んだんだ劇場2007年7月号 vol.103
遠田耕平

No72 カンボジア女工哀史

 カンボジアはやっと雨が降り始めた。一週間に一度はパッと空が掻き曇り、ザァーと小一時間で大量の雨が降る。雨期だ。水はけの悪い道路はあっという間に洪水。少し脇道に入ると膝まで水につかる。王宮の周りが一番ひどい。子供達は素っ裸で水浴びを始める。「やった、雨が降ったぞ。」と、家に帰ったら女房が青い顔をして必死で雑巾掛けをしている。よく見ると床が水浸し。まさかまた屋根裏の水タンクが破裂したのかと思ったが、あのタンクの破裂事件のあと、タンクは家の外に設置してある。どうやら窓枠の隙間から雨が流れ込んだらしい。やれやれ。
 僕は3週間咳が止まらない。熱も風邪の症状もないのに咳だけが出る。始めはプノンペンの公害で、変な煙でも吸い込んだせいだろうと思っていたが、止まらないのでだんだん困ってきた。特に夜出る。寝ている間に何度も咳込んで目が覚める。白っぽいきれいな痰も出る。気管支喘息かな?肺炎かな?友人の結核の専門家に胸の写真でも撮ってもらおうかと思ったが、あいにく彼も休暇でいない。細菌性の肺炎だと勝手に診断して、古典的な抗生物質の手持ちの期限切れのエリスロマイシンを飲んでみたが、よくならない。それならマイコプラズマ肺炎かな?とミノマイシンを飲んだがこれも良くならない。とても医者の処方とは思えない。結局昨日から広域抗菌剤のシプロキサンを飲み始めたら、咳が少し止まってきた。それでもまだすっきりしない。何だったのかな?まったく医者の不養生である。

デング熱の流行の季節
 お手伝いのリエップさんが遅れて来た。どうしたのかと思って聞くと、一人息子の9歳になるソコン君がひどいデング熱で、クンタボパ病院に緊急入院したという。クンタボパ病院は以前にこの紙面で「裸の王様」というお話で紹介した病院である。デング熱は雨期の始まる今が流行の季節だ。デング熱は蚊が媒介する熱帯特有の感染症で、ウイルスが肝臓や血管を傷害する。時に症状がひどく、血管から血液成分が漏れ出て、ショックになる病気だ。激しい症状を「デング出血熱」と呼ぶのだが、子供では死亡率が20%近くなる事もある。ワクチンがないので蚊に刺されないようにするだけしか予防はない。治療はショックを防ぐ点滴だけ。
 リエップの話だと、ソコン君は数日前から激しい熱が出て下がらず、吐き続けたという。近くのお医者さんで診て貰ったがよくならない。さらに別なお医者さんに行ったがやっぱり高価な薬を処方されただけで症状はよくならない。そのうちおしっこが出なくなってきたという。ショックの症状だ。ここまで来て、そのお医者さんが多分デング熱だろうから手が終えないのでクンタボパ病院へ行ってくれと言われたとリエップは目に涙をためて話す。ひどい話だ。ショックになってから運ばれたらしい。でも幸いな事に、病院で大量の点滴を受け、症状は回復に向っているという。よかった。
 最後にリエップが少し言い出しにくそうに言う。「お給料を30ドル前借できないですか。」僕はお見舞いに20ドル渡して、前借は10ドルだけにしておこうと言った。実はこれがカンボジアの医療の実態。限られた公共の医療機関には給料が安くて医者がいつかない。しかも不親切でちゃんと診てくれない。個人の診療所は無免許で乱立。わけのわからない薬を買わせるだけで治らず、ついには手遅れとなる。貧しい人たちは病気をすればもっと貧しくなる。結局、ただで診てくれるなら裸の王様の病院だろうが長蛇の列を作っていくのである。

裸の王様の嘘
 「裸の王様」ことクンタボパ小児病院の院長、ビートリシュナーのことは以前ここでお話した。彼の得意技は今も相変わらずマスコミを使っての言いたい放題。昨日も新聞の紙面を一ページ占拠して、
「デング熱の子供達が病院に溢れている。質の悪い国の病院と個人病院のせいで子供がどんどん死んでいる。カンボジアの子供のケアをしているのは自分だけだ。政府の病院は子供を殺している。」と、宣伝する。
 そこまで言われてもカンボジアの政府は何も言わない。その理由は彼が王様と親密な関係を持っていることと、政府の医療施策が事実無策だからである。
「自分の病院は無料だ。国の病院とWHOはそ貧乏人でも診察費を払えという。これは静かな虐殺(passive genocide)ではないか。」と。そして最後に国の予算で8億円を私の病院に寄付しなさい。と、結ぶのである。
 以前ここでも話したが、無料診療の実態は、年間90億円にも達する予算を使う先進国でも途上国でもありえない放漫経営と、外部との接触を一切禁止する秘密主義、そして数少ないカンボジアの有能な医療従事者を高額の給料で釣り上げるやり方だ。資金の多くはヨーロッパの民間の寄付金である。スイス人の彼は、故郷スイスではカンボジアの死んでいく子供を無料で救っている現代のシュバイツアーと言われているらしい。不思議なものである。マスコミの言葉とその実態と言うものは天と地ほども違う。人の話しなんていうのは本当にいい加減なものだ。
 さすがにWHO事務所の代表のマイクが、「こんなに何度もいいたい放題にさせていていいのだろうか。」と聞くので、「放っておいたらいいよ。」とアドバイスした。相手は狂った裸の王様だ。こっちが反論しようものなら小躍りして喜ぶだけ。ただ、心配な事は万が一政府の高官が8億円を払うように動いた場合の事だ。すでに予算配分の決まっているお金を削って用立てる可能性がある。そうなると、ただでさえ僅かな保健予算の中で必死で仕事をしている政府機関は大混乱となる。裸の王様にはこういうことは全く分からない。「政府は馬鹿で愚かで、自分は貧乏人を無料で、先進国なみの技術で診てやる。賛成しない連中は殺人者だ。」というのだ。
 確かにクンタボパ病院がないとしたら、今の国の病院の体制のままだとしたら、もっと多くの子供が死んでいたのは事実に見える。確かに今の国の医療体制は余りに情けない。でも、それを少しでも医療の底上げするために人材の育成、施設の改善などを応援し、例え時間がかかってもカンボジアの人たちが自分たちの力で自立できるようにする。その手助けをするのが外から来ている僕らのような人間の役目だ。この国の人たちが限られた人材の中かからも少しずつでも自立への道を見つけていくことを、僕は信じている。

発砲事件、硫酸事件
 新聞といえば、こんな記事も載っている。プノンペンの中心にある公園で、政府高官のバカ息子の高校生同士が、高級車で乗り付けて、白昼堂々とガールフレンドを取り合って拳銃で打ち合ったというのだ。呆れてものが言えない。政府高官のバカ息子の悪行はすでに知られていることだが、悪くなる一方だと、現地のスタッフがため息を漏らす。結局バカ息子どもは捕まらないし、警察も調査をしていますと言うだけで終わるのである。
 別の欄には、白昼プノンペンで女子高校生がバイクで近づいた見知らぬ男二人に突然硫酸を頭からかけられたというのである。犯人は勿論捕まらない。硫酸事件はカンボジアではよくある。三角関係で嫉妬した一方の女性が人を雇って、硫酸をかけさせるというのである。嫉妬した女性が、男性の「なに」を切り落としてアヒルに食べさせてしまったという話もあるが、カンボジアではなぜかそういう話は少なくない。とにかく、一見おとなしいカンボジアの人たちだが、社会と心のひずみがいろんな形で噴出しているようにも見える。

ヤシュガイさんの報告書とNGOの報告書
 ここでも紹介した国連事務総長直属の人権委員会特史のヤシュガイさんがまたやってきた。今度はカンボジアの土地問題に関して見事なレポートを総理大臣に提出した。土地の法制度の不備ために、貧しい人がどんどん土地を追われ、政府は中国系のビジネスマンに不法な借地権を認め、広大な土地が不法に人手に渡っているという。総理大臣は報告書の受理を拒否。さらにニューヨークの代表部から国連本部にヤシュガイさんを今後カンボジアに送らないように要望書を出したらしい。やれやれ。
 最近、森林伐採を監視しているNGOが報告書をインターネットで流した。総理大臣の家族、側近、林野庁の大臣がみんなシンジケートになって森林伐採を不法に進めているという。その報告書の表紙に、巨木の枝に彼らの顔写真を一枚一枚吊るして見せた。勿論、総理大臣はカンカン。発刊禁止、インターネットで見たものも罰すると怒りまくった。ご苦労さん。

カンボジア女工哀史
 最近、日本で、青年層を中心に麻疹が大流行したとニュースで流れていた。世界では日本が麻疹の流行国であることは良く知られている。「日本は世界に自動車を輸出しているけど、麻疹も世界中に輸出しているね。」と皮肉る人さえいる。日本人は麻疹の患者数の減少と医療の整備で、麻疹の怖さを忘れた。しかし、日本では毎年何人かの子供と時に親達が麻疹による肺炎や脳炎で亡くなっているのである。ワクチンさえ受けていればこの悲劇は起こらなかった。当然、途上国では栄養状態の悪さが拍車をかけて何十万人もの子供が毎年麻疹で命を落としてきた。過去10年間WHO世界保健機関とユニセフは麻疹ワクチンの予防接種キャンペーンを途上国で進め、アフリカでは麻疹の死亡率を90%以上減らした。
 アジアでも、人口10億の中国が麻疹キャンペーンを始め、アジア各国が真剣に麻疹撲滅に努力している。とうとう日本政府も重い腰を上げ、免疫を高めるために昨年から法律で麻疹ワクチンの2回接種が義務付けられた。ところが日本にはすでにワクチンを受けていない今回のような青年層の人口が蓄積されている。ひとたびウイルスの感染が広がると今回のような大きな流行が起こる。それでも政府はワクチンキャンペーンをしぶる。それならせめてアメリカのように就学する条件に麻疹の2回接種を法律で義務付け、受けていないものは就学できない法的処置が必要だと思うが、それもできないという。日本の麻疹の専門家達は今、根絶に向けてどのように政府と国民を説得し、日本にとって最善の対策を提言すべきかを模索している。
 この紙面で何度もお話したが、カンボジアの麻疹患者はここ5年余りの15歳未満と5歳未満の児童を対象にした2回の全国ワクチン接種キャンペーンと定期予防接種の成果で激減した。そこには日本からワクチン支援も含まれている。カンボジア政府は2012年までに麻疹のウイルスをカンボジアから根絶しようとしている。
 そんなわけで、数えるほどまでに減少したカンボジアの麻疹患者を確認するために、全国から何百人と報告される発熱と発疹を示す麻疹疑いの患者から血液を採取する。万が一血清から麻疹が確認されれば、患者を村まで追いかけて感染の広がりを再調査をするのである。
 4月に入って、ちょうど5歳以下の麻疹ワクチンの全国キャンペーンが終わった頃だった。コンポンスプー県で発熱と発疹を示す17歳と24歳の女性の血液検査から麻疹が確認されたと知らせが入った。青年層に麻疹ウイルスの感染が残っているのだろうか。だとすると、日本の流行と似たことになるかもしれない。カンボジアでも15歳以下までは全国キャンペーンをしたが、20歳前後の年齢層は、子供の時に自然感染もせず、ワクチンも受けていなければ、成人になってウイルスに感染する危険がある。問題はその広がりだ。日本のように広く青年層に広がっているのだろうか。
 現地に行って話を聞くと二人とも服飾工場で働く女工さんだという。感染の広がりがますます気になる。田舎道を走り、あぜ道を歩いてやっと辿り着いた村。そこに17歳の女工さんが戻って、病に臥せっていた実家である。ところが、彼女はすでにいなかった。家の人に彼女が工場に戻ったのかと訊くと辞めさせられたという。
「工場はどこ?」と訊くと、みんな首をかしげる。誰も知らない。
「それじゃ、彼女は今どこなの?」
「多分プノンペンに住んで、仕事を探しているんだろう。」という。
 なんだか厄介者がいなくなってよかったという感じだ。体調が十分に回復する間もなく、また仕事を探しに戻ったというその若い女性を思うと顔も知らないのに不憫になった。
 彼女も行方不明で、工場も分からないんじゃどうにもならないなと弱り果てていると、隣の住人だというまだ二十歳前の青年が、プノンペンの彼女の居場所を知っているという。それじゃこの際、車に一緒に乗ってプノンペンまで行ってくれないかと頼むと、なにやら恥ずかしそうに頷いて一緒に来てくれることになった。
 プノンペンまでまた長い道のりを車で戻った。夕暮れになる。プノンペンの郊外は中国系の企業がどんどん土地を買占めて埋め立て、カンボジアののんびりした椰子の木と田んぼの田園風景を変えている。新しい工場の立ち並ぶ周辺には女工さん達のための安宿と露天や市場で人がごった返している。狭い路地にひしめく人と急ごしらえの住居はまさにスラムである。その青年の後をついて細い路地を入ると、長いセメントの壁で囲まれた長屋がある。その一室の戸を叩くと中から小柄な生気のない暗い顔をした若い女性が恐る恐る顔を出した。
 驚いている。無理もない。彼女の立っている後ろの窓のない独房のような暗い部屋はたたみで2畳ほどの広さ。窓のない冷たいセメントの壁に囲まれて3人の仲間と一緒に住んでいるという。一月30ドルくらい。工場で働いても月給は70ドルくらい。その日の食費を一ドルに切り詰めても、20ドルくらいしか残らない。今は求人を待っているという。彼女が辞めさせられたのと同じように、誰かが病気になれば求人があるのかもしれない。工場側はいくらでも使い捨てができる。その童顔の女工さんに麻疹に罹ったときの症状を聞きながら、
「働いていた工場はどこなの?」と聞くと、
「わからないわ。忘れたわ。」という。
これは嘘だ。もし自分が何かを話したことが後で工場に分かるとまずいと思っている。それでも保健省の仲間が優しく説明してくれて、長屋のお隣りさんも出てきて話してくれて、やっと彼女が工場の場所を教えてくれた。すぐ近くだ。
 千人以上が働いているというその工場は高い塀に囲まれているだけで、外からは何の工場か、誰の工場か何も分からない。扉で堅く閉ざされて守衛がいる。守衛の人に事情を説明して責任者と会わせて欲しいと言うと、今日は担当者がいないのでまた来てくれと言う。まさに門前払い。保健省から責任者が来て、病気の調査に来ているといっても聞かない。ちょうど工場から女工さんの一団が出てきたので、麻疹の疑いの人がいないか訊いてみたが、工場の関係者に見られるのを怖がって逃げてしまう。
 僕は、なるべく冷静でいようと思った。でも、この幼い顔立ちの血色の悪い女工さんと扉を閉ざす工場の壁を見比べているうちに、無性に腹が立ってきた。守衛に向かって丁寧に頭を下げて説明している保健省の仲間にも腹が立った。
「何で頭なんか下げるの。あなたは中央政府の人でしょ。ニヤニヤしないで怒るべきでしょう。」とつい声を荒げてしまった。
 プノンペンン市も、保健所も何の対策もとらないで、知らん顔をしているのにも腹が立った。でも僕が悪かった。真面目な保健省の僕の仲間に当たるなんてお門違いだ。保健省の仲間は実はよく分かっている。工場はすべて中国の会社が政府の要人と裏で手を握っていて、いくら保健省の人間であっても異議を申し立てることなんかできないことを。
 カンボジアは昨年WTO (世界貿易機構)に加盟したという。当然、雇用条件、労働条件の世界基準を守ることが課せられるのである。これは中国の投資家と裏取引をしている政府の要人達には頭痛の種だ。労働問題と人権問題を扱っている人たちが工場に近づくことにピリピリしている。当然、病気が発生しているということが知れることも嫌なのである。
 思うと僕達を取巻く経済はこんな形で回っている。安い人件費でできた安い中国製品が世界中に出回る。高い人件費で高い製品を売っていた国は売り上げが落ち込むので、安い人件費の途上国に生産拠点を移す。これに対抗するために、中国はさらに安い人件費を求めてさらに途上国に生産拠点を移す。その途上国の政府は農民から二束三文で土地を買い占めて、やってくる海外企業に違法な賃貸をして取引をする。農民たちは土地を失い、使い捨ての工場労働者になる。そうして安くなった商品を僕達は得をしたと思って買う。なぜなら商品にはそんなことを教えてくれるシミも汚れも何もついていないからだ。実にきれいにたたまれて、きれいな商標をつけられて売られているからだ。見えないものの裏にあるものをわずかに感じながら、多少の良心の呵責を感じつつも、実感がなく、ちゃんとそんなシャツやズボンを買って僕は着ている。
 こうなると何にどうやって腹を立てていいのか分からなくなってくる。少なくとも僕自身もその経済の循環の中にいるのだから。ただ分かることは、その循環の横で、いつも高いところから低いところに汚いものが流れているということだ。低いところがないと高いところも維持できない。高低差が少なくなってくると停滞がはじまると経済の専門家は言う。停滞すると世界は危機になると言う。高いところがその高さを維持するために、高いところのためだけの危機感をもつのである。低いところはいったいどうなっていくのだろうか。低いところはもっともっとどぶ川のようになる。どうも出口が見えない。人生を50年以上生きてきた今でも僕はこの経済を理解ができていない。僕はよほど不甲斐なく、頭が悪いらしい。

機上の隣人
 マニラの会議に出席するためにバンコクで飛行機を乗り換えマニラに向かった。その機上、隣に座ったのが、体の大きい30歳がらみの白人だ。やたらと体を動かす。眠りたいのに眠れないといった様子だ。変なやつだなと思っていると、僕のほうを見るなり急に人懐っこそうに笑って、
「もう丸二日、5つも飛行機を乗り換えているんだ。」と話しかけてきた。
「どこから来たの?」ときくと、イラクだという。
「あのイラク?」と驚いて訊き直すと、あのイラクだという。
 物資補給を専門とするアメリカ陸軍の兵隊で、給料がすごくいいので自分から契約してもう4年も働いているという。2年アフガニスタンにいてイランにも2年いるという。4ヶ月に一回2週間の休みがもらえる。それで、これからフィリピンにいるガールフレンドに会いに行くところなんだという。タイにも奥さんだかガールフレンドだかがいるのだけど、よくわからないが、今はとにかくフィリピンに向かっているらしい。
「アジアの女性は本当にいいよ。」という。
「アメリカの女はひどい。あれは吸血鬼バンパイヤだよ。」という。
「子供でもできようものなら、何千ドルも毎月慰謝料を払わされて、血の一滴まで吸い取れちまうんだぜ。それにデブだしな。こんなにすごい体のしたのばっかりだぜ。」と、自分も日本人から見えればデブだけど、大げさに話す。よほど苦労したらしい。だから自分は手術をして子供をできないようにしてあるんだと、睡眠不足でさらに饒舌になっている。
「今はまずセックスだな。まずセックスをしないとだめだ。すべてはそれからだよ。4ヶ月、酒も女も絶っているんだから本当にひどいもんだ。」と。
 子供のような目であまりに屈託なく話すので、助平な感じが吹き飛んで、なんだか爽やか。アジア人の女性でも苦労するぞ、言いたかったがやめた。よく我慢したな。早くガールフレンドのところに辿り着いてくれと言おうかと思ったが、これも止めておいた。
「イラクは今はどう?」ときくと、その子供のような目が一瞬曇った気がした。「ひでーよ。一分間に何百発も発射される高射砲がお互いのロケット弾を打ち落とすために頭の上を行き交うんだ。」
「現地の人と話す機会はあるの?」ときくと、
「自分達は大きなキャンプに隔離されたようになっているから、現地の人と話すことはまずないんだよ。」という。
「これからどうなるのかな?」
「自分はテキサス出身で、チェイニー副大統領の地元なんだ。みんな少しずつはよくなっていくだろうと信じているけどね。」(...それより今はセックスだ...。)と目がはっきりいっている。
 憎めない人というのはいるもんだ。アメリカの田舎にいる人たちはみんなこんな感じなのかもしれない。この人もあと2週間するとまたイラクに戻る。無事に契約期間を終えてくれたらいいと願った。
 世界はこれからどうなっていくのかなと漠然と思う。どこへ向かっていくのだろう。窓の外をのぞくと眼下に夕暮れ近いマニラの街が迫っている。高いビルとスラム街、20年前と何も変わらない。いやもっとひどくなる経済と社会の高低差。眼下に広がる高層ビルとスラムの平面のモザイクが、まるでそれ自体が立体の高低差そのものであるかのように見えてくる。今も続く戦闘、毎日増えていく兵士の死、民間人の死、そして一生癒えることなく傷つく数え切れない多くの子供たち。僕達はいったいどこへ向かっていくのだろうか。
 僕はこのたまたま隣に座ったこの兵士に、
「Have a good sex !, たくさんセックスができますように。」と半分冗談交じりに、でも半分は真面目に言って別れた。そして、(バンパイアがいたっていいから、テキサスに生きて戻ってくれよ)と、心で呟いた。


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