思議ではない。
電話があった翌日の夜に、私はいすみ市に帰った。野村さんからのメール返信に従って、湯がいた身を酢味噌で食べたら、コリコリしていて、なかなかの美味だった。
ただし、鍋の残りの方は、皮がそのままついていて、皮のすぐ下の部分はクニャクニャしたゼラチン質で……それはまあいいのだが、皮はザラザラ、シャリシャリと舌にざらついた。非常に細かいウロコがあるようだ。皮は除くべきだと、「丸ごと1匹のマンボウ」を食べてみて、初めて知った。
皆さんも、マンボウを1匹もらったら、ご注意を!
薪割りの日々
このところ、大原に帰るたびに薪割りに精を出している。と言っても、まずチェーンソーで大木を輪切りにする作業に追われている。
いくら切っても果てしがない材木の山 |
我が家の東側には、川に張り出すように2本の巨木があった。樹齢200年か300年には達するだろうと思われる椎の木だった。ここに家を建てたころは、リスが巣をつくっていたらしく、クルミが実る頃(このクルミの木は枯れてしまった)になると、リスがガラス戸の向こうでクルミを食べる姿をよく見かけた。
しかし、河川改修工事が始まって、椎の木は2本とも切られた。
それが、南側の空き地に転がっていて、ストーブにくべる薪にするために私が輪切りにしているのである。だが、根元の直径が1メートルを超えるような大木は、枝だけでも切るのが大変だ。椎の木は硬くて、チェーンソーの刃もすぐに切れ味が鈍ってしまう。そうなると、木は切れないのに息が切れるハメになる。
それに、7年使ったチェーンソーは、だいぶガタが来て、エンジンのかかりも悪い。というわけで、暮れに新しいチェーンソーを買った。それで輪切り作業もだいぶはかどるようにはなったが……一日の仕事を終わってみると、材木の量はちっとも減っていなくて、ため息が出る。
長さ30センチほどに輪切りにしてから、斧で割る作業もある。それを冬の間にやってしまわなければいけない。週末農民も、楽ではない。
伊勢うどん
私が勤める中日本高速道路会社の社内報で、「インターから20分紀行」という連載を書き始めた。旧日本道路公団を民営化したこの会社では、まじめすぎる人が多いのか、道路を紹介してくれと頼むと、その道路がいつできて、建設費がいくらかかって、というような話しか出て来ない。
高速道路は、会社の商品なんだから、その商品価値を知らしめるような記事を社内報にも載せたいと考えた。社内報は家族も読むので、休日に「ここへ行ってみましょうよ」と、家族が思えば、外部の人にもアピールするだろうと考え、インターで下りて20分で行けるような場所を、写真と文で紹介することにしたのである。
1月号はおめでたく、伊勢神宮近辺に行くことにした。
伊勢神宮は、外宮と内宮の2か所があって、内宮の祭神がアマテラスオオミカミ、天皇家の先祖とされる神様である。内宮の鳥居前(お寺なら門前)には、参拝者に食べ物やみやげ物を売る店がならんでいて、「おかげ横丁」という愛称で呼ばれている。
横丁の入り口近くに、大きな店構えを誇っているのが、伊勢名物「赤福」の本店である。来年で創業300年になるという老舗だ……ということを知ったので、ここの写真はぜひ必要だなどと取材予定を立てていたら、「伊勢に行ったら、ぜひ、うどんを食べて」という人がいた。「なぜ、これが、日本のメジャーうどんにならないんだ!」と絶叫する、伊勢出身の社員がまとめたレポートまで届けてくれた。インターネットで伊勢市のホームページを開くと、ご丁寧な「伊勢うどんの名店案内」まである。
ところが、社内で何人かに聞くと、「あんなまずいもの!」と口をそろえるのである。
「それなら、絶対に食べなくちゃ」
賛否両論の食べ物は、はまれば、とことん好きになるものだからだ。
で、JR伊勢市駅前の、正真正銘の「駅前食堂」のような店で食べてみた。
名物という「伊勢うどん」 |
簡単に言うと、素うどんに醤油をかけ、刻み青ねぎを散らしただけのようなものだ。しかも、うどんは太く、そしてあきれるほど軟らかい。どうやったら、伸びてもいないのにこんなに軟らかくできるのだろう、と考えてしまった。
「モチみたいなうどんだ」と、誰かが言っていたのを思い出した。
店によって、たまり醤油を使ったり、少量の出汁を加えたり、それなりに味の工夫はあるらしく、伊勢うどん愛好者のレポートには「わけありルポ」がたくさん書いてあった。「拒否者」が言うほどまずくはないと思ったが、のめり込むほどのうまさでなかったことだけは確かだ。
まあ、伊勢神宮に行く機会があれば、ためしにご賞味を。
犬は喜び!?
また、雪が降った
1月21日の土曜日、温暖の地、外房の大原町(今は、いすみ市)に朝から晩まで雪が降った。単身赴任の名古屋から、薪割りをするために帰ったのに、なんてことだ!
翌朝、雪は10センチくらい積もっていた。いつもなら昼までには消えてしまうのに、今回は雪の表面がカチカチに固まったままだ。ここに住んで8年になるが、こんなに寒い冬は初めてだ。
でも、空はよく晴れたので表に出ると、愛犬モモが、長い鎖を引きちぎらんばかりに、猛烈な勢いで私の前を走り回った。
雪の上を走り回るモモ |
まるで「犬は喜び庭かけまわり、猫はコタツで……」という、童謡そのまま。と、思ったはいけない。我が家のモモの場合は、違うのである。
午後になって、かみさんがモモを散歩に連れ出し、私が斧で木を割っている「作業場」の方へ来ようとしたのだが、モモの動きがぎこちない。
「ホントに、モモは雪が嫌いなんだから。濡れるのがきらいなのね」と、かみさんが言う。
そうなのだ。この犬は、濡れるのが大嫌いなのだ。散歩に行くと水溜りは必ずよけるし、雨の日は決して小屋から出ようとしない。シャンプーしてやる時は、大騒動らしい(浴室のドアを閉めて、かみさんがモモを洗うので、どのくらい暴れるのか私はよく知らないが、途中であきらめておとなしくなるようだ)。
それなのに、さっきは、どうして「犬は喜び……」だったのか?
実は、こいつは「われを忘れていた」のだ、と思う。モモは時々、鎖の長さの範囲で、猛烈と走り回ることがある。久しぶりに私が帰ったのでうれしくなったのだろうと、飼い主としては思いたくなるが、本当のところは「犬の個性」としか言いようがない。
雪に足を下ろさないモモ |
狭いブロックに足を置いている姿が、我が家のモモの本来である。つまり、童謡の歌詞がすべての犬の姿ではない、ということだ。
と、書いて、思い出したのだが、「ちょうちょ」という童謡では、菜の花に飽きたら桜に止まれという歌詞になっているが、「蝶は桜の蜜を吸わない」という科学者の話を聞いたことがある。桜の花にはもともと蜜がないのか、蝶のストローのような口が桜の花の構造に合わないのか、そこがはっきりとは思い出せないが、根拠をきちんと示した話だった。
作詞者が「いかにもありそうなこと」のようにチョウチョを描き、誰でもが知っている歌になってしまったので、ほとんどの人が疑問を持つこともなくなっている。雪が降っても喜ばない犬は例外かもしれないが、桜の花の蜜を吸う蝶はあり得ないのである。
と、記憶を頼ってエラそうに言ったが……この春、もしも、桜の周囲をヒラヒラ飛び回っているのではなく、桜の花の蜜を吸う蝶を見かけたら、誰か教えて!
やったぜ、大木切り
今回は、月曜まで休みをもらっていた。土曜が降雪で外に出られず、日曜は、前に輪切りにしておいた木をひたすら割って過ごし、でも、少しは積み重なっている大木を輪切りにしないといけないと思い、月曜は、朝からチェーンソーを持ち出した。
私が名古屋に行っている間に、かみさんがホームセンターへ行って、チェーンソーの刃を新しいのと交換しておいてくれたから、刃の切れ味がよいうちに、大きな木を切っておきたかった。
で、一番太い木を最初に切った。
ついに輪切りにした大木 |
我が家のチェーンソーの刃渡りは40センチある。素人が使うには大きい方だが、この木の直径にはとても届かない。でも、両側から切れば「直径80センチ」の木は切れる、と理論的には言えるのだが、実際は、そう簡単ではない。
やってみればわかるが、幹に対して正確に、刃を直角にあてるのが、素人には至難の業なのだ。だから、両側から刃を入れると、中心部に近づくにつれて、切り口が微妙にずれて来るのである。何年もやっているせいか、私も大幅に狂うことはなくなったが、これだけの大木になると、やはり最後のところでピッタリとは切り口が重ならない。
そういう時には、クサビを打ち込んで切り口をむりやり広げ、最後の「ちょっとしたところ」にチェーンソーの刃が届くようにする。我が家には、直径5センチもの、超特大の鉄のクサビが2本あるので、これまではそれでうまく行っていた。が、今回は、それでも切り離せなかった。
父親に聞くと、これ以上大きなクサビは売っていないという。だから「硬い木を斜めに切って、もっと太いクサビを作れ」と教えられた。
私が選んだのは、椿の木だ。毎年たくさんの花を咲かせる椿が土手にあったのだが、これも河川改修のために切られてしまった。その枝の太いところをチェーンソーで斜めに切って、鉄のクサビで広げた大木の切り口に差し込み、赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったときのような「かけや」(打ち出の小槌の大きいような物)を、上から数回思い切り打ち下ろしたら、「ベキベキ」と大きな音を立てて大木の端が落ちた。
「どんなもんだい!」
うれしくて、かみさんに記念写真を撮らせたのだが、ごらんのように、大木には、まだまだその先がある。そして、こんな大木が、あと2本も転がっているのだ。
私の「週末山村農民」は、しばらく続く。
食べました、味噌煮込みうどん
前回の「日記」で、「驚くほどやわらかい」伊勢うどんを紹介した。反響がけっこうあって、食べたことがあるという人も多かった。しかし、「私、好きです」という人は一人しかいなかった。「うどんは、コシがなければいけない」との声が大部分。
それとは逆に、「ありゃあ、コシなんてもんじゃなくて、硬いんだよ」と、名古屋に来て聞いたのが「味噌煮込みうどん」だ。あまりにも硬いので、「このうどん、生煮えだよ」と、客が文句を言った話が伝わっているシロモノである。
それを、先日食べた。
「山本屋本店」の味噌煮込みうどん |
俳句の古い友人であるT女史が仕事で名古屋に来る、しかし昼食しかつきあえない、というので「名古屋名物をご馳走しよう」と思った。最初は、「ひつまぶし」にするつもりだった。鰻ご飯を3種類の食べ方でいただく、というものである。が、予定の店へ向かって歩いているうちに、彼女が「私、鰻は食べられないの」と言った。
言ったところが、「山本屋本店」の前だった。それで「味噌煮込みうどん」を食べることになったのである(その結果、まだ「ひつまぶし」は食べていない)。
最初にお茶と、「お代わりできます」というおいしい漬物が出てきて、うどんが出て来るまでかなり待たされたから、しっかり土鍋で煮込んだのだろう。決して「生煮え」ではなく、うわさに聞いた「硬い」というほどでもなかった。味噌の味が濃厚すぎるかなと感じたが、ご飯も出て来て、うどんの汁が染み込んだネギなんかを載せて食べるご飯が、またうまい。なるほど、これは名物に値する「うどん」である。
ところで、私は前々から「味噌煮込みうどんは山本屋」という評判は知っていた。しかし、つい最近、街を歩いている時に「山本屋総本店」という看板を見た。うどんを食べたあとで「総本店」のことを尋ねると、「あちらは、全く関係ありません」という返事だった。「本店」と「総本店」……よくある「本家争い」なのだろうか。
まあ、それはともかく、名古屋では「鶏の手羽先」がたいていの「飲み屋」のメニューにあるように、「うまいもの」には追随する店が現れるのもよくあることだ。味噌煮込みうどんにしても、「山本屋」以外にも見かける。
それどころか、これも最近、ドライブしていたら「味噌煮込みカレーうどん」という巨大な看板を目にした。伊勢うどんにしても、昔ながらの「醤油かけうどん」は1杯400円から500円なのに、エビを載せて1200円もする「伊勢海老うどん」が登場している。エビにだまされてはいけない。うどんそのものは、同じなのだから。
前に、「あんかけスパゲッティ」なるものがあることも書いた(まだ食べていない)。その後、「あんトースト」なるもの(これは「小倉トースト」と言う)も、かなりの市民権を得ていることを知った。こちらは、スパゲッティのように「具のとろみあん」をかけるのではなく、食パンのバタートーストに小豆餡(あん)を載せるのだという。
「アンパンがあるんだから、食パンに餡を載せてもおかしくないでしょ」
という理屈である(これもまだ食べていない)。
フランスの焼き菓子で「餅」をはさむ、という銘菓(登録商標は「名古屋フランス」と言って、このネーミングがまたすごい)まである。
私は、聞いただけで拒否反応を示すことはないので、名古屋文化の一端であろうと思われる「驚くべき古今東西の味の融合」には興味をそそられるが……それにしても、よくもまあ、奇抜なアイデアを考えつくもんだと感心する。
そして、これまた最近、高速道路のパーキングエリア(三重県)で「醤油ソフトクリーム」という、「頭がこんがらかりそうな」ものに出くわし、我ながら物好きだとは思ったが、寒風吹きすさぶ中で食べてみた(真冬に売っていることにも驚く)。しかし、醤油は伊勢神宮にも納めている「伝統の一品」なのだというが、味も香りも、どこに醤油の効果があるのか、さっぱりわからなかった。
私の舌と鼻の能力が低いせいなのか、もし興味のある方がいれば、場所を教えるので、確かめてもらいたいと思っている。