んだんだ劇場2007年11月号 vol.107
No3
職業は家事見習い

デールズ・ウェイ (Dales Way) を歩く
まずは、2007年(イギリス旅行3年目)の最後のウォーキングとなった日のこと。できれば、もう一度歩いてみたいと思っている、Kettlewell から Grassington までのウォーキングコース(フットパス)の話から。

ケトルウエルからグラシングトンへのデールズ・ウェイ
2007年7月9日の日記
青空が出ている朝。今日をウォーキング最後の日とし、登山靴は今日まで・・・と妻と確認。できれば、今年のフットパスの旅はこの天気のままで終わり、明日はのんびりマンチェスターを楽しめたらと思う。5:30起床、一人静かにパソコン日記。二人6:00起床、6:50**に国際電話。Tさんが出て、息子大満足。**・***にも電話。7:30朝食。今朝の折り紙プレゼントは、ぼかし折り紙で作ったコマ。妻が今日のコースを確認、息子休養の間、私はコインランドリー(Laundrette)で今回最後の洗濯 (8:20-9:10)。昨年のおばさんが二人いて、折り紙のことを覚えていた。その場で白雪姫を折ってプレゼント。部屋に戻り、大量の洗濯物をたたむ。三人休憩。郵便局のスーパーで昼食用のパンを買う。Skipton 10:05 (Bus72) 10:55 Kettlewell。最初の道探しに少し時間かかる。山頂コースの老夫婦に教えてもらい、11:10丘コースのルートにたどりつく。途中から絶好の道。11:40-45休憩、12:35-50パン昼食、平坦な草原の道が心地いい。13:45突然のシャワー。雨は30分程で上がったが、かなりずぶ濡れ。町に下りて、朝の老夫婦にばったり会う。彼等Kettlewellへ戻るバスにタッチの差で間に合わず。Grassington 14:50 (Bus72) 15:18 Skipton Market Place。部屋に戻り、順番にバスタブのお湯に浸かる。二人休養の間、画像処理(16:30-17:00)。***でインターネット (17:15-18:20)。**からメールあり、返信。ほかブログ数件掲載。部屋に戻り、18:40息子とMorissonで買物の後、***で夕食購入。最後の折り紙として、今日は金平糖プレゼント。今日もホテルの部屋で豪華な夕食 (19:15-35)。明日の朝食を8時に変更の旨伝えに一階へ、そこでワインを飲んでいる宿の夫婦としばらく話す。つたない英語でも必死に伝えようとすれば、なんとか通じることを体感。部屋に戻り、日記。妻かなりお疲れ。息子も同様。私はなぜか興奮している。**さんに葉書。残ったワインを飲み、旅の最後を感じる。22:00就寝前に妻の足マッサージ。

一ヶ月の滞在も最後になると、お互いそれなりに疲れはたまってきていると、三人がそれぞれに自覚。それでも、今日は最後のウォーキングができる日。朝の天気は上々。三度のイギリス旅行のうち、一番雨の日が多かったのは今年(2007年)。そんなこともあって、これだけの天気なら、やはりでかけたい。妻が選んだコースは、Skipton からバスで Kettlewell へ行き、そこから Grassington までデールズ・ウェイを歩き、また Skipton にバスで戻ってくる行程。その道(フットパス)がどんなものなのか。いつものように、行ってみなければわからないのだが、ここのとこ連日持ち歩いている地図(Explorer Map/OL2)をみれば、Dales Way と書かれた「ソロバン玉の道」は、きっとそれなりに満足できるのではないかと思えてくる。これは、この3年で私たちが身につけた、さしたる保証のない「勘」。

ケトルウエルの町
バスが着いたところは、のどかな落ち着いた感じのする Kettlewell の町。ここから北へも Dales Way は伸びているのだが、手元にある地図(OL2)は、北方向がちょうどこの町で切れている。もし、今日これから歩く道がよかったら、次回(果たして、いつになるかわからないが)逆方向(北)への道を考えてみようと思う。たいていはこんな感じで、その時々の思いつきで、コース(道)は決まってしまう。それが知らず知らず、以前歩いた道とつながっていたりする。
フットパスの歩き始めは、すぐみつかる時となかなかみつからない時がある。この日のように、フットパスを示す印(Public Rights of Way)が、町(村)の車道と重なっていると、意外に手間取ることもあって、地図を片手にうろうろしていると、しばらくして、やはりウォーキング姿の老夫婦が声をかけてきてくれた。どうやら、彼らはこの辺を何度も歩いているらしく、すぐにはみつかりそうにないフットパスへの最初の入り口をあっさり教えてくれた。彼等がいうには、Kettlewell から Grassington まで、ウォーキングコースはふたつあって、ひとつは私たちが予定していた高さ300m前後のゆるやかな丘を歩く、National Trail(ソロバン玉の道)。もうひとつが、地図をみれば、これと平行する感じで続いている Public Rights of Way(Footpath)で、こちらは500m前後の山の上を歩くコース。彼らはそちらを歩くのだそうだ。

ケトルウエルからグラシングトンへのデールズ・ウェイ
その話を聞いた時、山コースの方が、今日の天気なら展望も開けてよさそうに思えたのだが、旅も最後なのだから、当初の予定通り、無理をしないでのんびりできそうな丘の道を進むことにする。おそらく、この辺の判断が以前の旅とは違ってきたところかもしれない。その山コースがどんなものなのか。これは、あくまで想像にすぎないのだが、この日歩いたDales Wayの印象からすれば、機会があったら、今度はそちらも歩いてみたいと思う。これも「勘」。
ともかく、いい天気がなにより。最初のうちこそ、頻繁にゲートをまたがなければならず、やっかいな感じもあったが、いったん丘に上ってみると、あとは(私たちにとって)快適な道が続く。私たちのフットパスの評価(印象のよしあし)とは、もう一度歩いてみたいと思える道の場合が合格ライン。ここは間違いなく、それだろう。平日のせいか、そんなにたくさんの人はいなかったが、それでも20人くらいには出会ったろうか。そして午後には、またもや突然のシャワー。おかげで、ずぶ濡れの状態にはなったが、これもまたイギリス。これで、フットパスの印象が変わることはない。雨だった道、次は晴れることもある。
ところで、私たちが歩いた道は、いつも地図の上に黄色いラインマーカーで印をつけているのだが、振り返って眺めてみると、二年にわたって、延べ4日かけて歩いたフットパスの道(Kettlewell−Grassington−Hebden−Barden Tower−Bolton Abbey)がつながっていた。

ケトルウエルからグラシングトンへのデールズ・ウェイ

目の前の「ニンジン」 
かつて、会社勤めだった頃、自分たちの旅行に出かけるということは、それがどんな形であれ、またそれなりの気構えが必要な旅であれば、なおさらのこと、いつも目の前の 「ニンジン」 のような役割をしていた。それは、どんな 「ニンジン」 だったのか。思えば、気晴らしといったものとはちょっと違って、その時だけは会社時間のしがらみから離れ、自分のペースで好きに振舞える世界だから、よかったのだろう。そんな快感が 「ニンジン」 としての魅力だったように思う。そして文句なし、これがまた会社へでかける励みになっていた。
その会社の仕事が好きだったのかというと、多分そうではなかったのだろう。なぜか、いつも会社時間とのバランスを保つ意味で、会社とは違った世界のことを考えていたような気がする。そして、それは旅行に限らず、その時々で形を変えていた。といって、会社がイヤでイヤでたまらなかったのかというと、少なくとも、これが生活の基盤であるという大前提(意識)だけは持っていて、おかげで56歳までの33年間続けられたわけだが、まあまあ妥当な線だったのかも。

いや、実はひそかに小椋佳のような世界に憧れていて、会社ばかりではなく、もっと創造的なこと(?)を・・・とか、ちょっとは秀でた能力(?)が発揮できる仕事を・・・とか、そんなことを夢みていた。そして、頭のどこかでは「こんなはずじゃない」と思いながら、いざとなれば、いまいるところから飛んでみる勇気などさらさらなく、結局は会社の中でちゃっかり生き延びていくこと が一番似合っていたように思う。そして、そのちゃっかりの能力だけはあったのかもしれない。
このまま会社漬けになるのは、いつも真っ平御免と思っていた。ただ、そんな自分を開けっぴろげにするより、こっそり、ちゃっかりと、会社とは関係のないところで自分のしたいことをして、それで会社時間とのバランスを保とうとした。もっとも、自分ではこっそりと思っていても、知らず人の目についていたのかもしれないが、バランスの一番大きなものが旅行。それも、家族と一緒の旅。なぜ家族と一緒なのかといえば、前にも書いたが、一人では寂しすぎるという、なんとも情けない、自分勝手な理由だったのだが。

いま、会社勤めというしがらみがなくなり、会社時間とのバランスで旅行を考える必要もなくなり、以前ほどの「旅への執着」はなくなるのかもしれないと思ったが、いまのところそうでもない。そして、「いまできず、先延ばしにするということは、結局は諦めるに等しい」・・・そう思う気持ちはいまも変わってはいない。ただ、これからの問題は一番に旅行の資金、続いて体力、次に気持ち。いつかそのうち、これらのどれかが目の前の壁になるのだろうが、それまではしたいうちにしたいことを、できるうちにできることをしたい。その一番がこの「イギリスのフットパスを家族で歩く旅」なのだろう。ちょっと、こじつけの屁理屈みたいだが。

成田空港、出国前

家を出る時の「摩擦熱」
旅行に出かける時、準備にあたふたしている間は忘れているのだが、いざ我が家を出ようとすると、無性に我が家(での時間)が恋しくなる。その瞬間だけでいうと、あれほど行きたかった旅へなど出かけたくないほど、このままこの家にとどまっていたいと言う気持ちが強くなる。それは、家を出て、近所を眺めている時もそうだ。そんな時に限って、不思議なほど、ここはこんなにいいところだったのかと思えてきて、仕方がない。
家族と一緒の時もそうだが、一人の場合はもっとその思いが強い。この感覚は、小さい頃から変わっていない気がする。そして、やっぱり自分は大きく飛べない人間なのだと思ったりする。ところが、バスや電車が家からどんどん離れていくと、結構あっさり家のことを忘れ始める。乗り物に運ばれているうち、自分の中に旅モードがふくらみ始めるからだろう。そして、ひとたび飛行機にでも乗れば、もう一気に「不安ドキドキが心地いい」という奇妙な旅モードだけになる。この微妙な心の変化(一人芝居)、いつも思うのだが、これは大気圏を出て行く時の摩擦熱に似ている。だから、この瞬間を抜けさえすれば、後は自由になれる。すっかり違った旅人間(別人)になって、そこから最初の宿に着く迄の旅パターンに入っていく。

イギリス初日の微妙な気分
イギリスの旅一日目。それは家を出て、成田からイギリスの空港を通り抜け、その日の宿にたどり着くまでの、時計がすっかり狂ってしまった、いつも必ず24時間以上は続く、体力勝負の日。「これ」なくして、決してイギリスへは行けない、腰痛持ちの私には拷問のような時間。さらに、それからしばらく時差ぼけのままで過ごす時間のことを考えると、ここだけは気が重い。もしかして、これが一週間かそこらでヨーロッパをめぐる旅行だったりしたら、それは宇宙遊泳をしている状態のまま、旅行は終わってしまうのではないかと思ったりする。

マンチェスター空港にて
ところで、イギリスの最後の空港に降りて、宿の予約をした町まで移動する時の微妙な気分。条件反射のように、いつも神妙な気分になってしまう。しかし、これが意外にいい。13時間少々の密室から解放された後の地上の移動。バスのこともあれば、電車のこともある。体はくたびれ、なにはともあれ、早く横になりたいのだが、イギリスの旅はいま始まったばかり。まずはこの旅が順調な軌道に乗るよう、ここではまだ緊張の糸をゆるめてはならずと多少うわずった気分で窓の外を眺めている。眠たい気持ちを必死に食い止め、かろうじて目を開いている。
今回は、どんな町に降りるのだろう。さっきまで長い時間密室にいたせいなのか、すぐ近くの景色、目の前を通り過ぎていく「真新しいイギリス」に妙に興奮する。それを、この目でじっくり眺め、確かめていたいのに、実は眠たくて仕方がない。いやいや、たとえ眠たくても、宿に落ち着くまで、決して気を緩めてはいけない。とにかく、なんとかして宿にたどり着くことだと、おかしなくらい気を張っている。これが、明日(二日目)になれば、がらりと違い、もっとゆとりも出てくるはずなのに、始まったばかりのイギリスで、いま3人の荷物をそばに確保しながら、バスや列車に揺られている私。

毎度といえば、毎度のこと。そして、相変わらず三人三様。妻は謙虚な人で、こういう時内心トカトカしながら、基本には忠実で、事前に用意したもので、まめにあれこれ確かめてくれるので、一番確実で頼りになる。息子はといえば、これが彼のいいところなのだが、たとえここが日本であろうと、イギリスの初めての町であろうと、まあイギリスなら、まわりの雰囲気にそれなりの違いは感じているのだろうが、私たちを信じ切っていて、意外に平然としている。そして私は私で、いざとなったら、どんな立ち回りでもする覚悟で、身構えている。ただし、その場の雰囲気を存分に楽しんでいる分、こういう時に限って、事前に準備した案内書やメモの類(つまりここで一番大切なもの)がすぐに出てこないという致命的な欠点を持つ。ともかくも、振り返ってみると、旅に出て一番「家族」を感じるのはこの時だろうか。

ケズイックの町で

ミステリー・ツアー
ところで、旅行にでかける場合(それが海外なら間違いなく)、息子に対して、行き先は出発当日成田迄の道中、あるいは成田空港で搭乗手続きをしている時に発表する。これは、事前に彼に伝えてしまうと、彼はそのことでいろいろな気持ちの負担を感じてしまうという事情による。その心の重荷(悩み)とはどういうものなのか、それは彼にしかわからないことなのだが、いつの頃からか、私たちには暗黙の了解事項になっている。
そこで、計画は直前迄私たち夫婦の間で秘密裏に進められ、前日になって、明日出発という発表をし、行き先については、その後随時発表という形をとる。たとえば海外なら、上野から京成電車に乗れば、ハハン海外だなということになり、成田空港に着いて、搭乗券引換えの用紙に彼が署名することで、何時何分出発のどの飛行機かということがわかり、そこで初めて行き先がはっきりする。それで、私たちはこうした旅を「ミステリー・ツアー」と呼んでいる。

ベイクウエルの町で

最初の町の第一歩
最初の町でバスを降り、予約をしていた宿を探すための第一歩。私は、やっぱりうわずってしまう。できれば、心地いい宿であってほしい。まだ始まったばかりの旅だから、どうか幸先のいい感じであってほしいと思う。そう思いながら、一方ではそうでない時の心構えもしながら、荷物を背負い、バッグを引きずりながら、宿を探す。早く落ち着きたいと思う気持ちで、たいていは足早に歩いている。ただ、このドキドキはいざ宿に入ってしまうと、その瞬間どこかへ行ってしまい、あとはここでこれからどうやって過ごすか、そのことがすべてになる。
最初に宿のドアを空け、たいていはB&Bかゲストハウスのご夫婦に会い、瞬間にその雰囲気を第一印象として感じる。それはそれ、自分たちの部屋に案内され、まずは肩の荷を下ろす。その時、部屋に感じることがあれこれあったとして、それもそれ。次に条件反射のように、荷をほどき、一週間かそこらの期限付きの「我が家」に荷物を広げる。そして、この部屋でこれからどうやって過ごそうか、過ごせるか。そのためになにをしなきゃいけないのか。そんなことがあれこれ頭をめぐり、この瞬間、家を出てから引きずっていたもののほとんどが消えてしまう。

バクストンの町で

まず、しなければならないこと
旅に出ておもしろいのは、いろんなことを、いつも以上に前向きに考えることだろうか。たとえば、初めての町なら、ここで何日かを過ごすために必要な情報をまず確保しようとする。当たり前と言えば、当たり前のことだが、移動する手段のバスステーションや鉄道駅の場所、あるいはその時刻。後で詳しく書くが夕食のための中華店、スーパーマーケットかそれに類した店。コインランドリー(LAUNDRETTE)。これは私のためのものだが、インターネットができる場所。以上はとりあえずの必須事項だが、もし目の前にこれ以外のなにか不都合なことがあったとしたら、その状況を改善するために行動を起こすし、そうでなければその状況を被害者的には考えないようにする。これは、旅をする時の知恵のような気がする。

期間限定のおもしろさ
場所によって、あるいは宿の予約状況によって、滞在は10日になったり、5日になったり、いろいろだが、イギリスでは原則として一ヶ所(つまり、ひとつの町)に一週間前後は滞在する。理由は荷物を持っての移動のみで過ごしてしまうのは、時間の無駄だから。それに私(たち)の旅の本意でもないから。一週間かそこらの間、我が家となった部屋に心置きなく(?)荷物を広げ、滞在中は身軽に動けるのがなにより嬉しい。そして、一週間前後限定の宿や町に、少しずつなじんでいく過程もおもしろい。先に書いたように、知りたいこと、必要な情報はいろいろあって、それらは少しずつ手に入れていくわけだが、最初は宿の周辺を歩くことから始まる。
最初の宿に着くのは、たいてい夕方から夜。その日は、日本からの移動で疲れた体を休めるだけ。そして、翌朝宿の周辺をぶらり散歩することから旅は始まる。周辺にどんなものがあるのか、とりあえず知りえた情報で歩く。ただ外へ出て、それとなく歩いてみるのも、これはこれでいい。何日も滞在すれば、宿の周辺の事情は自然に読めてくるが、最初のうちはキョロキョロと様子をうかがっているだけ。実はこれがいい。
そのうち近道やら、裏道などもわかってきて、毎日通う道が決まってきたりすると、最初の日の初めての感じがしだいに消えて、その町なりの雰囲気ができあがってくる。決まった道を部屋に戻っていく感じ、これはキャンプをしていて、自分たちのテントに戻っていく感じに似ている。そして、やっと慣れた頃、次の町へ移動する。これは気分が変わってよかったり、とても名残惜しかったり、さまざま。一ヶ月のイギリスなら、そういうことを三度四度繰り返して、旅は終わる。

バクストンの公園にて

散歩の習慣
我が家には、子どもたちが小さかった頃から、散歩の習慣がある。私の朝が早かったことが理由のひとつ。自分でそれと意識した頃から、私はずっと朝型。これがいまに続いている。若い頃の特異現象(?)と思えた、少しだけ夜にずれた生活はそんなに長くは続かなかった。その頃でも、夜の時間が経つにつれ、自然に眠たくなった。会社勤めの頃は、たまに夜遅くまで起きてしまうと、翌朝・翌日は必ず調子が悪いと自分で勝手に思い込んでいたので、夜遅い時間は極端に限られていた。だから、徹夜なんてことは、尋常を超えた一生に何度あるかないかくらいのこと。徹夜などしたくもなく、しようという気概を持っていたとも思えない。(ただ一度、眠らずに歩いた、その日だけは違っていたのだろうが。)
ともかく、夜が苦手で、まわりが暗くなると、眠くなる。それで寝てしまう。当然、朝は早くなる。結婚しても、子どもたちが生まれてからも、私はそういうリズムで暮らしていたし、家族にもそれを押しつけていたのだろう。その結果、朝には結構な時間ができた。この時間でいろんなことをした。かつて昔(70年代、80年代)市民ランナーだった頃はこの時間に走った。机に向かうことはいまも多いが、子どもたちを連れた朝の散歩も、こんな時間から生まれたのだと思う。その頃公団に暮らしていて、朝早く部屋を走り回る子どもたちの足音が、おそらく下の階にはうるさいだろうと、子どもたちを連れて、外へ出るようになった。それは雨や雪の時でも続いていた。

朝の散歩
会社勤めの終盤、週末に限られていた朝の散歩が、退職を期に毎日の日課によみがえった。時間ができたことが一番の理由で、体の衰えに対する焦り、さらには自分の身を守る気持ちからなのだろう。近くの住宅地の間を歩く。元々車の音には落ち着かないところがあって、できるだけ車を避けて歩けるコースを3つくらい作って、その日の気分・状況によって使い分けている。その中でも、途中に展望が開け、眼下の町並みの向こうに山が望めるコースが一番多い。時間にして、25分から30分。住宅地の間をいろいろ回って、一番静かで、一番手軽。一回で物足りない時は、朝のほか夕方、あるいは日中も歩く。
散歩の道はもちろんアスファルト。それでも、かつては野原だった名残りを感じながら、頭の中にはたいていイギリスの草原(フットパス)を歩いているイメージがある。だから、たとえ住宅地の中であっても、その時々の風や空気の具合で、イギリスの光景を思い浮かべることができる。果たして、もう一度行けるのかどうか。いや、なんとかして行きたいものだと思いながら、毎日のこうした時間がイギリスにつながっているのだと暗示をかける。
決まったコースを、いつも同じようなペースで歩く。これはこれで、意外なほど気持ちが落ち着く。歩きながら、いろんなことに思いをめぐらせる。それらが、頭の中を好き勝手にめぐっていく。おそらく、歩いている心地いいリズムのせいだろう。たまに面倒なことが控えている時も、歩いているうち、だんだん心がほぐれてきて、ひとつのところに思いが定まることもある。

チャッツワース(ベイクウエル)にて

イングリッシュ・ブレックファースト
B&B(Bed&Breakfast)やゲストハウスには原則朝食がついている。朝食付きで一人当たり25ポンド以内というのが、現在のところの私たちの宿代の目安。その朝食が、かの有名な(?)イングリッシュ・ブレックファースト。これに関する印象は人それぞれ。聞けば、決していい評判ばかりでもない。確かに、あれを毎朝食べるとなれば、最初のトキメキばかりでもない。さらに、これを一ヶ月食べ続けることを考えると、ノーサンキューの気分にもなりかけるが、私たちは食べ続ける。それは、好きとか嫌いといった問題ではなく、これが宿代に含まれた食事なのだから、決して避けたりはしない。いや実をいうと、私たちにとって、これは楽しみの時間でもあると思う。一日のリズムの始まりとして、この時間は大切なのだと思う。
旅行中も、一日のリズムは普段の生活とさして変わらない。旅行とは私たちにとって、いまだ自分たちの足で歩くことが基本だから、日中歩くと、とても夜までは持たない。それに、旅先での夜の過ごし方を知らない私(たち)は、8時か9時には寝てしまう。夜10時にやっと暗くなる、この時期(6月〜7月)のイギリスに、朝型のタイミングが多少狂うこともあるが、決して夜10時以降にずれ込むことはない。多分家にいる時より、朝は早くなっている気がする。それで、起きてしばらくすれば、腹がすいてくる。朝の散歩などしたら、間違いなく腹がすいてきて、朝食は待ち遠しい時間になる。

サンルームでの朝食
朝食が宿泊代に含まれているのは、現実問題として結構大事なところ。加えて、朝食が一日のエネルギー源であるという感覚、これはテント(キャンプ)の旅の名残りかもしれない。つまり、食べられる時にはがっちり食べておくという習慣。それに、旅の費用は限りなく抑えるものという、長年の間身に染みついてしまった習慣。だから、朝食は食べられるだけ食べて、ガソリン満タンという感覚で終わる。そのため、たとえ毎日同じメニューであっても、この際ぜいたくは言わない。それに私の場合、ブラック・プディングを除いて、どうしても食べられないというものはない。なにより、腹がすいていれば、たいていのものは美味しい。
そのイングリッシュ・ブレックファースト、具体的にどんなものかというと、Baked Beans(ベイクト・ビーンズ)、Fried Pork Sausages(フライド・ポーク・ソーセージ)、Baked Mushrooms(ベイクト・マッシュルーム)、Baked Tomatoes(ベイクト・トマト)、Fried Bacon(フライド・ベーコン)、Fried Eggs(フライド・エッグ)かScrambled Eggs(スクランブル・エッグ)。これらを暖かいまま持ってきてくれる。

イングリッシュ・ブレックファースト(1)
私は料理の味にそれほどのこだわりもなく、味覚にも自信がないので、料理の中身について詳しくは書けないが、感想はある。ソーセージは日本のようにプキプキしていなくて、ムニュムニュした感じが変。ただ、ご主人が実際にソーセージを作っている宿ではおいしかった。ベーコンはおいしいが、塩気が多い。キッパーというニシンの燻製も塩気は多いが、パンにはさんで食べれば結構うまい。ただ、パンは総じておいしくない。ヨーグルトは甘すぎる。

イングリッシュ・ブレックファースト(2)
朝、まずはジュースを注ぎ、意外に種類がたくさんあるシリアルを、あれこれ混ぜてたっぷりと盛り、ミルクをかける。宿によって、フルーツの種類が多かったり少なかったり、なかったり。飲み物は、3人ともティーではなく、コーヒーをお願いする。普段コーヒーをそんなに好むわけではない私がなぜかお代わりをしたくなる。次に運ばれてくる、こんがり焼けた薄いパンにバターやらジャムをつけて、食べていると、そのうち先に書いた「暖かいメーンディッシュ」が運ばれてくる。たまには、パンのお代わりをすることもある。余ったパンは昼食用にバターなどを塗って、持ち帰る。時間は可能な限り早くということで、7時半頃が多い。週末はこれが8時になる。バスの時刻は9時から10時にかけてのことが多いから、この時間で充分間に合う。

イングリッシュ・ブレックファースト(3)

レストラン気分
朝食をたっぷり食べると、昼は朝に食べられなかったトーストくらいで充分。大体3時過ぎまで、お腹は持つ。なんだか浅ましい感じもするが、朝にたっぷり食べておけば、途中わずかな行動食の補充で、夕食まで持たせることもできる。朝食が楽しみなもうひとつは、ふだんレストランには無縁な私たちがレストラン気分を味わえることだろうか。それぞれの宿によって、若干の違いはあるが、基本的なメニューは変わらない。そして、これはどこでも変わりなく、熱い皿のまま「おまちどおさま」という感じで運ばれてくる。そういう朝の雰囲気がいい。最後は息子が好きなコーヒータイム。実は、イギリスのこの朝食を息子が一番楽しみにしている。
長い一ヶ月という期間、途中に変わった朝食があれば、それもいいなあとは思うが、これはイギリスならではのリズムに思えてくる。日本に戻ってきたら、その時こそ晴れて「ノーサンキュー」となるのだが、それまでは決して忍耐なんかではない、これが私たちのイギリスの朝なのだと思っている。そして、この朝食は後述する夕飯によって、バランスが保たれていると思う。

仲のいいご夫婦のキッチン

朝食の準備をする夫婦
もうひとつ、朝の時間でおもしろいのは、朝食を出してくれる時の宿のご夫婦のありようだろうか。もちろん、すべての宿がそうだというわけではないが、こじんまりとした宿の場合、そのご夫婦が私たちのために、役割分担して朝食の準備をしているさまが、私には心地いい。
たとえば、上の写真のご夫婦は二人仲良くキッチンに立ち、奥様が作ったものを、ご主人が私たちのテーブルに運んでくる。この宿の場合、シリアルやヨーグルトやフルーツをキッチンの方へ取りに行くので、二人の様子を眺められる。たいていの宿では、私たちには見えないところで調理されて、運ばれてくるのだが、ここは違う。今迄の中で一番盛りだくさんの朝食で、ほかにもぜいたくな思いがするこの宿。三人が6日の宿泊で350ポンド。もっと料金を出してもいいとさえ思えてくるこの宿の二人をみていると、私は嬉しくなる。もしかしたら、こんな感じ方をするようになったのは、退職後私も台所に立つようになったからだろうか。

職業欄は「家事見習い」
会社勤めの時、職業欄には当たり前のこととして「会社員」と書いてきた。退職したら、今度はどうなる。あれこれ迷ったが、「無職」では寂しい。もちろん「元会社員」なんて書き方はしたくない。(余談だが、「元校長」として、新聞に投稿していた人をみて、これだけで投稿の内容が想像できる気がして、決してこうはなりたくないと思った) しばらくして、私は「家事見習い」と書くようになった。これをみて、ほかの人がどう感じるかわからないが、自分では結構収まりのいい自己表現だと思っている。

私の名前は「*****」
これには、私の思いがけない変化が関係する。退職後、まさかこんな形(?)で家事に関わろうとは自分でも予想外だったが、妻にはそれ以上かもしれない。退職前にくらべたら、比較にならないほど台所に立っている。たまに一人でやることもある。しかし、ここが大事なのだが、私のしていることなど、我が家の家事全体からしたら、ごくわずかに過ぎないし、メインはあくまで妻にある。要するに、妻と一緒に台所に立って、ちょっとした手伝いをしたり、片方で洗い物をしたり、時には何かをまかせられたり、その妻が留守の時には自分で自分の食事ができ、そんなに数は多くないが、たまには家族にわずかなご馳走することもある、そんな程度。
だから、「主夫」なんて気負うほどでもないし、そこまでなりたいとも思っていない。要するに、やろうとすれば、ちょっとはできる「見習い」の感じがいい。ずるける時はずるけてしまう、ちょっとはお気楽な「見習い」の立場がいい。それで、職業欄には「家事見習い」と書くようになった。そんな目で、私たちのために朝食の準備をしてくれている宿の夫婦をみていると、とても心が和む。イギリス風にスマートに、格好よく、もうひとつは楽しげにやっているという感じが好き。だから、これも朝の楽しみ。

夕食は「豪華なお食事」
次は夕食の話。最初からこうだったワケではないが、いろいろあって、一年目の半ばあたりから、中華料理のTAKE AWAY(イギリスではTAKE OUTとは言わない)のメニューがほとんど。つまり、そこそこの大きさの町なら、必ずある中華料理のTAKE AWAYの店を探し、それなりのメニューを選び、これを宿の部屋で食べるのが夕食。これが、朝のイングリッシュ・ブレックファースト同様、一ヶ月続く。

豪華なお食事
主食としてのFried Rice(チャーハン)は日によって種類を変える。これに、野菜炒め関連のおかずを加え、大体3人で10ポンド前後の目安で、3種類くらい買ってくる。これにフライド・ポテトが加わることもある。果物や生野菜は、6〜7月なら苺やミニトマトのパック、あるいはカット野菜(これは割高だが、野菜が切れると調子悪くなるので、時折気分を変える意味で付け加える)。ほかにハム。それから、いざという時のために、たいてい買い置きしているコーンの缶詰を開けることもある。飲み物としては牛乳。そしてワイン。私はコップ1杯か2杯、妻は少々。因みに、中華メニューの値段は次のような感じ。

Special Fried Rice           £4.50
King Prawn Fried Rice     £5.00
Prawn Fried Rice          £4.00
Chicken Fried Rice         £4.00
Yung Chow Fried Rice     £4.00
Mined Fride Rice          £4.00
Mushroom Fried Rice      £3.50
Mixed vegetable with Satay sauce  £3.50
Stir Fried Mixed vegetable  £3.00
Mixed vegetable Chow mein  £3.50

いまもって、レストランでの食事ができない私(たち)なので、これはこれで、充分に豪華だと思っている。最初の年は宿に戻る前、近くの公園の芝生の上で食べたこともあったが、最近は宿の部屋で食べることがほとんど。息子はいつも、これを「豪華なお食事」と言ってくれる。毎日この繰り返しなのだが、これが意外に飽きない。最初は、スーパーでいろいろ買ってみたが、やはり一日一回ご飯もの、そして野菜が欲しくなった。それで、それなりに栄養のバランスが取れた(?)こんな夕食に落ち着いた。これも、テントでのキャンプ感覚の延長だろうか。この夕食の買出しは、夕方になってもまだ余力のある私が行ない、時々息子がついてくる。

なぜか、ワインがうまい
スーパーでワインを買う。たいていは3.99ポンドのことが多い。私はワインの味にうるさいわけでもなく、(もちろん)外へ飲みにいくわけでもなく、そこそこの値段のワインで充分。日本ではめったに飲まないワインだが、イギリスではなぜかうまい。3.99ポンドのワイン、たいていは南アフリカ産かオーストラリア産。この時期のイギリスでは、よほど汗をかいた時でなければ、ワインがいいと思う。なぜ、こんなにおいしいのか。もしかしたら空気が乾燥しているせいかもしれない。白ワインでも、赤ワインでも、それぞれにおいしい。銘柄がどれということはない。キャンプ生活にも似た、一日最後のお楽しみが夜の「豪華なお食事」。そんな気分だから、ワインがあるだけで充分。

リブルヘッド(ヨークシャー・ディルズ国立公園)

食事は家族一緒に
また話は外れるが、私にはいまも 「食事は家族一緒に」 というこだわりがある。これは結婚した時、また子どもたちが生まれた時からずっと頭にしみついていることで、おそらく私の子どもの頃の情景の延長なのかもしれない。もちろん毎日などということはありえなかったし、これが難しい状況はこれまでに何度もあったが、いまもって我が家の食事の基本として続いている。
家族一緒といっても、かつて外食はほとんどなかった。理由はお金がかかるから。若い頃は旅行から戻っても、家で食事を作って食べていた。理由は次の旅行費用を捻出させるため。これまで、よくぞできたと思うくらいいろんな旅行をしてきたが、もちろん金があり余っていたわけではない。家計の中で、極端なほど旅行費用が突出していただけの話。ほかの部分では実に慎ましい生活をしていた。旅行費用なら惜しくはないが、ほかのことだと一銭たりとも惜しくなる気持ちが私のどこかにあった。いまもある。実はそうでもしないと、旅行にはでかけられなかったというのが現実。かなりアンバランスな家計であることは、妻も私も承知の上。

尾瀬を歩く
この10月、59歳の誕生日を前に、18年ぶりに尾瀬を歩いて、感じたことがいろいろある。もちろん、あの頃と今ではいろんなものが違っている。当時41歳だった私は、今年と同じ時期、妻と二人の子ども(14歳の息子と10歳の娘)と一緒に、テントをかついで尾瀬にでかけている。長い電車の旅の後、バスを乗り継ぎ、沼山口から歩き始め、尾瀬ヶ原にテントを張り、尾瀬の木道をあちこち歩き、燧ケ岳にまで登り、最後は鳩待峠から前橋経由で戻ったことを思い出す。当時の写真を見ると、さらにもっと細かなことなどもよみがえってくる。

尾瀬ケ原の木道を歩く
あの頃の体育の日(10月10日)につながった連休を利用してでかけたワケだが、思いがけず私たちは雪に会う。朝起きてみると、テントのまわりに雪がチラチラしていて、フライシートをかけていたテントの外側は、家族4人の暖かい息が凍りついて、バリバリになっていたことが懐かしい。やがて、秋の陽射しに、あたり一面が泥んこ状態になったこと。逆に、凍りついて滑りやすくなっていた木道の雪が解けて、元の木道になり、子どもたちが喜んで、走り始めたこと。燧ケ岳に登った時も一面の雪だったこと。そして、雪に凍りついた葉っぱをみて、子どもたちが「ポテトチップス」だと言ったこと・・・などを思い出す。
平日のせいか、ポツンポツンとしか張っていなかったキャンプ地のテントをみた後、あの頃と同じ木道をゆっくり歩きながら、過ぎ去った18年という時間を思い返す。「山登りする時のきたない格好が、とにかく恥ずかしかった」と、これは大きくなってから娘が語った言葉。いまは、もっと別のとらえ方もできるようになったというその娘、今回はいないが、依然として妻がいて、息子が一緒に歩いている。そして、あの頃と変わらず、私は一番最後を歩き、気が向けば、前の二人の後ろ姿の写真を撮っている。

尾瀬ケ原の木道を歩く(後ろは燧ケ岳)

それにしても、よくでかけていたものだ。背中には食料・防寒衣類を含む4日間のテント・キャンプ用具一式。その重さに耐えながら、あくまで家族一緒の旅ということにこだわり続けていた私。あの頃、息子は途中でよくストライキを起こし、歩かなかったことがある。そのたび、彼が歩き始めるのを待ち、思えばそんな繰り返しが山の旅だった。毎回必ずそんなことがあったはずなのに、よくめげずに出かけていたものだと思う。
それよりもっと以前、息子は生まれてからかなりの間、モノを飲み込む力が弱く、足元なども実に頼りなく、頭から先に転がってしまうさまに、本格的な機能訓練が必要とも言われていた。そんなことから連想して思い出すことはいろいろある。確かに、いまもゴツゴツした岩の上などを歩く時のバランスの悪さは変わらないが、あの頃とは違って、目の前をどんどん歩いていく息子をみていると、なんとも不思議な感じがする。

尾瀬ケ原の木道を歩く
そんな元気な息子に対して、私たちの体力は衰える一方。それでも、これまでのキャリア(?)から、かろうじてなんとか一緒に歩けている妻や私が、果たしていつまでこの状態を続けられるのだろう。そんなことを思いながら、尾瀬を歩いていた。そして、歩きながら、なぜか頭の中ではイギリスの光景が浮かんできて、ここもいいが、やっぱりイギリスはいいなあ・・・なんて考えていた。尾瀬の木道、平日だったせいもあって、人もそんなに多くはなく、草紅葉もきれいで、秋の陽射しの中をのんびり歩けたことが一番。コツコツコツという木道の足音がどこまでも続くのが尾瀬。ただ、歩きやすい半面、下が固くて、疲れは結構足にくる。それで、ふっと草原のあの柔らかさが懐かしく思えた。

行けば、行ったで・・・
これは、最近の私たちの合言葉のような気がする。私には車の免許もなく、運転もできないというハンディがある。距離が長いと、妻の運転にすべてを託すのは申し訳ないし、怖いところもある。ならば・・・と、妻はこれまで何度か体験済みの 「クラブ・ツーリズム」 のツアーに、今回私は初めて参加。従来、この類の団体旅行は避けてきた私だが、今回の尾瀬はフリーウォーキング(自由散策)という。できるなら、もう少し長く滞在して、楽しみたいところだが、できる時にできることをするのも、ひとつの手なのだろう。妻も私も、いつまでこうして息子と一緒に歩くことができるのか、先のことはわからない。だから、できる時にできることをする。それに、行けば行ったで・・・必ずなにかある。お互いそう思えるから、いまいろんな戸惑いを吹っ切れる。

4日間、ハドリアン・ウォール・パスを歩く
イギリスのフットパスの話に戻る。今度は、二度目(2006年)のイギリスで4日間続けて、一本のフットパスをつなぎ、つなぎ歩いた時の話。スコットランドとの国境の町・カーライルに宿を取ったのは、『地球の歩き方』に古代ローマ人の夢の跡「ハドリアヌスの城壁」の案内があったから。ローマ帝国が400年間にわたり、イギリスを支配していた時代の貴重な遺跡で、イギリスに現存するローマ遺跡の中では最大、世界遺産にも登録されている「ハドリアヌスの城壁」。北からのピクト族やスコット族の侵入を防ぐためにローマ帝国によって、122〜126年に建設され、東はニューキャッスルから西のソルウェイ湾Solway Firthまで全長で117km続く城壁。しかし、ローマ帝国の国力の衰退にともない、5世紀頃にはここも打ち捨てられ、積み重ねられた石は地元の人々の農場や住宅、囲いに使うため持ち去られた(そうだ)。(『地球の歩き方』より引用) 

ハドリアン・ウォール・パス
まずは、このハドリアヌス城壁に沿って、見るべきポイントがたくさんあるという部分に惹かれた。カーライルのツーリスト・インフォメーションで、ハドリアヌス城壁に関したバス時刻表が載ったパンフレットを入手、さらにExplorer Map(OL43)を買って、両方を眺めてみると、バス路線に沿って、ハドリアヌス城壁パス(Hadrian Wall Path)というものが続いている。もしかしたら、通して歩けるかもしれないと思った。
そこで、様子ながめに、カーライルのイングリッシュ・ストリート始発、期間限定のHadorian's Wall Bus(AD122)に乗って、パンフレットの中で一番遠い観光ポイントまで行ってみることにした。これなら、フットパスのあらかたの様子がわかる。バスに乗っていた時間は1時間45分。パンフレットのバス路線図と窓の外を見くらべ、城壁に沿ったその道(フットパス)は結構いい感じであることを確認。帰りのバス停も確認、なんとかなりそうなので、試しに初日(7/4)は Housesteads Roman Fort で降り、私たちには珍しく、ハウスステッド遺跡の入場券(一人3.8ポンド)を買い、見学の後、カーライルへ戻ってくる形でフットパスを歩き始めた。

ハウスステッズ・ローマン・フォート
城壁といっても、高く積み重ねられていた(はずの)石のあらかたは持ち去られ、かろうじてその跡が残った数十センチほどの高さではあったが、むしろそのせいで、草原の一部として、地形によって曲線を描き、それが遥か向こうまで続いている感じがよく、好天のせいもあったとは思うが、歩いた感じもよかったので、二日目(7/5)は初日到着の Once Brewed National Park Centre でバスを降り、そこからまたカーライルへ戻る感じで歩く。三日目(7/6)は Roman Army Museum から、四日目(7/7)は Banks East Turrest から Newtown へと、結局は4日続けて、Hadorian's Wall Path をつないで歩くことになった。それぞれの場所へ行くまでに、時間はかかったが、ここでは 「Explorer Ticket(7日間で26.5ポンド、Stage Coarchというバスなら乗り放題)」というお得チケットを使って、節約できた。
バス時間にして1時間半ほど先まで、同じバスコースを毎日往復。すると、やはり同じようなことをしている人たちに出会うこともある。連日の好天のおかげで、いろんなウォーカーに出会った。その数はそんなに多いわけではなく、程よい感じで向こうからやってくる。あるいはのんびり、休み休み歩く私たちを追い抜いていく人たちもいる。不思議と日本人には会わない。もしこんなところで、日本人の団体なんかに会ったら・・・。いや、できたら会いたくない気がする。

イギリスのフットパスを歩いて感じるのは、若い人たちが意外に多いということ。一人というのは少なく、カップルというより、男女が混じった数人のグループのことが多い。たいていは、結構な大きさのリュックを背負っている。みれば、決まってパッキングが上手ではなく、どんどん詰め込んだ感じにふくれたリュックを背負っている。おそらく、これだけの荷物ならば、フットパスを縦走しているのだろうか。この時も、テント持参の若者たちに随分追い抜かれた。

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