んだんだ劇場2007年1月号 vol.97
遠田耕平

No66  天罰な話と光栄な話

突然の災難
 災難は突然来るに決まっている。ボートレースのお話の前に少し余談を。
 昼休みに例によって食事も取らずにプールに直行。雨期の合間の青空と白い雲を頭上に見ながら気持ちよくバックストロークで泳いでいた。ターンをする頃かなと思って頭を一杯に反って、壁を見ようと思ったその瞬間だった。ゴン!突然壁に激突。ストロークが思ったより早かったのか、壁を見るために思いっきり反った首のまま、顔面を壁にしたたかぶつけた。その瞬間、首が縮まって息が「うっ」と詰まった。こうして脊髄を損傷するんだと思う。幸いにも手足の痺れはないし、難を逃れたかなと思ったがその日からどうも首が、ひどい寝違いの後のよう動かない。ゆっくり泳いだらリハビリになるかな?と思ったが、首が動かないと泳げない事がよく分かった。
 背骨と泳ぎの関係を考える。魚類は人間の背骨が横になった形で、左右対称。その背骨を横に振る事で鞭のように水の中を泳ぎ、信じられないスピードを得る。ところが、哺乳類の脊椎は胸郭もあるし、横には振れない。その代わり、水中にいる哺乳類、例えばアシカは脊椎の縦の動き、いわゆるうねりを使い、魚に近いスピードを得る。人の泳ぎもそれに習う。
 人間の背骨には首と背中から腰にかけての二つの大きな生理的湾曲がある。この首の湾曲に上下、つまり縦の運動をさせる事で、背中から腰の湾曲にその運動を伝え、いわゆる連続した縦のうねりを作り出す。残念ながら人の背骨にはその下に骨盤があり、さらに二本の脚があるのでアシカのように全身で頭の先から足先までうねりを完成させる事はできない。でも真似はできる。
 人の泳ぎではもう一つ技を使う。体の縦の軸を左右にゆさ振る「ローリング」である。これを使うことで、肩の関節の可動域を広げ、強い腕のストローク(腕の漕ぎ)を生み出し、同時に身体を効率よく伸展して、呼吸もする。人の泳ぎはこの「縦のうねり」と「横のゆさ揺り」を組み合わせる事で水中での抵抗のより少ない効率のいい形(ストリームライン)を作り出す努力をしている。アシカを見ると、もし完璧なうねりさえ作り出せるなら、ローリングもストロークもなくて、アシカのように小さな手と、足ヒレとうねりだけで、魚と同じスピードを生み出せることが分かる。つまりうねりは大事で、人ではその動きの起点となる首の上下の動きはとても大事なのである。
 要するに首が動かないと、泳げないのである。そんなところに、一通のメールが後輩の女医さんから入った。彼女はまだ卒後研修中だが、明るく元気で、将来は途上国で働きたいと思っている。その彼女が2週間ほど前、往診中に車をぶつけられて、鞭打ち症になった。当初は症状も軽く、ちょうどいい休暇になったと自宅で数日休んでいたという。
 ところが、次第に神経症状が出て、足と腕が動かなくなり、茶碗も持てなくなっていった。慌てて詳しい検査をすると、頚椎の椎間板に大きなヘルニアがあり、脊髄を圧迫して神経症状が出ていると分かった。結局、腰の骨を一部持ってきて行う前方除圧固定術という大手術を緊急で受けたという。
 それにしても、なぜ一生懸命に患者さんに献身する医者にそんな災難が降りかかるのかと、突然の災難を呪いたくなる。僕なんかは身から出た錆、罰が当たったと言われればそれまでだが、若く将来のある人になぜこんな災難がと思うと気持ちがブルーになる。手術の経過、順調であれと願う。「今まで以上に患者さんの気持ちの分かる医者になれそうだ。」と、健気にリハビリを始めているらしい。貴重な医者がまた一人増える。
 ところで僕の首は、神経症状が出てくるようならやっぱりタイの病院まで検査に行こうと思っていたが、幸い少しずつ痛みも和らぎ、緩やかに回復しているようだ。災難はいつも僕らの一見平安な日常と隣り合わせにある。日々是好日、無病息災とは願っても明日はどうなるかわからない。どう用心していいかは分からないが、どうか災難に御用心。

王様とボートレース観戦
 今年も恒例の「水祭り」の時期がやってきた。クメールの人たちは「水祭り」とは呼ばず、ちゃんとクメール語で「ボンオントゥー(ボート漕ぎの祭り)」と呼んでいる。実はこの方が正しい。さらにこの一週間余りの休みの時期には「アークアンボック」というもち米のフレークを食べて豊作を感謝する仏教儀式、「ソムペアプラカエ(月の神に祈る)」いわゆるお月見、さらに「ボンカトゥン」という一般の人がお寺に献金する儀式が同時に行われている。
 水祭りの時期にはプノンペンの街の道路にずらりと屋台が立ち並ぶ。地方からはトラックに同乗してやってくる人たちで120万のプノンペンの人口が3倍に膨れ上がる。プノンペンに住んでいる外国人達の中にはその喧騒を避けてタイなど近くの国に脱出する人たちも多い。
 僕は二つの理由でプノンペンにいることにした。一つは、保健省にいるカンボジア人の友人の村のボートが参加する。僕は今年100ドルを寄付して小さな支援者になった。3日間のレースを乗り切るために、寄付は漕ぎ手のTシャツや帽子、食料の足しになるらしい。村では毎年当番の家が80人近い漕ぎ手の面倒を見るという。
 二つ目の理由は、王様の横でボートレースを観戦する機会が偶然に巡ってきたのである。丁度WHOカンボジア事務所の所長が留守で、たまたま彼の代理をやっていた僕に王室からの招待状が舞い込んだのである。一度王宮の前のゴールをゆっくり見てみたいと思っていた希望が4年目で思いがけなくかなった。

競り合うボート

王宮から川べりの玉座への道
 一日目と二日目は例年のようにスタートに近いところにある川沿いのレストランに陣取る。毎年ビールを飲みながら女房や友達と観戦するのが恒例である。今年は川上から吹く風が少し強かったが、天気に恵まれた。確か2年前は途中から大雨が振り出して、80人近い漕ぎ手を乗せた船がレースの途中で潜水艦のように沈んでいったのを見たことがある。今年は好天の中、僕の友達の村のボートチームはなんと2日間勝ち抜いた。
 今年は409艘が参加したという恒例のボートレースは、まずボートの大きさで4つのグループに分け、その後はくじ引きで、その日のレース相手を一つ決める。レース相手とは流れの内側と外側とで2回漕いで勝敗を決める。2回勝った者、1回勝って1回負けたもの、2回負けた者同士がグループになって2日目のくじを引く。3日目の組み合わせも同じようにしてやる。つまり最終日に残る勝者は年によって異なるが、数艘が勝つ事になる。その数艘がともに王様の前で祝福を受ける。最近は同時にゴールに入る場合ためにタイムを取っているようだ。でも誰が一番かと言うことが大事なのではないとクメールの友人はいう。王様の前で受ける祝福と名誉が大切らしい。
 とにかく、3日間連日ほぼ400艘を2回ずつ競わせるカンボジアの人たちの組織力には脱帽である。次から次に2艘のボートがスタートを切り、日本橋と呼ばれる橋の袂から王宮の前までの1000メートル近いコースを朝から日暮れまで途切れる事がない。こんな素晴らしい組織力があるなら、政府ももっとうまくいくだろうと思うのだが、どうやらこの時だけらしい。
 3日目、シハモニ王が執り行なう閉会の儀式を見るべく、一度もこちらで着たことのない一帳羅のスーツを引っ張り出し、暑苦しいネクタイを締めて、女房と一緒に王宮の前に設けられた特設の来賓席に出かけた。来賓席には空席が目立つ。聞くところによると最近駆逐された反体政党の閣僚達が来ていないらしい。王様はまだ来ていない。僕の友達の船はゴール目前で、一人の漕ぎ手が水に落ちて、結局負けてしまった。残念だ。
 ふと後ろの王宮側を見ると王宮の前は群集で一杯である。軍隊が王宮の前と川沿いの来賓席をつなぐ300メートル位の距離を黒山の群集を左右に分けて道を作る。すると王様が王宮の中からオープンカーに乗って現れた。一斉に群集がどよめく。王様はオープンカーの上から群集に満面の笑みで手を振り挨拶をしている。車から降りると、まずフンセン総理大臣夫婦に挨拶し、次から次に詰め寄る来賓たちに両手を合わせて丁寧に挨拶する。それから、優雅に赤い絨毯を登って、来賓席の前方の川に張り出した玉座に座った。

両手を合わせて挨拶をする元バレーダンサーの王様

ゴール前の玉座からボートチームを祝福する王様
 テレビや写真では何度も見たが本人を間近で見るとやっぱり興奮する。去年王位を譲り受けたシハモニ王は、フランス育ちの53歳、独身。1950年代にフランスから独立を成し遂げたことで有名なシアヌーク王の実子で、プロのバレーダンサーだったという経歴の人である。女性には基本的に興味がないという噂だ。背はやはり父親に似て低く、小柄であるが、顔は父親に似ず、母親に似て、鼻筋はとおり、とてもハンサム。頭はきれいに剃っているが、肌もつやつやして、僕より3歳上とは思えないほどとても若く見える。その上、品のある嫌味のない所作と、一人一人の来賓に笑みを絶やさない挨拶の丁寧さには感服してしまう。
 以前テレビで見たのだが、この王様は小学生が手を出しても、その辺のおっさんやおばさんが手を出しても、全く差別することなく、丁寧に両手で彼らの手を包み、笑顔で頭を下げるのである。僕はそのさまを見て、目を疑った。神様だった日本の皇室とは随分違う。その優雅な演技者は、丁度日本の歌舞伎役者に近いかもしれない。いや、ダンサーだ。ダンサーの表現力である。指先から顔の皺一つの動きまで演技が行き届いて、無駄がない。身体をたおやかに動かして、ゆっくりと舞うように歩く。しかも観衆をしっかりと意識して、その心を引きつけて離さない。実に洗練されていているのである。王様のバレーダンスを一目でいいから見てみたくなったのは僕だけだろうか。
 王様は席に着くと、ゴールする船一艘一艘に拍手を送り、時折両手を大きくかざして手を振る。女性のボートチームがゴールして王様の前をゆっくり通り過ぎると、実に嬉しそうに長く手を振っている姿が後から伺える。
 どよめきのような人の声がだんだん大きくなってくる。何だろう?と声のする方を見ると、川上のスタートの橋の袂から何十艘もの船が一斉に王宮前のゴールに向っている。どんどん近づいてくる。先頭の船の舳先には剣を持った男性が伝統衣装を着て立っている。「ウォー」という船乗り達の声とともに、その男は剣を振り上げると、ゴールに張られた赤いテープを船の進む勢いで一気に切った。その瞬間、何十艘もの船の漕ぎ手達が一斉に船の上で立ち上がり、パドルを高くかざし、王様に向って、歓声を上げた。これがボートレースのクライマックス、閉幕の儀式である。

ボートレースのクライマックスの儀式

玉座の前を通る電飾のボート
 陽がさらに暮れてくる。電飾を10メートルもの高さに飾った船が王様の前をゆっくりと何艘も通り過ぎて行った。それが終わるや否や、川向こうから花火が一斉に打ち上がり、それと同時に背後の群集から大きな歓声が上がった。これで王様が宮殿に戻る時間だ。軍隊が群集を左右に押し分けて再び王様が宮殿に戻る道を作る。王様は来た時と同様に手を合わせ、丁寧に頭を下げては来賓の一人一人に笑顔で返しながら車に乗りこみ宮殿に戻っていく。
 さて問題は残された来賓客たちである。友人が「王様の車の後ろについて歩かないと危ないぞ。」と声をかけた。黒山の群集がどんどん押し寄せてきて、王様が通った道はどんどん狭くなる。軍隊は、来賓客なんかどうなってもかまわないという対応である。とうとう僕らは群衆に飲まれてしまった。
 困った。事務所の車がどこにあるか分からない。その時だ、「Dr.トーダ。こっちだ。」と、暗闇の群集の中から声がした。事務所の運転手のクーンが群集で飲まれた車の上に立って叫んでくれたのだ。お陰で車は見つかったが、今度は群集で押されたドアが開かない。これもクーンが何とか群集を押しのけ、ドアの小さな隙間から中に何とか滑り込んだ。しかし今度は車が群衆に囲まれてほとんど動かない。それどころか、車体を叩く人までいる。女房は生まれて初めて見た黒山の群集に圧倒されて声も出ない。外見はおとなしいカンボジアの人たちだが、群集になるとやはり怖い。幸いにも軍の要人の車の後ろについて、歩くようなよちよち運転をしながら何とか無事に家まで辿りついたのである。送り届けてくれたクーンに感謝。
 家に帰って人心地ついた女房が「それにしても王様のお肌はきれいだったわ。」
と、群集の恐怖もすっかり忘れて、日焼けで皺の深くなった僕の顔を見ながらしみじみ言う。まったく、女はつまらない事に目が留まるなと思ったが、どうやらお肌の様子がはっきり見えるくらい傍で王様を見られたことに満足だったらしい。
 実は彼女、観戦する王様の後ろにそっと立って、王様のきれいに剃った後頭部をバックに記念写真を撮った。子供達に送ると言う。王様ごめんなさい。来年はビール片手に一般庶民の定位置でまたボートレースを観戦しましょう。それにしても王様のバレーダンスを一度見てみたい気持ちが募る僕でした。
 次回は新生児破傷風という病気の話に村のお産婆さんのお話を交えてしましょう。


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