んだんだ劇場2007年2月号 vol.98
No44
タプコル公園

 "Kyobo文庫"から,徒歩で15分くらい。パコダ公園に着きました。街並みの賑やかさから,公園内の静けさ。ふと,落ち着くことができる空間が広がっていました。「現在,この公園は"タプコル公園"と呼ばれているよ」とIさん。僕は「パコダ公園は聞いたことがあるけど,どうして名称が変わったのだろう」と呟きました。Iさんは「英語で"パコダ公園"と呼ばれていたんだ。それが,10年以上前,韓国語で呼ぶことになったんだよ」と教えてくれました。
 高校の日本史の授業で,『パコダ公園は,1919年3月1日に起こった"三・一独立運動"の発祥の地である』と学習したことを覚えていました。今,この地に立っている…遠い彼方から,日本人への憎悪が伝わってくる気がしました。しかし,公園内は静寂に溢れて,高齢者が散歩を楽しんでいました。歴史的な土地柄を日本人が訪れることができる…このことが何よりも尊いことであり,公園内の静寂に刻み込まれた歴史を決して風化させてはならない…この決意が僕の胸に深く刻み込まれました。
 公園内の路面が整備されていて,車椅子で動きやすく,車椅子を押してくれたSさんも「この公園は,押しやすいですね」と言っていました。公園の中心部に,記念碑がありました。近寄ってみると,全文,漢字で書いていました。「碑の初めに,独立宣言書と書いているよ」とSさん。宣言書の最後に,日付が書いていました。宣言書の内容は読み取ることが難しかったけれど,その周りに独立運動の様子を描いたレリーフなどから,当時,この地に集まった人たちの思いは伝わってくるようでした。
 公園内を歩くと,一人の銅像がありました。ここに立てられている銅像なので,独立宣言の指導者であることは察しがつきました。しかし,誰の銅像が分からなく,Iさんに「このハングル語,何て読むのですか」と聞きました。ハングル語を読めるIさんは,銅像に書いてあるハングル語を読み始めました。「ソン・ビョンヒと言って,独立宣言をした人物だよ」とIさん。車椅子から,銅像を見上げました。優しそうな目つきが印象に残りました。「Sさんに,写真を撮ってもらったら…」とIさん。「僕が社会科教師なら,授業で写真を見せることができるのに…」と言うと,「道徳の時間や,その他の時間で,生徒に伝えていけばイイと思うよ」とSさん。(それも,そうだよなぁ)と考えてみれば当たり前なことを,妙に納得してしまいました。しゃがみながら,Sさんは写真を撮りました。
 しばらく,公園内をぶらつきました。"円覚寺址十層石塔"という大理石でできた石塔がありました。仁王像や仏座像などの模様が石塔に刻まれていました。日本の神社仏閣と同じような印象を受け,改めて,日本の文化は大陸からの文化であることを実感しました。
 この日の夜は,Iさんがソウルに来れば必ず訪れる居酒屋で食事をしました。夕暮れ時,気温は少しずつ下がってきました。−2℃,−3℃…なのかなぁ。空気は凍てつくような冷たさでしたが,路面は乾いている…氷点下の気温で,僕は雪をイメージするので,秋田のこれから本格的な冬を迎える初冬の気分でした。しかし,雪がなければ,氷点下の気温でも,これ程,移動しやすいのか…ソウル市内を歩いて,実感できるとは思いませんでした。街中から小路に入り,Iさんは行きつけの店に案内してくれました。「外国で,行きつけの店があるって,すごいなぁ」とTさん。「最後に行ったのが2年前だから,覚えていないかもしれないね」と薄笑いのIさん。小路の1本手前で曲がったらしく,迂回して,行きつけの居酒屋に着きました。
 Iさんは「アンニョンハセヨ」と言い,店のドアを開けました。続けて,僕たちも「アンニョンハセヨ」と言い,店内に入りました。すると,店長らしき方がIさんを見て,「お久しぶりです」と話しかけて,お互いに再会を喜んでいました。(ここにも,日本語を話す人がいる!)と,思わず僕は叫びたくなりました。ログハウスのような居酒屋は,日本の居酒屋のように感じました。「この方が店長さんだよ」とIさんが紹介してくれました。3〜4人の従業員を召し抱えているようでした。車椅子は折り畳んで,店の出入り口に置かせてもらいました。お通しは,"キムチ"と"チヂミ"。韓国ビールで乾杯。高麗人参を使った料理を食べました。
 帰り際,「また,来てください」と言われました。午後7時30分を過ぎた頃でした。ホテルまで,徒歩で20分くらい。ソウル市内の夜の街観光をしながら,ホテルに向かいました。アルコールを飲んでいるので,身体はポカポカと温かかく,外気が涼しく感じました。Tさんが車椅子を押してくれました。「こうやって,車椅子を押して歩いていると,少し汗ばんでくるよ」とTさん。他の3人は,歩いているけど,僕は車椅子に乗っているだけ。道端のベンチに座っているのと,同じ状況であり,「僕は,ただ座っているだけなので,これから少しずつ冷えてくるよ」と伝えました。「あっ,そうか…」と納得のTさん。「車椅子に乗っていると,冬は身体が冷えてくるけど,夏はあまり汗をかかないよ。どっちも,どっちだね」と僕は応えました。
 ホテルに着くと,これまた,日本語で「お帰りなさいませ」と出迎えてくれました。多くの日本人が韓国を訪れている証拠なのだろう。翌日は,朝早く出発するので,部屋でゆっくりと休みました。
 1月11日,今回の旅行で一番楽しみにしていたイムジン河へ向けて,ホテルを午前7時に出発。イムジン河は南北朝鮮分断の象徴とされる河で,かつては鉄橋がかかり,ソウルから国鉄京義線が北朝鮮へと伸びていました。朝鮮戦争により,鉄道も鉄橋も破壊されたままでしたが,金大中前大統領が南北和解のシンボルとして復旧。列車で渡ることが可能となった河です。「みんな,パスポートを持つように…パスポートを忘れてしまったら,イムジン河は渡れないよ」とIさん。鞄の中に,パスポートを入れたかどうかを確認する行為そのものが精神的に緊張しました。ホテルから近くの地下鉄(料金は900ウォン)に乗り,ソウル駅に向かいました。
 ソウル駅に着くと,Iさんは「4人分の切符を購入してくるよ」と言い,切符売り場へ行ったと思ったら,すぐに戻ってきました。「"念のために,パスポートを見せてほしい"と言われたよ」とIさん。4人分のパスポートを持って,再び,切符売り場へ向かいました。購入した切符を手渡しながら,「出発時刻まで時間があるので,朝食をとろう」とIさん。改札口の正面に,"さぬきうどん専門店"がありました。僕たちは「ソウル駅で,さぬきうどんが食べられる」と感激して,その店に入りました。僕は"天ぷらうどん"を注文しました。
「イムジン河へ行く前に,うどんを食べることができるなんて,予想もしなかったよ」とSさん。
 朝食が終わっても,1時間くらい時間があったので,僕はソウル駅内のバリアフリーチェックをしました。時間があるとき,無意識に公共施設のバリアフリーチェックをする僕って,いったい…エレベータ・スロープ・障害者用トイレの有無など,1つずつ確かめていきました。(もしかして,「ソウル駅のバリアフリー」ということで,授業や講演会なとで使用できるかも…)と期待感をもち,デジカメで写真を撮っていきました。すると,怪しまれたのか,警備の方が両手で《×》のサイン。そのとき一瞬,「外国では,空港や駅は重要な軍事基地と位置づけられているので,写真を撮らないほうがいいよ」と,知人が話をしていた内容を思い出しました。警備員の行為が理解できたので,少し安心しました。ソウル駅内の撮りたいと思う箇所を全部撮った後だったので,助かりました。


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