酒中花
椿咲く
春の彼岸を前に3日ほど家に帰ったら、裏の椿が咲いていた。外房・大原(今は、いすみ市)のこの土地を買った頃には、すでにかなりの数の花を咲かせていた椿である。
今年も咲いた、家の裏の椿 |
我が家には3種類の椿の木があるが、私は、この椿が好きだ。この花を見ると、敬愛する俳人、石田波郷(はきょう)の
ひとつ咲く酒中花はわが恋椿
という作品を思い出すからだ。
「酒中花」は、「しゅちゅうか」と読む。椿の品種の名だ。白い地に、ほんの少し赤みを散らした花だという。その椿を見たことはないが、もしかしたら、我が家のこの椿のような花かなぁと、毎年思っている。
石田波郷は、加藤楸邨、中村草田男と並んで「人間探究派」と言われた俳人だ。私は大学に入ってから「現代俳句」を研究してみようと思い、大学では山本健吉に学び、実作の方は、昨年の文化功労者、森澄雄を師とした。石田波郷を知ったのはそれからのことだが、すぐにその魅力に惹かれた。
プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ(第一句集『鶴の眼』)
吹きおこる秋風鶴をあゆましむ ( 〃 )
胸の手や暁方は夏過ぎにけり (第二句集『風切』)
朝顔の紺のかなたの月日かな ( 〃 )
繊細で、若々しい感受性にあふれている。
『風切』(かざきり)は、20代の最後から30代前半の作品を集めていて、卒論のテーマにした句集だ。
しかし波郷は戦争で出征し、結核にかかった。戦後は、何度も手術を繰り返す闘病生活を余儀なくされた。東京・清瀬の結核療養所の隣室には、後に直木賞を受賞する結城昌治もいて、所内で句会も開いていた。結城は後に、「波郷の創作現場に立ち会うような毎日をおくっていたら自分の才能に愛想をつかすのが当たり前で、俳句は波郷がいれば沢山ではないかと思うようになっていった」と、俳句を作らなくなった弁を述べている。
そのころの作品をまとめた句集『借命』(しゃくみょう)は、何度読んでも、涙が出て来てしかたない。
死なざりしかば相逢(あいあ)ふも実朝忌
綿蟲(わたむし)やそこは屍(かばね)の出(い)でゆく門
寒禽を屍の顔の仰ぎゆく
白き手の病者ばかりの落葉焚
雪はしづかにゆたかにはやし屍室
自分が、いつ、そこに描かれた屍となるかわからない毎日の中で、たましいからほとばしり出た言葉が俳句と言う形で表現されている。
波郷は、庭にたくさんの椿を植えていた。その1本が「酒中花」だ。昭和43年には句集『酒中花』を出している。55歳の句集である。いつ死ぬかわからない人生を過ごして、ここまで生きた、というような、ある種の達成感のある作品集で、
赤鬼は日本(にっぽん)の鬼鬼やらひ
妻の座の日向ありけり福寿草
など、心なごむ句に出会う。
だが、波郷は翌年、他界した。遺作を集めた句集は『酒中花以後』という。
その翌年に、私は大学に入った。
毎年、「生きている波郷に会いたかったな」と私に思わせる、家の裏の椿である。
春の花々
4月になって、また大原へ帰ったら、裏の椿はまだ咲き続けていたが、表の方もにぎやかになっていた。
まず、これは何の花かわかるだろうか。
アーモンドの花 |
答えは、アーモンドの花。ちょっと色の濃い桜のように見えるだろう。実際は、ソメイヨシノより2回りくらい大きな花だ。8年前に苗木を植えて、一昨年あたりから、毎年5、6個は実をつけるようになった。
一方、これはスモモの花。
スモモの花 |
昨年、かみさんが苗木を購入して植えた。撮影したのもかみさんで、「咲いたよ」と、名古屋へ出稼ぎ中の私へ、メールで送ってくれた写真だ。バラ科の花は、どれも同じようで、写真を見ただけでは区別がつかないだろうね。
そして、この花は、なんでしょう?
アケビの花 |
俳句をやっている人は、花にも詳しいから、知っていると思うが、これはアケビの花。それも紫色の実をつける三つ葉アケビの花だ。
植えて数年になるが、アケビは自家受粉しにくいらしく、まだ、1個しか結実していない。もしも今年、実がついたら、その種をまきたいと思っている。
それは9月以後のこと。サヤが次第に大きくなり、自然に口を開くと、中に、ほんのり甘い、白い果肉に包まれて、黒い種がびっしりとできている。昔は、この果肉を喜んですすったが、もっと甘いものが氾濫している現在、アケビはそれほど人気のある植物ではないようだ。
でも、行きつけの東京・新橋の居酒屋の、秋田出身の店主はアケビにはひどく郷愁をそそられるようで、少し夜がふけて自分でも酔っ払ってくると、よくアケビの唄を歌う。
♪山のアケビは何見て開く
♪下のマツタケ見て開く
確かに同じ季節の風物だが、二つ並べると、聞いていて妙に笑いだしたくなる。
(2006年4月15日記)