んだんだ劇場2007年11月号 vol.107

No18− 変質者ジッコ−

まあ鬼の霍乱とでも言っておきましょう
10月がはじまったとたん風邪でダウン。といっても熱があるわけではない。のどがいがらっぽくコホンコホン咳が出る。それだけなのだが明らかに平常とは違う。食欲はあるが味がしない。少し動いただけで汗ばむ。身体がだるくて前向きな気力が出てこない……こんな時は市販の風邪薬や栄養剤を飲んで2日間も熟睡すれば治る、はずだったが、年なのだろうか、1週間たった今も状態は同じ。ポジティブな気持ちになれないのがつらいところだ。

週末楽しみにしていた太平山登山、翌日の筑紫森ハイキングは断念。無理しても行きたいところだが、今月は毎週山行が続く。早めに直して次回の山行に備えるほうが得策と判断。こんなにダラダラ不調が続くと、来週もダメなのでは、と不安になってしまう。それにしても週末の山行がなくなると、とたんにやることがなくなる。週刊で書いていた新聞連載が2つ終わり、秋のDM発送作業も終わったので、事務所で垂れ込めている理由はない。近場に一泊旅行でも、と思うが山に行くようになって、汗をかかない(苦しくない)旅はなんとなく不完全燃焼な気分で、行く気にならない。こまったものだ。国体競技でも見に行くかな。行くんならカヌーか陸上競技かな。

その秋田国体に招待された在南米秋田県人会の面々は3日には公式行事を終え、それぞれの親戚や友人との旧交を温めているようだ。サンパウロに行くたびに私も息子も世話になっているロベルトさん夫妻も五城目町の親戚のうちに二泊、秋田の最終日の今日は夕食を一緒にとるつもり。何にもしてやれなかったけど、秋田を楽しんでくれただろうか。
国体期間中は毎日こんな好天気。よかった
近所のコンビニで一心不乱に座り読みする若い女。かなり気持ち悪かった

二度も変質者にまちがわれて
夜中に窓から流れ込んだ雨水でパソコンに浸水、データを消失してしまいました。幸いというか、書きかけの原稿などはなく当座は困らないのですが、膨大な個人用写真画像や、こっそりつけていた「エアロビ日記」のデータを失い、落ち込みました。日記はもうかなり長く書いていたので、こんなこともあろうかと8割方はフロッピーに保存していましたが、ホント、バックアップはこまめにやる必要がありますね。いつ、どんなときPCがパンクしても少しも困らない、というのは仕事をするうえで、必須条件であることを痛感しました。
ウィークデー(水)に、栗駒山(秋田県側の秣岳まで縦断)の紅葉を見てきました。今週末になれば、もうあらかた終わっていたかもしれない、という絶妙のタイミングで形容しがたいほど美しい紅葉を堪能してきました。しかし、ここでもドジ。肝心のデジカメを車の中に忘れるという失態を犯してしまいました。1年に一回だけ、それも県内有数の紅葉のメッカの山に登ったのに、よりによってカメラを忘れるという、普段はありえない行動をしてしまうのですから、笑っちゃいます。カメラがなかったので、そのぶんしっかり心に焼き付けてきましたけど。
先週のことですが、けっこう心がささくれ立つ「小さな事件」が二つ。
ひとつはチェーン・レストランで「和風おろし・とんかつ定食」なるものを食べたのですが、おろしがいまひとつの味なので、「ソースをください」とお願いしたら、例によって「いらっしゃいませ、こんにちは」をくりかえすオーム娘が怪訝な顔で厨房に消え、別の娘が「どういうことでしょうか」とまた聞きにきました。「普通のソースが欲しいんですが」というと、その娘も首をかしげて厨房に消え、今度は支配人らしき人物が出てきて「何かご不満でも」と言い出したのです。とんかつにかけるソースが欲しいだけなのに、私は無理難題を吹っかける「変質的な客」として扱われているようなのです。「丁寧さ」を隠れ蓑にして、この人たちは自分で考え、決めることを放棄してしまったロボットなんですね。
もうひとつはエアロビ教室。レッスン終了後、横で神経質に自分の流した床の汗を拭いているオバサンが、私の場所の汗を「発見」、ものすごい形相で私にも床を拭くように強制してきました。レッスン後のフロアーの汗はインストラクターがモップで拭くのが慣例になっているのですが、その剣幕に押されて「はい、はい」とモップ掛けをしました。このオバサン、たぶん真昼間から主婦に混じってレッスンを受けている男(私)を「変質者」のように思った可能性があります。ホームレス(私)に対するような、その高飛車な態度は実に不愉快でした。フロアー全体の汗をチェックして全員に注意を与えるのならまだ筋も通るのですが、この手の自意識過剰な「暴走老人」は最近、本当に増えています。1週間で2度も「変質者」にまちがわれた安倍でした。
秋田市郊外の山の入り口でマミ(アナグマ)の死骸。交通事故だろうか
秋晴れの広面

焼き芋はこれで700円。う〜ん高い

羽州街道、小さな旅
 山に行くたびに雨なので、最近は山仲間から「お祓いをしてもらったら」とまで貶められている。つらい。それでも14日(日)の白神山地・田代岳は快晴で、雨のない登山がこんなに気持ちいいのを知る。
 17日、18日の両日は「羽州街道小さな旅」で、山形・宮城にまたがる佐竹氏の参勤交代の道(跡)を訪ねてきた。これも運良く晴天に恵まれ、この調子が続けば、「雨男」の汚名をそそぐことが出来そうだ。よしよし。
 羽州街道の旅1日目は、朝の7時にJR秋田駅をマイクロバスで出発。山形・舟形町の猿羽根峠を越え(ここは新庄藩との領境)、村山市の居合神社を見学したあと、東根市の与次郎稲荷神社。ここは佐竹義宣のお抱え飛脚、那珂與次郎を祀ったところ。與次郎は秋田から江戸まで6日間で往復した伝説を持つ飛脚。ということは1日200キロを走ったわけで、これはホントかなあ。昼は六田の有名な麩懐石料理。ご主人の文四郎さんの「麩」の解説が面白い。前から興味があった麩の作り方も工場見学でよく理解できた。麩と言ってもあのラーメンにはいっているインスタントとは別物で、水に戻して煮て絞って、味付けしてようやく食べられる。
 午後からは上山市の城下町を歩き、宿舎の長谷屋旅館へ。『東講商人鑑』の原本があった場所なので、無明舎との関係も深い宿だ。また上山市は小舎の創業時から世話になっているF印刷がある場所でもある。うちの担当のKさんが山形市内の病院に入院中なので、F印刷のS部長に迎えに来てもらい、一緒に山形までお見舞いに抜け出させてもらう。
 2日目は上山郊外にある楢下宿を歩いて探訪。昼は有名な「こんにゃく番所」で食事。午後からは金山峠から宮城県側に越え、羽州街道から米沢、最上の追分を見て、七ヶ宿の宿場町を訪ねた。盛りだくさんな内容の濃い旅である。4時には全工程を終了。帰路は白石ICから高速道をひた走り、夜の7時に秋田に戻ってきた。
 旅が終わって、その地の関連資料文献をひもとくのも、歴史旅の楽しみなのだが、今回の旅では数多くの街道筋の本陣(大名が泊まった家)を見たのに、風呂場の有無を確認し忘れてしまった。風呂といっても「湯浴み」が主だが、どこにもそんな場所がなかったような…。大名行列には殿様用の風呂を携帯していったという記録もあるから、殿様はもっぱら「携帯風呂」だったのだろうか。
東根市の与次郎稲荷神社
六田の麩の工場

上山市に残る東北では珍しい
眼鏡橋


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