んだんだ劇場2007年7月号 vol.103

No14− 活字業界の潮目−

活字の潮目と十割そば
 いい天気が続いて、気持ちがいいですねぇ。秋田は今頃が一番良い季節なのかもしれませんね。
 あいかわらず太平山だ、八幡平だ、街道だ、と外で遊びこけ、合い間に近所のスポーツクラブのエアロビクス教室に週3回も通っています。まるで定年退職してフィットネスに夢中になっているオヤジ状態ですが、ボチボチ仕事もしています。6月は年4回のDM通信を出す月、新刊は少ないのですが、けっこう忙しくなりそうです。
 でも昔に比べたら、仕事はかなりマイペースです。地方の片隅からではありますが、出版業界の大きな「潮目」のようなものが、よく見えるようになりました。今はあせったり不安になっても詮無いこと、少し傍観者的に活字の危機的状況を見ているところです。活字業界が借日のような隆盛を取り戻すことはもうないと思いますが、それはそれ、別の興味深そうな「入り口」や「出口」が思いもかけず活字の世界からひょっこりと顔を出すのでは、と業界の隅々をキョロキョロ眺めまわしているところです。
 ところで、最近、街でよく「十割そば」という幟を見かけます。秋田は昔から米どころなので蕎麦屋さんが少ないところです。ですがここ5年、減反田に植えた蕎麦を「有効利用(?)」するために手打ち蕎麦屋さんが急増しています。農家レストランやグリーンツーリズムといった農業政策との絡みもあります。減反で「ヤムナク」つくっていた蕎麦は補助金目当てで、収穫しても捨てていた農家が多かったのは、蕎麦を食べる習慣がなかったせいもあります。
 それが、いきなり十割そばです。地方に行くと道の駅やコンビニでもこの十割そばの看板を掲げているところが目に付きます。自分で蕎麦を打ったことのある人ならわかると思うのですが、つなぎ粉を使わず蕎麦を打つのは素人にはほとんど無理、かなりの技術が必要なのです。その夢の十割そばがコンビニで食べられるというのですから最初は目を疑いました。いったい、どういうことなの? と周辺を取材してみると、なんと「つなぎなしで打てる自動蕎麦打ち機」なるものが、岩手のある人物によって発明され、この会社が自社製麺の十割そば販売を北東北中心に行っているのだそうです。どうりで、看板にはどこにも「手打ち」とは書いていません。なかなか面白そうなので、この岩手の会社を引き続き取材してみたいと思っているのですが、食べた感想は、って? けっこううまいんですよ、これが。
(あ)
岩手県の七時雨山山頂で
アルプスのハイ・爺(藤原優太郎さん)
こんな看板見たことありませんか

ずっと行きたかった場所「金山町」
 最上盆地と庄内平野を結ぶ、古代の重要な山越えの官道である「与蔵峠」を歩いてきた。好天に恵まれきれいなブナ林の中を歩くのは気持ちがいい。途中にまぼろしの滝群やひっそりと湖沼などもあり、ほとんど登りのないピクニック気分の山歩きは楽でいい。帰りは山形・金山町にある谷口・四季の学校で「谷口がっこそば」を食べた。前から噂には聞いていたのだが、山中の廃校になった小学校で近所の主婦たちがおいしい板蕎麦を食べさせてくれる。山中にあるその場所についたときの最初の印象は「あれ、この場所、知ってる」という既知感だった。
与蔵沼を横に見て
ブナ林が気持ちいい
 もちろん初めてなのだが、この風景は確かに見たことがある。そうだ、10数年前、仙台の民俗研究家・結城登美雄さんが「この廃校を利用して、面白い町おこしを考えてるんだ」といって見せてくれたスライドの、あの場所ではないか。調理しているお母さんに、結城さんの名前を出してみると案の定、その通り。ここをつくるときのアドバイザーが結城さんだった、という。そのころから「金山はいい町だよ、一回行ってみた方がいい」と結城さんだけでなく何人もの人に言われていたこともあり、今回は秋田市に帰る山仲間を見送って、私一人、金山町の「シューネスハイム金山」に宿泊した。翌日、半日かけてじっくり町を歩いてきた。昼は町の真ん中にある「草々」という蕎麦屋さんで、またしても板蕎麦。イザベラ・バードの碑があることで知られているが、公文書の情報公開を全国に先駆けて条例化した町でもある。鉄道は通っていないから帰りはバスで新庄まで出、そこから各駅列車に乗ってゴトゴト秋田市までのんびり帰ってきた。また行きたい町だ。
廃校を利用した蕎麦屋さん
地方自治体で最も早い情報公開を
記念するモニュメント

本は着物と同じ運命をたどるのか
 夏の愛読者用DM通信を出し終わった。一年の半分も過ぎ、前半戦も一段落といったところ。このところ判で押したような規則正しい生活をしているので体調もすこぶるいい。
 週2,3回のエアロビクスに月3回ほどの近場の山歩き。夜の散歩も欠かさない。朝と夕の食事はかならずカミさんと二人でとり、外食は月に1度くらい。ほとんど出張もしないし、ほんとうに絵に描いたような健康ライフなのだが、仕事のほうは、といえばこれは心配のタネばかり。
 「出版業界の未来」のことを考えるだけで気持ちは暗く滅入ってしまうのだが、こうした出版不況は数年前から予測はしていたことである。大型書店チェーンのはでな出店競争、大手出版社のベストセラーや新書戦争などに目を奪われて、ことの核心がうまく見えないようになっているが、自分たちの現場である地方の書店や郷土出版物の、ここ数年の売れ行きの推移を見ると、かなりのスピードで出版産業の社会的ステータスが落ち続けているのがはっきりわかる。活字文化が消えてしまうということはないだろうが、出版という産業は限りなく縮小化していく運命にあるのは間違いない。ベストセラーがでたから安泰などという問題ではないのだ。
 出版のことを論じるのに一番わかりやすい例は、昭和30年代まで隆盛を誇っていた「着物(和服)産業」だろう。わずかこの2、30年で着物はすっかり社会の前面から消えてしまった。着物を着る文化が消滅したのだ。なのに、その着物文化が残っているときと同じスタンスで「どうすれば着物がもっと売れるようになるか」などという設問を立てるのはナンセンスだ。日本人がこぞって着物を着るようにならなければ、昔と同じ着物屋さんの復活はありえない。「本は着物と同じ運命をたどる」というのが小生の持論だ。無明舎はその持論にそくした将来的な準備をして入るのだが、同業者の大方はまだ楽天的で、その齟齬というか認識の溝はうまく埋まらない。
 なんだかどんどん暗い話題にスパイラルしていきそうなので、この話題はともかくここで打ち切り。折をみて続きも書きます。写真は本文とはまったく関係なしに、少し心のなごむものを。
最上の与蔵峠を歩く
小さな白い点はお月様
もうこんなに生長した苗


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