電子レンズ
ガクアジサイ
玄関わきの花壇に、今年もガクアジサイが咲き始めた。外房、千葉県いすみ市に家を建ててから何年かして誰かが植えた(たぶん、父親だと思う)紫陽花だ。
「隅田の花火」という品種名がついている。中心部は花びらが開かず、周囲に、白い八重の花が咲く。
ガクアジサイ「隅田の花火」 |
以前は、わきを流れる落合川の土手に、父親が挿し木をして増やした紫陽花がたくさん咲いていた。それも、一昨年の台風22号の水害で土手が崩れた時に、一緒に姿を消してしまった。だから、今、我が家にある紫陽花は、これだけだ。
紫陽花には、いろいろな色がある。一つの花が色を変えることもある。土手の紫陽花はきれいな青色だった。でも、どうして色が違うのか、前々から疑問だったが、最近、園芸の専門家に「それは、アルミニウムのせいですよ」と教えてもらった。
紫陽花の色素はアントシアニンと言って、赤から紫まで発色するのだそうだ。土の中に溶けているアルミニウムイオンを吸収すると、青い色になる。ところが、アルミニウムイオンは中性やアルカリ性の水には溶けず、酸性の水に溶けて植物に吸収されるので、土が酸性だと青い色になるのだという。
リトマス試験紙とは反対の色だということは知っていたが、そういう仕組だったのだ。
でも、土中の窒素やカリウムの量によっても色が変わるし、品種によっても色の現れ方が違うという。さらに、途中で色が変わる仕組は、まだ完全には解明されていないのだそうだ。
なかなか、不思議な花だ。
色のほかにもう一つ、私は紫陽花について疑問を持っていた。
紫陽花の花びらのように見えるのは、実は花びらを支える顎(がく)が大きくなったものだ。それなのに、どうしてわざわざ「ガクアジサイ」と言うのだろう、という疑問だ。
「ガクアジサイ」は、近年、人気が高まった品種で、私は「顎紫陽花」と思っていたのだ。ところが、漢字では「額紫陽花」と書くのだそうだ。「額縁のように花が咲く」という意味らしい。言われてみれば、なるほどと思う。
最近、ガクアジサイの品種が増えて、この季節に園芸店をのぞいて回るのが楽しい。
東北訛り
我が家から一宮町(JR外房線の上総一宮駅がある町)へ行くのには、まず西へ向かい、
短いトンネルを通って海岸部へ出る。トンネルを抜けて、山を下る途中に、こんな看板があった。
さびしい場所にある「音楽スタヅオ」 |
あまり交通量のない山道のわきで、どうみてもプレハブ小屋のような小さな建物だ。こんな所に楽器を持ち込んで、録音とか、練習とかする連中がいるのだろうか。
まあ、それは他人の勝手だから、どうでもいいのだが、看板をよく見てほしい。
「スタジオ」ではなく、「スタヅオ」と読みたくなってしまう。カタカナの「シ」と「ツ」の書き方がいい加減だからそうなるのだが、東北人の私としては、「きっと、経営者は東北の人なんだ」とうれしくなった。
その昔、秋田県で新聞記者をしていたころ、田舎の警察署に捜査本部を設置する殺人事件が起きた。保険金殺人事件で、私も3日ぐらい眠る暇のないほど駆け回った。捜査本部は警察署内の道場(警察官は柔道か、剣道の稽古をするので、必ず道場がある)に設けられていた。その通路の途中に宿直室があって、そこまでは新聞記者も行けるので、部屋の入り口に張り紙が出た。
「関係者以外の立ち入りを禁ずます」
「発音の通りに表記すると、こうなるんだけどねぇ」と、私が副署長に言うと、副署長は、「あやっ! これだば、だめだ」と、さっそく「禁じます」という張り紙に換えた。
何年か前に定年退職してしまったが、私が8年半を過ごした秋田支局には、地元採用の「大先輩」がいた。本職はカメラマン兼支局車の運転だったが、私が東京の本社に戻ってから少したったころ、「大先輩」にも取材にも出てもらっているという話を聞いた。
数年して、久しぶりに秋田を訪れる機会があって、支局に行くと、私と親しいデスクが「加藤さん、困ったよ」と、「大先輩」が書いた料理教室の記事原稿を見せてくれた。まだ、紙にペンで原稿を書いていたころだ。
それには、「材料を、電子レンズで温める」と書いてあった。
ん? ……電子レンズ?
きっと、電気を通すとレンズになって、太陽光を集めて加熱する、非常に特殊な調理器具を使った料理教室だったのだろう。
(2006年7月9日記)
ツバメの昼寝
我が家へツバメがやって来た
海の日の連休に千葉県いすみ市の家へ帰ったら、父親が「ツバメが巣を作ったぞ」と言う。ここに住んで8年、初めて飛来だ。
巣は、2階のトイレの排気口の上にあった。地上からは5メートルほどの高さで、外敵が近寄れる場所ではない。そっと見ると、雛が2羽いた。巣から顔をのぞかせて、さかんに周囲を見渡しているようだった。
親鳥は、昼間はどこかに行っているようで、朝と夕方、巣にやってくる。しかし、注意して数えてみたら、5羽もいた。これは、変だ。
で、調べてみたら、ツバメの多くは、最初の雛が巣立つと、もう一度産卵するのだそうだ。だから、私が見た雛は2番目の卵から生まれたらしい。周囲を飛び回っている5羽のうち3羽は、今年巣立ったツバメなのだろう。
当然、私としては、雛にエサを与えているところを写真に撮りたい。しかし、これが容易ではなかった。2階のどこかの窓を開けて彼らの動きを見ているだけでも、ピツ、ピツと鋭い声をあげて、私を威嚇してくるのである。非常に警戒心が強いのだ。
でも、写真を撮った。
我が家に初めて巣を作ったツバメ |
巣の縁に親鳥がとまっている。だが、これは「その瞬間」を撮ったのではない。親鳥は昼寝をしているのだ。そっと2階のベランダに出て、3コマ撮ったら、ツバメは気づいて飛び立った。
我が家と同じく、「退職帰農」して、いすみ市に住んでいるIさんご夫妻がやって来て、いろいろ話をしていたら、「私はツバメに来てほしくて、巣をつくれる棚まで用意したのに、来てくれない」と、うらやましそうに言う。Iさんの家は海岸近くにあって、周辺ではよくツバメを見かけるという。
ツバメが巣を作ったから何かが変わる、ということもないのだけれど、なんとなくうれしい。父親は、巣の真下が糞で汚れると気にしているけれど、私はなんとなくうれしい。
「日本の農村」に住んでいる、という感じかな?
来年は、もっとたくさん来てほしい。
古い車
今回帰ったのは、車を買い替えたからだ。
今までは、スズキのジムニーという、ジープ型の軽自動車に乗っていた。
手放したジムニー |
7月末が車検なので、いま私が単身赴任で住んでいる愛知県稲沢市のスズキの店に行って相談したら、「ご老人」の整備士がボンネットを開けたとたん、「ああ、これは……」と、ため息をついた。
3年前からエアコンが動かなくなっていて、大変蒸し暑い(と聞いている)名古屋の夏を乗り切るには、エアコンをなんとかしたいと思っていた。ところが、このタイプのジムニーのエアコンはもう作っていないし、ガスもないという。そのうえ、「車検はできるけどね、こことここ、それにここも」と指差しながら、「いつ壊れてもおかしくない部品がいろいろあるよ」と言うのである。
なにしろ、平成4年の車だから、すでに14年が過ぎている。それにマニュアルギアで、最近、どうもローギアの入りが悪いという不具合もあった。それでこの際、思い切って買い替えることにした。千葉県いすみ市の、いつも車検を頼んでいる自動車会社から、レンタカーで使っていたという軽乗用車を買うことにして、ジムニーの廃車手続きも頼んだ。
「だから、今度の連休は、ジムニーで千葉に帰る」……と、会社で話したら、車に詳しい人が「そりゃぁ、もったいない」と言い出した。「ジムニーはファンがいて、古い車でも高く売れるよ」と言うのである。しかも、私の車のように、サイドミラーが棒にくっついているようなタイプは、希少価値があるのだそうだ。「20万円とか、30万円になるかもしれない」と、驚くべきことを言う。
欲にかられた私は、もちろんすぐに、中古車ディーラーに持ち込んだ。
で、結果は……「査定0円」だった。
さすがに古すぎて、「確実に売れるとは言えないから」だそうだ。
が、廃車費用を負担する「マイナス査定」ではなかったので、そこにジムニーを「ただで」譲った。おかげで、いすみ市で払うはずだった廃車費用の17500円が浮いた。
しかし、このジムニーは、『戊辰戦争とうほく紀行』の取材の時から乗り回していた車だ。下北半島も、これで走り回った。タイヤの口径が大きくて、その辺の神社の石段ぐらいは平気で上ってしまう、力のある車だった。高速道路では時速140kmまで出たものの(普通はちゃんと制限速度を守っているが、一度だけ事故渋滞で約束の時間に間に合わなくなりそうになった時のこと)、そんなスピードになると、サイドミラーが風圧で回ってしまうので、何回か、ハンドルを回して窓を開け(窓も自動開閉ではなかった)、ミラーを戻したという思い出もある。
今……私の前から姿を消してみると、なおさら愛着がわいて来る。
あとで何人かに聞いたら、そういう車は東南アジアなどへ輸出するのだという。スクラップにされないで、誰かがまた乗ってくれたらうれしい、と、本気で思っている。
7月18日の火曜日、私は買い替えた軽乗用車で東名高速をトコトコ走って、名古屋へ戻った。
珍しい花、2種
これがなんの花か、わかる人はよほど植物に詳しい人だろう。
アスパラガスの花 |
答えはアスパラガス。アスパラガスはユリ科の植物だと言えば、なるほど、そんな感じがすると思われるのではないか。一つ一つの花は、手の小指の爪より小さい。でも、よく見ると、かわいらしい花だ。
もう一つ、こちらはセロリの花。
密集して咲くセロリの花 |
これが8月末ごろには、種を落とし、周囲に芽生える。苗が育って来たら、そっと掘り起こして、11月ごろ定植すると、翌年の春にはたっぷりとセロリが食べられる。
自分で野菜を作っていると、こういうことが楽しい。
(2006年7月24日記)