んだんだ劇場2007年4月号 vol.100
No45
臨津江駅

 イムジン河へ向かう電車の発車時刻が近づいてきました。僕たちは、ソウル駅2階のコンコース改札口に並びました。「ソウル駅から,だいだい1時間30分くらいで,臨津江駅に着くよ。そこでいったん下車して,パスポートを提示して,改めて都羅山駅行きの切符を購入するんだ。乗車するとき,所持品の検査を受けて,1本後の電車に乗って,都羅山駅に向かうんだよ」とIさんは説明してくれました。だけど,僕はIさんの話を上の空で聞いていました。やはり,この目で見たものを大切にしたい…あまり,予備知識は入らないと思っていました。それに,移動は電車を使うので,韓国での電車のバリアフリーを体験できることに期待していました。
 改札口で,駅員が切符にスタンプを押しました。そして,車椅子に乗っている僕を見て,「お手伝いしましょうか」と駅員が話してきました。「ありがとうございます」と一礼をして,駅員の案内に従いました。各ホームには障害者用エレベータが付いていました。IさんとTさんは「私たちは,階段で降りるので,プラットホームで会おう」と言い,先に階段を下りていきました。僕とSさんは,駅員の後に付いて行きました。Sさんは,僕の車椅子を押してくれました。
 プラットホームへ行くと,臨津江駅に向かう電車がホームに入っていました。「ここから,乗りましょう」と僕たちに手を振るIさん。ゆっくりと,僕たちはその場所へ向かいました。そして,出入り口を見て,「なんて,1つ1つのステップが高いのだろう」と僕は驚きました。出入り口から,3段の段差。駅員さんは,車椅子に乗っている僕を持ち上げようとしましたが,僕は車椅子から降りて,手すりを使って,一人の駅員の肩を借りて,電車内に入りました。Sさんは,僕の車椅子を折り畳み,車内に運びました。僕はSさんに「この出入り口の写真を撮ってくださいな」と頼みました。「三戸さん,写真をばっちり撮ったよ」とSさん。僕の横に座ろうとしたTさんは笑みを浮かべて,「段差があると,我々もシンドイよなぁ…日本と電車の作りが違うのかな。バリアフリーの意味が分かったような気がするよ」。
 車内では高校生は出入り口に寄りかかって立ち、携帯電話でメールを打っていました。辺りを見渡すと空席がありました。(どうして,座らないのかなぁ)と思いながらも,見慣れた光景に安心しました。
「車椅子を車内に入れてくれた駅員さんに,チップをあげた方が良いよ」とIさん。「当たり前な行為に,チップをあげる必要があるのかなぁ」と少し不快な気持ちを話しました。「外国に来た気分になるだろう。そんなに深いことを考えなくとも良いよ」とIさん。しぶしぶ,二人の駅員さんに僕は500ウォンずつ手渡しました。駅員さんは躊躇することなく,チップをもらいました。その姿を見て,「チップ文化」を感じ,それが何となく面白く,うっすらと笑みを浮かべました。
 発車ベルが鳴り,電車が動き始めました。僕は車窓から,景色を眺めていました。京義線の駅周辺には,高層マンションが建っていました。冬なのに,雪がない沿線の風景が広がっていました。雪がなく,地面が見えると,僕は温かい気温と感じてしまいます。
(うぉ〜すごいなぁ)と思わず歓声をあげました。Sさんは,車窓から写真を撮っていました。「地面が乾いているのに,川の水は凍っているよ。秋田では,見ることができない光景だよね」と僕。「外の気温は,相当に低いのだね」とSさん。この1つの光景を見ることができただけでも,僕の世界観が広がっていくような気がしました。《百聞は一見に如かず》という言葉が実感できた瞬間でした。「今から行くイムジン河も,流氷みたいな感じだよ」とIさん。
 8時50分にソウル駅を出発して,10時28分に臨津江駅に着きました。(チップをあげたので,ソウル駅の駅員さんが臨津江駅の駅員さんに連絡をしてくれて,僕の車椅子を降ろしてくれるのかなぁ)と期待していましたが,誰も待っていませんでした。僕はSさんの肩を借りて,3段のステップを降りました。Tさんが僕の車椅子を担いで降ろしました。都羅山駅へ行く全ての観光客は臨津江駅で途中下車し、入場許可の手続きをします。私たちも同じ手続きをしました。臨津江駅と都羅山駅間の往復は指定列車が走っていました。「都羅山駅は民間人統制区域内にあるため、生活目的の利用者はいないため,行きと帰りの乗車客の人数は一致する必要があるんだよ」とIさん。切符売り場に4人が一列に並び,受付係にパスポートを提出して,切符を購入しました。このことがイムジン河を渡ることの意味を象徴しているように感じました。重苦しい雰囲気の中,憲兵は僕たちが乗ってきた車両に入っていきました。「なぜ,車内に入っていくのだろう」と僕は呟きました。「今,憲兵さんが車両の検査をしているところ。検査が終わると,都羅山駅の出発専用ホームに移動するよ。その列車に,前の列車で到着し検査を終えた乗客が乗車する仕組みになっている。だから,私たちは約1時間,この駅で待つことになるよ」と渋い表情で,Iさんは説明しました。「それでは,この駅の待合室で昼食をとりましょう。時間に余裕があるから」とTさん。切符を購入して,駅の待合室に入りました。Iさん,Tさん,Sさんはベンチに座り,僕は車椅子に座り,4人がまるくまとまるように昼食をとりました。昼食は"おにぎり"と"缶コーヒー"。待合室に暖房は効いていましたが,缶コーヒーを飲んで,身体の芯から温まりました。
 僕はトイレに行こうとしました。「ついていかなくとも良い?」とTさんが気を遣ってくれました。僕は「いいよ。もしサポートが必要なら,呼びにきますよ」と気軽に言いました。男女のトイレの隣に,障害者用のトイレがありました。小便は一般トイレでできますが,思わず障害者トイレを使用したくなり,引き戸を開けました。新設したばかりのトイレを,思わずデジカメで写真を撮りました。障害者用のトイレを見て,(この駅は,いろいろな国や地域の方々が訪れているなぁ)と感じました。「この駅のトイレはバリアフリーだね…気になって見に来たけど,大丈夫だね」とSさん。待合室に戻っていき,IさんとTさんに伝えている声が聞こえてきました。
 駅の周辺をぶらつきました。民間人統制区域である都羅山駅に近いためなのか,ほとんど住宅などはありませんでした。見渡す限り,お店がなく,この周辺で生活している人はいないと感じました。ただ,いくつかの施設はありましたが,何の施設か分かりませんでした。
 都羅山駅への発車時刻の15分前になると,ブザーの合図が鳴りました。「さっき購入した往復切符とパスポートを手に持てよ」とIさん。改札口へ行くと,憲兵は立っていて,往復の乗車券とパスポートを確認していました。空港の手荷物検査と同じように,金属探知機でボディ−チェックを受け,手荷物はX線検査を通しました。これらの諸検査を憲兵が行っていることに,僕は妙な緊張を感じていました。Sさんが僕の車椅子を押してくれ,僕は列に並んでいました。いよいよ僕の番になると,憲兵は車椅子が金属探知機に反応してしまうので,「隣の通路へ来るように」と指示をしました。Sさんは僕を隣の通路へ運び,金属探知機でボディーチェックを受けました。僕は車椅子に座ったまま,憲兵に身体を触感されて,ボディーチェックを受けました。そして,憲兵が僕の車椅子を押してくれ,自分の手荷物を受け取り,ホームへ進みました。一人の憲兵が僕の車椅子を担ぎ,もう一人の憲兵が僕を抱えて,列車の段差を越えました。僕は「サンキュ」と言うと,「ウェルカム」と憲兵。兵役義務の20代前半の若者の行為に,とてもすかすがしい気持ちになりました。


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