んだんだ劇場2007年2月号 vol.98

No9−はてさて今年は−

悪夢のカバンの話
 去年の暮れ、自宅の倉庫を掃除していたら、なつかしい皮のカバンが埃まみれで顔を出した。写真を見ていただければわかるように正方形に近い、少し大きめのブリーフケースだ。私の仕事やライフスタイルとはおよそそぐわない高級感のある皮ブランド物(スイスのバーリー社製)である。実はこのカバン、買ったはいいが使っていない。さらに暗証番号を忘れ、あける事ができない。近所の腕のいい合鍵屋さんに頼むと、すぐにあけてくれたが、その間30分、代金は7千円だった。う〜ん、やはりこのカバン、呪われている。使うのはやめたほうがいいかも……。
 実はこのカバン、思い出したくない「個人的事件」と密接に絡まっている。使おうとするたびにその事件を思い出し、気がめいってしまうのだ。
 10年ほど前、ブラジルに取材に行った。何度もかの地には行っているのだが、いつもの成田発ロス経由の直行便にうんざりし、成田からミラノ経由でサンパウロまで行き、帰りはサンパウロからマドリッド経由、アムステルダム乗換えで日本に帰るというヨーロッパ周りの便を奮発した。事件は最後の寄港地アムステルダムで起こった。ポルトガル語やスペイン語、オランダ語(ドイツ語も)圏内の、日本人のほとんどいない空港を、でたらめ英語でなんとか潜り抜け、あとはJALのジャンボに乗って帰国するだけだった。その気のゆるみが出たのかもしれない。アムステルダム空港内ショップでこのカバンを見つけ、舞い上がった。確か700ドル近くしたのだが、1時間ほど逡巡して買うことにした。このカバンに気をとられている間、実は帰りの飛行機の搭乗時間は過ぎていた。サンパウロから乗り換えのたびに時差があり、その時間修正をしていなかった。「アーベン、アーベン」とヘンなアナウンスを何度も聞いたが、まさか自分の名前を呼び出しているものだとは思わなかった。なんかヘン、と気づきゲートに向かったときは、すでに時遅し、空港内職員の多くが私一人を探して奔走した。職員の後について走りに走ってジャンボ機にたどり着くと、飛行機は私を待って20分以上出発を見合わせていた。機内に入るやいなや、全乗客の冷たく怒りを含んだ視線が降り注いだ。スチュワーデスは私をまったく無視、隣の日本人乗客は、「あ〜あ」と露骨に嫌なため息を漏らした。針のむしろに座らされた10数時間のフライトの間、私は買ったカバンを胸に抱いて、カバンと無意味な会話を繰り返した。
 日本に着いて、外国ではあんなにかっこよく見えたカバンが浮ついて、大げさで、キザなシロモノであることに気がついた。どんなシーンで持ち歩いても浮いてしまうのである。それがわかって以来、カバンは倉庫に放り込まれたまま……という「物語」を持ったカバンなのである。いやぁ、新年にまったくそぐわないひどい話から今年をはじめることになってしまった。

今年は忙しくなりそうな予感
年明け早々ばたばたしている。1月には珍しく4冊の新刊が出るということもあるが、最大の理由は発売になったばかりの「通販生活」。これに小舎刊の『秋田「物部文書」伝承』の書評が突然載った。事前の連絡が一切なかったため、個人的に購読している「通販生活」が手元に届いてもなんとも思わず放り投げていたのだが、全国各地から電話が鳴り出して、初めて掲載されていることを知った。書評が非常に好意的かつ効果的に書かれていることもあり、これなら注文も来るよな。年明け早々縁起がいい。とりあえずは書評者に感謝しなくっちゃ。今月末発売の「月刊現代」には池内紀さんが今度は『少年』(歩青至著)の書評を書いてくれたとのこと。こちらもブレークして欲しい。

仕事ではない個人の読書生活でも、今年はちょっぴり変化にとんだ展開になりそうだ。今年に入って読んだ本にほとんどはずれがなく、テレビを見る機会がめっきり減った。バーバラ・ビム『秋の四重奏』、北杜夫『どくとるマンボウ航海記』、長園安洪『セシルのビジネス』、吉村昭『仮釈放』……浅田次郎の『地下鉄に乗って』もびっくりした。お分かりのように最近の本ではない。買っておいたが読まずに積んでおいた本を出鱈目に上から順に手に取っているだけ。これでほとんど外れないのだから、なんとなく顔がほころんでしまう。

仕事面でも、年が明けたと同時に3冊の出版依頼があり、どのような形で出版可能か検討に入っている。これもこの時期にしてはハイペースだ。そんなこんなで、なんとなく今年は忙しくなりそうな予感がある。かなりくだびれてきたけど、元気になるビタミン剤は「忙しさ」なのは、これまでの経験から間違いない。

落ち込み・DS・一列待機
いやぁ今週はずっと落ち込んでた。何がどうしたというわけではないんだが、どうにも気持ちが前に向かっていかない。こんなときってあるよな、と思いたいが、でもやっぱり50代後半になってから多発している現象だ。仕事が一段落してヒマなことも遠因としてありそうだが、たっぷり自分の時間が持て、自分の空間に引きこもって誰とも話しをしない、という理想的な状態が逆に不安やストレスの引きがねになっている典型なのかもしれないな。映画を見たり、本を読んだり、外に酒を飲みにいったりして、これまではどうにかやり過ごしてきたが、外に出るのは億劫だし、過度に映画や本で目を酷使すると頭痛がするようになった。やっぱし年だね。
父親の3回忌を終え少しほっとしている。実家に帰ると弟の子供たちがニンテンドーDSに夢中。借りてやってみるとことのほかハマル。脳年齢テストや漢字検定程度でもこれだけ面白いのだから、英会話や料理レシピのソフトならもっと楽しめるかも……と思ってさっそく買いに走ったのだが、どこも品切れ。ネットでも2万5千円もする。1万6千円の定価が中古でも倍近い値段なのだから、知らないとはいえゲーム機の世界を甘く見ていた。弟の子供たちもかなり苦労して入手したもののようだ。携帯電話は一度も欲しいと思ったことがないが(今も持っていないが)、このゲーム機には心動かされる。高い値段だけどネットで中古を買っちゃおうかなあ。
お昼時間に毎日のように徒歩で駅前までフラフラ散歩している。夜は寒くてしんどいので昼に変更したのだ。カミさんの帰宅にあわせて夕食が8時頃、その後、気合を入れて冬の夜のさびしい場所をトボトボ歩くのはせつない年になったのだ。駅まで歩いて、秋田に1軒しかないスターバックスに入る。注文は「カフェラテ、トール、マグカップ」だ。360円。東京でもよく入るのだが概観も味も従業員の挨拶もまったく同じ。といいたいところだが、コーヒーができてくるまでが東京の2倍近い時間がかかる。混まないせいかスローモーなのだ。少し混み始めると今度は注文カウンターが「一列待機」(フォーク並び)方式でないため、横からスイスイ後ろの客が割り込んでくる。従業員が注意しないのは一列待機のことを知らないからだろう(これはビデオのTUTAYA店も同じ)。カウンター窓口は2つも3つもあるのに、めったに混み合わないため、これでいいと思っているのだろう。しかし、これは客サイドからみると腹が立つ。客が1人でも一列待機はするべきだ。スタバやTUTAYAにも地域格差があるなんて、知ってた?
2月2日の日本海
弟の子供たちとDSで遊ぶ


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