んだんだ劇場2007年8月号 vol.104
遠田耕平

No73 ホンマに俺はアホやろか

代表代理のお仕事
 毎年事務所の代表が夏休みを取るこの時期の3週間ほど、僕は代表代理をさせられる。僕は余計な仕事が増えて気が重くなるが、スタッフの顔は明るくなる、というか、緩んでくる。僕は朝が苦手だ。7時半からオフィスが始まるが、僕はいつも30分は遅れる。遅れるまいと人並みに思うのであるが、遅れる。もう一人、いつも遅れて、口笛を吹きながらオフィスに来るイタリア人の同僚がいるが、朝が苦手だというそのことだけで、彼は僕を親友だと決め込んでいる。僕は、その上、スタッフの休暇も超過勤務の申請もどんどんサインしてしまうから、スタッフの顔はもっと緩む。
 僕の朝の苦手は今に始まったことじゃない。小学校の頃から夜の寝つきが悪かった僕は朝はいつまでも夢の中でまどろんでいる。その夢とも現ともわからないそのまどろみが僕の精神発達を促しているようだった。仕事をしていた母は、朝忙しく、目覚めの悪い長男の僕は放っておく。すると近所の同級生たちが登校の道すがら僕を誘いに家に立ち寄る。母は、「上がって、起こしてやってちょうだい。」と一言。僕の部屋は玄関の隣の小さな物置を改造した小部屋だった。気持ちよくまどろんでいる僕の頭の上で同級生たちがボールを投げたり、僕のプラモデルを飛ばしたりしている。僕は始め夢だと思っているのだが、ハッとして、これは夢じゃないとわかる。それからが地獄だ。着替えて、家を飛び出すまではまさにパニックである。中学、高校とラジオの深夜放送にのめり込んだ頃は、朝のパニックはさらにひどくなった。
 まどろみから抜けられない僕はほんとうに病気じゃないのかなと思いはじめた頃、「ゲゲゲの奇太郎」で有名な漫画家水木しげるさんが書いた本「ホンマに俺はアホやろか」という自伝小説を読んだ。水木さんも子供の頃から朝が起きれずに、毎日学校に遅刻したという。遅刻があまりにひどく、教師たちは結局水木さんを知恵遅れだと結論した。お陰で教師たちの制裁もなくなったという。本人は心置きなく朝寝坊する。ところが本人は一旦目覚めればガキ大将で、昆虫の観察も絵の才能も誰にも負けなかった。ただ、誰も認めてくれなかった。それだけのことだ。僕はこの話に大いに感動し、勇気づけられたのである。
 時間に正確な女房はこんな僕を本当に情けない男だという目で見る。僕は夜は結局7時過ぎまで仕事をしているんだから、5時半でさっさと帰ってしまう欧米人のスタッフたちよりよほどましだろうと思っているのだが、どうも説得力がない。「日本の50代の男性たちは毎日もっと夜遅くまで仕事を続けているのよ。」という女房の冷たい視線を感じるにつけ、早く僕を知恵遅れだと結論して欲しいと思うのは僕の我儘だろうか。
 代表代理の仕事は、会議や会合への出席、ファックスや、レターで本部から入ってくる要請に対する返答、出入りするコンサルタントへの対応、他はお金の出し入れに関するサインの山である。これをうまくこなせば、自分の本来の予防接種の仕事も結構ペースを崩さずにやれる。ところが、そのもくろみは一本の電話で見事に敗れた。

デング熱大流行
 「カンボジアのデング熱の大流行の対策はいったいどうなっているの?」と、Dr.ティーの甲高い中国訛りの英語が電話の向こうで響いた。彼女はマレーシア人で、マニラのWHO事務局の感染症対策部長だ。
 「デング熱のことは担当者のDr.チャンに任せていますよ。」と答える。
 「あなたは今代表代理でしょ。だったら、予防接種の仕事なんかしなくていいから、事務所を総動員してデング熱を何とかしなさい。わかった?」ガチャン、。
 うーん、マニラがなぜパニックになっているかどうもピンと来ない。後でわかったのだが、マニラの事務局は国際メディア各社からカンボジアのデングの死亡例が急増している理由を訊かれ、連日質問攻めにあっていたらしい。

デング熱の子供たちが廊下まで溢れる国立小児病院
 デング熱の流行のことはこの紙面ですでに我が家のお手伝いさんの子供が重症になったというお話しで紹介したので覚えている読者もいるだろう。カンボジアでは今年、雨期の始まったこの3ヶ月で2万5千人以上の患者と300人近い死亡が報告されている。すでに去年の数の2倍に近い。デング熱の流行のピークが毎年8月であることを考えると、これから3ヶ月で現在の2倍以上の患者と死亡がさらに報告される危惧がある。
 デング熱は熱帯シマカ(カンボジア語ではトラの虫と呼ぶ)いう蚊が媒介するウイルスによる感染症だ。デング熱に感染している人の血を吸った蚊は数日でその体内にウイルスを増殖させ、蚊が吸血する度にそのウイルスを人に注入して、人への感染を広げる。人から人への感染はない。ウイルスを一旦持った蚊は1−2ヶ月の寿命の間、ウイルスを持って人を刺し続けるらしい。トラさん蚊は性質が悪い。その上、汚い水溜りが好きで、雨期が始まると、都市のゴミための溜まり水で大繁殖する。これがデング熱は都市に多いといわれる所以ある。
 ところがカンボジアでは、農村の80%が生活用水に水がめに貯めた雨水を使っている。実はこれが蚊の大繁殖地だ。蚊の対策の専門家たちは数週毎に高価な駆虫薬を投入したり、水がめに蓋をしたり、10日毎に水がめを空にしてブラシで洗うことを励行するが、何せ生活用水である。どこまでこれができるか、蚊のプロたちは頭を痛める。
 この病気のもう一つ厄介な事は、いい予防注射も、いい治療薬もないことである。デング熱の症状は風邪のように始まり、高熱、頭痛、嘔吐、肝機能低下と悪化。ウイルスが、全身の血管の壁を傷害するために血液の成分が漏れ出てくる。その壁を修復するために血液を固める働きのある血小板がどんどん消費される。さらに重症化すると血液が直接漏れ出て、出血が止まらなくなる。これをデング出血熱と呼ぶのである。デング熱の数十パーセントがこの出血になるといわれる。医者にできることは漏れ出る血液の成分の量を最小限にして、補う。多過ぎず、少な過ぎず。濃すぎず、薄すぎず。早すぎず、遅すぎず。全身の循環系のサインを見ながら、経験に裏打ちされた高度な技術が要るのである。
 早速、デング熱担当のDr.チャンを呼んで現状を説明してもらった。チャンさんは、昆虫学者、蚊の専門家で、さすがに蚊の対策はすでにいろいろ手が打ってある。ところが臨床現場のニーズもメディアの報道の効果もわからない。僕は、流行期のピークになるこれからの3ヶ月間の患者数と死亡数を最低限に抑える対策として、3つの柱を立てた。
 1) 駆虫薬を使った蚊の対策を強化する。
 2) 死亡率を減少させるために政府病院のサポートを強化する。
 3) デング熱への正しい理解をマスコミを通じた報道で強化する。
 勝負はこの一ヶ月だ。保健副大臣に会った。小太りで、大声で話し、笑うこの男は僕の話を聞き終わると、笑いと止めて、政治家特有の暗い目付きで政府がいかにきちんと対応しているかを強調した。つまり僕に不快感を示したのである。しかしよく聞くと、政府が購入するはずの駆虫薬がキャンセルになり、政府病院の供給は援助団体に任せきり。この政治家は「デング熱の治療は無料にしてやった。」と豪語したが、その実態は政府は一銭も支援金を出さずに結局政府病院に負担の全てを押し付けていた。政府の在庫にどのくらい援助できる物資があるのかさえもはっきりしない。
 僕は政府のやる気がますます見えなった。この政治家は暗い目つきの裏で何を考えているんだろう。デング熱なんてどうでもいいと言っているように見える。
 "Health Emergency(保健緊急事態)"として政府で対応していただきたいというこちらの提案に、「ああ、いいよ。」とその政治家は軽く答えてみせた。僕はなんだか気分が悪くなってきた。政治家はほんとうに苦手だ。そのせいというわけでもないだろうが、翌日から喉が腫れて熱が上がってしまった。これもデング「熱」? やっぱりあの政治家のせいだ。
 その後、一週間に2回もの政府担当者による会議を重ねて、支援の現状、政府の在庫の状況がやっとわかってきた。一方、国立小児病院の院長のミン先生に頼み込んで、救急室の医長のソポール先生に5日間、保健省とWHOのスタッフと一緒にデング熱の流行している5つの県の病院を回り、患者管理の実態、不足している機材の実態をつぶさに見てもらうことにした。僕も一部同行して、患者管理を見せてもらったのである。
胃や腸の中に出血の始まった重症の子供たち
 一時のピークを過ぎて数が少なくなったとはいえ、デング熱の子供たちはどの病院でも廊下にまでベッドを並べて点滴を受けている。その中で、顔色の悪い、呼吸の苦しそうな数人の重症のデング出血熱の子供を診せてもらった。カンボジアの先生たちがあまり患者の治療内容について意見を交わさないので、無理を言ってカルテを見せてもらった。すると、吐血と下血のじわじわと始まっている子供にステロイドホルモンを投与している。「おや?」と思う。これは担当医が(ショックならステロイド剤だ)と単純に判断したためらしい。一般にステロイドはアレルギー性の反応や強すぎる生体の反応を抑えるため使うのが普通だ。
 僕は、ステロイドで出血を却って助長させるのではと心配になり、日本のNGOから派遣され国立小児病院で働いている優秀な小児外科医で友人の石井智浩先生に電話で訊いてみた。すると「WHOの治療指針にも投与の意味がないとあるし、止めたほうがいいですよ。」と教えてくれた。ソポール先生に話すと、
「そのことはわかっています。」という。
「それなら、そうと、ここの先生に早く指導してあげてください。」というと、
「自分の立場からは言えないんです。院長でもない限り無理です。」と。
 これは実にカンボジア的である。面と向かって議論したり、指導することがない。もし何かを言って相手が気分でも害そうものなら、後が怖いというのだ。
 隣のベッドの子供は、お腹がパンパンに張っている。体中にむくみがあり、呼吸も苦しそう。お腹の張りはどうも、腸の中に出血しているようだ。点滴を見ると、下痢の患者にやるような薄い濃度の点滴がかかっている。この点滴では血管から漏れ出ていくだけで、却って症状はひどくなる。今は輸血の準備だろうと思うのだが、何もしていない。家族は子供の手を握り、不安の中で佇んでいる。
 政府の基幹病院がこの程度の管理しかできないとすれば、親は何を頼ったらいいのだろうか。お金のある人たちはベトナムやタイへ出て行って医療を受ける。貧しい人たちは個人病院になけなしのお金を払って、必要以上の点滴を受けて心不全になったり、薬剤の過剰な投与で肝不全になったりして、悪化した挙句、政府の病院にたどり着くとこの状態である。なんとも砂をかむような想いだ。薄給と劣悪な環境で医師や看護師が働いているにせよ、カンボジアの臨床の問題は想像以上に根が深い。

蚊の駆虫薬(Abate)を運び出すおじさんたち

医療スタッフも物資も不足している郡の病院
 困ったことに、重症の子供を診ているうちに、僕の頭の中に遠く忘れていた臨床医をやっていた頃の思いが勝手にどんどん蘇ってくる。「目の前にいるこの子供を助けたい…。」医者を目指した一番の根っこのような想いだ。そいつが、なぜだか胸の奥底からゴンゴン音を立てて行進してくる。
 予防接種の仕事は、百万、2百万、時に何千万人という子供たちの予防を考える。病気に罹った子供の犠牲を二度と繰り返さないようにという想いで村を回り、調査をして、予防接種の計画を練る。予防接種でたくさんの子供たちの命が守られたと信じる。地味だけど、確かにとても大事な仕事なんだと思う。しかし、一度罹ってしまった目の前にいる子供は助けられない。「目の前にいる子供も助けられないで、予防もないだろう。」という声がする。「目の前の子供を助けられないで、それでもお前は医者なのか?」という声がする。
 まずいものを見てしまった。心の奥に触らずに閉まっておいた想いが素直に、単純に、僕らしく吹き出てした。また臨床をしたくなる。一人一人の患者さんと向き合いたくなる。少しの間でもいい、今の仕事を休んで、無給でも臨床や細菌学の研修をやり直したくなった。もちろん女房にはいえない。原点に戻ってみるのも、足りない穴埋めをするのも、いいじゃないか。いくつになってやったっていいだろう、と思うのだけど…。どうも、あの女房には、いまさら無給ですとは、十分に薄給な我が身を省みると言い辛いのである。まあ、そのうちどうにかなるだろう。
 結局、マニラの事務局の緊急援助費から1200万円と国連の緊急援助資金から600万円の計1800万円の支援を緊急に取り付けた。オフィスの仲間と一緒に購入物資のリストを作り、引継ぎをして、僕はやっと夏休みに入った。
 ところが、政治家に当てられて体調を崩した時の喉の腫れは未だに引かず、「熱」っぽい体のまま、帰国の飛行機に飛び乗った。さらには、心の奥にあった臨床への想いまでが噴き出してしまい、「熱」にうかされる始末。 結局のところ、僕のデング「熱」はかなりの重症になってしまったのである。


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