んだんだ劇場2006年6月号 vol.90
No24
「冷凍みかん」を聴きにおいでよ!

♪冷凍みかん4個入り
 「聴きにおいでよ」って、「食べに」の間違いじゃないのと、ほとんどの人が思うだろうなぁ。
 でも、これでいいのです。
 4月29日に、東名高速道路の浜名湖サービスエリアで、静岡、愛知両県のFM局共同の公開録音があった。注目は、若い女性3人組「GTP」が歌う「冷凍みかん」。静岡のFM局では13週連続でヒットチャート1位を続けている歌なのだそうだ。
 実はこのイベント、私が今勤めている中日本高速道路株式会社(本社・名古屋市)が、4月から「ネクスコ中日本」という愛称をスターさせた記念行事でありまして……「聴きにおいでよ」は、その記者発表の際に、私が書いたコピー。私だって、こんなことでもなければ、この歌は知らなかったと思う。「静岡では大ブレイク」でも、隣の愛知県では、ほとんど知られていないからねぇ。
 でも、4月5日にCDが全国発売になって、たぶんヒットすると私は思ってる。なぜなら「♪冷凍みかん、♪冷凍みかん、♪冷凍みかん4個入り」という「サビ」の部分が、小さい子供にもすぐに覚えられるからだ。「およげタイヤキ君」とか、「おさかな天国」とか、「だんご3兄弟」とか、子供が覚えてくれたヒット曲がいろいろあるじゃないか。
 さて、会場ではもちろん、ネットに4個入った「冷凍みかん」を売った。それで久しぶりに「冷凍みかん」を見た。夜行列車に乗って貧乏旅行をしていた学生のころは、よく食べたなぁ。あのころは冷房車ばかりじゃなかったから、少し溶けてシャーベット状態になったみかんがひんやりして、とてもうまかった。
 ところが、自分で冷凍みかんを作ろうとすると、たいてい失敗するという。私はやったことがないが、冷蔵庫のフリーザーに入れておくうちに水分が抜けて「カサカサ」になってしまうのだそうだ。じゃあ、どうやって作るのか?
 調べてみたら、静岡県農業水産部のホームページに「家庭での作り方」があった。
 まず、洗ったみかんをラップで包んでフリーザーに入れる。カチカチになったら取り出して、瞬間的に水をくぐらせ、再びラップで包んでフリーザーへ。こうすると、みかんの表面に薄い氷の皮膜ができて、内部の水分が逃げなくなるのだという。
 終戦後すぐのころから大阪駅の売店(今のキヨスク)で冷凍みかんを売っていた南松商店のホームページには、大量のみかんを水槽にくぐらせる写真があった。ここでは、マイナス40度の冷凍庫でみかんを凍らせ、それから水にくぐらせる。なぜそうするのか、南松商店では説明していなかったが、静岡県農業水産部の説明でよくわかった。
 ということは、こうすれば、みかん以外でも、果物の「そのままシャーベット」を作れるということだ。
 「♪冷凍みかん」を聴いて、調べて、ちょっと面白いことを知った。
(「ネクスコ」は、アルファベットでは「Nexco」と書きます。英語の会社名「Nippon Expressway Co.」から文字を選んでつけたブランドネーム。ちなみに旧日本道路公団を3分割した他社は、「ネクスコ東日本」、「ネクスコ西日本」です)

浦島草が咲いた
 大型連休1週間前の4月22、23日に千葉県いすみ市の家に帰ったら、浦島草(ウラシマソウ)が咲いていた。家の裏の竹やぶで、毎年春になると咲いていたのを、鉢植えにしたものだ。

奇妙な形の浦島草
 サトイモ科の植物だが、奇妙な形をした花だ。花の先端が糸のように伸びて、それが釣り糸を垂れる浦島太郎に似ている、というのでこの名がついた。でも、なぜこんな「糸」がついているのか、植物学者にもわからないのだそうだ。
 鉢植えにしたのは、実は保存のためである。
 家のわきの河川工事が始まると、裏の竹やぶの大部分が作業用道路になってしまうというので、「疎開」させたのである。浦島草はどこにでも生えるという植物ではないから、工事が終わったら、また元の場所に植えてやろうと思ったのだ。
 浦島草はもう2株鉢植えにしてあるが、そのほかにクルミ、椿も何株か鉢植えにして避難させた。
 この場所に家を建てた8年前は、裏とわきに大きなクルミの木があって、リスがしょっちゅう来ていた。ところがクルミは、わきの木も裏の木も、いつの間にか枯れてしまった。クルミはもともと寿命の短い木なのだという。
 工事が終わって、またクルミを植えて、たぶん10年はかかるだろうが、クルミの木が大きくなったらリスが戻って来ないかな、と期待している。
 椿は、前回の「日記」で紹介した「白地に赤い模様」のある花だ。毎年、自然にどこかに芽生えるので、この木を増やしたいと思って苗を掘り起こした。
 ほかにも、雪柳、カエデを疎開させている。どれもみな、元気な姿なのがありがたい。
 ところで、浦島草にそっくりな「マムシグサ」という植物がある。先端に「糸」がないのが「マムシグサ」。この恐ろしげな名前は、茎にマムシのような模様があるからだというが、「マムシがいそうな湿った所に生えるから」との説もある。裏の竹やぶは川沿いだし、いかにもマムシがいそうな場所で、さまざまな草が生い茂る夏は怖くて足を踏み入れられなかった。浦島草が咲くころは下草も芽生えたばかりで見通しがよく、マムシの心配もない季節なのでよく歩き回ったが、マムシグサは見かけなかった。
 ヘビは川の土手など、土が軟らかくて湿った場所に卵を産むようなので、河川改修が終わったら、マムシも、そのほかのヘビも姿を消してしまうのだろうか。
 ヘビ嫌いの私としては、そうなってほしい。

母親の遺品
 4月20日が母親の命日なので、帰省したときに墓参りした。早いもので、あれからもう4年が過ぎた。遺品の多くは納戸にしまってあるが、「現役の遺品」があることに気がついた。
 それは、足踏みミシンだ。

今も使っている足踏みミシン
 私が子供のころから、母親が使っていたミシンだ。ということは、50年以上現役ということになる。
 いつも、1階の南側の廊下に置いてあって、ズボンの裾のほつれなどを縫う時などに、かみさんが使っている。私も小学校の家庭科でミシンを習ったころは、みんな足踏みミシンだった。それが今でも、立派に役に立っている。丈夫なものだ。
 ハイテクがもてはやされる現在の日本だが、こんなふうに、電気を使わなくてもいい「ローテク」も、ちょいと見直してみたいね。
(2006年5月1日記)




ついに食べた「ひつまぶし」

川向かいのヤマフジ
 5月の連休中は、大原へ帰っていた。
 この季節に、周辺の山の中を車で走り回るのは楽しい。いろいろな場所でヤマフジの花が見られるからだ。栽培種のフジと違って密集しては咲かないが、車からでも見えるヤマフジは、それなりにたくさんの花を咲かせていて美しい。
 でも、今回は連日、薪割りをしていて、ドライブする暇がなかった。
 そのおかげかどうか、いま河川改修をしている川の向かいに、なかなか見事なヤマフジがあるのを、初めて知った。
たくさんの花を咲かせたヤマフジ
 どうして今まで気づかなかったのだろう、と思わせる花だった。
 たぶん、去年までは、家の東側に巨木が何本かあって、それに隠されて見逃していたのだ。今年は、さえぎるものが何もない(巨木は、チェーンソーで切って、斧で割っている最中だからね)。それで気づいたわけだ。
 ちょっと調べてみたら、ヤマフジは、庭園などで栽培されているフジと同じマメ科ではあるものの、別種の植物なのだそうだ。つまり、ヤマフジを品種改良して園芸種のフジになったわけではない、ということだ。
 その証拠が、ツルの巻き方なのだという。園芸種は右巻きなのに、ヤマフジは左巻きなんだそうだ。ツルの巻き方は遺伝子の指令だから、なるほど「別種」なのかと納得した。
 ところで、最近、エンドウ豆などのツルを、本来とは逆に巻かせるという栽培実験をしている研究者の話を聞いたことがある。芽が出て、ツルが伸び始めたら、強制的に支柱に逆巻きにするのだ。そうすると最大で5割も収穫が増えるという。
 つまり、植物にストレスを起こさせるのだ。すると植物はたくさんの子孫を残さなければいけないと考え、豆をたくさん実らせるという理屈なのだという。
 ただし、これは、あくまでも実験。こんな手間のかかることを、農家はやっていられないからねぇ。
 さて、川向かいのヤマフジだが、たぶん、来年は見られないだろう。
 我が家のわきの河川改修工事は、ようやく最終段階に近づいた。そして、これが終わると、次は対岸の工事が始まる。当然、あのヤマフジも取り払われるに違いない。
 洪水の心配がなくなるのはありがたいが、ちょっと残念でもある。

去年のカボチャ
 名古屋へ「出稼ぎ」に来て、半年が過ぎた。その間、ずっと気になっていたことがある。単身赴任宅の野菜箱に置きっぱなしのカボチャだ。
 昨年10月17日に中日本高速道路株式会社に出社して、直後に千葉県いすみ市(当時はまだ大原町)の家から送ってもらった野菜の一つだ。ネギなどはすぐに食べてしまったのだが、「我が家のカボチャは日持ちがいいから」と、ぐずぐずしているうちに、半年が過ぎてしまったのである。
 「いくらなんでもなぁ」と思って、連休から戻って、ついにカボチャに包丁を入れた。すると、どこにも腐った部分はなく、「想定内」とは言え驚かされた。

半年経ってもそのままだったカボチャ
 このカボチャのそもそもは、サカタのタネの「雪化粧」という品種だ。一昨年に育てたカボチャから種を採り、昨年蒔いてできたカボチャの1個がこれ。「雪化粧」は非常に日持ちのよいカボチャで、毎年、冬至カボチャにしていたし、年明けまで食べていた。
 ただし、種苗会社の種で作った野菜から、次の世代を作ろうと思うと、全く同じ性質にはならない。世代が下るにつれて遺伝子が変化してしまう。逆に言うと、毎年同じ形質になる種を生産するのは、大変な技術が要るということでもある。
 今回のカボチャでも、皮の色は、「雪化粧」ほど白くはない。が、それにしても、保存性の高い系統であることは、よくわかった。
 適当に切って、ゆでて、半分はひき肉あんをかけ、半分はつぶして、刻みタマネギ、ゆでたブロッコリーとまぜてサラダにした。
 しかし……「雪化粧」の特徴である、粉っぽい、ホクホク感はなくなっていた。日本カボチャのように、水っぽい、ペタペタした触感に変わっていたのである。やはり、半年もおくと、味はすっかり落ちていたのだった。
 以前に、茨城県のカボチャ産地を取材した時、農協の人に「日持ちがよい作物ではあっても、食べごろというのはあるんですよ」と言われたことを思い出した。
 我が家で作ったカボチャを無駄にしないですんだが、もっと早く食べればよかったと、反省している。

蓬莱軒のひつまぶし
 ついに、名古屋名物の「ひつまぶし」を食べた。しかも元祖「蓬莱軒」で食べた。連休に入る前のことだ。

蓬莱軒の「ひつまぶし」
 小さめに切った鰻の蒲焼を載せた熱々のご飯が、一人分のおひつで出て来る。これを飯茶碗に取り分けて、1膳目はそのまま、2膳目はワサビなどの薬味で、3膳目は出汁をかけて茶漬けにして食べる。この食べ方を始めたのが、明治6年、熱田神宮近くに開店した鰻屋の蓬莱軒で、「ひつまぶし」は蓬莱軒の登録商標なのだそうだ。
 しかし今では、名古屋市内の鰻を扱う店では、たいてい「ひつまぶし」という名前で同じようなものをメニューに載せている。たぶん、登録商標制度ができる以前に、「これはいい」というので、いろいろな店がまねを始め、名古屋名物にもなって、「ひつまぶし」という名前が独り歩きしてしまったのではないだろうか。
 それくらい「おいしい」ものだという期待を込めて口にしたら、期待以上にうまかった。特に私は、2膳目の「薬味で食べる」のが気に入った。おひつのご飯はたっぷりあって、4膳目は、もう一度薬味で食べた。ただし、飯が多すぎて、酒を飲むには不向きだ。これは、純粋に「鰻飯を食べる」つもりで注文しないといけないものなんだとわかった。
 ところが、会社で「なんだ、あんなもの。客に出せない鰻の切れ端を、調理場で食べ始めただけじゃないか」と酷評する人に出会った。「だいたいにして、鰻は江戸前に限るんだよ」という、生粋の東京人である。
 彼に言わせると、「西の鰻は、皮が硬くて歯に当たる」のだそうだ。
 これは、東京の鰻は蒸してから焼くが、西の鰻は蒸さないで焼く、という調理法の違いによるものだろう。
 「一口で、スッと皮まで噛み切れる軟らかさが、うまい鰻なんだ」と彼は主張する。
 しかし私は、こちらに来てから、社内のある人に、岐阜県の山の中の、ちょっとした川のそばにある鰻屋に連れて行かれて、驚いたことがある。とてもおいしい鰻だったからだ。
 食べながら「どこが違うんだろう」と考えて、皮がパリッとしていることに気づいた。皮はパリッと焼けていて、身はふっくらと軟らかい鰻で、皮を噛み切るときの、ほんのちょっとした抵抗感が、食味にすばらしいハーモニーを与えてくれるのである。蓬莱軒の「ひつまぶし」の鰻も、これに近いものだった。
 鰻は西がいいか、東がいいか、などという大雑把な分類では、「それは個人の好み」としか言いようがないが、技術の高い調理人にかかれば、西も東も関係ないことだろうと、私は思っている。
(2006年5月14日記)


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