んだんだ劇場2007年12月号 vol.108
遠田耕平

No77 カンボジア特別法廷

 夜雨が降る。早朝、寝ぼけまなこで犬を散歩をしている僕の顔をドキッとする涼しい風が頬を撫でた。思いがけなく心地いい。プールの水温も下がってる。いつもはぬるま湯のようなプールの水が冷たい。メコン川から吹きつける風が強い。水位は下がりつつも流れはさらに強い。今年もボートレースの季節だ。

オントゥーク(ボートレース)
 水祭り。今年も恒例のボートレースが始まる。オーストラリアと日本から来ているコンサルタントを二人連れて、いつもの川沿いのレストランに陣取った。ボートを見るとやっぱり興奮する。今年で5年目、5回目なのに、興奮する。80人ものクルーがいっせいに漕ぐ、そのボートの迫力はすごい。
 今年は警察の救助ボートが何艘も川の中に配置されている。川沿いの通りにはゴミ箱がたくさん設置され、見物の人たちの動きも今年はなにか整然として見える。プノンペンに入る車の規制もされていて、市内が、もちろんバイクの数はすごいのであるが、想像以上に車が少なく、きれいに見える。数年のうちに随分と変わってきた。
 去年も話したが、450艘以上のボートを組織するこのレース、たいした組織力である。各ボートを一対一で流れの内側と外側の一回ずつ計2回戦わせ、3日間の勝ち抜きで勝者を決定する。ボートの大きさに準じて3つのクラスに分けているが、整然と2艘のボートが絶え間なく目の前を横切っていく。漕ぎ手の組織力、大会の組織力、いずれにも実に感服するのである。これだけの組織力、なぜか仕事にはない。これが残念。でも仕方ないか。
恒例の水祭りのボートレース (オントゥーク)
ベトナムから参加したチーム
 テレビで見るのも面白いと分かった。家でテレビをつけてみると実況中継を一日中やっている。王宮前のゴール傍に陣取った放送席からアナウンサーは次から次にゴールに入ってくるチームの説明を声をからしながら実況している。テレビでは川べりからは良く見えない二艘の競い合い、漕ぎ手のパドルさばきが良く見える。そしてゴール直前のデッドヒートが実に良く見えるのである。
 舟の先端に乗っている人が楽しい。アプサラ(天女)の衣装を着た女性が上半身をくねらせながら舳先で踊る。水しぶきを浴びながら舟を導く。かと思うと、軍隊の帽子をかぶった変なおじさんが立ち上がっている。絶妙なバランスで腰をくねらせながら木のパドルをビュンビュン振り回して舟を導く。「突撃進めー、」っといった感じである。それにしてもよく水に落ちないものだ。
 今年はタイ、ラオス、ベトナムに加え、フィリピン、マレーシア、シンガポールなどミャンマーを除くアセアン諸国がすべて招待チームと参加した。色とりどりの国旗を掲げた22人乗りの小型の舟が競い合い、頑張っている。
 この後、初日の午後、夕暮れ間近な時に悲劇が起こった。シンガポールの舟が転覆し、22人全員が茶色く濁る川の流れの中に投げ出されたのである。警察は17人を何とか助け上げたが、5人を見失った。それから、シンガポール海軍の部隊がやってきて、特殊なソナーを使って濁流の中を捜索した。大会最終日、3日目の朝、5人の遺体と、一人のカンボジア人のやはり、舟から落ちて溺れた遺体を収容したのである。気の毒なことである。彼らの冥福を心から祈る。自然の川がどれほど怖いか、改めて思い知らされた。
大きな舟には80人も漕ぎ手がいる。救助ボートもしっかり待機。
 悲劇だった。カンボジアの人たちは一様に犠牲者を悼み、沈痛な表情をしたものの、大会は実に黙々と続行され、予定通りに勝者を決めて終わったのである。大型ボートの勝者は去年僕の友人のから頼まれて応援し、最後で負けてしまったチームである。今年は年をとった漕ぎ手を若い人に代え、大会期間中は外で飲み歩かないように、合宿させて管理し、万全の体制で臨んだというからすごい。この辺もこの日だけは、いつものカンボジア人らしくないのである。
 カンボジアの人たちは、2万人以上の漕ぎ手が400艘以上のボートを漕ぎ、400万人もの観衆を集めて開催するこのオントゥ−クを心から誇りにしている。これだけの規模のゲームは回りの国にはないし、オリンピックにもないと、今年も誇らしげに語るのでした。

カンボジア特別法廷
 収容所S-21,別名を「ツールズレーン」という。ポルポト時代にプノンペンの中心にある小学校を改造し、拷問のために作った収容所の名前である。そのドゥイ所長の公開裁判がついに始まったのである。
 いつものように保健省で仕事をしていると、サラット先生ことたれ目の欽ちゃんのところに電話がかかってきた。「…。忙しいからいけないよ。」と電話の向こうに答えている。「ボートレースの練習の応援でしょ?」と僕が訊くと、少し顔を曇らせて、「ドゥイの公開裁判に行こうって誘われたんだ。」と教えてくれた。
 普段はポルポトの辛い経験を決して話さない人たちである。バブル景気に浮かれているプノンペンを外から見ると、カンボジアの人たちはもう忘れてしまっているんじゃないかと思える時があるほどだ。でも、忘れていない。30年前のあの惨劇を誰一人も、一日たりとも忘れてないのである。このキンちゃんも。
 やっとECCC (Extraordinary Chambers in the Court of Cambodia)が始まって、ポルポトの両腕といわれたキューサンファンもイエンサリもやっと逮捕された。「よかったね。」とキンちゃんに言うと、「まだまだ、何十人も何百人も逮捕されないといけない連中がいるんだ。」とぽつんと答えた。本当にそうだね。と心の中で答える。
 ツールズレーンには1万4千人以上の男女、子供までが収容され、スパイ容疑、反共産活動の容疑で拷問を受け、そのほとんどが生きて帰る事がなかった。爪を剥がされ、体に電気を流され、宙吊りにされて水に沈められた。それでも、生き残った人がいる。その人たちが身の危険を感じながら今証言台に立とうとしているのである。当時、恐ろしくて自分を拷問する人間の顔を見る事もできなかったというその人たち。でも、今は何も恐れない、何も失うものがないからだと言う。ただ、少しでも公正な裁きが見たいからだと。
 ECCCの費用は60億円に達する。その半分以上を日本政府が支援している。裁判官の選出、弁護士の選出、証人の身柄の安全など山済みの問題を抱えていた。重要容疑者のあるものはすでに80歳を越えて死んだものもいる。カンボジアでは公正な国際法廷が開けないからハーグの国際法廷に任せるべきだと国際法に詳しい専門家たちが言った。でも、ポルポトを支援していた中国が国連の安保理で拒否権を行使するに決まっているという人も多かった。しかも国のトップが元のポルポトの兵士だった人だ。政府内部にポルポト政権の中から生き残ってきた。人たちも居る。こう見ると、ある程度でも公正な裁きを実現するにはあまりに障害が多いようにみえた。これじゃ、お金と時間の無駄だと、僕も思った。
 でも、そうじゃない。そうじゃないようだ。キンちゃんは一日もあの日を忘れていない。家族や友人の誰かが思想の名の下に理不尽に虫けらのように殺されたの日々を。当時のカンボジアの人口の4分の一にあたる200万人近くが、しかも知識人から殺されたのである。裁きがどこまで公正であり得るのかは、誰もわからない。罪多き人間そのものが背負った命題のようなものですらある。しかし、最低限、裁かれるべきものがある。声なき弱い立場の多くの人たちの声を届ける場がどうしても要るのである。
 うまくやってバブル景気にうまく便乗した一握りの連中はそんな過去などどうでもいいと思っている。真面目に不器用にうまくやれなかった多くの人たちは自分たちの心の傷の呻きをずっと抑えてきた。そしてカンボジアは30年かかってやっとここまできた。僕は今やっとこの裁きの場が無駄でない事がわかった気がする。ドゥイ所長は公開裁判で、弁護士を通して、不当な拘留と早期の釈放を訴えているという。人々の心の傷が呻く日々が続く。

突然の死
 僕のアメリカに居る友人が突然に亡くなったという知らせが届いた。アメリカに居るといっても日本人である。僕と彼が知り合ったのは、もう10年以上も前、ベトナムでWHOの医務官として仕事を始めたときである。彼は獣医で、南米での青年協力隊の活動を終え、協力隊で知り合った女性と結婚し、FAO(食料農業機関)の専門家としてイタリアからベトナムに移動してきた。いつも顎鬚を蓄えた彼の顔は印象的だ。目は優しく、理性できらきらしている感じだった。彼らの一人息子と一緒に家族ぐるみでよく遊んだ。
 その彼が、アメリカに渡り、博士号の研究をして、地元の大学で教鞭をとるようになったと聞き、こりゃ、優秀な日本人の頭脳の流出だなと思っていた。その彼が死んだ。休日にいつもと同じように家族とテニスをしていたという。しばらくして急に、「疲れた。」といって仰向けになったと思ったらそのまま意識を失った。病院に運ばれたときにはすでに死亡していたという。心筋梗塞だったらしい。まだ40歳半ばの彼が、高校に入ったばかりの一人息子を残して、仕事も、奥さんも残してどれほど心残りだろう。冥福を祈るばかりだ。

メスの話
 突然に何の予測も予感もなく命が消えることがある。そう思うと、こりゃ、よほど今日を今をまじめに生きないといかんなと思えてくる。過去を懐かしく思っている時間はない。ふと、女房の横顔を見て、女性はこんな時どういう風に考えるんだろうかという思いが頭をよぎった。なぜだわからないが、女性は基本的に過去の想いに深入りし過ぎることもないし、未来に甘い思いを馳せ過ぎることもないように見える。男は馬鹿だからすぐにどちらかにはまり込んでしまう。空想というか、妄想というか、感傷というか、もうどうしようもない。
 ところが女性は実に自然にしっかりと今を生きているように見える。多分、苦痛で危険な分娩を何度も超えていけるように、苦しすぎることは忘れるようにできているのかもしれない。そして、未来には基本的に一人でも子供をしっかりと守っていけるように生物学的に設定されているのかもしれない。
 これまたテレビを見ていて教えられた。ある水中の原生動物の話である。酸素がたくさんあり、環境がいいと、この原生動物は交尾をせずにメスだけで卵を産んで増える。しかもオスは生まずに大きなメスの卵ばかりを産むのだという。まさに女性天国だ。オスはお呼びでない。ところが、水中の酸素が減り、環境が悪くなってくると、突然メスは大きなメスの卵に混ぜて汚らしい褐色の小さな卵も産むようになる。これがオスの卵だ。そして、オスがやっと誕生し、初めてここで交尾する。そしてできた第3の卵は、新しい硬い殻で包まれ、厳しい環境でも生き残れる卵ができるというのである。
 なんという合理性。なんというメスの賢さ。オスの出現はメスが決めているのである。うーん、オスが要らないとは言わないが、メスが呼んだときだけ出ておいで、あとはバイバイという感じである。うーん、人間にこの姿を垣間見る気がするのは僕だけか。
 そう言えば、僕ら夫婦も25年経った。銀婚式というらしい。50年を金婚式というのだというから、気が遠くなる。お互い顔を見合わせ、顔の皺とちらつく白髪を見ながら「歳をとったな。」と、お互いの顔にけちをつけた。が、あいつもメスだと思うと侮れない。僕はもうじき用済みと言われるのか。うーん、ドキドキする。環境が悪いほうが夫婦にはいいのかもしれない。オスは本当に馬鹿です。


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