んだんだ劇場2006年4月号 vol.88
No22
幻の白鳥

やっぱりサギ(詐欺)だった
 そんなことあるわけないだろう、と思ったのは、かみさんの「トンボ沼に白鳥が来てるんだって」という話だった。
 電話だったか、メールだったか忘れたが、2月中旬のことだったと思う。温暖の地、千葉県外房の「いすみ市」にある家から、単身赴任先の名古屋へ戻って、その話を聞いた。
 「トンボ沼」は、正しくは「とんぼの沼」と言って、旧大原町が周囲に散策路などを整備した公園だ。実質は農業用のため池なのだが、20種類ほどのトンボが見られるという。わきを通る道路に「カメに注意」という看板が立っていることは、前に紹介した。カエルもたくさんいるし、釣りをしている人に聞いたら「ライギョもいる」のだそうだ。沼の向こう側のくさむらにはマムシがいるらしいので、夏は絶対にそちらへは行かない。
 我が家からは歩いて5分ほどで、愛犬モモとの散歩コースの一つでもある。JR外房線の大原駅への往復は、必ずこの沼のわきを通る。だから、しょっちゅう沼の様子は見ているが、これまで「白鳥の飛来」など、考えてもみなかった。
 新潟県阿賀野市(旧水原町)の瓢湖、宮城県の若柳町と迫町にまたがる伊豆沼、それに私の郷里、福島市の阿武隈川とか、思い浮かぶ白鳥の飛来地は、みんな北国である。酷寒のシベリアから渡って来て越冬すると言っても、まさか房総半島まで来るとは……。
 「本当だったよ」と、かみさんから連絡があったのは、2月28日。その朝、病院へ行く父親を送って沼の脇を通った時、二人で白鳥を目撃したという。
 私が、また薪割りをするためにいすみ市の家へ帰ったのは、3月2日の夜だった。
 かみさんの話によると、午前8時を過ぎると、白鳥はどこかへ飛び立ってしまうという。「まだ、いるといいね」と言われて、翌朝、7時半ごろトンボ沼へ行ってみたが、白鳥はいなかった。いつも何人かいるというカメラマンの姿もなかった。
 それで、次の日、3月4日は午前7時前に行った。
 すると、沼の奥の方に、大きな白い鳥が何羽かいるではないか。沼の縁の遊歩道にはカメラマンもいる。うれしくて、急いで、でもこっそりと、カメラマンのいる場所まで行った……が、どうもおかしい。白い鳥は、木の枝に止まっているのである。
 「あれは白鳥ではないですね」
 「ああ、いなくなっちゃったみたいだね」
 隣の御宿町から来たという初老の素人写真家は、ぽつりと答えた。
 やっぱり、「白鳥かと思った白い大きな鳥は、サギ(詐欺)だった」(このギャグは、昨年6月の日記「鳥とりどり」を読み返してみてください)。
 まるでカレンダーの日付を知っていたかのように、白鳥は北の空へ飛び立ってしまったらしい。がっかりして家に戻ると、かみさんが「もしかしたら、写真があるかもしれない」と言い出した。我が家の小型デジカメで写したことがあるというのだ。
 それが、この写真。

トンボ沼で羽を休める白鳥
 あとで、沼の近くにある「デイサービスセンター」の会報を読んだら、最高で21羽の白鳥が来ていたそうだ。この冬の大雪で、新潟県などいつもの飛来地に雪が多く、そちらでエサ不足になって、こんな所まで飛んで来たのだろうと、会報には推測が書かれていた。
 たぶん、そうなのだろう。この冬は、寒かった。
 それが理由なら、来年も白鳥が来るとは限らない。
 私にとっては「幻の白鳥」になってしまった。
 でも……それなら、かみさんが白鳥の写真を撮ったのは、いつなんだろう?
 デジカメのデータをパソコンに取り込むのを忘れていたくらいだから、これは、聞いても覚えていないだろうなぁ。

伝家の宝刀、薪割り機
 以前の「日記」で、私が得意げにチェーンソーを持った写真を紹介した、あの大木の、あの太い部分をとうとう全部切り落とした。おかげで、木の輪切り作業がだいぶはかどるようになった。
 と言っても、これをストーブにくべる薪にするには、斧で割る作業が待っている。これがまた、大変なのである。特に、今回の椎(シイ)の木。
 榎(エノキ)とか胡桃(クルミ)などは、木目がまっすぐなので、かなり太い木でも意外に簡単に割れる。杉は、節目がない所は割りやすい。ところが椎とか欅(ケヤキ)は、木目がひねくれていて、しかも表皮がやたらと硬くて、こいつらを割るには、力ばかりではなくコツも要る(これは、文字では表現しにくい)。
 輪切りにした木の山ができ始めたら、かみさんが「薪割り機を使おう」と言い出した。ガソリンエンジンの力で、斧の先端部のような刃を押し出し、木を割る機械だ。

ヤンマーの薪割り機
 30万円以上するこの機械を買ったのは、5年ほど前だったと思う。ヤンマーの製品だ。父親が農機具の展示会で実演を見て、「いずれ、歳をとって力がなくなると、薪割りが大変になる」と言って、買った。
 が、私は、全く使わなかった。難点がいくつかあったからだ。
 まず、あまりにも直径の太い木だと、力が足りなくて割れない。輪切りの木の両側がきちんと平行になっていないと、機械の力がわきへそれて、割れない。徐々に力を加えるので、木の繊維を一刀両断というわけにはいかず、最後の部分がきれいに割れない。
 買って、使ってみて、そういう弱点がわかり、私は使わなかった。それに毎年のように冬になると、いくらかずつ薪割りをしていたが、杉の木が多かったり、さまざまな樹種を割ったりしていたので、私の腕力で間に合っていたという事情もある。
 だが今年は、かみさんのアイデアに乗った。
 最後のところが割れていなくても、表皮に割れ目が入っていれば、そのあとを斧で割るのが簡単だからだ。それに、私の留守中、少しでも薪割り作業を進めておこうという心根が、ありがたいじゃないか。
 で、薪割り機を動かし始めたら、父親がやって来て「指導」を始めた。太い木の場合は、まず端の方に刃をあてて表皮をはがすように割って行く、というコツがある。それに、椎の木は重いので、機械に乗せるのには力が要る。それで「こうやるといい」と、父親は手本を見せているうちに、いつの間にか薪割り機に夢中になってしまった。
 やることのなくなったかみさんは、今度は父親に「耕運機の使い方を教えて」と言った。

ジャガイモを植えた
 去年、ゴボウを2畝作った。そこに今年はジャガイモを作る予定にしていたのだという。ゴボウは連作障害がひどくて、7、8年は同じ場所には作れない。ジャガイモも、同じ場所では2、3年作れない。でも「ゴボウのあとにジャガイモを作っても、問題はない」と父親は言う。
 それを、かみさんは覚えていたのだ。それで、ジャガイモを植える場所を耕そうとしたのである。
 我が家は耕運機もヤンマーで、やはりガソリンエンジンである。スロットルを引いてエンジンをかけ、耕す場所まで自走させ、そこからゆっくりと走らせると土が深く掘り返される……らしい。私は、耕運機の動かし方は全くわからないので、遠くから見ていたら、どうも、そういうことらしかった。
 だが、手本として耕運機を動かし始めた父親は、畝の端から端まで耕してUターンしようとしたので、見かねて声をかけた。
 「やらせてみなくちゃ、覚えないよ。何でも自分でやってしまったら、先生にならないよ」
 父親の農作業は年季が入っていて、上手なのだが、教えるのは下手だ。世の中には、同じような人が多い。部下のやることがまどろっこしくて、つい自分で手を出してしまう上司である。こういう人の下では、人材は育たない。何かを教えるには、教える方に忍耐が要るのである。それに、先生の方が上手なのは当たり前なのだから、「なぜできないんだ」と、下手な人を叱るだけでは、教わる方はやる気が失せる。名選手、必ずしも名監督にならず、という例である。
 「やってみせ、言って聞かせて、させてみよ」と言ったのは、倒産寸前だった米沢藩を復興させた上杉鷹山だが、山本五十六は「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」と、鷹山の言葉を進化させた。
 見ているうちに、かみさんは耕運機をどんどん動かせるようになった。そのあと、鍬で畝を立てるのは、これは手作業だから、そう急にうまくできるようにはならず、大半を父親がやって、ジャガイモを植えた。
 3月5日では、北国ではまだまだ時期が早いが、房総半島ではずっと前から種苗店で種イモを売っている。それは買っていなかったが、昨年秋、群馬県嬬恋村の親戚、「トシ兄ぃ」が送ってくれた見事なジャガイモが、まだ芽を出さずに残っていたのを種イモにした。「トシ兄ぃ」のジャガイモは1個が大きいので、3つか4つに切って、切り口に灰をまぶし(これは腐敗を防ぐためだが、不要だという人もいる)、35センチ間隔に並べ、粒状の有機肥料を種イモの周りにまき、土をかけた。

35cm.間隔に置いた種イモ。この「ものさし」も父親の手作り
 父親は、ピンとひもを張って、それに沿ってまっすぐな畝を作る。私は、そこまで几帳面にしなくても、作物のできには影響ないと思っているから、なんだか曲がったような畝しか作れないが、植え付けの間隔だけはちゃんとやる。そうしないと、育って来た作物の葉が重なり合ったりして、これは収穫に影響するからだ。
 そして最後が父親の工夫で、種イモを植えた畝に、黒いマルチフィルムを張った(これもかみさんがやった)。いくら房総半島でも、春の彼岸までの間には寒い日もあるから、地温を保つためだ。マルチをかけておくと、雑草が生えないという利点もある。
 そのうち、芽が出て来ると、マルチを下から押し上げて芽の出た場所がわかるから、その時に少しマルチを破いて、芽に日の光を当ててやる。順調に育てば、たぶん、6月には収穫できるだろう。
 それにしても……私が名古屋へ出稼ぎに出たら、かみさんはすっかり「農村婦人」になってしまった。
2006年3月12日記


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