んだんだ劇場2007年8月号 vol.104

No15− 活字業界の潮目−

疲労・新刊・物置小屋
 こんなことになるだろうなぁ〜という予測はあったのですが、近所の整骨院に通っています。どこかを痛めたわけではなく身体全体が『悲鳴』をあげているような気がしたためです。痛くない、という言い方は正確ではありません。ジムに通ったり山に登ったりするたびに身体のどこかに負担がかかり(首、腰、背中、膝……)、数日でその痛みは消えるのですが、「こりゃ、身体のバランスが崩れているのにちがいない」と感じ、大事にならないうちに自発的にケアをしておこうと思ったわけです。整体やスポーツマッサージにも行ったのですが、身体の表面に圧をかけるだけの按摩的療法は、どうも適してないようで、身体の深部に刺激を与え、ゆがみを矯正する整骨師に行き着きました。ま、これも自己満足でしかありませんが。
 6月末から7月はじめにかけて「ロスタイムの生」「東北の巨樹・巨木」「南部曲り家読本」と立て続けに新刊が出ました。この中旬には岩田幸助写真集「秋田」と私自身の久しぶりの本「食文化あきた考」がでます。いつものことですが一定期間のうちに集中的に本ができてしまいます。この前後は忙しくなってしまうのですが、忙しいときほど遊びたくなります。仕事を途中で切り上げてジム(エアロビ)に行ったり、週末はすべてなげうって山に行ってしまいます。根つめて仕事をするより遊びのクッションがあったほうが、その後の集中力は増します。ですから、そう悪いことだと反省もしていません。
 これは東京の仕事仲間に話すと露骨に嫌な顔をされるのですが、自宅横に私は小さな(といっても6畳ほどの)自分専用の物置小屋をもっています。ここに遊び道具(山登りやカヌー、スキーなどスポーツ全般)や冬物の衣料などを放り込んでいます。住宅事情の悪い都会では考えられない贅沢、とよく言われますが、そうですねザマアミロ、といったところです。今週、この物置の整理をしました。不要になった遊び道具(昔の山登りのテントやザック・もらったまま使っていないゴルフ用品・子どもたちのスキー板など)を大量に捨てました。とにかく最近のスポーツギアの性能は目を見張るほどで、5年前のスポーツグッズはほとんど見向きもされません。山に登りだしてそのことを痛感しました。ですから昔の遊び道具はもう使用することはない、と判断しました。おかげで物置はすっきり。なかなか捨てられない衣料類をどうするか、まだ思案中ですが、これはひとえに太ったりダイエットしたりを繰り返す悪癖のため、いつか必ず有用になるのを知っているため、廃棄処分になかなかできません。
秋田市内の蕎麦屋SAYの深川蕎麦
(アサリがのっている)
ゼイタク小屋の中
これ以外にもスキー板や
もろもろを捨てた

仕事と遊びの区別がつかなくなる
 山に登ると、その日は下山した町に泊まり、翌日ゆっくり町をぶらついてから帰ってくる。意識的に山だけでなく町歩きもセットにして「行きたい!」というモチベーションを高めている。
 先日は山形の笙ケ岳(地元の人は西鳥海とか古鳥海という)に登った。登りは楽勝だったが、下山はうんざりするほど長く往生した。高さ1660メートルほどの山なのだが700メートル付近まで下りたとき、クマと遭遇した。出会ったトップの2人が山のベテランだったので、あわてることなく大声で威嚇、ことなきを得たのだが、後日、このへんをフィールドにする友人に訊くと「あのへんはクマの通り道」なのだそうだ。この日は酒田市で1泊。美味しいものを食べ、友人夫婦と旧交を温めてきた。その夫婦に連れて行ってもらった「こい勢」という鮨屋さんで「しんこ」を食べた。コハダの幼魚で、東京でもこれはめったに食べられない初夏の珍味。
 翌日の昼は、これも久しぶりに酒田市郊外にある蕎麦屋「大松屋」で昼から一杯。あいかわらず美しい女将さんと話をしていたら「うちのダンナが若い頃アンバイさんと遊んだことがある」といわれビックリ。調理場から出てきたオヤジさんの言うことには30数年前、鶴岡に拠点にした暗黒舞踏のビショップ山田の道場開き(土方巽や麿赤児も来ていたなあ)のパーティで、会っているという。そうか、あれも無明舎がプロジュースしたイベントだったよなあ。
 調子に乗って少し昼酒を飲みすぎたので、日和山公園の林の中で昼寝、けっきょく秋田の事務所に帰ってきたのは夜の8時だった。
 毎週山に登って遊んでいい身分だといわれそうだが、仕事とも不思議と縁がある。先週岩手の薬師岳に登って帰ってきたら、この辺をフィールドにする一関市の人から「70歳からできる東北の山歩き」という原稿が届いていた。奇遇だなあ、と思っていたら、笙ケ岳登山の後も、鳥海山写真集刊行の話がとんとん拍子にまとまった。山の仲間たちは来週から飯豊を歩く予定だが、小生の力量では無理なので断念したのだが、飯豊をフィールドにしているNさんというアウトドアライターから、山形のある昆虫学者の伝記出版の依頼がきた。これも奇遇といえば奇遇だ。来週は、仙台で英国の「フットパス」を、知的障害を持った子どもを連れて毎年歩いているという家族の記録を出版できないか、打診に行く予定。それも、わざわざ仙台に行くのではなく、週末に予定している「種山ケ原(物見山)ハイキング――宮沢賢治の足跡を訪ねる遠足」の後に、いつものように一泊、会って来る予定である。ますます仕事と遊びの区別がつかなくなるいっぽうだ。
雨の笙ケ岳をゆく
酒田のホテルから見える鳥海山。画面の山頂左側3つのでこぼこが笙ケ岳
この鮨屋はすごい
昔の農家のつくりを生かした蕎麦屋・大松屋

映画と昭和30年代と「秋田」
 小説は読んでいないが、伊藤永之介原作『警察日記』のモノクロ映画を観た。若き日の森繁や三國連太郎、森光子らが活躍する昭和20年代の農村人情ものだ。舞台は福島県のとある村、冒頭シーンは婚礼の酒に酔った村人が乗り込んだバスの運転手に酒をすすめるところからはじまる。バスの運転手は恐縮しながら、その酒を飲み、平然と運転する。現代の感覚で観ていると、もうこれだけでぶっ飛ぶが、わずか50年の間に日本人のしぐさや道徳観、価値観はすさまじい速さで変容している。ちなみにこれは昭和30年代の都市部でのことだが、やはり森繁主演の『駅前女将』に仕事をはじめる前に両手にペッ、ペッとつばを吐きかける鮨屋やラーメン屋が出てくる(もちろん批判的視線でカメラはとらえているのだが)。
 昭和20年代から30年代の秋田の風俗や人物を活写した岩田幸助写真集『秋田――昭和三十年(1955)前後』が予想以上に反響を呼んでいる。23日には朝日新聞夕刊に大きな記事が出た。こちらは夕刊がないので読んでいないのだが、それ以前から小舎DMの予約注文は300部近くあったから、これは異常な数といっていい。「昭和30年代」はブームなのだそうだ。そのこととこの写真集の売れ行きが関係あるのか、よくわからないが、上記の映画同様、この50年の間に日本人は何が変わり、何が変わらなかったかを自問自答する「素材」として、たぶんこの写真集は売れているのかもしれない。それはともかく、岩田さんの写真の中で「吹雪の中を馬を引く」写真がある。この写真をご覧になった記憶はありませんか。これは映画『レディー・ジョウカー』の劇場用パンフやポスターに使われていた写真です。かなりの映画好きなら、覚えているかもね。
「警察日記」の一場面
写真集と新聞記事
映画「レディー・ジョーカー」のポスターに使われた岩田さんの写真


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