んだんだ劇場2007年5月号 vol.101
No7
近代の道しるべ(2)

 彼の克己に励む姿勢は天啓のごとく人生の底流を貫き、その作品の基底を成している。こうしたベートーヴェンの人生観に見られる禁欲的な姿勢というものは、一〇〇年後にマックス・ヴェーバー(1864〜1920)が「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に著したような、ピューリタンの内面を支えた意識形態であるエートスに通じるものがある。ヴェーバーはこれをプロテスタンティズムに内在する倫理的意識や観念形態から研究して、近世初期に勃興してくる資本主義経済の成立過程を、社会科学的な視点に立って一つの人間類型として捉えている。人間の行為を直接支配するのは、崇高な理念ではなく、利害によって左右されるものであるはずなのに、それと対極にある禁欲的なピューリタニズムの倫理が、資本主義の興隆の原動力になったという指摘である。
 このエートスというのは、規範となる明瞭な倫理というようなものではなく、歴史の流れのなかでいつの間にか人々の血となり肉となった、共通する倫理的雰囲気というようなものである。主観的な倫理観とは無関係ではないが、社会心理として人々に定着している倫理感情を指している。エートスは、古代ギリシア人によってすでに感覚的なパトスと区別されている。彼等は音楽が人々に作用して徳を育てる力を持っていることに注目し、この力を「音楽のエートス」と呼んでいた。またプラトンやアリストテレスは音楽のエートスを、倫理的理想に向かって人間の魂を教育する中心に位置付けたという。ベートーヴェンの生き方に、ヴェーバーの人間類型に見られる個人的萌芽が、伝えられる彼の言動に発見できるし、こうしたヴェーバーの指摘するような資本主義の勃興期に見られた内的、禁欲的なエートスが先験的に見られるのである。ベートーヴェンが敬虔なキリスト教信者であったかどうか定かではないが、彼の芸術の身近に神が居て、神と交わりその力を感じているとのちにベッティーナに語っている。
 この作品の分厚く脈打つリズムは推進力を加速させながら、その鼓動が聴く者の生理機能に快く共鳴する。そのリズムに身を任せることの心地よさとともに、崇高なものへのあこがれを感じさせるものが聴こえてくる。このリズムは今日の人工的で機械的な時間を刻むものではなく、聴き手にベートーヴェンとともに人生を歩んでいる一体感と共時性を共有させる。うねるような弦楽器の波動が聴く者の気分を昂揚させながら、時代や状況を超えて、音楽に密む普遍的な啓示を聴き取らせようとするのである。このような特徴はあとの八曲の交響曲にも一貫して流れているものである。
 こういう交響曲を聴くと、ベートーヴェンという作曲家は、リズムやテンポやダイナミズムの扱い方に特徴のある作曲家だということが判る。だからといって旋律を軽視しているわけではない。音楽の持つ旋律やハーモニーの心地よさを追求して、それを一つの様式に磨き上げることが必ずしも音楽の全てではない。ときには意図的に聴き手の不興を買うような要素を加える。これは企図したものを際立たせる効果がある。こうした効果をベートーヴェンは身体に獲得していた。ベートーヴェンの場合には創造するということは、その表現は身体の律動に結び付いた形を取るのである。
 この第二楽章の叙情性に富む旋律は、モーツァルトの円熟した最後の三つの交響曲の緩徐楽章に匹敵する。またこの先の作品五〇のロマンスや作品六一のヴァイオリン協奏曲などに奏でられる、あのメランコリーに満ちたファンタステックな旋律を聴いてみれば、彼がいかに旋律にも秀でた作曲家であったかよく判る。ピアニストでもあったベートーヴェンは、サロンでのファンタジーレンの演奏をつうじて、心の奥底から湧き上がる想念を、過たずに伝えるための旋律をすでに獲得していたのである。だからベートーヴェンは、単に旋律やハーモニーの美しさを追求していただけではなかった。そこに至る必然性を考えながら、奏でる音楽の意図するところを効果的に聴き手へ印象付けるためには、旋律やハーモニーにあえて傷を付けることも辞さなかったのである。
 注目を集めておいて警鐘を促すという効果が、ベートーヴェンの音楽にはある。したがって曲によっては、旋律やハーモニーの陶酔がそれらの効果を邪魔することを、周到に避けていたのではないかと思われる。旋律の持つ美しさにも意味があって、旋律やハーモニーが陶酔に止まり、娯楽として聴き流されてしまわないように、作品そのもので戒めているのである。
 この時期のベートーヴェンの作品に旋律の匠を聴き取りたいならば、作品一八の六つの弦楽四重奏曲、作品二〇の七重奏曲などに並々ならぬ手腕を発見することができる。だが後年になってベートーヴェンは、オーストリア皇帝フランツ一世の皇后マリア・テレジアに捧げた、作品二〇の七重奏曲が評価されることを嫌っていたという。ディヴェルティメントの趣が強く、もしモーツァルトの後継ということでいえば、この作品に色濃く反映されている。
 初めて挑んだ交響曲の第二楽章は、メランコリーに一時沈んでいるようなため息を漏らしている。これはベートーヴェンの緩徐楽章における特徴である。ここではまだそれは叙情的なものであり、一抹の不安がふっとよぎるようなわずかな陰りに止まっている。またこの時期に発表された作品一八の六つの弦楽四重奏曲第一番の第二楽章にも、メランコリーの気分が聴き取れる。おなじく第六番第四楽章は、まさしく「ラ・マリンコニア」となっている。この作品は「悲愴」ソナタのような激昂するメランコリーではなくて、叙情的な気分への郷愁である。
 このメランコリーの語源は、ギリシア語の「メライナ・コロス」から転化した「メランコリア」に由来する。古代ギリシアの医学に登場する四性論と関係しているものだという。この四性論というのは、人間のからだの中には血液、胆汁、粘液、黒胆汁の四種類の液体が流れており、それによって人間の性格が四つに分けられるとする考え方である。そして「メライナ・コロス」というのは黒い胆汁を指し、これがメランコリーとして中世まで受け継がれたということである。四性論にいう「メランコリア」は憂鬱質を指し秋、東、晩年、大地をイメージするもので、頬杖をついて何もしない怠け者とし描き出される。しかしアリストテレスいわく「すべての優れた人間は、哲学者であれ、政治家であれ、あるいは詩や芸術における天才であれ、みな憂鬱質」であるという。アリストテレスによってこの憂鬱質は、少なくとも知的活動や芸術の創造に適した性質と考えられるようになったということである。秋や晩年などをイメージさせる憂鬱質は、社交的で開放的で活発な性質とは対極にあり、現世での世俗的な成功は望むべくもない。孤独のうちに、みずからの創造の世界に没頭するストイックな芸術家を想起するものとなったのである。
 ここでは後の作品六七交響曲第五番に聴くような、内陣に肉薄する深刻さはまだ現われてはいない。しかしメランコリーに潜む深刻さということで言えば、すでに作品一三ピアノソナタ第八番「悲愴」が生み出されていた。この「悲愴」では、ついにメランコリーが苦悩に爆発した様相になる。このピアノソナタは、それまでのピアノソナタの性格を覆してしまった作品である。ピアノという楽器の表現力の奥深さと可能性を示した作品として、音楽史を飾るに相応しい作品である。もちろんこの作品以外にも、彼は人間の感情が持つ喜怒哀楽を表現した作品をいくつも書いている。しかし音楽に人間の肉声を直接に意識させたという点で、この作品はそれまでの流れを変える分水嶺に位置する、ベートーヴェンの最初のピアノ作品であった。ベートーヴェンの生涯を貫く情念の世界が、率直に現われた一曲である。
 他の作曲家の作品と較べてみても、このような悲傷性を帯びた肉声の告白は、ショパンまで待たなければならないだろう。いや、モーツァルトも見逃せない。彼にも内面の昂りを直截に表わした作品はある。弦楽五重奏曲第三番ト短調や交響曲第四〇番ト短調などはその典型である。ただモーツァルトの場合は、挑みかかるような情念が闘争的に現われることはなく、その点では深い悲しみを裡に秘めていながら、そのつぶやきは日常のささやかな一コマなのである。そうしたこれまでの数多の作品のなかにあってこの作品一三だけが、一八〇〇年までのベートーヴェンの作品の流れに逆うように、私には突出して異常に映る。何か突発的で衝撃的な出来事に狼狽して、その衝動がこの曲を書かせたのではないかと推理してみたくなるのである。私は初めてこの作品を聴いた時、これは恋する者の詠嘆と慰めの音楽なのではないかと感じたものである。
 ところが私はベートーヴェンの生涯を知るうちに、この「悲愴」ソナタに聴く不安や焦燥、憤怒や絶望的な気分というようなものを、耳の疾病と結び付けて考えるようになった。偶然かもしれないが、彼が手紙で耳の不調を二人の友人に訴えたその発症の時期と、「悲愴」ソナタを作った時期が重なっているのである。ベートーヴェンが耳の疾病を自覚したのは、一七九七年前後の頃からと推定されるというのが大方の見方である。彼の友人であるカール・アメンダやヴェーゲラーに宛てた手紙に、その悩みを打ち明けているからである。耳鳴りが相当にひどかったらしい。音楽家としてこれから身を立てようというベートーヴェンが、その矢先に聴覚を失うかもしれないという恐怖は、いかばかりのものだったろう。それがこのあとにハイリゲンシュタットの遺書に現われるのである。
 けれどもこの作品二一の第三楽章では、一時のメランコリーを払いのけ、気を取り直したように、再び生命の鼓動に任せるままにひたすらに力強く駆け出す。ここでは第五交響曲のモチーフが、その原型を現わしているように聴こえる。曲の解説などでも指摘されているとおり、これはもうスケルツォの楽章そのものである。メランコリーが興奮にかわり舞踏の乱舞である。当時この時点ではまだ聴くことのできない第七交響曲を、今日の私たちは既に知っている。ディオニュソスの祭典のようなあの交響曲第七番に向かって、すでにこの第一交響曲は照射している。ハイドンやモーツァルトの洗練された調和と節度感覚からすると、ベートーヴェンのダイナミズムは、エネルギーが有り余って野暮ったいように聴こえてしまうほどである。
 第四楽章の眼差しは、偉大なもの崇高なものへ到達した未来の姿をしっかりと捉えている。第一楽章で呈示され想定した未来の構図を映し出していて、第一楽章の成果として描いているのである。あとはもうそのエネルギーのうねりに自在に身をまかせ、余計な細工を施す必要などはまったくない。為すがままの情動は野に放たれて奔放に駈け回る。こうした運動性を牽引するリズムやテンポの躍動感は、彼の身体的機能から生ずる先天的なものである。内なる衝動を具象化するためには、その思考は肉体を揺さぶる運動性を伴ったものからでないと生まれないとでもいうように、その律動をベートーヴェンは譜面に記すのである。
 連続する三連符やシンコペーションを多用しながら、しかも一つ一つの音を明瞭に発音させるアーテキュレーションをベートーヴェンは要求する。さらにそれらに強弱を付けて、クレッシェンドしたりディミヌエンドするのである。ベートーヴェンの三連符の連続性は演奏者に全身運動を課す。演奏することそのものがまさしく全身運動に違いないのだが、彼の場合は演奏者に究極ともいうべき渾身の集中力を、その心身に要求するのである。それを裏付けるような逸話が残っている。一八〇八年一一月一五日にアン・デア・ヴィーン劇場で行われる慈善演奏会に向けた練習中に、ベートーヴェンが興奮のあまりピアノの燭台を倒したり、合唱隊の少年を突き飛ばしたりして、周りの人たちの顰蹙をかったということである。みずからの作品をどのように演奏するかを演奏者たちに伝えようとして、譜面の力を借りるより先にからだが反応するのである。
 この交響曲第一番には、巨匠たちの業績に学びながら、崇高なものへの自己陶冶をめざす自覚と意欲がある。人間の尊厳をみずからのうちに体現しながら、「自由」「平等」「友愛」の精神を、人生に実現していこうとする決意が、この作品の底流を成しているのである。それは世俗の利害関係を調節する中庸に求めるものではなく、その対極に求めるものである。したがってベートーヴェンは巨匠を意識して、練り上げられた様式や書法に一石を投じて、奇を衒おうとしているのではなかった。抑えても湧き上がってくる内なる衝動を、一つの形式に即しながら、その意図を伝えるために工夫していくのである。
 それまでの音楽様式や手法を踏襲しながら、ベートーヴェンは止むに止まれぬ内的衝動を創作の過程に洞察する。それをどのように表現し構成するか、そしてどうしたら人々の心に受け止めてもらえるかという方法を探っていく。その結果、楽器の編成や用い方に新しいものを加えたり、様式をさらにみずからの表現にふさわしいものに工夫していったのである。この第一交響曲でも随所に現われる不協和音のユニゾンが、聴く者の注意を促すように聴こえてくる箇所がいくつもある。けれどもそれは後の作品六七交響曲第五番のように、求心的に内省する形で現われるのではなく、向日的に成長発展していく。そうした気分に、溌剌とした若さを感じ取ることができるのである。
 第五番の交響曲ほどに徹底されているわけではないが、この第一番に聴こえてくるたたみかけ咳込んでくるようなリズムは、モーツァルトの典雅な趣とは既に違っている。この作品の持つ外発的なエネルギーの眩しさはこの作品を開放的にしていて、底流に潜む情念の衝動はまだ内に秘めたままである。しかし人間の持つ生命衝動の発露とでもいうような、情念の持つ根源的な正体へ迫ろうという兆しを、早くも聴き取れなくもないのである。そして苦境を切り抜けたあとの甦りに、再び光彩を放つ作品が生まれてくる。その作品だけを聴く分には点としての彼の人生の一コマのように映るが、作品どうしを繋ぎ合わせてみると、その線がうねるように地平の彼方に広がっている。その広がりが重層的に組み立てられて壮大な構造物となり、聴く者の感動を一層深いものにするのである。
 ベートーヴェンの音楽は、人間が併せ持つ精神と肉体、あるいは理性と感情というものが分かち難い一体のものとして呈示される。それは多くの場合に背反する二律として併行しながら展開され、その精神と肉体は一体のものに甦って解決に向かう。こうした過程を経て、彼の作品は一つの大伽藍として現われてくるのである。ベートーヴェンの音楽の特徴を為すこのような構築性は、既にこの作品に見られる特徴のひとつである。ベートーヴェンは先人たちの到達したソナタ形式を受け入れ、踏襲しながら盲従はしなかった。彼は作品に描いたモチーフの誘因となる世界に分け入り、人間の内面性を作品に際立たせた。崇高なるものへの到達を阻むものは何か。自己のうちにうごめく情念の正体は何か。こうした問題に果敢に挑んでいくのである。
 この作品でのベートーヴェンは、率直で積極的な姿勢に溢れており、韜晦したり屈折する態度ではない。外連味のない真摯な生き方である。処女作を「晩年」と題した太宰治とは、対極からのスタートであった。後年、心酔するゲーテの作品には生命の横溢があるから、その詩に作曲できると述べたベートーヴェンの生への揺るぎない意志であった。太宰治は一五編の短編集「晩年」の第一作「葉」の扉に「撰ばれてあることの/恍惚と不安と/二つわれにあり」とヴェルレーヌの詩を載せる。重要なのはそのあとに続く「われにその価なし、」の一節だったのだが、処女作で晩年に至ってしまう太宰にしても、さすが処女作の扉にそこまで掲載する自虐性は憚られたのだろう。津軽の素封家に生まれた太宰は、屈折した情念を放蕩と諧謔に向ける。晩年の後は余生であると太宰本人は意識していた。
 「もの思う葦」のなかで、太宰治は「この本一冊を創るためにのみ生まれ」これから先の自分は「全くの死骸」であり、「余生」を送っていくと述べている。そして「旅人よ、この路を避けて通れ。これは、確實にむなしい、路なのだから、と審判といふ燈臺は、この世ならず厳粛に語るだらう。けれども、今宵の私は、そんなに永く生きてゐたくない。おのれのスパルタを汚すよりは、錨をからだに巻きつけて入水したいものだとさへ思つてゐる。」と記す。処女作に向かって成熟を目指し、余生を送ること一四年にして「人間失格」を未完に残したまま、太宰は漸く晩年にピリオドを打ち本懐を遂げる。
 だがベートーヴェンは違った。当時の有数なヴァイオリニストとなるフランツ・ヨーゼフ・クレメント(1780〜1842)の記念帳(1794年)に「親愛なるクレメント、道をさらに進め。これまで美しくも輝かしく歩んできた道を。天与の才と習得した技が、競って君を最高の芸術家の一人にせんとしている。両者の後に続け。そして偉大な│もっとも偉大な目標、此の世で芸術家が成し得る、かの目標に達することを恐れるな。幸運たれ、愛しい少年よ。そして君の見事な心を打つ演奏を再び聞けるよう、すぐにまた戻れ。」(天才音楽家たちの友情記念帳 伊東辰彦著 講談社選書メチエ)とベートーヴェンは記している。みずからの心情の吐露でもあった。この気持ちを彼はこの作品二一交響曲第一番にも持ち続けていたのである。
 太宰はエートスの呪縛から逃れるようにして、自虐的に余生を送った。外部に爆発させる情念を諧謔的な笑いに逸らし、破壊もならず反逆もせずに自分を痛めつけながら、生への共感を見つけようともがいた。自分を苛みながら道化るしかなかった太宰は、おそらく処女作の矜持が彼を囚えて離さなかったのではあるまいか。「道化の華」の大庭葉蔵は「僕はこの手もて、園を水にしづめた。僕は悪魔の傲慢さもて、われよみがへるとも園は死ね、と願つたのだ。」と告白する。彼は一つの事件を契機に、みずからの芸術的完成を目指して、晩年を生きることになったのである。彼の一回目の心中事件で相手の女性を死なせたのは、事故だったのか自覚的だったのか、津軽の素封家が世間を封じ込めたとも、官憲の配慮が働いたとも想像され、両者の呼吸が一致して事件を押さえたと考えられる。名望の家が貧農の労苦に支えられていることに、太宰の感性は支え切れなかった。ヴェルレーヌからの引用がそれを象徴している。
 この引用は自惚れでも自意識過剰でもなかったのである。無辜の民からの収奪を意識していなかったとすれば、彼はただの堕罪に収まる作家である。贖罪につながる文学は書けなかったはずだ。太宰は出自から抜け出せなかったが、ベートーヴェンは芸術の上では出自を必要としなかった。ベートーヴェンは処女作を突き抜けた作曲家だったが、太宰は処女作に絡め取られた作家であった。ベートーヴェンは生き続けることに苦闘したが、太宰は余生を生き続けて苦しんだ。だがベートーヴェンも死と無縁だったわけではなく、むしろ死と対峙しその克服に向かって闘いを挑んだ人間であった。名望の家の恍惚と不安を抱えながら、生を全うすることをはにかみ、ひたすら晩年を生きる人間と、肉体的な死への怖れと格闘しながら芸術に挑む人間の、いずれに尊い価値を認めるかという択一の選択ではない。ベートーヴェンと太宰の生き方は、双方には全く相容れない人生の態度であったが、時空を超えて残されたその作品に私は感動するのである。
 この作品二一交響曲第一番ハ長調は、モーツァルトが最後の三曲の交響曲を作曲した一七八八年の夏以来一二年、ハイドンの交響曲第一〇四番から五年の後、新世紀の幕開けとなる時期に満を持したように登場した。交響曲史上ベートーヴェンの出現により、それ以前の交響曲は時間を下って、それ以降のものは時間を遡って比較対照されることになる。そして何よりも近代的な交響曲作家としての精髄が、この作品にちりばめられていた。ベートーヴェンの交響曲に見られる生命のリズム、分厚いハーモニー、ふっと心をよぎる感傷的なメロディ、落差の大きいダイナミズムといった楽曲構成上の特徴は、この作品に明確に表われている。
 それは音楽を創造するということが、人間の内なる深層へ迫り、啓蒙思想を通じて獲得した自己認識というものを、民衆のレベルで自覚しはじめた近代的自我の世界を啓くものであった。またそれはアンシャン・レジーム解体のあとに到来する、人間性の価値原理の何であるかを示すための素描であった。それがベートーヴェン以前の交響曲と、彼が創造した交響曲の違いであった。その世界をこの第一楽章冒頭のささやかな扉が開いたのである。今日から見ればこの作品は十九世紀への入口となる起点を指すものであり、ベートーヴェンの創造空間の里程標を示すものであった。それはまるで直立二足歩行に起き上がった人類が、人間性の形成を辿り直すことから歩み始めたかのようであった。


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