んだんだ劇場2007年4月号 vol.100
遠田耕平

No69  生々しい世界を生きる

 先月号で麻疹ワクチン全国キャンペーンの話を少し書かせていただいたので今回は何か別の気の利いた話題はないかと思ってみた。ところが僕の普段は空っぽの頭の中はとにかく今はこのワクチン接種のことで一杯なのである。頭のつくりの単純な筆者が、今回もう一度だけこのお話をすることをお許しいただきたい。
 カンボジアの気温はうなぎ登りに上昇し、暑さと乾燥は今がピークだ。灌漑設備のほとんど機能していないカンボジアの地方は例年の如く完璧に乾ききって、赤土の砂埃が粉のようになって絶えず舞い上がる。接種状況を見るために地方の接種チームや監督官を追いかけながら村を回って歩いている僕にとってはこの乾燥と暑さはかなり辛いのである。粉の砂埃は、汗ばんだ肌にへばりつき、コンタクトレンズの入った僕の目を容赦なく傷つける。
 炎天下で接種チームや監督官を見つけては立ち止まり、しばらく彼らと仕事のやり方について話す。子供を見つけては立ち止まって指先の紫のマークを確認し、お母さんに接種歴を確認する。そのうちふと気が付くと、頭がクラクラして視点が定まらない。40度以上あるオーブンのような外気と自分の体温が近づいているのに気が付く。ただでさえ風通しの悪い空っぽの僕の頭の中は、真夏の締め切った部屋のように蒸し風呂状態。体の細胞が体温の上昇で次々に壊れていく熱中症の初期である。気をつけて日陰を歩き、一所懸命水を飲むようにしていてもこうなるのであるから、体温調節の機能ははっきりと年とともに鈍くなっている。
 それでもカンボジアの人たちは、何とかちゃんと仕事をしているから凄い。熱中症になって病院に運ばれたという接種チームの話は聞いたことがない。上手に体力を温存し、コントロールしているようだ。暑くなれば日陰で休み、昼は少し昼寝をする。適当な時にサトウキビのジュースを飲んで糖分と電解質を補給している。監督官はもっと上手で、ハンモックで休んで一服していたり、昼から酒を飲んで上機嫌になっているものまでいる。つまりくそ真面目な日本人のように倒れるまでやるなんてことは決してしてしない所が賢い。

僻地の子供達

スラムの子供達
 しかしながらである。大方の接種チームが真面目な一方、監督する責任のある監督官たちの多くがいい加減なのにはほとほと弱るのである。もともとが自堕落でいい加減な僕自身が偉そうに言えることでもないが、カンボジアのことを思えばやはり困る。大きな声で元気のいい監督官だなーと思って見ていたら地酒の米焼酎が一杯入っている。口に手を当てながら話す控えめな監督官だなーと思って見ていたらこれも一杯入っている。
 酒が少々入ってもちゃんと仕事をしてくれれば、まあそれでいいのではある。ところが、仕事の事はちんぷんかんぷん。あれだけトレーニングされたのに自分のチームの地域を地図で確認できず、チームがどこの家からどこの家まで歩くのかもさっぱり分からない。分からないから、適当に村のボランティアに聞けという。村のボランティアはチームがどこの家まで歩いたらいいか全部知っているという。と思ったら、買い物に行くといってさっさと帰ってしまうおばさんもいれば、酒を飲んで寝てしまう爺さんまでいる。
 実はこの状態がカンボジアの普通の状態なのである。上の人間はなるべく少なく仕事をして、多くお金を貰う。うるさい事は言わないから下の連中は適当にやっておけと言う。適当にやらせて目をつぶる分、少し給料の上前をはねる。一番上から一番下までみんな順番に上前をはねるから、一番下の保健師たちに届く時には半分くらいになっている。そうすると半分くらいの仕事でいいんだなということになる。そんな人たちに自分達の割り当ての地域をちゃんと確認し、家から家にもう一度回って、そこにいる全部の子供たちが接種を受けたかどうか確認してくださいと頼むのであるから、これはやっぱり大変だ。

口から出て来い、カンボジア語
 ところで、僕の下手くそカンボジア語の実践は、何とかそんな人たちに「このキャンペーンは今までとは違う。少しでもいい仕事をして、一人でも多くの子供にワクチンを届けましょう。」というメッセージを伝えたいという気持ちの一心で、続いている。実はとても恥ずかしいのである。でも、そうも言っていられない。極めて限られた語彙にも拘らず、度胸がついたというか、やけくそというか、その辺の境もどうも怪しくなっている。とにかく何でもいいから「口から出て来い、カンボジア語」と言う感じである。
 ある地方の接種チームの保健師たち50人くらいのトレーニングに同席した時である。ビタミンAの配布を支援している民間の支援団体がなぜか政府の人たちよりも偉そうな顔をしてトレーニングを仕切っている。多分お金が絡んでいるのだろう。そのうち彼らが「麻疹のワクチンよりもビタミンAをまず飲ませて、用意した登録名簿と照合して、予防接種カードにも記入しなさい。」と指示している。なるべく簡易にやらせようという政府の指導とは全く逆なので黙っていられなくなった。一般に社会主義国を除く途上国では登録名簿がいかに不完全で曖昧かはよく知られている。名簿を照合しカードに記入するよりも、登録に漏れた子供も含め一人でも多くの子供に接種するほうが大切である。

僻地を歩く接種チーム

線路を歩く接種チーム
 何よりも接種所には子供を連れたお母さん達がたくさん詰め掛ける。そこで、麻疹のワクチンを注射し、ビタミンAを口に垂らし、駆虫薬を飲ませ、指にマークの色をつけ、子供の数を用紙に記録する、その作業がいかに忙しいかは想像していただけるだろう。複雑なやり方にして、お母さん達を長く待たせる事になればどんなことになるか。畑や家の仕事の時間を割いてきているお母さん達は子供を連れてどんどん家に帰ってしまう。僕は大きな身振り手振りで飛び上がらんばかりに必死でカンボジア語らしき言葉を発した。
 すると、どうだろう、接種チームの保健師たちから一斉に大きな拍手が起こったのである。彼らの目はまさにそのとおりだと言っている。数え切れないほど接種活動を見てきた僕の経験と彼らの経験が重なった。迅速に効率よく接種することがお母さん達が詰め掛けるキャンペーンでは如何に大切かを保健師たちは身をもって知っている。名前の確認よりも、一人でも多く子供が接種を受けられたらいいのである。さらに決められた接種場所での仕事が一段落したら、とにかく割り当てられた地域を端から端まで歩いて、どの家の子供も接種をしたと確認する事、その行動とやる気が今回は一番大事である。そう話すと皆が大きな目でうなずいてくれた。
 つまり僕の下手なカンボジア語が受けたという事で、こういう時は楽しい。ヤッターと言うという感じである。しょんぼりしてしまったビタミンAの支援団体の連中には申し訳ないが、僕の話が本当に働く人たちの支持を得たのである。
 ところで困るのは僕が本当にカンボジア語をよくわかっていると誤解する人がいることである。そういう人は僕を見て、畳み掛けるようにカンボジア語で話してくる。悲しいことに僕はそのほとんどが分からないので本当に申し訳ない。いつかスラスラと理解できる日も来るかもしれない。ただ僕の場合はどうしても伝えたい事があるから話すので、やっぱり話す言葉が先で、聞くのは下手なままなのだろうなと思う。

キエンの小さな一歩
 ワクチンキャンペーンも終盤、最後に残されていた人口も多い大きな県、バッタンバン県に行ってみて驚いた。接種のすでに終わった場所を調べていくと、接種を受けていない子供達が次から次に見つかってきたのである。その理由を調べてみると、接種チームはいい人たちが多いのであるが、やり方を分かっていない。従来どおりに接種場所にいるだけで、一定数の子供に接種したら帰ってもいいことになっている。村のボランティはもちろんわかっていない。つまりはその上の政府、県、郡の監督官達みんなが見事に悪い。
 保健省からはDr.コールという金と酒と女で問題を起こしている札付きの医者が派遣されていた。問題が起こると予想していた僕はその上司のDr.サラットにも監督に来てもらっていたが、彼はやさしい人柄な分、指導するという事が全くできない。さらにカンボジア人の慣例で、どんなに悪い事をみても面と向っては注意しないのである。県の衛生部の責任者のMr.キエンは40歳位、長く予防接種の経験のある男だが、上の連中のやり方に柳のようになびく。札付きのDr. コールに抱き込まれて、いい加減な計画書を作り、いい加減な監督をしている。ここでもお金が絡んでいるようだ。地図をもとに境界を理解し、家から家に漏れなく子供に接種するという今回の意味を全く理解していない。さらに5つある郡の責任者達はこれまた県に輪をかけていい加減である。早く仕事を終わるように複数の村を掛け持たせ期間を短縮したり、勝手に活動の期間やチームの数を少なくして、その分の予算を懐に入れている。誠実になるべく多くの子供たちに接種してあげたいなんて誰も考えていない。
 さて困った。「やり直しをしろ。」と言って、やるような生易しい連中じゃない。百でも二百でも言い訳をする連中だ。たとえ中央政府から直接言ってもまともに耳を傾けるかも怪しい。この郡の連中を説き伏せ、「たくさんの子供が接種を受けないで残っているだろうと予想される村を割り出し、もう一度接種チームを送る」と言わせることができるか。唯一やれる男がいるとすれば、それは県の責任者のMr.キエン以外にいない。キエンがまず県の問題、郡の問題の実情を認めれば、道が開けるかもしれない。

マイクのおじさん

出動前の接種チームに話をするスーン先生
 だめもとで、やる気のない顔のキエンを連れて僕が予想をつけた接種の悪そうな場所を朝から日暮れまで見て回った。するとやっぱり受けていない子供達がどんどん見つかる。キエンの顔色が少しずつ変わってくる。そのうち彼がどんどん炎天下でも積極的に子供達を調べ出している。彼は僕が思っていたより、真面目らしい。接種漏れの親たちは夕方畑仕事から帰ったらみんな終わっていたという。接種があることも知らされていない人たちもたくさんいる。「この村はやり直したほうがいいね。」と言うと、すぐに頷いて、「明日にでもやろう。」という。
 暗くなった県の衛生部に戻って、5つの郡のある県の地図を前に広げ、「今日見たのは本当に氷山の一角だろうから、どの地域にたくさんの子供達が残っていそうなのか教えてください。」とペンを渡した。すると暫らく黙って、「今日分かった場所しかないだろうから、明日、追加で仕事をすれば終わる。」という。本当にそれしかないと信じているのかと畳み掛けると「郡のことは自分もよくわからないんだ」と本音を言った。「この状況が中央政府に分かれば全部やり直しということにもなるかもしれないよ。」と少し強く言ってみた。黙ってしまう。夜も遅いし、汗だくで空腹な頭ではもう何も出てこない。これ以上は話してもダメだと思い、翌朝にもう一度話し合う事にした。
 その夜、保健省の責任者のスーン先生と電話で現状を話した。スーン先生から出来るだけ県のトップと話してもらい、県に解決策を提示してもらおう。解決策が提示できない場合はもう一度保健省から調査チームを送り、さらに受けていない子供が多く見つかった場合は全県でやり直しをさせる決定をする方向で行きましょうと進言した。
 翌朝、キエンは思いのほかに優しい表情になっていた。明日、郡の責任者を集める会議があるからその席で話をしてみたいと言う。もちろん僕は彼の積極的な態度の変化に大いに喜んだ。しかし本当にキエンが郡の一癖も二癖もある連中を説得できるかどうかは大いに疑わしかった。プノンペンに戻り、スーン先生から直接キエンを話してもらい、郡とどのように話したらいいか助言して貰い、通達の文書も用意して翌朝にファックスで送った。
 翌日のお昼過ぎ、キエンから、「全ての郡で5チームを5日間出動させ、未接種の子供が多そうな村に行って穴埋めをすることで合意した。」と連絡があった。心配していた僕らは大いに喜んだ。もちろん本当にきちんとした仕事が出来るのか保健省からまた調査に行かないとならないだろう。でもとにかく嬉しい。あの柳がなびくようにいい加減だったキエンがここまでやってくれたことが嬉しい。小さな一歩である。こんな小さなことが嬉しいのである。キエンの心の中に芽生えた小さな変化、真面目にやるのも悪くない。応援してくれる人もいる、喜んでくれるお母さんもいる…。もし一瞬でもそう思ってくれたとしたら、それは嬉しいのである。

接種漏れの子どもを村に探して

地図を前に夜も続く話し合い
 責任感の強い日本の人たちにはなんと幼稚な事で喜んでいるなと写るかも知れない。確かにそうかもしれない。でも、この人たちはあの狂気のポルポトの時代をしたたかに生き残ってきた人たちだ。計り知れない生き残る術がある。それは技術でも科学でも、勿論学歴でもなく、人間と人間の生々しい関係だけが、唯一確かなことで、その関係だけが生き残りを保障している世界でもある。そこでは、道徳も正義も責任もあまり力がない。そこに立ち入る僕らも生の人間の関係として入り込むしかないのである。だからキエンの小さな心の変化がみんな嬉しいのである。
 50を過ぎる僕は未だにこんな甚だわけのわからない、言葉にも形にもならない生々しい世界に生きている。なんの到達点もなく、ただただ生々しい世界を生きる人たちと生きる。混沌としたまま、さらに混沌として走り抜く。それしか僕には出来ないのである。


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