天童はなかなかいい街だった
この週末は車で山形・天童へ。うちの先祖はこの天童の北西にある「小山家(こやんべ)」という小さな城の城主だったそうだ。それが最上と天童の戦いの余波を受け、その地に居られなくなり秋田・増田に逃げ、帰農して安倍姓を名乗った、といわれている。400年前の1603年のことである。そのご先祖の城跡を見にいってきたのだが、ちょうどその場所で果樹園をやっているTさんが農作業中で、アポなしの来訪だったのにもかかわらず丁寧に対応してくれ、周辺を案内までしていただいた。りんごやプラムの木の間をぬって小さな山を走り回り、それから群立郷土資料館や市立図書館に行き資料類を確認、小山家城の対面にある天童城のあった舞鶴山にも登った。その後、ゆっくり街中をほっつき歩いたのだが、「華やかな温泉街」というイメージが強かったのだが、文化的にも成熟している街で、先祖の地であるという身びいきをさっぴいても、奥の深い、好きになれそうな街だった。美術館も充実していて広重美術館、斉藤真一心の美術館、出羽桜美術館まで個人の美術館も多くあり、そのほとんどを1日がかりで駆け足で観て来た。有名な「水車そば」にさして感心しなかったが、近くにあった小さな老夫婦のやっている団子屋さんのお団子は美味しかった。街中どこもが「古今雛」の展示が花盛りで、この雛人形の多くは京から買ったもの、というのも驚いた。紅花の生産地だったため北前船で地主たちが取り寄せたものらしい。雛たちの着る着物が紅花で染め付けられているのだ。いたるところで(温泉や山菜料理屋さんでも)古今雛の展示があり、ちいさなお店に入っても必ずどこかに雛人形が置いてあるのには感心した。今回は下見のつもりだったので安いビジネスホテルに泊まったのだが、今度来るときは奮発して温泉に泊まってみよう。
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城址の前には看板もあり、安倍家のことまでちゃんと書いてあった |