んだんだ劇場2007年6月号 vol.102
遠田耕平

No71 51歳の「たまたま」

パンツーマルミエ
 NHKワールドニュースを夕食を取りながらぼんやりと見ていた。「また、現役警察官が女子高校生を下から盗撮して、逮捕されました。」とか、「また、現役の教師が女子中学生を盗撮して懲戒免職になりました。」とか言っている。「フーン、そんなに女の子のパンツが見たいのかー。」と夕食を口にほおばりながら、ふと気が付いた。「あの人たちはもしかしたら子供の頃に女の子のパンツを見なかったんじゃないか?」と。横では女房が、僕の独り言を冷ややかに聞き流している。
 そういえば、僕の子供の頃は、ブランコに乗っても、鉄棒にぶら下がっても、ジャングルジムに登っても女の子のパンツは下からよく見えた。そして、見えると決まって何かをした。何かを…。見るたびに僕は何かをした…。なんだろう…?そう思っていたら、突然女房が箸をおいて、ボソッと「パン、ツー、マル、ミエ」と見事なサインをしたものだからたまらない。「それだ!」その途端、僕は、ほおばっていた夕飯を特大の爆笑と共に噴き出してしまった。本当にお行儀が悪い。ごめんなさい。女房のせいだ。
 「パン、ツー、マル、ミエ」のサインは、「パン」と両手を叩き、「ツー」とVサインのように指を二本立て、「マル」と親指と人差し指で丸を作り、「ミエ」とおでこに手のひらをかざして、遠くを見る仕草をするのである。これこそが、日本中の小学生達が連日連夜、朝から晩まで、パンツを見る度にやっていたサインなのである。いつ頃「パンツーマルミエ」が子供社会に広がり、いつ頃消えていったのかは知らないが、とにかく僕も弟達も友達も隣の兄ちゃんも向かいの悪がきも、みんながやっていた。
 「パンツーマルミエ、パンツーマルミエ」と呪文ようにサインを繰り返すと、女の子はパッと顔を赤らめ、スカートの裾をサッと引き下げる。そして赤い顔をさらに赤く、「バーカ、エッチ、幼稚。」と言ってほっぺをプーッと膨らすのである。その顔が面白くて、また「パン、ツー、…」と言ってしまう。まあ大体その後は、数発ポカポカと叩かれるのであるが、これも甘んじて受け、それでも楽しいのである。ああ、それにしても楽しかったなー。
 パンツーマルミエは明らかに昭和30年代後半に出現し、日本中の小学校を席捲した。昭和50年代まではこのサインと共に伝承されていたようなのであるが、いつ消えていったのだろうか。読者のどなたかご存知だろうか? 僕は少し残念な気がしてきた。あんなに明るくて、あんなに元気なパンツ、いや、「パン、ツー、…」があったのである。
 フー、見事に思い出し、喉のつかえが下りたと、また食べ始めた。すると、横にいる女房が、本当に情けないわ、という顔で、「パン、ツー、…」と、またサインを僕に送ったのでビックリ。…。そ、そうだ、パンツ一枚で夕飯を食べていたのを忘れていた。

カンボジアの空と雲
 カンボジアはやっと雨が降り始めた。 南の国では雨だけが、乾季の間に蓄積した大地の熱を冷ましてくれる唯一の助け。みんなが待ち望む雨。まさに天の恵みである。雨がザーッと降ってくると、たっぷり熱を含んだ埃まみれの道路や家の壁が一斉に湯気を上げながら冷えていく。水蒸気が見事に熱を奪っていってくれるのが目に見える。
 この時期カンボジアは雲がきれいだ。モクモクと湧き上がり、立ち上がる雲が雨期の空の主役だ。白と黒の混在とその配合が雲の色彩を無限にしている。カンボジアの空はどこの国のどこの街の空よりも広く感じる。それは多分、高い建物がまだほとんどないからなのだろうけど、それにしても空が空としてある。新宿のビルの谷間から見る空は、空じゃない。「東京には空がないと智恵子は言った。」という高村光太郎の「智恵子抄」の一説を思い出す。空をじっと見ていた智恵子は本当に思ったのだろう。立ち上がる雲はまるで青いキャンバスに白と黒の絵の具をたっぷり筆先に蓄えて、自在に色を重ねていった油絵のようにも見える。そしてその白と黒の雲は風に乗って、僅かだが絶え間なく動いていると気づく。そして形を少しずつ変えながら、二度と同じ形にも同じ場所にも戻ることはない。見飽きないのである。
 僕はこんな空と雲をボーっと見ている。得意の空っぽの頭で。オフィスに行く時も、保健省に行く時も、プールに行く時も、田舎を走る時も、ボートに乗っているときも、ボーっと空と雲を見る。ちゃんとボーっとしていないと本当の空と雲が見えないように思えてくる。空っぽの頭がいい。
雨期の始まったカンボジアの空と雲

「たまたま」の不思議
 空と雲を見ながら先月号で少しお話した「たまたま」の事をつらつらと思った。全ての事は「たまたま」なんだということ。そう思うと、不思議といろんなことのつじつまが合って来るように感じた。 例えば、「たまたま」苦しい境遇になると、それを恨めしく思うときもある。でも「たまたま」幸せと感じる時がくるなら、その瞬間を限りなくいとおしく思うことも出来るような気がしてくる。そして、幸せな気分の後に嫌な事が来る予感も、嫌な事の後にいい事が来るかもしれない予感も自然に感じ取る事ができるように思えてくるのである。どうだろうか?
 いい事も悪い事も含めた全ての事象は長く続かない事も、全てが川の流れのように一瞬も留まるところがないということも感じる。だから今を、その瞬間を精一杯生きることがどれほど大事で、唯一確かなことかということも、「たまたま」が教えてくれるように思えてくれるのである。
 人生は自分で選んで、自分の力で切り開いたと言う人がいる。自分の力で掴むものだという人がいる。実は僕も若い時はそう思っていた。でも、この年になって、どうやらそうではないらしいとわかってきた。自分で掴んだと思っていることは全て「たまたま」のことで、それは数え切れないたくさんの人たちの力に支えられて、「たまたま」そこに至ったというだけのことだ、とわかってきたのである。それは偶然のような必然で、必然のような偶然でもある。ただ、当然ではないのである。そのように考えると、今与えられたこの瞬間を精一杯生きることしか自分に出来ることがないのだとわかってくる。どうかな?
 一方で、人生は自分で切り開いて、自分の力で掴んだのだから、お金も社会的地位も十分に与えられて当然なんだと真面目に言う人を見るとアホじゃないだろうかと感じるようになった。それは、ただの「たまたま」じゃないかと。真面目に働いても、社会的地位は低く、僅かな収入で、ぎりぎりの生活している人たちたくさんがいる。この人たちは自分で道を切り開く力がなかったのだろうか?怠け者なんだろうか?それどころか、実はその人たちが社会の底辺を支えるほとんど人たちなのでした。「たまたま」与えられた偶然と必然に何の不平も言わず、じっと静かに、謙虚に生きている人たちが、「たまたま」を当然だと誤解している一握りの連中を支えているのである。社会はそういうものらしい。
 英語に「Squeaking hinges get more oil」という表現があるらしい。ぎーぎーと言う音を立てて軋む蝶番(ちょうつがい)はたくさん油を差してもらえるという直訳だが、意味は、より強い自己主張で、目立つことをする者が、より社会から認められ、得をする。逆から言うと、主張をしないものが、評価されないという意味で、現代の欧米的な価値観を端的に表わしているなあと思ったので覚えていた。が、実はそういうことではないらしいと最近気が付いた。つまり、真意はこの表現の意とは全く逆に、いい蝶番は音を出さないのである。いい蝶番は油もいらないのである。「No squeaking hinges need no oil」といい直しても言い。つまり本当にいいものは静かで目立たず、質素に、多くを与えられず、評価もされず、しかもきちんと存在している。そう考えてみると見事に納得がいくのである。実はこの目立たない達人たちが僕らの社会の底辺をきちんと支えている。だから社会がなんとか成り立っている。達人は僕らのすぐ隣に全く目立たないで音も立てずにいる。 女房にこの話をしてみたら、「そんなこと今頃わかったの?」と僕の話を一蹴した。うーん、女房も達人かもしれない。僕は今頃わかったのである。やっと少し言い表す事ができるようになってきた。
 先は本当に分からない。そもそもが「たまたま」の偶然と必然で、当然は存在しないのであるから、計画通りいくわけがない。先を考える事自体が不自然というか、徒労のようである。だったら偶然と必然の「たまたま」の一日を見事に目立たず、精一杯に生きてやるぜ、とパンツーオヤジは願望するである。 もう一つこれも願望であるが、「パン、ツー、…」といつまでも元気に明るいオヤジでいきたいなー。…と、気が付いたら今日が51の誕生日だった。達人の道は、これかららしい。


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