んだんだ劇場2007年5月号 vol.101
No46
DMZの憲兵

 午後12時23分に,臨津江駅を出発しました。電車は,ゆっくりと進んでいきました。(少し遅いかなぁ)と思うスピードがとても心地よく感じていました。乗車してすぐに,「まもなく,イムジン河の橋を渡るよ」とIさん。電車内の雰囲気を感じる間もなく,僕は童心にかえったように,車窓に顔を近づけました。広い白い地面が少しずつ近づいてきました。「イムジン河は,凍っているね」とSさん。「何となく,地面が乾いているのに,河水が凍っている光景に,不思議さを感じるよ」と僕が呟きました。「秋田では,絶対に見られない光景だものね」とTさん。「三戸くん,いろいろなものを見ることができて,韓国に来て良かっただろう」とIさん。僕は静かに頷きながら,『百聞は一見に如かず』の言葉の意味を噛みしめました。
 5分くらいで,目的地の都羅山駅に着きました。都羅山駅は韓国統治下の最北端駅。電車が着き,プラットホームに降りました。憲兵が改札口に立っていました。建物の新しさと憲兵の姿が同時に,僕の目に飛び込んできました。Sさんが僕の車いすを降ろそうとしている姿を見た憲兵は,「大丈夫ですか」と話しかけてきました。その言葉を聞いて,僕は憲兵が日本語で話しかけてくることは予想もしていなかったので,驚いて振り返りました。「もう,降ろしましたよ。ありがとうございます」とSさん。若い憲兵は折り畳んだ車イスを広げてくれ,僕に「どうぞ…」と笑顔で一言。僕は気を良くして,車イスに座ると,憲兵は改札口まで押してくれました。
 改札口には,他の憲兵が業務をしていました。改札口に憲兵がいることに,この駅の政治的な意味を感じました。僕の車イスを押してくれた憲兵は,改札業務の憲兵に話をしていました。(きっと,業務の引き継ぎをしているのだろう)と思いました。改札口を通る前に,身体と手荷物はX線を通りました。僕の手荷物だけがX線を通り,僕自身は業務用の通路に通されました。車イスの金属部分がX線に反応するためでした。憲兵が僕の身体を触り,確認後,改札口を通されました。
 僕たちと同乗した乗客は5人くらいで,DMZ(非武装中立地帯)ツアーの参加者らしく,駅前に止まっている観光バスに乗り込んでいきました。
 駅構内は,広々としていました。この周辺は民間人統制区域内にあるため,生活目的の利用者はいなく,閑散としていました。帰りの電車時刻の午後1時43分まで,駅構内と駅周辺をぶらつきました。日本人4人の行動が怪しいと思っていたのか,常に憲兵の視線を感じました。Sさんはデジカメで風景を撮っていました。すると,憲兵が近寄ってきて,韓国語で何やら話しかけてきました。Iさんは「ここは,写真撮影だって」と。ここは軍事施設なのかなぁと,僕は不快な気持ちになりました。Iさんは「私たちは日本人観光客であること,記念写真を撮りたい」と憲兵に韓国語で伝えていました。「もし良かったら,一緒に撮りませんか」と僕の言葉を,Iさんは韓国語で伝えました。憲兵は頷いて,都羅山駅をバックにした写真に納まりました。写真を撮り終わったら,憲兵は「写真撮影を許可するよ」とIさんに伝え,その場を立ち去りました。
 駅周辺に看板がありました。ハングル語で「【南北を結ぶ高速道路を建設中】と書いてあるよ」とIさん。また,その近くには駅名表示板があり,ハングル語と漢字で【平壌205q】と,【ソウル56q】と書いてありました。思わず,僕は身震いをしました。しばらく,駅名表示版に立ち尽くしました。
"朝鮮半島は1つなのだ"
2006年1月現在,都羅山駅から北の方へ線路がつながっていないけれど,駅名表示板に込めた韓国の方々の気持ちに圧倒されました。心のスケールの大きさを感じました。
 駅構内には,【この駅は,いずれ京義線鉄道の連結が完成したとき,南北の往来が可能となる。そしたら,中国やロシアを行き来する人々や貨物に対して,関税及び通関業務を担う場所となるだろう。陸の西アジアへの玄関の役割を果していきたい】という期待と希望を内包している看板が掲げられていました。このような未来が一刻も早く訪れることを,願わずにいられませんでした。この看板を見て,一人の人間の個人的な未来でなく,国と国にも未来があることを,都羅山駅を訪れて,身近に感じました。また,2002年,アメリカのブッシュ大統領がこの駅を訪れた様子を,パネルで展示していました。
 「早く,この駅が多くの人で賑わうと良いね」と,Sさんが僕の車椅子を押しながら話しかけました。「そうだね」と頷きましたが,その一言がとても重みのある言葉でした。未来を創ることは,人間の作業であることを考えれば,一人ひとりが願うことの大切さをかみ締めました。
 午後1時30分ころに,ベルが鳴り始めた。憲兵が改札を始めました。午後1時43分発に乗車する人は,10人未満でした。Sさんは僕の車椅子へ押して,窓口の憲兵に「宜しくお願いします」と言い,憲兵に身柄を預けました。僕は少し身構えました。「お願いします」と礼をすると,笑顔で僕の背中に回り,車椅子を押してくれ,業務用通路を通りました。他の3人はX線検査。僕は憲兵による検査。そのまま憲兵は車椅子を押してくれて,帰りの電車に乗りました。僕の車椅子を折り畳み,肩を貸してくれました。急かすのでなく,僕の動作に合わせてくれました。僕が座ったところで,「ありがとうございます」と礼を言いました。「また,来てくださいね」と応えた憲兵の笑顔に,若者の清々しさを感じました。
 まもなく,ゆっくりと電車は動きました。京義線の沿線駅「金村駅」に向かいました。駅周辺にある烏頭山統一展望台を見学することになっていました。
 「今度来るときは,北の方に京義線が開通になっているとイイね」とTさん。他のメンバーは,しばらくの間,もの静かにしていました。だけど,お互いに共通な思い(願い)を抱いていることは,分かっていました。きっと,僕たちだけの思いでなく,都羅山駅を訪れた全ての人たちの思いなのだろう。そんなことを考えながら,都羅山駅を後にしました。


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